五世紀の特に前半において、ボイオティアを中心とした各地で、作りは簡素ながら極めて興味深いテラコッタ像が数多く生産されました。これらはパンを捏ねたり、魚を焼いたり、壷を作ったりという日常の場面をあらわしていて、当時の生活を知る上でも重要な資料となっています。すべて手作りで作られたこれらの像には白や赤で装飾が施されることがありますが、それも極めて簡素なものでした。

五世紀の中頃になると、当時の彫刻の強い影響を受けたテラコッタ像が数多く作られるようになります。特に多いのはペプロスを着た女性像(図6)で、座像も立像も見られます。そのほとんどは髪を中央で分けていますが、髪飾りをつけるものもあれば、サッコスと呼ばれる頭巾をかぶるものもありました。これらはその後もしばらく作られますが、彫刻が姿勢や衣服の表現などにおいて複雑化していくのに対し、これらは完全な正面向きの姿勢を保ち、ほとんど変化することはありませんでした。

430年頃のボイオティアのテラコッタ像は他の地域には見られない特徴があります。大きな髪飾りをつけたその頭は顔の四倍くらいの大きさで、一種異様な印象を受けます。

四世紀に入るとこれまでの古い様式のテラコッタに変わり、複雑な姿勢を持つ像が作られるようになります。これまで表裏二つ程度の型で作られていた像が、この頃から五つや六つ、あるいはそれ以上の型を使って作られるようになります。これらはヘレニズム時代になって頂点に達するテラコッタ像の先駈けとなるものです。またこの頃からアテネなどを中心として喜劇役者をかたどったテラコッタ像が作られるようになります。こっけいな、あるいは醜い仮面をつけ、お腹を膨らませたこのようなテラコッタ像はローマ時代まで引き継がれました。

四世紀の中頃を中心として、子供の玩具として作られたと思われる人形(図7)がいくつも生産されました。体と両手足がそれぞれ別々に作られ、ひものようなもので固定されましたがそれぞれが動くようになっています。また頭に穴があいていることから、ここにひもを通して吊り下げて遊んだのではないでしょうか。



図6

図7