ギリシア世界は航海技術の向上から東方との交易が盛んになり、先進的なこれらの国の文化との接触から新たな文化を作り出しました。この時代のテラコッタ像の大きな特徴の一つは型を使った成形が導入されたことです。とはいえ、まだその使用は頭部など限られた部分だけで、それ以外の部分はこれまでと同じ手法で作られました。

この時代のテラコッタはこの頃から盛んに作られるようになった石製や青銅製の像と同じような特徴が見られます。この様式はダイダロス様式(図4)と呼ばれ、その最大の特徴はイギリスの裁判官がかぶるかつらのように顔の両側に垂れ下がった房状の髪の毛です。また顔は大きくて平たく、軽く突き出した目は大きく、鼻はやや丸く、唇は厚い。その生産は小アジアの西岸やコリントス、アルゴス、アッティカ、そしてボイオティアが盛んでした。ボイオティアでは六世紀の中ごろになると平らな体を持ったテラコッタ像(図5)が数多く生産されるようになりました。ポロスと呼ばれる円筒形の冠をかぶり、両手はしばしば小さな突起で表現されました。その顔はダイダロス様式を受け継いではいるものの、より現実的な表現に変わっています。冠や衣服は黒や赤の色彩で彩られました。またこうした像のほかにも人物を乗せた馬の像も数多く作られました。こちらも赤や黒、時には白の色彩が施されましたが、その作りは簡素なものが多いようです。

東方ギリシア、特にロドスでは600年頃から戦士や女性の頭部、動物の頭部あるいは全身をモデルにした香油入れがさんに作られるようになります。これまでのテラコッタと異なりすべてが型で作られているのがその特徴です。これらは地中海沿岸の各地に輸出されましたが、特にエトルリアはその最大のマーケットでした。また五世紀の中ごろになると女性や男性の全身をかたどった香油入れとともに、注口を取り払った完全な意味でのテラコッタ像も作られるようになりました。

アテネでは510年から470年頃にかけて、女性の座像が数多く生産されました。その作りはたった一つの型を使ったごく簡素なもので、長い衣が頭部と爪先以外の全身を覆っています。その中にはアテナ女神の象徴であるアイギスと呼ばれる胸当てがあらわされたものがあることから、これらの像は今は失われてしまった、アクロポリスに奉られていたアテナ・ポリアス像をモデルにしたものではないかとされています。



図4

図5