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すべての黒像式陶器が消滅していった中で、唯一黒像式によって描かれ続けたのがパンアテナイア型アンフォラ(Panathenaic
Amphora)である[1]。これは四年に一度アテナイで行われた大パンアテナイア祭中の競技において、各種目の優勝者に与えられたもので、その中にはアクロポリスから植樹されたアカデメイアのオリーヴからとれた油が入れられていた。
この陶器が重要なのは、その年のアルコンの名前が記されている場合があり、それによって年代の確定が可能であることである。ただしこれはかなり年代の降る例にかぎられる。その装飾はほぼ一定していて、正面には女神アテナが描かれ、裏面にはそれぞれの競技が描かれていた。もっとも古い例はブルゴンのグループによる560年代のアンフォラである。その後もその時代を代表するような画家によって描かれ続け、エクセキアスもこれを描いた一人である。
赤像式の時代に入っても、黒像式専門の画家ではなく、赤像式のその時代の大家たちによって描かれ続ける。六世紀末の赤像式の頂点とも言うべき時代のクレオフラデスの画家やベルリンの画家もこれを黒像式で描いている。さらに赤像式に衰退の兆しが見え、ついには描かれなくなる時代にあってもこのアンフォラは描かれ続ける。最も新しい年代のアルコンが記されているのは312/1年のものだが、それ以降も二世紀まで制作され続けた。しかしこれらは黒像式の亜流にすぎず、本当の意味の黒像式は赤像式の出現とともに衰退し、五世紀半ばには姿を消したといえよう。
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パンアテナイア型アンフォラについては、Brauchitsch,
G. v., Die Panathenaischen
Preisamphoren, (1910), Gardiner,
E. N., "Panathenaic Amphorae",
JHS 32, pp.179-193, Beazley,
J. D., "Panathenaica",
AJA 47, pp.441-465, Peters,
K., Studien zu den panathenaischen
preisamphoren, (1941), Frel,
J., Panathenaic prize amphoras,
(1973)参照。 |
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ヘレニズム時代のパンアテナイア型アンフォラについては、Dow,
S., "Panathenaic amphorae
from the Hellenistic period",
Hesp. 5, pp.50-58, ヘレニズム、ローマ時代の例については、Edwards,
G. R., "Panathenaics of
Hellenistic and Roman times",
Hesp. 26, pp.120-349参照。 |
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