神殿彫刻の誕生


神殿に彫刻が施されるようになるのは七世紀後半のことであるが、石像ではなくテラコッタが最初で、プリニウスがシキュオン人ブタデスがコリントスにおいてこの手法を発明したと伝えているように(Pliny 35.43 [151-152])、その最初の例はコリントスに現れている。

神殿彫刻のうち石造の最古の例はコリントスの植民市であるコルフ島のアルテミス神殿である。その中では西側の破風(図1)の状態がよく、かなり深い浮き彫りになっている。三角形の画面の中央には大きくゴルゴンを配し、手足を曲げて走るぎこちないポーズはまだ走る姿を正確に捉え切れていないこの時代の特徴である。頭が枠の上にはみ出すほどの迫力で、すでにその後のゴルゴンの図像の特徴を備えている。

図1 コルフ島アルテミス神殿破風

顔は大きく丸く、目はアーモンド型で口を大きく開き、歯をむき出しにしている。巻毛状の前髪の先端はヘビに変化している。丈の短いチュニクを二匹のヘビからなるベルトで固定し、袖と襟には卵鏃文が、裾にはメアンダー文が表されている。足にはペルセウスと同じ有翼のブーツを履き、背中には大きな翼を持つ。

右には青年の像があり、背はゴルゴンの胸の高さしかない。顔と上半身は正面を向くが、腰から下は側面観で表される。この人物はメドゥーサの死後にその体から生まれたクリュサオルと考えられる。更に彼女の右上腕には馬の前脚部分が残り、これがクリュサオルと共に生まれたペガソスであることは間違いない。

これらの像を挟むように大きな豹が配され、三角形の枠にあわせるように顔をもたげている。正面を向いたその顔には幾筋ものしわが刻まれている。その右側には手に雷霆を持つことからゼウスと分かる人物が巨人と戦う場面が表されている。両者とも裸だが、ゼウスが髭の生えていない若々しい姿で描かれている例は珍しく、この出来事が彼がまだ若い頃に起きたことを示している。右手には雷霆を持ち、左手で巨人の肩を掴む。

破風の左側には椅子か祭壇に腰掛ける人物が表され、右側は破損しているものの、手と槍の先が残り、この人物を襲う場面と分かる。その人物は長いキトンを着ていることから女性と思われ、右側のゼウスの存在と考え合わせると女神、オリュムポス神ではなく、ティタン神側、恐らくレアではないかとする説が有力。彼女は相手のあごに手を触れる慈悲を乞うポーズを取る。破風の両端にはその高さにあわせて倒れた巨人を配する。破風の下枠にはメアンダー文、上枠には矢羽状の文様を表す。年代的には前580年頃と推定されている。

参考文献
コルフ島のアルテミス神殿の彫刻については、C.Rodenwaldt, "Korkyra ii"(1939) 参照。