ミュケナイ文明


ミュケナイでは、クレタ同様彫刻はあまり盛んではなく、しかもクレタの彫刻で重要な位置を占めるファイアンス製の彫刻も用いられなかった。ただその代わりにクレタにはない大型の石製のレリーフが作られ、技法はエジプトから学んだと考えられるが、図像的にはミュケナイ独自のものであった。その代表的な例がミュケナイの獅子門に用いられた彫刻である(図1)。高さ3mを越える三角形の構図の中に一本の円柱を挟んで二頭のライオンが向かい合っている。残念ながら頭部は失われているが、見事な構図を用いた力強い作品である。レリーフで最寄り浅く掘られた墓碑も作られ、戦車に乗る人物や狩りの場面を表したものがあり、空間充填文として渦巻が用いられている。



図1 獅子門

これらとは全く性格の違う特異な例として、ストゥッコ製の頭部がある(Athens)。頭頂部を欠き、髪に巻いた赤い帯の下から巻き毛がのぞいている。両頬と顎には大きな丸の周囲に小さな点を配した点状ロゼッタ文が赤い色彩で描かれ、唇も赤く塗られている。女性と思われるこの像は、その迫力などから人間ではなく神かスフィンクスを表したものだと考えられている。

象牙の彫刻もあって、肩を組んだ二人の女性の膝に子供が乗っている群像や、ホメロスにも登場する豚の牙でできた兜を被った戦士の頭部を型取ったものなどがある。最も生産が盛んだったのはテラコッタの像だが、これについてはテラコッタの章を参照されたい。

参考文献
ミュケナイの彫刻については、村田数之亮「エーゲ美術」(1979) pp.133-140、 R. Higgins "Minoan and Mycenaean Art" (1977) pp.30-35