ヘレニズム時代になると、彫刻が古典期のような優美さを失っていくのに対し、テラコッタは最も技術が高く華やかな時代を迎えます。四世紀末から三世紀にかけてのテラコッタはタナグラ様式(図8)と呼ばれ、古くはボイオティアのタナグラがその生産地と考えられてきましたが、実際には他にもアテネやエジプトのアレクサンドリアを中心に各地で作られていました。最も多いのは女性の立像ですが、鏡を持っていればアフロディテ、仮面を持っていればムサ、つたの髪飾りをつけていればマイナスというように、姿勢は同じでも持ち物によって性格が変わってきます。その衣服は後期の白地レキュトスに用いられたようなピンクや青、緑などの色彩で彩られていましたが、これらは焼成の後に塗られたものであるために落ちやすく、色が残っている例は少ないようです。

200年頃になると、タナグラでの生産は見られなくなるとともに、小アジアのスミュルナ近郊の都市ミュリナが重要な生産地になってきます。二世紀のテラコッタはその前半にはより複雑な構成の優れた像が作られていましたが、その中頃から急速にその質が低下してきます。その構成は従来のものを繰り返すのみで、表情や衣服の表現に繊細さが失われてきます。紀元後もその生産は続けられましたが、以前のような輝きを取り戻すことはなく、四世紀頃には姿を消してしまいました。



図8