大理石彫刻の出現


七世紀の末頃から、これまで石灰岩が主であったのが、大理石の像が製作されるようになる。その産地はナクソス島の他、アテネのペンテリコン山が挙げられるが、前者はやや質が悪くて同島内や周辺地域以外ではほとんど使用されず、後者の大理石が本格的に使用されるようになるのは五世紀に入ってからである。この時代に使用されたのはパロス島で産出された大理石であって、後代の作家がこれを賞賛しているように、ギリシア各地に輸出されていた。

この大理石は石灰岩よりも硬く、それまで主に使用されていた青銅製の道具では歯が立たないため、鉄製の道具が使用されたと考えられる。また最近の研究では、鑿などの一般的な道具に加え、ドリルの使用も早くから行われていたことが明らかになっている。

アルカイックの彫刻を象徴するのがクーロスとコレーの像で、前者は青年を、後者は少女を表した像である。以前はこれらの彫刻は神々を表していたと考えられていたが、研究によりこれらは神々の他、奉納者や競技の勝者、あるいは死者など、それぞれが違った人物を表しており、青年及び少女を意味するクーロスとコレーという呼称が用いられるようになった。

参考文献
アルカイック期の彫刻については、澤柳大五郎「ギリシアの美術」(1964) pp.85-103、J.Boardman "Greek Sculpture: the Archaic Period"(1991)、G.M.A.Richter "Korai"(1968); "Kouroi"(1970)