2 - 5 ラコニア式


 スパルタを中心とするラコニア地域では、コリントスが東方化様式の時代を迎えてもまだ幾何学様式の陶器を生産し続けていて、これを脱した後もコリントス式陶器の強い支配力のもとでは特徴ある製品は生まれなかった。しかしコリントス式が定型化し、次第に勢力を弱めていく一方でアッティカ式が発展してくるその狭間の時代、つまりは六世紀の中頃において突如としてこの両者に匹敵するような品質の陶器が生産された[1]。その数は少ないながらも、このラコニア式陶器は西は小アジア、南は北アフリカ、西はマッシリア(マルセイユ)というきわめて広い範囲で発見されている[2]

ヒュドリアなど大型陶器も作られたが、その中心となっているのはキュリクスである。その特色は、まず陶土はコリントス式に近い淡黄色に焼成され、その上に白の上塗りが施される場合が多く、時には紫などの色彩が加えられる。内面には神話をはじめとする人物像を描き、画面の四分の三ほどに線を引いて画面を区切る場合が多く、直接主題とは関係のない鳥やロゼッタ文が空間充足文として用いられている。その描写はコリントス式の影響を強く受けた黒像式である。外面はロータス文やメアンダー文、光線文などがかなり細かく描かれている。

 ラコニア式陶器でおそらくもっとも有名なのはパリ国立図書館所蔵のアルケシラオス(Arkesilaos)の坏であろう。中央左に腰掛けるひときわ大きな人物にはアルケシラオスと記されていて、この人物は北アフリカのキュレネを支配したアルケシラオス二世であるとするのが定説である。これはキュレネの特産品であった香料の一種のシルフィオンを輸出のために船に積み込んでいる場面とされている。

これよりも小型のルーヴル美術館所蔵のキュリクスにはカリュドンの猪狩りの場面が描かれていて、猪は体の後ろ半分しか描かれておらず、画面を円形にくり貫いたような描法はポートホール(Port-hole)と呼ばれ、これを描いた人物は別の陶器においてもこの手法を用いた。六世紀中頃の数十年間という限られた時代に繁栄したラコニア式陶器もアッティカ式陶器の隆盛とともに姿を消していく。

[1] ラコニアの黒像式陶器については、Lane, A. E., "Lakonian vase-painting", BSA 34, pp.99-189, Stibbe, C. M., Lakonische Vasenmalerei des sechsten Jahrhunderts v. Chr., (1972), Stibbe, C. M., Laconian Mixing Bowls, (1989), Stibbe, C. M., Lakonian Drinking vessels and other open shapes, (1994), Pipili, M., Laconian iconography of the sixth century B. C., (1987)参照。
[2] とくにキュレネ出土のラコニア陶器については、Schaus, G., The extramural sanctuary of demeter and persephone at cyrene, libya, vol2: the east greek, island and laconian pottery, (1985)参照。