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大型陶器の画家
この時代の最も重要な画家はベルリンの画家の伝統を引き継いだアキレウスの画家(Achilleus
Painter)で、この時代にしてはかなり丁寧な描写で描かれたものが見られるが、特にノーラ型アンフォラのB面などは雑な描写でこの時代以降頻繁に登場する外套をまとう若者の姿が描かれる[1]。彼の才能が最も発揮されているのは白地レキュトスである。彼の白地レキュトスには直接墓が描かれることはないが、のちの墓碑にも通じる死者を暗示するうつろな瞳の女主人と侍女の構図など、死と関係する場面が描かれている[2]。
彼の後継者がフィアレの画家(Phiale Painter)で、その描写は師匠ゆずりの丁寧なもので、用いた陶器もほとんど同じであるが、数少ない白地のカリュクスクラテルを生み出した人物でもある[3]。彼の白地レキュトスにはしばしば墓碑が描かれ、墓参の場面などのより直接的に死と関わる場面が見られるようになったほか、この時代以降のレキュトスはより細長くなる傾向が見られる。
またこのほかにも白地レキュトスを中心に様々な器形を試みたミュンヘン2335の画家(Painter
of Munich 2335)や、白地レキュトスを専門にしたボサンケの画家(Bosanquet
Painter)、タナトスの画家(Thanatos Painter)などがおり、従来の墓参図のほか、死者をタナトスとヒュプノスが運ぶ場面や死者をヘルメスが地獄の渡し守カロンのもとまで導く場面など幻想的な場面も描いている。また彼らに遅れてあらわれたのが鳥の画家(Bird
Painter)で、これまでの白地レキュトスが光沢のある色彩で描かれていたのに対し、彼以降の画家は光沢のない色彩を用いるようになった。
アキレウスの画家やフィアレの画家がベルリンの画家以来の伝統を引き継ぐのに対し、ニオベの子の画家などによる新たな様式を引き継いでいるのがポリュグノトス(Polygnotos)である[4]。彼は有名な壁画家と同名で多作の画家であるとともに、似通った様式を持つグループの中心的人物でもある。このグループにはミダスの画家(Midas
Painter)、ペレウスの画家(Peleus Painter)、ヘクトルの画家(Hektor
Painter)、コグヒルの画家(Coghil Painter)、リュカオンの画家(Lykaon
Painter)などがいるが、そのほかにも個人への特定が困難なものが多数存在している[5]。しかしいずれもその描写は以前のような繊細さが見られず、この時代以降の陶器画には繊細さが急速に失われていく。
彼らの後継者となるのがクレオフォンの画家(Kleophon
Painter)とディノスの画家(Dinos Painter)である[6]。彼らはニオベのこの画家以来の複雑な画面構成をしばしば用い、またエロスや円柱などを白く塗っているが、これはこの時代以降の伝統であり、かなり多用されることになる。これにやや遅れて後期アルカイック時代のマナリストに対して後期マナリストと呼ばれる、やはり特徴の少ない画家たちによって描かれた陶器が多数存在する。
しかし個人として認識されているナウシカアの画家(Nausicaa
Painter)やヘファイストスの画家(Hephaistos Painter)でさえその描写にはかつての繊細さはない。またこの時代以降の陶器画を象徴するのが洗濯の画家(Washing
Painter)の作品で、神話の場面を描いたものは少なく、画題の大半を女性の日常生活が占める。また以上に述べた大型陶器の画家たちとは別に、オイノコエを専門に描く画家も存在し、マンハイムの画家(Mannheim
Painter)やシュヴァロフの画家(Shuvalov Painter)などは数多くの作品を残している[7]。
小型陶器の画家
この時代のキュリクスの画家は特徴の少ないものが多く、また従来のB型に加え、脚部の短いステムレスカップが盛んに製作されるようになった。エレトリアの画家(Eretria
Painter)は多才な画家で、キュリクスのほかにもこの時代以降頻繁に描かれるようになるスクワットレキュトスのほか、オイノコエやピュクシス、エピネトロンにまで描いている[8]。彼は細密画家的な細かさを備え、しばしば繊細な描写を見せるが、キュリクスは概して雑なものが多い。彼と近い関係にあるのがカリオペの画家(Calliope
Painter)で、彼もキュリクスのほかにペリケやオイノコエなどにも描いている。コドロスの画家(Codrus
Painter)も彼らと似通った描写をするが、彼はキュリクス以外のものには描かなかった。彼の人物像では目に特徴があり、特にハデスなど壮年の神には威厳が感じられる。
彼らとは少し異なる様式を持つのがマーレイの画家(Marley
Painter)とそのグループで、彼らは特にステムレスカップを好んだが、クラテルやピュクシスなど様々な器形も試みている。また初期古典時代のルイスの画家の後継者としてスキュフォスを専門にしたのがペネロペの画家(Penelope
Painter)で、オデュッセイアを題材とした描写が彼の特徴である。
[1] |
アキレウスの画家については、Wehgartner,
I., Ein Grabbild des Achilleusmalers,
(1985), Beazley, J. D., "The
Master of the Achilles amphora
in the Vatican", JHS
34, pp.179-226参照。 |
[2] |
アキレウスの画家を初めとする白地レキュトスについては、Beazley,
J. D., Attic White Lekythoi,
(1938), Kurtz, D., Athenian
white lekythoi: patterns and
painters, (1975), Wehgartner,
I., Attische Weissgrundige
Keramik, (1983), Riezeler,
W., Weissgrundige attische
Lekythen, (1914)参照。 |
[3] |
フィアレの画家については、Oakley,
J. H., The Phiale Painter,
Kerameus 8, (1990)参照。 |
[4] |
ポリュグノトスについては、Matheson,
S. B., Polygnotos and vase
painting in classical Athens,
(1996)参照。 |
[5] |
ヘクトルの画家とペレウスの画家については、Korshak,
Y., "Der Peleusmaler und
seine Gefahrte der Hektormaler",
AK, 23, pp.125-136参照。 |
[6] |
クレオフォンの画家については、Hemelrijk,
J. M., BABesch 45, pp.50-参照。 |
[7] |
シュヴァロフの画家については、Lezzi-Hafter,
A., Der Schuvalow-Maler:
eine Kannenwerkstatt der Parthenonzeit,
Kerameus 2, (1976)参照。 |
[8] |
エレトリアの画家については、Lezzi-Hafter,
A., Der Eretria-Maler und
sein Kreis: Werke und Weggefahrten
(Kerameus 2), (1988)参照。 |
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