2 - 7 - 1 カルキス式


 カルキスはエウボイアの町の名であるが、カルキス式の名はその陶器がカルキスで制作されたためにつけられたわけではなく、この様式を持つ陶器にカルキス風の書体の文字が記されているためである[1]。このカルキス式陶器(Chalcidian)がどこで生産されたかについては様々な説がある。まず第一の候補地としてのカルキスであるが、この地からはこの様式の陶器が一片も発見されていないため、この地は失格であろう。現在もっとも可能性が高いのは、南イタリアにおけるカルキスの植民都市である。

 これはこの様式の陶器が南イタリアとシチリアでしか発見されていない事実によって裏付けられている。ただ問題を複雑にしているのはその様式である。全体的な雰囲気には東方ギリシアの影響が見られ、また図像の表現にはアッティカ式との共通点が見られる一方で、器型や装飾などにはコリントス式やラコニア式との関係が強くうかがえる。これを説明することは困難であるが、東方ギリシアの影響はカルキスがギリシア本土の東に位置して東方との関係が強かったため、コリントス式の影響は南イタリアの市場に深く入り込んでいたその陶器をまねたためと考えることもできる。

 カルキス式陶器が制作されたのはラコニア式に遅れて紀元前550-510年頃のことであった。540年頃のヴュルツブルク博物館所蔵のクラテルは、その器形はコリントス式やラコニア式のクラテルとほぼ同じで、口縁部の装飾はコリントス式にも見られるものであり、頚部の円形の装飾は前述のコリントス式末期のヒュドリアに見られるものと同じである。また盾の紋章や馬の右上に描かれた鳥はコリントス式と共通のもので、特に右の鳥は空間充足文として用いられている。しかし像の描写においてはコリントス式よりも自由で、東方ギリシアの影響をうかがうことができる。

 ここに描かれているのはトロイア戦争の一場面で、左からヘレネ、パリス、アンドロマケ、ヘクトルの名がカルキス風の文字で記されている。カルキス式にはこのようなクラテルやアンフォラ、あるいはヒュドリアなど大型陶器が多く見られるが、それとはかなり様式的に異なったキュリクスも制作している。530年頃のヴュルツブルク博物館所蔵のキュリクスは、その脚部が短くがっしりしているのが特徴であり、外面には目が描かれる。

 この装飾は東ギリシアを起源とするもので、同様の装飾はアッティカ式にも用いられてかなり流行した。これにはコリントス式の影響は全くと言っていいほど見られず、これと前述の大型陶器が同じ南イタリアの町で作られたのだとしても、同じ工房で制作されたとは考えられない。このようにカルキス式陶器にはまだ不明な点が多く、今後の新たな発掘による展開を待たなくてはならないだろう。

[1] カルキス式陶器については、Rumpf, A., Chalkidische Vasen, (1927), Smith, H. R. W., "The origin of Chalcidian ware", Univ. of California Publications in Classical Archaeology 1 (1932), pp.85-149