アッティカの神殿彫刻


アテナイのアクロポリスからもかなり古い時代のレリーフが出土しており、すでに大理石が使用されている。最古の例はゴルゴンの頭部と豹のレリーフで、前者はアクロテリオンとして用いられたと考えられるが、後者はコルフ島の神殿と比較しても破風飾りであった可能性が高い。ただ現存する首までの高さで約50cmと小さく、小型の神殿あるいは建築物のものと推定される。しかし現在までそれにあたる建物の存在は確認されていない。

同じアクロポリスからはやや年代の降る群像が見つかっており、雄牛を襲うライオンを表している。これも破風として使用されたものと考えられるが、ライオンはたてがみがあるのに乳房も表現されていることから雌だと分かる。この時代のギリシア人が実際のライオンを目にする機会はほとんどなく、以降の時代と同様、他の地域の美術を媒介にして作り上げたものと考えられる。年代的には前570-560年に位置づけられるが、雄牛を体で押えつけ、前脚で抱え込んだ構図はわずか十数年前の彫刻とは比較にならないほど発展している。しかしこのレリーフが大理石よりも軟らかい石灰岩で作られていることもその要因の一つと考えられる。なおライオンのたてがみや腹部、雄牛の角の付け根などには様式化された表現が見られる。

アクロポリスからは同じような構図の群像がもう一点発見されている。一頭の雄牛を二頭のライオンが押え込む構図だが、残念ながらライオンは手足以外すべて失われている。雄牛の左後脚は左のライオンに押さえつけられて不自然に後方に伸びている。この群像も石灰岩で作られている。この群像と共に破風を構成していたと推定される像がいくつか発見されている。この群像が一方の破風の中央部分を構成し、その右側には三位一体の怪物が表されている。上半身は人間だが、下半身はヘビの姿となって三体が複雑に絡み合う。背中には翼を持ち、腕や肩からは小さなヘビが生え出している。下半身部分をはじめ、各所に青や赤、緑の色彩がふんだんに用いられており、この像は髭の彩色から「青ひげ」と渾名されている。それぞれの手には水を表したものや角杯、鳥を持つ。その姿や持物から、恐らくは河神をあらわしたものと推測されるが、実際に何を表現しようとしたものなのか不明である。なおこの像の作者は前述したモスコフォロスと呼ばれる青年像の作者と同一人物だろうと考えられている。

この破風の左側にはトリトンと格闘するヘラクレスがあらわされ、下半身が魚の姿のトリトンは破風の端の部分の画面に適した像といえる。反対面の破風には断片から中央にゴルゴンを、左右にライオンを配していたと推測されるが、保存状態が悪く、正確な復元は困難である。右側にはヘラクレスがオリュムポス入りする場面があらわされている。左側に玉座に腰掛けたゼウスをあらわし、その右には正面を向いて座る女神像が続くが、恐らくはヘラだと考えられる。その右にはゼウスと向き合うように三人の人物があらわされていた。そのうち左側の人物はほとんど残存しないが、陶器がなどの場面から推測してアテナ女神が立っていたと考えられる。

続くヘラクレスの像は状態がよく、ライオンの毛皮を纏う姿で表現されている。右側にはヘルメスらしき像が立つが、胴体部分しか残らない。破風の左側は一部の像しか残らないが、アテナの誕生の場面をあらわしたものと考えられている。復元によれば玉座に座すゼウスの膝にアテナが乗り、その前にヘファイストスがあらわされていた。破風の両端にはヘビが配されていた。年代的には550年以降に位置づけられ、現在遺構が確認されているアテナ神殿のものと推測されている。恐らくは546年にペイシストラトスが復権してから後に作られたものと考えられ、ヘラクレスのオリュムポス入りの場面があらわされていることもその理由の一つである。何しろ彼はみずからをヘラクレスになぞらえ、アテナに似せた女性と共に戦車でアテナイに凱旋したような人物であるから。

アクロポリスからはほかにも小型の破風彫刻が出土している。その一つはヒュドラを退治するヘラクレスのごく浅い浮き彫り彫刻で、破損部分も大きいものの、現存する断片から復元が試みられている。破風の右半分をヒュドラが占め、左側に棍棒を振り上げたヘラクレスが立つ。その左には戦車に足を乗せたイオラオスが配され、左端にはヘラクレスの邪魔をするためにヘラが送ったカニがあらわされている。別の破風はこれよりも高い浮き彫りになっている。こちらも状態は悪いが、トリトンと格闘するヘラクレスが表されていた。像には赤茶色の彩色が施されている。

破風彫刻はほかにも発見されており、小型の神殿を思わせる立派な建物の入り口に一人の女性が立つ。右には女性の下半身部分のみが残り、細かなメアンダー文による装飾が施されている。右にはもう一人女性像があったと推測されるほか、左には男性像の胴部が残る。この場面について何らかの宗教的場面であるとか、あるいはアキレウスがトロイロスを待ち伏せする場面との解釈があるが、決定的証拠に欠ける。

アクロポリスのアテナ神殿は520年頃に破風を新しくしたようで、ギガントマキアを主題とした群像が発見されている。その群像の大部分は失われているが、アテナと巨人一体の保存状態は良い。アテナは破風の中央に位置していたらしく、体を向かって右に向けつつ手前に開く。腰をやや屈め、左足を大きく踏み出す。頭には蛇のような飾りがいくつも取りつけられた冠を被り、アイギス(胸当て)は一般的なアテナの図像の場合よりも大きく表現され、やはり蛇のような飾りの取り付けられた裾の先端を左手で掴み、前方に差し出している。右腕は完全に失われている。衣服の衣文はジグザグに表現されており、同時代のコレー像や、初期赤像式陶器の表現とも共通している。巨人の像は破風の左端に位置していたようで、体を下に向けて倒れ込むが、右手を上に上げることで上半身を手前に開き、これまでにないポーズを試みている。左膝をつき、左手で体を支えている。このような試みはオリュンピアのゼウス神殿の破風に引き継がれ、古典期の彫刻へとつながっていく。

エレウシスからは破風の群像と思われる像が発見されている。中でも前490年頃に位置づけられている逃げる少女の像は古典時代にくり返し陶器画に登場する追走の場面を思わせる。向かって左に逃げるこの像は踏み出した右足や、左足から後方になびいた衣文の表現などは滑らかであり、よりリアルな表現が試みられている。このほか、有翼の女神像はペルシア軍によって破壊された小型の建物の破風を成していたと考えられている。