60年代のおもちゃ
その2/トランシーバー
この「60年代のおもちゃ」のコーナーは、昨年の4月27日に、ホームページ立ち上げ後の3回目のデータ更新として、「野球盤」のデータをアップして以来、実に、10カ月間、手付かず状態が続いておりました。いつも、データ更新をするたびに、横目で、この「おもちゃ」のコーナーを気にしながら、手持ちの画像データが不足していたことなどもあり、これだけの期間が空いてしまいました。これからは、最低でも、1カ月に1度くらいは更新するように努力したいと思っておりますので、よろしくお願いします。
「60年代のTVCM」の「少年ガードマンになろう(森永チャピーちゃんキャラメル)」で書かせていただいている通り、昭和30年代末から昭和40年代前半にかけて、私達のような小学生の男の子たちにとって、トランシーバーというのは、憧れのおもちゃでありました。
この左の画像は、『週刊少年マガジン』の1965(昭和40)年5月2日号に掲載されたトランシーバーが当たる懸賞です。懸賞のスポンサーは、当時、『マガジン』に連載されていた「ハリスの旋風」のTVアニメ版のスポンサーでもある、カネボウハリスです。
題名から考えても、この「ハリスの旋風」は企画段階からカネボウハリスが絡んでいたのだろうなということは、当時から思っていましたが、そのことを裏付ける資料はいまだに見たことがありませんので、これは、何れ、きちんとした形で、紹介させてていただこうと思います。
「おもちゃ」ということで、トランシーバーを取り上げているわけですが、せっかくですから、この懸賞自体がどういうものであったかについても、簡単に説明させていただきます。
この“かげ絵クイズ”という懸賞シリーズは、読者から寄せられた問題が出題されるというもので、ページ中段右側の紙切りのシルエットを見て、問題に答えなければなりません。
問題は、「屋台で食べているのは次の何でしょうか。(ア)ラーメン、(イ)おでん、(ウ)たこやき」というもので、シルエットの左側の少年の形を見れば答えはすぐに分かるわけですが、それでも、「おでん」とか「たこやき」とか答えてボケをかますのが好きな少年もいたのでしょうか。
この問題は、千葉県の瀬山真一君という少年からの出題で、瀬山君には、この問題に使われた林家正楽師匠の紙切りの作品が送られたそうです。
賞品は、金賞がトランシーバー(2台1組)が8人、銀賞がフウセンハリスガム(10個詰め合わせ)が100人ということになっています。
カネボウハリスという会社は、この時期には、同じ『マガジン』に連載されていた「ハリス無段」という柔道マンガのスポンサーでもあり、このキャラクターを使ったフーセンガムの広告が、ほとんど毎週のように『マガジン』の表紙に続く、見開きグラビアページの下四分の一くらいのスペースに掲載されていたのを覚えています。
実は、この『マガジン』の1965(昭和40)年5月2日号では、連載中の「ハリスの旋風」の口絵の裏で、左の画像のような広告が掲載され、さらに、下の画像のように、表紙に続く見開きグラビアページにも、このトランシーバープレゼントの広告が掲載されているという徹底ぶりで、少なくとも、この『マガジン』を見る限り、私が小学校5年生だった昭和40年の5月頃は、トランシーバー一色の観があるわけです。
左の画像の懸賞のページも、「カネボウハリスガムでトランシーバーが毎週1,000名様に当たる!/カネボウハリスガムの外包紙ならどれでも100円分をお送りください」というところまでは判読できるかもしれませんが、その下に続く小さい文字は、多分、ご覧になっても何と書いてあるのか分からないのではないかと思いますので、また、そのまま紹介させていただきます。
■送り先
大阪市都島局区内カネボウハリス むせんき係
■抽選
3月第1週より 毎週末しめ切り
警察官立ち会いのうえ公正に抽せんします
■賞品
毎週1,000名さまにスンダード工業製トランシーバー1組(2台)が当たります
■発表賞品発送をもってかえさせていただきます
■期間3月1日〜6月30日まで
ということで、3月から6月までの4カ月間で、何と、1万8000台ものトランシーバーが誰かに当たっていたわけであります。
左の画像では、少年の持っているアンテナが非常に長く、それなりの感度の良いトランシーバーがもらえたのでしょうか。
それから、このトランシーバーのメーカーであるスタンダード工業という会社は、現在は、日本マランツの関連会社として、生産会社であるスタンダード通信機と販売会社であるスタンダード・コミュニケーションズとして存続し、スタンダードという名称は日本マランツの無線機の一ブランドともなっています。
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上の広告では、少年が手前にいて、遠くのお姉さんの顔までは良く分かりませんが、右の表紙に続く見開くグラビアページの広告では、その顔がはっきりと写っておりますが、この女性は、「60年代の雑誌/月刊平凡」のコーナーで既に何度も取り上げさせていただいている、ハーフタレントのハシリだった恵とも子であります。
「月刊平凡」で恵とも子を取り上げさせていただいた時には、情けないことに全く忘れておりまして、この広告を見て思い出しましたが、恵とも子と言えばハリスガム、ハリスガムといえば恵とも子、というくらい、恵とも子はハリスガムの広告で猛烈に露出されていたのでした。もともと、服飾や化粧品の関係でモデルをやっていて、食品のCMでも起用されることになったというようなことなのか、その辺のことは、よく分かりません。ただ、「月刊平凡」の表紙に頻繁に登場するようになったのは、この広告が掲載されていた昭和40年5月から約1年後の昭和41年夏からですので、広告で人気が先行し、タレント化していったのかもしれません。もし、そうだとすると、いわゆるCMガールがタレント化した初めてのケースだったことになりそうです。
ということで、「おもちゃ」のコーナーでありながら、ほとんど、その対象であるトランシーバーのことには言及できませんでしたが、「60年代のCM」の「少年ガードマンになろう(森永チャピーちゃんキャラメル)」でも書かせていただいた通り、懸賞とは無縁の悲しい運命を背負い、しかも、ビンボーな少年だった私は、少年時代、トランシーバーで遊んだ記憶というのは皆無でありますので、こういう周辺情報だけで終わらざるを得ないことをお許しいただきたいと思います。
本来であれば、「60年代のイベント」の中に「広告キャンペーン&懸賞プレゼント」というメニューを作って、その中で、プレゼント賞品としてダントツ人気だった「トランシーバー」や「レーシングカー」を取り上げさせていただくという手もあるわけですが、そういう形で「オモチャ」のメニューから外してしまうのは、当時、ビンボー人には手の届かない“高嶺の花”としてオモチャ界に君臨していた「トランシーバー」の偉さが分かっていただけなくなるのではないかと思ったりもしたわけです。

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