2 - 6 - 3 盛期アッティカ黒像式


大型陶器の画家

 ネアルコスの様式を受け継ぎ、黒像式を完成させた一人がリュドス(Lydos)である[1]。彼はキュリクスなどにも描いてはいるが、彼の特徴を示しているのはやはり大型陶器でる。550-540年頃のメトロポリタン美術館所蔵のコラムクラテルは、ネアルコスほどの精確さはないものの、両面で二十人前後の人物たちの動きはそれぞれ異なっており、その姿勢も自由である。

 ここに描かれているのはヘファイストスをディオニュソスが酔わせてオリムポスに連れ帰る場面であり、サテュロスやマイナスを従えている。完全な形で残っていれば間違いなく彼の最高傑作になっていただろうと思われるのが、アテナイ国立博物館所蔵のディノスの断片である。これらの断片は小さなものが多いために全体の構成はつかみにくいが、描写の細かさはネアルコスに匹敵するものである[2]。ここに描かれているのはギガントマキアの場面であり、神々だけでなく相手の巨人たちにも名前が添えられている。

 これらとは少し異なるものとして、ベルリン古代美術館所蔵のオイノコエがあげられる。胴部の中央下にはコリントス式の流れを残す動物が描かれており、主要な画面のヘラクレスとアレスの戦いの場面に描かれたアテナの描写には、一部に輪郭線が用いられている。この描線を多用した画家がリュドスよりわずかに若いアマシスの画家である。なおリュドスの名前はリュディア出身であることをうかがわせるだけでなく、そのサインから奴隷であったのではないかと考えられている[3]

 アマシスの画家(Amasis Painter)の名前は彼が陶工アマシスによる陶器に数多く描いたことから名付けられ、両者が同一人物である可能性もある[4]。このアマシスという名前はギリシア系ではなく、エジプトに一般的な名前がギリシア化したものである[5]。彼の特徴は、その描写に東方ギリシアの要素が多く見られることにある。それはリュドスの持つ厳格さに対し、彼の自由で陽気な雰囲気に現れている。

 バーゼル古代博物館所蔵のベリィアンフォラは彼の特徴がはっきり現れている。その主題は彼がもっとも好んだディオニュソス及びその仲間についてのもので、ここではサテュロスたちがワイン作りをしているが、ここに描かれたマイナスは顔と手足が描線によって描かれている。また彼はキュリクスにも描いたが、ボストン美術館所蔵のものは赤像式の時代に入って流行するB型のもので、キュリクス外面に目を描くことは東方ギリシア以来の伝統であるが、ここではセイレーンの体の部分を目として描くという特異な表現を用いている。

 彼の傑作の一つがパリ国立図書館所蔵のネックアンフォラ(cab.med.222)である。そこに描かれているのはディオニュソスと二人のマイナスであるが、広い空間にわずか三人の人物を配する構成はリュドスには見られないものであった。このような空間の利用を取り入れながらリュドスの厳格さを受け継いでこれを発展させ、黒像式を大成させた人物がエクセキアスであった。

 エクセキアス(Exekias)の傑作であり、ギリシア陶器を代表するものの一つが、540-530年頃のヴァチカン博物館所蔵のベリィアンフォラである(図1,vatican344)[6]。最初に目に付くのは、描かれたマントや鎧などの驚くほど細かな描写である。これほどの精巧さをもって描かれた陶器はギリシア陶器のみならず世界の陶器を探してもないのではなかろうか。



図1

 次に驚くのはその画面構成にある。ここに描かれているのはトロイア戦争の合間にチェスのようなゲームをするアキレウスとアイアスであるが、広い画面にわずか二人の人物を配し、両者の目線や手、槍はすべて中央の台に集中し、両者の姿勢は左右対照的でありながら同じところはなく、槍の先をまっすぐにたどるとちょうど取っ手の位置に当たるようになっている。また槍や台、足、マントの重なり具合によって奥行きが表現されていることも注意すべき点であり、まだまだ幼稚ではあるが遠近法が少しずつ用いられてきている。

 エクセキアスらしい厳格さを示すものとして、ブローニュ博物館所蔵のベリィアンフォラがある(boulogne558)。ここに描かれているのは、これから自害しようとするアイアスと一本の木、盾と槍だけである。彼の厳格な描写はアイアスの抱える悲痛さを強調するかのようであり、自害し果てた場面ではなく、その直前の緊張感漂う一瞬を描いたことがこの陶器のすばらしさの要因となっていよう。なおエクセキアスがアイアスの図像を好んだことから、彼はこの英雄の生まれたサラミス出身ではないかという議論もある[7]。これらの厳格さとは少し離れて、自由な描写を用いつつ成功しているのがミュンヘン古代美術館所蔵のキュリクスである(munich2044)。

 これもまた赤像式の時代に流行するA型である。描かれているのは船の上に横たわるディオニュソスであり、周りに泳ぐイルカたちは彼によってその姿に変えられてしまった海賊たちであろう。背景は陶土そのままの色ではなく、朱色の上塗りが施されている。キュリクスを描いたのは小型陶器専門に描いた画家たちだけでなく、リュドスやアマシスの画家も描いているが、陶器の全面を用いてこれほど自由に描いているのはエクセキアス一人である。このほか彼は奉納用・葬儀用の陶板にも描いている(図2)。



図2

 この時代にはこの三者以外にも大型陶器を描いた多くの画家が存在した。京都ギリシア・ローマ美術館所蔵のネックアンフォラを描いたアフェクター(Affecter)はその中でも優れた画家の一人である[8]。このほかには彼の作風に近いエルボーズ・アウト(Elbows out)、変わった主題を得意としたブランコの画家(Swing Painter)などがあげられる[9]。またエクセキアスに近い作風を示すが、特徴が少なく個人への特定が難しい一群の陶器はグループEとしてまとめられている。

小型陶器の画家

 このような大型陶器を中心に描いた画家たちの他に、小型陶器を専門に描いた画家たちが存在した。彼らはフランソワの壺における細密画風の描写を受け継ぐもので、細密画家、リトル・マスター(Little Master)と呼ばれている[10]。彼らが好んだ形式はキュリクスであったが、それには主に二つの種類があった。これらは形式的にはほぼ同じだが、装飾される部分が異なっている。

 一つはバンドカップと呼ばれ、取っ手のある段のみを残して他を黒く塗りつぶし、その狭い帯状の画面に装飾するものである。もう一つはリップカップと呼ばれ、取っ手の段だけでなく口縁部も塗り残し、口縁部に主要な主題を描くものである。内面はシアナカップと同様にトンドの中に一人か二人程度の人物、あるいは動物が描かれる。

 トレソンの画家(Tleson Painter)は陶工兼画家のネアルコスの息子である陶工トレソンとともに活動して名付けられたが、彼は他の細密画家たちと同様にバンドカップもリップカップも描いている。ミュンヘン古代美術館所蔵のバンドカップは闘鶏の場面が描かれているが、もはやコリントス式の影響は見られず、この狭い画面に見事な描写で描いている。しかしこれよりもさらに細かな描写が見られるのが同じくミュンヘン古代美術館所蔵のバンドカップである。これにはアルキクレス(Archikles)とグラウキュテス(Glaukytes)という二人のサインがあるが、いずれも陶工としてのサインであり、これを描いた人物ははっきりしない。

 その主題は一方がカリュドンの猪狩りであり、一方がテセウスによるミノタウロス退治である。いずれもわずか縦幅数センチの画面に十人前後の像を配し、しかもその一人ひとりに名前を添えてある。まさに驚くべき細かさであるが、さすがに個々の像を取り上げるとあまりに小さいため、その姿勢は形式化してしまっている。古代地中海美術館所蔵のキュリクスもこのバンドカップだが、両面ともほぼ同じ構図で、像はさらに形式化している。

 リップカップの例としては、タルキニア国立博物館所蔵のものがある。これはクセノクレスの画家(Xenokles Painter)によって描かれたもので、リップカップはバンドカップと同様に縦幅は狭いもののあまり多くの像を詰め込まないため、ここでは二頭立ての戦車はより自由で自然な感じで描かれている。大英博物館所蔵のリップカップ(londonB424)はフリュノスの画家(Phrynos Painter)によるもので、アテナの誕生の場面とオリンポスにヘラクレスが導かれる場面を描いているが、この小さな画面にきわめて精確に、それぞれの神の特徴を描き出すことに成功している。サコニデス(Sakonides)はリップカップに女性の頭部を黒像式ではなく輪郭線描写によって描くことを好んだ[11]

 この時代にはこのほかにもドゥロープカップ(Droop cup)と呼ばれるキュリクスが作られた[12]。器型としてはそれほど大きな違いはなく、口縁部のくびれがわずかに強い程度であるが、バンドカップのように取っ手の段に装飾される他、その下の部分にもかなり精巧な装飾が施される。タラント博物館所蔵の陶工アンティドロス(Antidoros)のサインのあるキュリクスには、クセノクレスの画家によるリップカップに見られたような戦車が描かれているが、その下には様々な装飾がきわめて細かく描かれていて、これはラコニア式のキュリクスを思い起こさせるような精巧さである。

 この時代になって極度に高められた黒像式であるが、530年頃に黒像式を裏返した、つまりは像の輪郭を描いた後その外側を黒で塗りつぶし、内側を刻線ではなく筆によって描く新たな赤像式が出現するようになると、陶器画の中心はこの赤像式に移っていく。しかし黒像式もすぐに消滅したわけではなく、赤像式を模倣しながら制作され続けた。

[1] リュドスについては、Tiberios, M. A., O Lydos kai to ergo tou, (1976), Rumpf, A., Sakonides, (1937), Richter, G. M. A., "Lydos", MMS 4, pp.169-178参照。
[2] ディノスの復元図はMoore, M. B., "Lydos and the Gigantomachy", AJA 83, pp.79-99参照。
[3] 奴隷としてのサインおよびその考察については、Canciani, F., "Lydos,der Slave?", AK 21, pp.17-21参照。
[4] アマシスの画家およびアマシスについては、Beazley, J. D., "Amasea", JHS 51, pp.257-284, Karouzou, S., The Amasis painter, (1956), Bothmer, D. v., The Amasis painter and his world, (1985), True, M. (ed. ), Papers on the Amasis painter and his world, (1987), Boardman, J., "The Amasis Painter", JHS 78, pp.1-3, Bothmer, D. v., "AMASIS,AMASIDOS", JPGMJ 9, pp.1-4, Isler, H. P., "Der Topfer Amasis und der Amasis-maler", JdI 109, pp.93-114参照。
[5] アマシスとエジプトとの関連についての議論は、Boardman, J., "Amasis: The implications of his name", in: True, M. (ed.), Papers on the Amasis painter and his world, pp.141-152, (1982)参照。
[6] エクセキアスについては、Technau, W., Exekias, (1936), Mommsen, H., Exekais I: Die Grabtafeln, (1997), Boardman, J., "Exekias", AJA 82, pp.18-24参照。
[7] エクセキアスとアイアス、サラミスについての議論は、Moore, M. B., "Exekias and Telamonian Ajax", AJA 84, pp.417-434, Shapiro, H. A., "Exekias,Ajax and Salamis:a further note", AJA 85, pp.173-175参照。
[8] アフェクターについては、Mommsen, H., Der Affekter, (1975)参照。
[9] エルボーズアウトについては、Bothmer, D. v., RA 1969, pp.3-15参照。ブランコの画家については、Bohr, E., Der Schaukelmaler, (1982)参照。
[10] リトルマスターについては、Beazley, J. D., "Little Master cups", JHS 52, pp.167-204参照。
[11] サコニデスについては、Rumpf, A., Sakonides, (1937)参照。
[12] ドゥロープカップについては、Ure, P. N., "Droop cups", JHS 52, pp.55-71参照。