前・中期アルカイックのコレー像


クーロス像に比べ、初期に属するコレー像はあまり現存しない。基本的にはやはり前代のダイダロス様式をベースとしているが、この時代の主要な製作地は小アジア及び近郊の島々であり、この地域の特徴である優美で繊細な雰囲気が彫刻にも現れている。キオス島からは二体のコレー像(Chios 225-226:図1)が出土していてどちらもほとんど同じ特徴を持つが、残念ながら両者とも胴体部分しか残っておらず、顔の部分にどれだけダイダロス様式が残っていたのかは分からない。しかし衣服は厚手の衣ではなく、薄いキトンであり、波状の模様が刻まれている。一体は髪の両房をつかむポーズで、もう一体は手に何かを持っていたらしい。

ケラミュエス奉納のコレー像はこの時代の典型的な姿をしている。残念ながら頭部と左手の一部が失われているが、それ以外はよく残っている。右腕はほぼまっすぐ下におろして手は握られており、左腕は途中で肘を曲げ、手は胸に当てている。薄手のキトンの衣文は垂直で、ごく浅い刻線が狭い間隔で刻まれている。その上にはマントを羽織り、衣紋は左から右へ流れ、その裾は放物線を描くように右手の部分で最も下まで垂れたあと腰よりも上まであがり、左手の部分で再び下に垂れる。さらにその上に厚手のマントを羽織り、その丈はキトンの裾に近い部分まであるが、ちょうど体の後ろ半分と、正面の左足部分を覆うように着ている。衣紋は表されず、一本の刻線が縁の部分に刻まれるのみである。


図1 ケラミュエスのコレー

ミレトス出土のコレーもほとんど同じポーズで、やはり頭部が欠けている(Berlin 1791)。違いは左手にうずらを持っていること、全体の彫りが粗いことが挙げられる。同じようなコレー像はアテネのアクロポリスからも出土している(Athens Acr.619)。残念ながらこの像も頭部は失われているが、ポーズは全く同じである。上半身部分はマントではなくキトンのように見え、その刻線は下半身の衣紋と同じごく狭い間隔に刻まれている。

いわゆるコレー像とは異なるが、様式的には極めて共通点の多いのがゲネレオスの群像(Samos 768,1739他)と呼ばれるもので、六体の像から構成される。向かって左は腰掛ける女性の像でフィレイアという名前が記されているほか、この像の作者ゲネレオスの銘も刻まれている。次いで少年と思われる一回り小さい像が立ち、さらに三人の女性の立像が並ぶ。中央の女性にはフィリッペ、右にはオルニテという名前が記されている。これらの像も頭部が失われているが、その様式はコレー像とほとんど同じもので、特に衣紋の表現はアクロポリスのコレーに近い。ただゲネレオスの像の場合は右手で服をつまんでいて衣紋がそれに沿って流れているほかはかなりシンメトリーに近く、左手には何も持たずに右手と同じように下に降ろし、軽く手を握っている。

この群像の右端にはこの時代の彫刻には珍しく、寝椅子に横たわる人物があらわされている。この女性は群像の奉納者をあらわしたもので、名前の下半分の-archesのみ現存している。キトンの上からヒマティオンを左肩と腰から下の部分を覆うようにして纏い、クッションの上に載せた左手には鳥を持っている。なおこのポーズはすでに陶器画において試みられている。

以上のような、イオニア的なコレーとは異なる様式を示しているのがアッティカ出土のベルリンのコレー像である(Berlin 1800:図2)。先に挙げたコレー像の多くが頭部を破損しているため単純に比較はできないが、上半身の残るアクロポリス出土のコレー像(Athens Acr.677)と比べてみると、目は異様なほどに大きく、顔は長く角張っていて、ニューヨークやスニオンのクーロスを思わせる。髪はダイダロス様式とは異なり、いくつかの房に分かれるのではなく後ろで一つにまとめられている。頭に載せる冠は装飾が刻まれ、上段にはロータスとつぼみの連続文、下段はメアンダー文が描かれている。キトンのひだは大きくはっきりと直線的に表現され、ヒマティオンは後ろから両肩に掛けて前に垂らし、左右対称になっている。左手は胸の前に置くが手には何も持たず、ヒマティオンの端を掴んでいる。右手にはざくろを持ち、腰の前あたりに置いている。



図2 ベルリンのコレー

アッティカのメレンダからクーロス像と共に発見されたコレー像はパロスの彫刻家アリスティオン制作で、ベルリンのコレーよりも年代は下る。頭部の表現はイオニア風だが、衣服は厚手で、衣紋は縦方向に流れている。しかしその線は体のラインに沿って微妙にカーブし、少しずつリアルな表現へと近づいている。

ランパンの騎士像と同一作者と考えられているのがペプロスのコレー像(Athens Acr.679)で、その名前のとおりキトンの上にペプロスを纏っている。その顔の表現は騎士像に近いが、髪の表現は比較的荒い。頭部にはドリルの穴が残り、冠のようなものが取り付けられていたらしい。ペプロスはその厚手の生地を表現してか衣紋はほとんど表現されていないが、その下から覗くキトンについては浅く衣紋が表現されている。緩く握り締めた右手は脇に添え、左手はひじを曲げて正面に突き出すポーズだが、別に作られてはめ込まれていたひじから先の部分は失われている。腹部のペプロスの折り返し部分に波頭の文様が描かれるほか、頭髪と瞳、唇には赤い彩色の跡が残る。

同じアクロポリス出土ながらまったく様式の異なるコレー像も見られる(Athens Acr.671)。顔がやや長く、その表現はシャープで、両目が近くに配置されているのが特徴である。キトンは上半身では浅く幅の広い波状に掘り下げられ、下半身ではごく浅い溝が狭い間隔で並び、足のラインに沿ってカーブしている。両肩にヒマティオンを纏い、肩から前に左右に垂れた部分にはジグザグの衣紋が表現されている。両手ともひじから先が失われているが、ペプロスのコレーの左右を逆にしたポーズであっただろう。

このほかコレー像ではないが、デロス島からは550年頃に製作されたニケ像が発見されている(Athens 21:図3)。そのポーズはコルフのアルテミス神殿の破風のゴルゴンにもみられる大きく膝を曲げて走る姿であり、背中には翼の跡が残る。近くからは台座が発見されているが、この像に属するものかまだ問題は残る。ただ、その銘にはミッキアデスの息子アルケルモスの名前があり、古註には初めてニケを翼を持つ姿で表現した彫刻家とある。


図3 デロス出土のニケ像

デルフォイからは象牙製の像の断片がいくつも見つかっている。残るのは顔と爪先の部分であるが、保存状態はよくない。それでもサンダルの飾りの部分はきわめて精巧な装飾が施されており、かなりの労力を費やして制作された像であることが伺える。

カリュドンの神殿跡からはテラコッタのスフィンクス像の頭部が見つかっている。髪のほかに眉や目に用いられていた彩色がきわめてよく残っており、彩色のほとんどが失われている大理石像の本来の姿を垣間見せる資料となっている。

参考文献
前・中期のコレー像およびその他の彫刻、彫刻家については、J.Boardman "Greek Sculpture: the Archaic Period"(1991) pp.66-77