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大型陶器の画家
この時代は大型陶器の画家、小型陶器の画家ともに先の時代の様式をそのまま引き継いだ画家と、古典時代へとつながる新たな様式を生み出した画家とに分類できる。もちろんその区分は明確なものではないけれども、まずは前者について述べてみよう。
古い様式を引き継ぐ画家たちの中にもクラテルなど大型の陶器を好んだものと、ノーラ型アンフォラや大型の標準型レキュトスなど中型の陶器を好んだものが存在した。前者の中で最も重要なのがパンの画家(Pan
Painter)である[1]。その名前は彼の描いたパン神から名付けられたものだが、この神はペルシアとの戦争の際に出現しギリシアを救ったとしてちょうどこの頃から崇拝が盛んになっていた。
彼はベルリンの画家の弟子と目されており、その描写の細かさは師匠にも匹敵するものである[2]。彼の特徴はその人物像の目の描写にあり、細くて繊細な印象である。ヘルモナクス(Hermonax)という名前の画家もまたベルリンの画家の影響を受けているが、パンの画家に比べると独自性が強く感じられる[3]。彼は神話の場面を好み、特にゼウスやポセイドンなどの神が女性を追いかける場面を好んだ。
また彼らとは異なり、ミュソンなどの系統を引く画家たちはマナリスト(Mannerist)とも呼ばれ、描写はやや雑でその画面構成もマンネリ化した印象を受けるものたちであった。しかし中にはレニングラードの画家(Leningrad
Painter)のカルピス型ヒュドリアのように、陶器の工房の様子を描いた珍しい例も存在した。
中型の陶器を好んだ画家たちの中で最も重要なのがプロビデンスの画家(Providence
Painter)である[4]。彼もやはりベルリンの画家の後継者であり、その描写は丁寧である。その描写のほとんどは一人か多くても二人の人物のみを配した、ベルリンの画家の伝統を引き継ぐものであった。このほかにもニコンの画家(Nikon
Painter)やドレスデンの画家(Dresden Painter)、ロンドンE342の画家(Painter
of London E342)など中型陶器を好んだ画家は多かったが、プロビデンスの画家の才能を越えるものはいなかった。
一方新たな様式を確立した画家の代表がニオベの子の画家(Niobid
Painter)である[5]。その名前はアポロンとアルテミスがニオベの子供たちを射殺する場面を描いたカリュクスクラテルから付けられたものであるが、これまでの陶器画ではすべての人物は一つの地平面に等しく並んでいたのに対し、画面に描かれた岩の上に人物を配するなど新しい構成が導入されている。しかしこの構成は陶器画家の発明によるものではなく、この時代あたりから盛んになった壁画やパネル画の画家の発明によるものだと考えられている[6]。
実際にこの時代あたりから陶器画のレベルは下降し始め、これまでは陶器の器形とマッチした構成に気を配っていたのが、この頃からはこれを無視して画面に壁画の画面構成の一部を切り抜いて張り付けたようなバランスの悪い構成が目立つようになった。ボローニャ279の画家(Painter
of Bologna 279)などはさらに複雑な構成に挑戦しているが、狭い画面に多くの人物を詰め込んでかえってごちゃごちゃした印象を与えている。
こうした新たな流行を追う画家たちと伝統を引き継ぐ画家たちの中間的な立場にあるのがヴィラジュリアの画家(Villa
Giulia Painter)である[7]。その描写は古い伝統を引き継ぐ丁寧なものであるが、画面に白地を用いるなど新たな試みも見せている。このほかにはシカゴの画家(Chicago
Painter)やアイギストスの画家(Aigistos Painter)、ボレアスの画家(Boreas
Painter)、アルキマコスの画家(Alkimachos Painter)などがいるがその技術は高いものではない。
またレキュトスを好んだ画家も数多く存在し、この頃から白地のレキュトスが本格的に作られるようになった。ボードインの画家(Bowdoin
Painter)は多作で、黒像式のレキュトスを製作したアテナの画家(Athena
Painter)と同一人物ではないかと考えられている。アイスキネスの画家(Aischines
Painetr)は二次型レキュトスを好み、赤像式も白地も描いている。また同じく二次型を好んだ墓の画家(Tymbos
Painter)や銘の画家(Inscription Painter)は白地レキュトスに専念した最初の画家であり、いわゆる葬礼用レキュトスの先駆けとなった。サブロフの画家(Sabouroff
Painter)は有能な画家であり、初期にはノーラ型アンフォラや標準型レキュトスを好んだが、のちにはキュリクスにも描くようになり、標準型の葬礼用レキュトスを描いた最初の画家の一人である。
小型陶器の画家
小型陶器の画家にも先に述べたように古い伝統を引き継ぐものと新たな様式を生み出した画家たちがいた。前者には大きく分けてドゥーリスの後継者とマクロンの後継者がある。ドゥーリスの伝統を引き継ぐ中で最も重要なのがエウアイオンの画家(Euaion
Painter)であり、彼に同定されている陶器の数も多い。彼の人物は師匠のように頭が小さくほっそりしているが、その描写は雑になっている。ドゥーリスの後継者には彼のほかにアケストリデスの画家(Akestorides
Painter)、エウアイクメの画家(Euaichme Painter)などがいる。
マクロンの後継者にはクリニックの画家(Clinic Painter)がおり、師匠よりはやや劣るが、筋肉などの描写には細かな注意が払われている。またテレフォスの画家(Telephos
Painter)の人物像はマンネリ化した描写であるが、神話の描写には独特のものが見られる。
一方新しい様式を生み出した画家たちの中で技術的には後期アルカイック時代の繊細さを保ち続けているのがピストクセノスの画家(Pistoxenos
Painter)である[8]。彼の特徴はなんといってもキュリクスの内面に白地をしばしば用いたことであり、その描写には赤像式にはない独特の美しさがある。彼の描写は繊細であり、力強い黒い線と細い茶色の線がうまく使い分けられている。また彼と同じくキュリクスに白地を用いたのがタルキニアの画家(Tarquinia
Painter)で、特に白地の描写にはしばしば優れたものがあるものの、多くの場合はマンネリ化した描写である。
彼らにやや遅れて登場したのがペンテシレイアの画家(Penthesilea
Painter)である[9]。彼は多作の画家であるとともに、彼の影響を受けた画家も数多い。また彼はしばしば直径が四十センチを越えるような実用とは思えない大型のキュリクスも採用している。その描写は大型キュリクスのトンドでは優れているものの、特に外面の描写は雑な、マンネリ化した人物像が多い。スキュフォスを好んだのがルイスの画家(Lewis
Painter)で、神話の描写を好み、その描写には繊細さが残る[10]。
この時代に活躍した陶工としてソタデス(Sotades)がおり、黒人と鰐を型取ったリュトンを始め、様々な野心的な陶器を製作し、多くのサインを残している。また黒像式のメリーソートカップに近い、より繊細な印象のカップには白地が用いられ、この陶工とともに活躍したソタデスの画家によって描かれている[11]。
[1] |
パンの画家については、Beazley,
J. D., The Pan painter,
(1974), Follmann, B. -A., Der
Pan-Maler, (1968), Beazley,
J. D., "The Master of the
Boston pan-krater, JHS
32, pp.354-369参照。 |
[2] |
パンの画家の師匠についての議論は、Sourvinou-Inwood,
C., "Who was the teacher
of the Pan Painter?", JHS
95, pp.107-121参照。 |
[3] |
ヘルモナクスについては、Pallottino,
M., Studi sull'arte di Hermonax,
(1940), Johnson, F. P., "The
late vases of Hermonax",
AJA 49, pp.491-502, Johnson,
F. P., "The career of Hermonax",
AJA 51, pp.233-247参照。 |
[4] |
プロビデンスの画家については、Serbeti,
E. P., O Zografos tis Providence,
(1983)参照。 |
[5] |
ニオベの子の画家については、Webster,
T. B. L., Der Niobidenmaler
(Bilder griechischer Vasen 8),
(1935), Prange, M., Der Niobidenmaler
und seine Werkstatt, (1989)参照。 |
[6] |
ニオベの子の画家と壁画との関連については、Simon,
E., "Polygnotan Painting
And The Niobid Painter.",
AJA 67, pp.43-62参照。 |
[7] |
ヴィラジュリアの画家については、Beazley,
J. D., "The Master of the
Villa Giulia calyx-krater",
RM 27, pp.286-297参照。 |
[8] |
ピストクセノスの画家については、Diepolder,
H., Der Pistoxenos-Maler,
(1954)参照。 |
[9] |
ペンテシレイアの画家については、Diepolder,
H., Der Penthesilea-Maler
(Bilder griechische Vasen 10),
(1936), Swindler, M. H., "The
Penthesilea Master", AJA
19, pp.398-417参照。 |
[10] |
ルイスの画家については、Smith,
H. R. W., Die Lewismaler
(Bilder griechischer Vasen 13),
(1939), Robinson, D. M. and
S. E. Freeman, "The Lewis
Painter=Polygnotos II",
AJA 40, pp.215-227参照。 |
[11] |
ソタデスおよびソタデスの画家については、Burn,
L., "Honey-pots:three white-ground
cups by the Sotades Painter",
AK 28, pp.93-105, Griffiths,
A., "What leaf-fringed
legend...? a cup by the Sotades
painter in London", JHS
106, pp.58-70, Hoffmann, H.,
Sotades: Symbols Of Immortality
On Greek Vases , (1997),
Hoffmann, H., "Alehteia:the
iconography of death/rebirth
in three cups by the Sotades
Painter", Res 17,
pp.67-88, Peredolski, A., "Sotades",
AM 53参照。 |
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