東方化様式前期


東方化様式時代に入り、青銅製品の技術の向上によってより複雑な像が作られるようになった。兜を作る職人の像(New York42.11.42)はその表現こそ稚拙だが、腰を下ろして片膝を立て、兜に向かって集中するように頭をもたげるそのポーズはこれまでにないものである。なおこの像は職人自身の奉納品と考えられる。また神話の場面を表したと思われる群像も登場する。

ケンタウロスと対峙する男性を表した群像(New York17.190.2072)では、その男性の失われた右腕が剣を持ち、ケンタウロスに突き刺していたことがわかり、ヘラクレスとネッソスを表したのではないかとされる。ケンタウロスはアルカイック時代以降の四肢がすべて馬の姿ではなく、この時代の典型として前足は人間の姿で現されている。猟師と猟犬がライオン狩りをしている群像(Once Samos)も英雄的な雰囲気を漂わせる。

またこの時代になって神を表したことが明白な像が初めて登場する。テーバイ出土のアポロン像(Boston3.997)がそれで、腿の部分に銘が残り、「我マンティクロス、収穫の十分の一としてこれを銀の弓矢の神アポロンに捧ぐ。フォイボスよ、見返りにご好意を示し賜え」とある。像は全体として細長く、特に首は頭部と同じくらいに長い。右手と両膝から下は失われているが、左手には持ち物(弓?)を持っていたらしい。青銅の像にはこうした鋳型を用いたものの他に、木で作った像に青銅の板を伸ばして取り付けたものもある。この技法は本来金を使って用いるものであった。ドレロスからは二体の女性像と一体の男性像(Herakleion2445-2447)が出土し、アポロン神殿に建てられていた。そのプロポーションはより現実的なものとなり、筋肉の表現ももっともらしくなっている。

またこの時代になって石製の彫刻も製作されるようになる。クレタからは人物の頭部を型取った彫刻の他、建物を飾っていたと思われるレリーフ(Chania92)も出土し、神殿か城壁の入り口らしき場所に女神が立ち、その左右に二人ずつ弓兵が配され、右手からは戦車が近づいてきている。しかしまだ石製の例は数えるほどしかない。一方アテネでは象牙を用いた像が製作されるようになった。730年頃に年代づけられる墓からは同じような象牙の像が五体も見つかっていて、それぞれ単独の像ではなく、何かの把手の部分だったと考えられる(Athens776)。像のプロポーションはドレロス出土の例に近い。

参考文献
東方化様式前期の彫刻については、J.Boardman "Greek Sculpture: the Archaic Period"(1991) pp.11-12