2 - 6 - 2 初期アッティカ黒像式


ネッソスの画家からソフィロス(625-570年頃)

 七世紀末になると、次第に東方化様式から脱して、新たな様式が確立し始めるが、そのはじめに現れるのが610-590年頃のアテナイ国立博物館所蔵のアンフォラ(athens1002)である。頚部にはケンタウロス族のネッソスを退治するヘラクレスが、胴部には前述のアンフォラと同じゴルゴン姉妹の追跡が描かれているが、ペルセウスとアテナは描かれていない。ゴルゴンの顔の一部と衣服に赤紫が用いられているが、それ以外の描写はすべて刻線が用いられていて、ここに純粋な黒像式が採用された。

取っ手にはコリントス風のフクロウと水鳥が見られる一方、装飾の中にはまだ東方化様式の名残が見られるが、ゴルゴンなどの図像はすでにアッティカ独自の様式が確立されていて、ヘラクレスとネッソスにはアッティカ風にその名前が記されている。これを描いた陶器画家はその主題からネッソスの画家(Nessos Painter)[1]と呼ばれ、このほかにもプロメテウスを解放するヘラクレスやベレロフォンのキマイラ退治などの主題を描いている。

 次に現れるのが、ルーヴル美術館所蔵のディノスに描かれたゴルゴンの主題からゴルゴンの画家(Gorgon Painter)と名付けられた人物であり、600-580年頃のものである[2]。ディノスの胴部下半部や台に見られる動物の連続文は明らかにコリントス式の影響を受けたものだが、上段に描かれたゴルゴンの主題はアッティカ式である。

その描写はネッソスの画家のものからさらに発展し、特に倒れかかったメドゥーサの姿勢などはかなり写実的になっている。この陶器の陶土は優れていて、これ以降アッティカ式の特徴となる美しいオレンジ色と光沢のある黒色が見られる。彼はこのほかにも大型から小型の陶器まで描いていて、そのほとんどがコリントス風の動物が主体となっているが、その図像は比較的大きく、姿勢も自由で、空間充足文も少ない。

 アッティカ陶器に初めて自分のサインを記したのがソフィロス(Sophilos)である[3]。彼は一つの陶器には陶工として、三つには画家としてサインを残しているが、その中でもっともよく残っているのが大英博物館所蔵のディノス(london1971.11-1.1)及びその台である。その描写はゴルゴンの画家ほど精確ではなく、上段に描かれた人物像もどこかぎこちない。

しかし特に女性の衣服などはきわめて細かい装飾が描かれ、女性の肌はこれ以降のアッティカ黒像式に見られるように白の上塗りが施されている。上段はペレウスとテティスの婚礼行列を題材としていて、三十を越える神々のそれぞれに名前が併記されている。また彼の作品としてはパトロクロスの葬礼競技を描いたディノスの断片のほか、コリントス風の動物を中心に描いたいくつかの陶器がある。

 この時代の陶器にはそれ以外の画家に同定されているものもあるが、作者の同定が難しい陶器も多い。その中で特徴的なのが、ベリィアンフォラの中央部にパネル状の画面を設け、そこに馬の頭部のみを描いた「馬頭アンフォラ(Horse-head Amphora)」と呼ばれる陶器である[4]。この画面には時に女性や戦士の頭部が描かれることもあった。またこの頃にはいくつかのキュリクスも作られたが、酒宴で踊り騒ぐ人物、いわゆるコマスト(Komast)を描いたものが多く、コマストカップとも呼ばれている(harvard1925.30.133)[5]

フランソワの壺、テュレニア式など(575-550年頃)

六世紀も第二四半期にはいると、アテナイのギリシアにおける影響力の拡大に伴って、市場においてコリントス式を圧倒するようになり、充足文はほとんど姿を消し、主題の中心は動物から人物へと完全に移行した。その中でギリシア陶器を代表するような壮大な陶器が570年頃に制作された。これはフィレンツェ考古博物館所蔵のヴォルトクラテルで、発見者の名前からフランソワの壺と呼ばれている(florence4209)[6]。この陶器は、器型もさることながら、やはりその描写は他に類を見ないほど優れたものである。

この陶器には陶工エルゴティモス(Ergotimos)、画家クレイティアス(Kleitias)の名がそれぞれ二度記されている。この画家の特徴は、ゴルゴンの画家の精確さとソフィロスの細かさ及び構成を合わせ持つと言うことはできるが、何しろこの陶器はこれらの画家のものとは比較にならない壮大なものなのである。人物と動物をあわせればその数270に達し、名前が記されているものは121に及ぶ。

画面は七段に区分され、その内容を順に上げると、一段目のA面はカリュドンの猪狩り、B面はクレタから帰還したテセウスたち、二段目はパトロクロスの葬礼競技と裏面がケンタウロスとラピタイ族の戦い、肩の三段目は両面を使いペレウスとテティスの婚礼行列、四段目はアキレウスによるトロイロスの待ち伏せ、裏面にオリンポスに帰るヘファイストス、五段目はスフィンクスなどの装飾、六段目は光線文、脚部の七段目はピュグマイオンと白鳥の戦いが描かれていて、取っ手の下にはアルテミス及びアキレウスの遺体を運ぶアイアスがそれぞれ両面に描かれている。

これだけ多くの神話が一度に描かれた例は他にはなく、陶器の研究だけでなく、神話研究においても重要な資料となっている。クレイティアスの様式は大型陶器よりもキュリクスなどの細密画風の描写に受け継がれていく。

一方で後の大型陶器の先駆けをなすような様式を持つのがネアルコス(Nearchos)である[7]。彼は細密画風の描写もないわけではないが、彼の特徴を示すのがアテナイ国立博物館所蔵のカンタロスの断片である。彼が描いたことを示すサインの他、左の人物にはアキレウスの名前が、さらにはそれぞれの馬にまで名前が記されている。その人物像や馬はフランソワの壺のものに比べてかなり大きく、髪や髭、馬のたてがみなどはかなり細かな刻線によって描かれている。彼の手による陶器はわずかであるが、その様式は確実に受け継がれ、アッティカ陶器の第一の頂点に達するのである。

 小型陶器としては、シアナカップ(Siana Cup)と呼ばれるキュリクスがフランソワの壺よりもわずかに古い時代に作られ始めたもので、脚部は短く、口縁部にくびれが見られるのが特徴である[8]。Cの画家(C Painter)によるキュリクスはその典型である[9]。またハイデルベルクの画家(Heidelberg Painter)によるキュリクスは、その内面に二人の人物が描かれているが、このようにキュリクスの内面の中央に円形の画面を設けることはこれ以降の装飾の典型となり、この画面はトンド(Tondo)と呼ばれる[10]。しかしこの時代のキュリクスにはそれほど優れた作品は見られない。

 またこの時期には、これらとはまた様式的に異なる一連の陶器が制作されていた。それはテュレニア式(Tyrrhenian Amphora)と呼ばれ、いずれもネックアンフォラであり、胴部上段に神話など人物を主題にした図像を、下段に動物などを描くもので、当初はエトルリアで制作されたものと考えられていたが、現在ではエトルリア市場を意識して570-550年頃の間にアッティカで制作されたことが明らかになっている[11]

京都ギリシア・ローマ美術館所蔵のアンフォラはその一例である。その主題は神話ではなく、コマストを描いたものであり、この主題は特にキュリクスなど酒器に好まれたものであった。中段及び下段の動物はコリントス式の影響を残す描写である。この時代は次に迎える黒像式の盛期に向けて様々な可能性が試された時代であった。

[1] ネッソスの画家については、Brommer, F., Berl.Mus.4, pp.1-参照。
[2] ゴルゴンの画家については、Scheibler, I., "Olpen und amphoren des Gorgomalers", JdI 76, pp.1-47参照。
[3] ソフィロスについては、Bakir, G., Sophilos, ein Beitrag zu seinem Stil, (1981)参照。
[4] 馬頭アンフォラ及びその分類については、Birchall, A., "Attic horse-head amphorae", JHS 92, pp.46-63参照。
[5] コマストカップおよびその画家については、Brijder, H. A. G., Siana cups I and Komast cups, (1983)参照。
[6] フランソワの壷については、Maetzke, G. and Cristofani, Materiali per servire alla Storia del Vaso Francois, (1981)参照。
[7] ネアルコスについては、Richter, G. M. A., "Nearchos", AJA 36, pp.272-275参照。
[8] シアナカップおよびその画家については、Brijder, H. A. G., Siana cups I and Komast cups, (1983), Brijder, H. A. G., Siana cups II: The Heidelberg Painter, (1991)参照。
[9] Cの画家については、Beazley, J. D., MMS 5, pp.93-115参照。
[10] ハイデルベルクの画家については、Beazley, J. D., "Amasea", JHS 51, pp.257-284参照。
[11] テュレニア式アンフォラについては、Thiersh, H., 'Tyrrheniche' Amphoren, (1899), Bothmer, D. v., "The Painters of Tyrrhenian vases", AJA 48, pp.161-170, Carpenter, T., "On the dating of the Tyrrhenian Group", OJA 2, pp.279-293, Carpenter, T., "The Tyrrhenian Group: problems of provenance", OJA 3, pp.45-56参照。