後期アルカイック(厳格様式)のクーロス像


アルカイック末期にいたり、世紀が変わった頃からギリシア彫刻は新たな一歩を踏み出すことになる。これまでのギリシア彫刻では、立像は両足をそろえている場合でも、片足を前に出した場合でも、体の重心は常に両足に均等にかかっていた。しかしこの時代にいたって、彫刻家は片足に重心を移行したポーズを試みるようになる。その前触れともいえる作品が六世紀末のアリストディコスの銘のあるクーロスである(Athens 3938)。この像ではまだ重心こそ両足にかかっているものの、腹筋の表現はここに来て初めて現実的な表現になり、アルカイック的なぎこちなさは既に消え去っている。

そして新たな時代の到来を告げるのがクリティオスの少年と呼ばれる像である(Athens Acr.698:図1)。その重心は僅かに引いた左足にかかり、自由になった右足の膝はゆるんだ感じになっている。しかし重心の移動がもたらした結果はこれだけではない。左足を突っ張った結果右の腰が下がり、さらに右肩も下がって、頭も右側に傾いている。これはこの彫刻家が実際の人物のポーズを綿密に観察した結果としか考えられない。またこれまでやや弱かった上半身の表現も、僅かに背中を反った結果として肋骨のラインが浮き出しており、もはや文句の付け所もない。目の部分はくり貫かれており、残念ながらはめ込まれていた貴石は失われてしまった。



図1 クリティオスの少年

もう一つこれまでの彫刻と決定的に違うのはその表情である。いわゆるアルカイックスマイルは消え去り、その引き締まった表情から古典時代が始まる前のこのアルカイック末の彫刻は厳格様式とも呼ばれている。ほとんど同じ時代の彫刻にブロンドの少年と呼ばれるものがある(Athens Acr.689)。残念ながら頭部と腰の部分しか現存しないが、この時代を象徴する重要な作品である。その名前が示すとおり、髪の部分には黄色か褐色の彩色が残っている。頭はやや右に傾いており、腰も右が下がっていることから、体重は前者と同じく左足にかかっていたことが分かる。

なお最古の大型のブロンズ像として、アッティカのペイライエウス出土のアポロン像(Athens:図2)が現存しており、530-520年頃に年代づけられている。中空にして大型の像を作るこの新しい技術は六世紀の中頃にサモス島出身のテオドロスによって発明されたといわれているから、僅かの間にここまで高い水準にまで発展していたことが分かる。像はほぼ完全な形で残っているが、失われた持ち物は左手に弓、右手に酒杯であったと推定されている。両手を除けばクーロスと変わらないポーズだが、顔はやや下を向いている。



図2 ペイライエウスのアポロン

六世紀末になるとブロンズ像の制作は盛んになり、五世紀には大理石像と並ぶ、あるいはそれ以上の作品が制作されるようになる。青銅は再利用が容易であったために多くの作品が溶かされてしまい、またローマ時代のコピーもほとんどが大理石で制作されているため、古代の記録がなければブロンズ像が重要な位置を占めていたことを見失っていたことだろう。下の図はオリンピア出土のブロンズの頭部で、同地に数多く奉納されていたゼウス像の一つだと考えられる(Olympia 6420:図3)。



図3 オリンピア出土のゼウス像

参考文献
後期のクーロス像およびその他の彫刻、彫刻家については、J.Boardman "Greek Sculpture: the Archaic Period"(1991) pp.82-89