キュクラデス文明


パロス島を中心にナクソスやアモルゴスでも大理石を産出するキュクラデス諸島では、古くから大理石の石偶が盛んに作られていた。その生産は初期キュクラデス時代のI期(3200-2800年頃)から始まっており、この時代の石偶はその形状からヴァイオリン型と呼ばれ(図1)、手足は表現されず、くびれた胴体がまるでヴァイオリンのようで、首から頭までもまっすぐな棒状である。初期キュクラデス時代のII期(2800-2300年頃)からはもう少し写実的なものが作られるようになる。



図1 ヴァイオリン型石偶

その形状はどれも共通していて、両足をそろえて立つが爪先はしたに伸ばしている(図2)。両腕を胸のところで組み、胸の膨らみと下腹部の逆三角形の線刻からこれが女性を型取ったものであることが分かる。頭部は卵形、杏仁形、平板形のいずれかで、やや後ろに傾斜する。顔は鼻が表現されるのみで、まれに口が表されることもある。目や口は彩色によって表されていたらしい。希有な例として、ハープを演奏する像と二重笛を吹く像があり、いずれも男性像である。



図2 石偶

これらの像の解釈には様々なものがある。エジプトのウシャブティのように使者の死後これに仕えるものだとか、魔除けであるとか、神々やニムフを表したものなどが挙げられているが、出土状況も様々であり、文字による記録が全く残っていないこともあって、どの説も説得力に欠ける。なおこの石偶の生産は初期キュクラデス時代のIII期(2300-2000年頃)になると急速に減少し、中期には完全に姿を消した。

参考文献
キュクラデスの彫刻については「ギリシャ美術の源流展(1980)」カタログ pp.19-32