3 - 3 - 2 ボイオティアの赤像式


 アテネと地理的にも近いボイオティアではアテネのものを模倣した陶器が数多く生産された。その生産は特に六世紀の中頃と五世紀後半が盛んであった。前者はアテネの黒像式を真似たもので、特にレカニスが多く、当時流行していた動物の文様を描いたものが多い[1]。その後生産は減少するが、中にはオデュッセウスの冒険を描いた興味深いものもある。五世紀中頃には再び生産が盛んになり、アテネの赤像式を模してペリケやレキュトスが作られたが、中には優れた描写を見せるものもあった[2]

 後半になるとベルクラテルやカリュクスクラテル、スキュフォスなどが多くなり、特にベルクラテルは女性の頭部のみを描いたものが多く作られた。それでも中には雨に変身してダナエと交わるゼウスを描いた珍しい例も見られる。なおボイオティアの赤像式と多の地域との違いは、その描写がまず雑で像のバランスが悪いこと、また南イタリアの陶器のような派手な装飾がなくかなりシンプルであることが挙げられる。

[1] ボイオティアの黒像式陶器については、Ruckert, A., Fruhe Keramik Bootiens: AK Supplement X, (1976), Kilinski, K., Boeotian black figure vase painting of the Archaic period, (1990), Ure, A. D., "Floral black-figured cups at Schimatari", JHS 46, pp.46-52参照。
[2] ボイオティアの赤像式陶器については、Lullies, R., "Zur boiotischen rotfigurigen Vasenmalerei", AM 65, pp.1-27, Ure, A. D., "Boeotian vases with woman's heads", AJA 57, pp.245-249, Ure, A. D., "The Argos Painter and the Painter of the Dancing Pan", AJA 62, pp.382-395参照。