クレタ文明


壁画を中心に高度な美術が発達したクレタ文明だが、意外にも彫刻は少なく、特筆すべきものはほとんどない。そのほとんどは30cmに満たない小型のものだが、例外として挙げられるのがプリースト・キングの壁画である。これは高さ2mを越える壁画だが、他の絵画と異なり、この祭祀王とされる人物がごく浅いレリーフで表され、その上に彩色が施されている。このレリーフは壁面に粘土を塗り固め、その上から石灰を塗って彩色したものである。しかしこの作品を見事なものにしているのはその彩色であって、レリーフだけではこれほど印象的なものにはならなかったであろう。

一方小型の彫像だが、初めはほとんどがテラコッタであったのが、後期ミノア時代になるとファイアンスや象牙、青銅などを使って数多く生産されるようになる。初期の例の一つがペツォファ出土のテラコッタで(Athens:図1)、高さ17cmほどの戦士像である。身につけるのは腰布のようなものだけで、その正面にはやや斜めに短剣が取り付けられている。肘を張り出して手を両胸に当てるポーズは祈願のポーズといわれる。頭髪や顔のパーツは全く表現されず、唯一両耳が大きく作られている。



図1 戦士像

後期ミノアを代表するのが両手に蛇を持つ女神像である(Herakleion:図2)。そのほとんどはファイアンス製で、石英の粉を固めて焼いて作られた。しかし中には象牙製で金による装飾を施したものもある。その姿はかなり共通していて、頭には背の高い帽子或いは冠を被り、両手は下げてやや前に出すか、左右に広げてやや持ち上げるかして、つかんだ蛇の尾が腕に巻き付いていることもある。腰が極端にくびれたドレスを身につけ、そのスカートは丈が長く大きく広がるが、胸の部分は大きく開いていて、乳房が露になっている。腰の部分にも蛇が巻き付いてベルトの役割を果たし、衣服は褐色や青、緑などで彩色されている。このほかファイアンスでは浅いレリーフも製作され、牛などの動物が表されており、建物の装飾として用いられたと考えられている。



図2 女神像

青銅の像はあまり多くない。その製作法は後の例とは異なり中空ではなく、蝋で作った型のまわりを粘土で固め、それを焼いて溶けた蝋の部分に青銅を流し込んだと考えられる。そのためあまり大きな像は製作できなかった。その一例が牛飛びの像で(図3)、その図像は象牙の彫刻の他壁画でも何度も取りあげられたポピュラーなものであった。雄牛は両足を前後に広げた不自然なポーズで、曲芸師は脚を牛の腰に載せ、体を反って牛の角をつかんでいる。礼拝者像はまるで敬礼でもするように右手を顔の上にあて、左腕はまっすぐ下に下げている。身につけるのは腰布だけで、ネックレスとブレスレットをしている。



図3 牛飛び像

このほかクレタはレリーフの施された凍石製の坏が作られていた。その中で収穫者の坏と呼ばれる例では農民たちが穀物の穂や農具を手に走り回る図像が表され、人物は所々で重なり合うなど、高度な表現が試みられている。一方隊長の坏と呼ばれる例では、クレタには珍しく軍隊を思わせる図像が表されていて興味深い。

参考文献
クレタの彫刻については、村田数之亮「エーゲ美術」(1979) pp.46-48, 77-82、 R. Higgins "Minoan and Mycenaean Art" (1977) pp.30-35