後期アルカイックのコレー像


530年頃になると、その製作がもっとも盛んな時期を迎える一方で、コレー像の様式にもある程度の統一性が見られるようになる。キトンの上に一方の肩をはだけるかたちで羽織り、左手でキトンの端を掴み、右手は正面に向かって突き出すポーズが主流となった。

アクロポリス出土のアンテノルのコレー(Athens Acr.681)は陶工ネアルコスによって奉納され、エウマレスの息子のアンテノル製作の銘が残る。キトンの上に左肩をはだけるようにしてヒマティオンを纏い、右腕に束ねるようにして掛けているため、そのすそは膝までの丈しかない。キトンの上部では衣紋が凸状の波線で表現され、左腕のほうに流れている。下半身部分では左手で端を掴んでたくし上げているため、衣紋がその部分に集まるように流れている。ヒマティオンのすそは階段状のひだが表現されるが、中期のものよりも立体的で、その流れもスムーズになっている。目はくり貫かれ、水晶がはめ込まれていたらしい。

同じくアクロポリス出土のコレー(Athens Acr.682)はポーズも衣紋もまったく同じだが、表情も衣紋の表現もよりシャープな印象を受ける。またキトンやヒマティオンのすそには彩色によってメアンダー文が描かれている。髪はかなり丁寧に表現され、前髪はランパンの騎士像に近い細かな巻毛であり、いくつかにまとめられた髪の房はこれまでのだんご状ではなく、細かく外巻きにねじれた表現が採用されている。

アリストディコスのクーロスの製作者の少し古い作品と考えられているアクロポリス出土のコレー像(Athens Acr.673)は両腕と膝下が欠損しているものの、先のコレーとほとんど同じポーズで、ただヒマティオンを両肩に掛けている。しかしディテールの表現においては前者と比べると雑な印象を受ける。同じ彫刻家による別のコレー像(Athens Acr.670)はキトンのみを身に付け、左手はキトンの横ではなく正面部分を掴んでいるため、衣紋も中央に向かって流れている。上半身部分は先のAcr.671のコレーを思わせる波状の表現が用いられているが、こちらのコレーでは稜線部分にも深く鋭い彫り込みがあるのが特徴といえる。

500年頃に年代付けられるアクロポリス出土のコレー(Athens Acr.674)はAcr.682のコレーとポーズは同じで、全体的にもやはりシャープな印象を受ける。ヒマティオンのひだは緩やかに表現されているが、キトンの上半部はかなり密な波線で衣紋が不自然に表現されている。これまでのコレーと大きく違うのはその表情で、アルカイックスマイルはもはや見られず、厳しく引き締まった印象を受ける。

別のコレー(Athens Acr.684)にもやはりアルカイックスマイルは失われているが、全体的にふっくらとしているためか、やや温和な表情となっている。エウテュディコスのコレー(Athens Acr.686, 609: fig.1)はタリアルコスの息子エウテュディコスによって奉納されたことが台座として使用された円柱に刻まれている。この作者はブロンドの少年と同一人物と見られているが、そのもの憂げな表情に比べ、このコレー像は全体的にふくよかであるためか、穏やかな表情をしている。




図1 エウテュディコスのコレー

コレー以外では、アクロポリスからニケ像の断片が見つかっている(Athens Acr.690)。奉納者カリマコスはマラトンで戦死した将軍の一人で、その死後に製作されたものである。欠損部分が大きいためにもとのポーズは復元しづらいが、五十年以上前のアルケルモスのニケからは大きく進歩していることがわかる。

アクロポリスからは二体のアテナ像が発見されている。一体は足の一部と台座しか残らないが(Athens Acr.136)、ピュティスの製作、エピテレス奉納であることが記されている。もう一体は頭と両腕に欠損がある以外はよく残っていて(Athens Acr.140)、直立するポーズで右手を高く上げ、槍と盾を持っていたと推定される。緩やかな衣紋を描くペプロスの上にアイギスを纏い、その中央にはゴルゴンの頭部が浮き彫りされている。台座にはエウエノル製作、アンゲリトス奉納であることが記されている。

参考文献
後期のコレー像およびその他の彫刻、彫刻家については、J.Boardman "Greek Sculpture: the Archaic Period"(1991) pp.82-89