60年代のTVCM

少年ガードマンになろう(森永チャピーちゃんキャラメル)

 60年代TVCMフリークの皆様、お待たせをいたしました。
 昨年10月4日に「モーレツからビューティフルへ」(XEROX)のデータをアップして以来、実に、約5カ月ぶりで、この「60年代のTVCM」でのデータ更新ということになります。
 思えば、昨年4月に、この「60年代通信」ホームページ版を立ち上げ、それから夏にかけては、この「60年代のTVCM」ネタを中心に、何とか、メンテナンスしていた時期もあったわけで、このホームページを作っている本人自体も、随分、昔のことのような気がしております。
 それはともかく、今週の初めに、「60年代のテレビ」で「宇宙少年ソラン」を紹介させていただきました関係上、今回は、この森永チャピーちゃんキャラメルの販促企画として繰り広げられた「少年ガードマンになろう」キャンペーンのTVCMを取り上げさせていただくことにします。

 まず、このCMでは冒頭に、少年がピーッと笛を吹く画面が登場して、「ぼぉくらは少年ガァドマン…」という歌い出しのCMソングが流れはじめ、続いて「森永チャピーちゃんキャラメルで少年ガードマン秘密通信機とガードマンバッジをもらおう」という男性のナレーションが流れます。
 画面は、多摩川辺りと思しき土手を子供達が走っていく場面にかわり、「少年ガードマン秘密通信機とガードマンバッジをもらおう!」という文字が重なってきます。

 続いて、画面は、この少年ガードマン・バッジを胸につけて、得意満面の表情をした少年たちが並んでいる場面に切り替わり、
 「ひとつ。少年ガードマンは社会の正義と安全のために尽くすべし」
 「ふたつ。少年ガードマンは礼儀を正しくすべし」
 という少年の声が聞こえてきます。
 テレビのCMで、「社会の正義と安全のために尽くすべし」「礼儀を正しくすべし」などというフレーズが出てくるところに、いかにも時代を感じてしまうわけですが、この辺りは、ひとつ間違えば、後年の某財界有名人が名誉職を務めていた財団法人のPRのノリになってしまいそうなところですが、この並んでいる少年達の顔、特に、左から2番目のガキ大将チックな坊主の顔などを見れば、このCMが、そうしたいかがわしいPRとは無縁であることが、すぐに分かるわけであります。

 今度は、再び、男性のナレーションで、当たり券の説明です。
「森永チャピーちゃんキャラメルの中パックから、こんなあたり券が出てきたら、吊りバンドつきの、遠くからお話のできる高性能少年ガードマン秘密通信機がもらえます」
 あたり券にしては、絵が情けない気もしないでもないわけですが、何れにしても、10円のキャラメルで、秘密通信機がもらえるということで、当時の少年達は、競うように、この森永チャピーちゃんキャラメルを買いあさったのではないかと想像されます。
 当時、例えば、少年サンデーや少年マガジンなどのマンガ雑誌には、簡単なクイズに答えて応募すれば、何か商品がもらえる懸賞のコーナーが毎週、必ず、あったもので、昭和40年代前半における「輝く!日本懸賞大賞!!」に輝いていたのは、トランシーバーかレーシングカーでありました。クラスの中に一人か二人は、お金持ちの家の一人っ子なんかが、レーシングカーのセットやトランシーバーを持っていたりして、我々のような貧乏人の子供達の羨望の的となっていたわけです。私も、レーシングカーのセットを持っていたW君とは、できるだけ良好な関係を維持するように努力し、時々、彼の家に行っては、レーシングカーで遊ばせてもらっていたものでありました。また、私が通っていた小学校は、グランドのすぐ脇に、比較的、大き目な川が流れていて、そこの土手では、簡単に見通し距離300〜500メートルくらいの障害物のない空間を確保することが出来ましたから、トランシーバーごっこをやっている奴なんかも時々見かけたりしてもので、私は、羨ましくて仕方ありませんでした。
 かくして、私をはじめ貧乏人の子供達は、マンガ雑誌の懸賞などに、せっせと応募することになるわけですが、私は、こうした懸賞モノには全く無縁の悲しい運命を持ったビンボーな子供でしたから、一度も、当たったことはありませんでした。たまに月刊誌でやっていた応募者全員プレゼントでは、何か貰ったことがありますが…、ま、これは、全員プレゼントですから、当たり前か。

 そうした悲しい運命のビンボー人の子供を挑発するかのように、画面は、秘密通信機の詳細な説明へと変わって行くわけであります。
 それにしても、当たらなかったヒガミで言うわけではありませんが、どこが「秘密通信機」なんだというくらい、このトランシーバーは大きい作りだったことがわかります。いわゆるハンディタイプのものでは有り難味が薄いからなのか、それとも、マイクと無線機本体が別々で、吊バンドを使うという辺りに、ジェームズ・ボンド的な演出効果をもたせたものなのか、今となっては、知る由もありません。

 最後に、「森永チャピーちゃんキャラメルで少年ガードマンになろう」というナレーションに応えるように、子供たちの「おーっ」という掛け声が入り、無線機を吊バンドでぶらさげた少年が森永チャピーちゃんキャラメルを食べる場面で、このCMは終わります。
 子供達の「おーっ」という掛け声と、「森永チャピーちゃんキャラメル 10円」というところに、紛れもない昭和40年代前半を実感するわけです。思えば、10円という金額は、当時の私達にとっての基本生活通貨単位とも言うべきものであり、この「じゅうえん」という言葉の響きには、えもいわれぬ懐かしさを感じてしまいます。
 それにしても、まがりなりにも宇宙SFものだった「ソラン」のキャラクターである“チャピーちゃん”と“ガードマン”という言葉の組み合わせは、今に思うと、大変なミスマッチという観が否めません。恐らく、当時、すでに、宇津井健や藤巻潤などが出演していた「ザ・ガードマン」が大変な人気番組になっていた時期で、その辺りの影響なのだろうと思いますが、ガードマンという言葉自体は、その後、例えば、山田太一が脚本を書いた「男たちの旅路」で鶴田浩二が演じていたような職業のイメージに、その語感が変質してきているというような面もあり、今、この「少年ガードマン」というフレーズを耳にすると、かなりの違和感を覚えるような気がします。
 ちなみに、トランシーバーやレーシングカーが、1960年代の多くの少年達にとって憧れの対象であったことは、既に、書いた通りですが、そのことと、最近のPHSや携帯電話の普及、あるいは、子供達の間で流行っているミニ四駆のブームなども、意外と無縁の話ではないのではないかというのが、私の見方であります。つまり、現在、40代以上でPHSや携帯電話を使っているオジさん達の多くは、少年のころ、欲しくても買ってもらえなかったトランシーバーへの恨みを晴らすべく、PHSや携帯電話を手にしている人が少なくないとのではないか、と私は確信しております。少なくとも、PHSと携帯電話を1台ずつ持っている私の場合、実用・実益の面も小さくありませんが、その購入に至るまでに、気持ちのどこかに、トランシーバーへの断ちがたい未練があったことは否定できません。実際に、トランシーバーは、5〜6年前にキャンプで必要であるという口実で購入しましたが、もう壊れてしまって使えません。(だから、私は、カミさんに叱られるのであります。)
 また、ちょっと前にミニ四駆というのが小学生の間で爆発的なブームになりましたが、あれも、レーシングカーの恨みを晴らそうとするオヤジ達が子供にかこつけてのめり込んでいたケースが少なくなかったのではないかと私は思っています。
 とりわけ、トランシーバーへの未練がPHSや携帯電話に隠されているなどという心理は、単に利便性やファッションで使っているであろう10代の少年少女や20代の若者達にはきっと分かってもらえないものだと思いますが、そういうオヤジ達には、キティちゃんの人形か何かをぶらさげた茶髪の高校生が、電車の中で「友達の××って、タレントの××に似ていると思わない?」などと、およそ不要不急のつまらないチャラチャラした会話を、しかも、周りの迷惑も顧みず大きな声でしていたりすると、やはり、テメェラいい加減にしろョ、という気分になってくるわけであります。でも、そういう気持ちを露骨に表情や仕種に出したりすると、逆に、オヤジ狩りに合いかねないという厳しい現実があり、私などは、せめて、バカボンのパパの人形を携帯電話にぶら下げて、訳の分からない無言の抵抗(?)を試みたりしているわけでありました。これで、いいのだ!!










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