東方化様式後期 -大型彫刻の出現-


七世紀の中頃になって、ギリシア彫刻は大きな転機を迎える。大型の彫像の誕生である。その最古の例の一つがクレタ出土の腰掛けた女性の像で、残念ながら上半身しか残らず、しかもかなり磨滅しており当時の姿を想像するのは容易ではない。しかしこれにやや遅れて作られた、クレタ出土と伝わる「オーセールの女神」像(Louvre3098:図1)とデロス島出土のニカンドラの奉納像(Athens 1)は状態が良く、特に前者は顔の左側半分をのぞいてほとんど完全な形で残っており、初期のギリシア彫刻の様子を伝える貴重な資料となっている。



図1 オーセールの女神

その様式はアテネの伝説的な芸術家・工芸家にちなんで古くからダイダロス様式と呼ばれ、紀元後二世紀の旅行史家パウサニアスはダイダロス様式の彫像を数多く伝えている。その中には木製の像も多く、石像よりも古いものもあったと想像されるが、現存しないためにその姿を知ることはできない。しかし主な特徴はこれらの像と変わらないものだったと考えられる。

その特徴としては、顔は逆三角形で顎は丸く、頭頂部は平らで、前髪は巻き毛になり、長い髪はいくつかの房に分けられ、それぞれ団子状に束ねられていて、その姿はイギリスの法廷で被るカツラに似ている。衣服は衣文が全く表現されず、腰には大きなベルトをしている。立像も座像も正面観に支配されており、以上のような特徴は大型の彫刻だけでなく、レリーフや青銅の像(Delphi2527:図2)、テラコッタ、さらには陶器の飾りとして取り付けられた人物の頭部にまで共通して観察される。



図2 戦士像

大型の彫像の誕生の背景には東方、特にエジプトとの交流が大きく影響している。当時のエジプトでは既に等身大をはるかにしのぐ石像が作られており、この土地を訪れたギリシア人がこれに触発されて大型の像の製作に取り組んだと考えられる。しかしエジプトの様式をそのまま取り入れるのではなく、あくまでそれまでのギリシア的な伝統を踏襲して行くところにオリジナリティがうかがえ、その後の発展を可能にしたと思われる。

クレタのゴルテュンにあるアポロン神殿からはやはりダイダロス様式のレリーフが出土している(Herakleion379)。二体の女性像の間に男性が立ち、左右の人物に寄り掛かるようにしていて、欠損部分は多いものの直立するのではなく脚を踏み出すポーズを取っていたと考えられる。プリニアスからは二体の女性の座像とレリーフが出土している。イラクリオン美術館にはこれらを組み合わせて展示してあるがその復元は誤りだと考えられている。女性の特徴はオーセールの女神像に近いがポロスと呼ばれる円筒形の帽子を被り、顔はもう少しリアルになり、髪のボリームも抑えられている。これらの像のほとんどがクレタ島から出土していることは、ダイダロスがアテネを離れてクレタで活動したと伝えられていることと合わせてみると興味深い。

青銅の像にもダイダロス様式は見られるが、これとは相容れない、古い伝統を引き継いだ像も多い。オリュムピア出土の戦士の像(Olympia B1701)はまさにその典型で、頭の兜や腰布などは七世紀の前半に見られたものと変わらない。木製の像も発見されており、やはりダイダロス様式を見せている。

参考文献
東方化様式後期の彫刻については、J.Boardman "Greek Sculpture: the Archaic Period"(1991) pp.13-17