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アッティカ陶器が東方化様式へはいるのは、幾何学様式がまだ力強かったため、またこの地域の海外での活動がまだ非力だったため、コリントスに比べてわずかに遅れる[1]。しかし七世紀前半には東方の影響を受けた自由な描写の陶器が生まれるようになり、小型陶器だけでなく、大型陶器が見られることはコリントス式と対比をなしている(図1,図2)。700-675年頃のミュンヘン古代美術館所蔵のクラテルは幾何学様式から東方化様式への移り変わりをうかがうことができる。
図1
図2
その器型や上段の戦車の描写、空間充足文としてのジグザグ文などは明らかに幾何学様式の系統を引くものであるが、その他の装飾と描線を用いた中段の動物の描写は明らかに東方起源のものである。プロト・アッティカ様式を代表する670年頃のエレウシス博物館所蔵のアンフォラ(eleusis)は高さ142センチと大きなものである。装飾には幾何学様式的なものは消滅し、東方化様式がはっきり現れている。頚部にはポリュフェモスを盲目にするオデュッセウスが描かれているが、描線が中心だけれども部分的に刻線の使用が見られる。
胴部にはゴルゴン姉妹の一人のメドゥーサを退治したペルセウスがほかの二人の姉妹に追いかけられる場面で、両者の間にアテナの姿が見られる。ゴルゴンの顔の描写も描線が用いられているが、後の時代の一般的なゴルゴンの顔ではなく、大きな頭に蛇が四本生えていて、異様な顔立ちである。このほか小型陶器も多く見られるが、いずれも東方ギリシアとのつながりが強い作品である。
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プロトアッティカ式陶器については、Kubler,
K., Altattische malerei,
(1950), Hampe, R., Ein fruhattisches
Grabfund, (1960), Morris,
S. P., The black and white
style: Athens and Aigina in
the Orientalizing Period,
(1984), Karouzou, S., Angeia
tou Anagyrountos 1, (1963),
Brann, E., Late Geometric
and Protoattic pottery: Athenian
Agora VIII, (1960)参照。 |
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