『死に顔を見ていないから、
パキさんも孟さんもオヒゲも
まだ、生きてるんだ』
(5)



インテリの博識の兄貴が現れた

荒井 田村孟にデビュー作『青春の殺人者』の脚本を頼むって、プロデューサー今村昌平のアイデアだったわけ?

長谷川 いや、違うんだ。あの頃孟さんは「もう脚本は書かない」と宣言して小説家に転向して、純文学書いてた。でもそれじゃ食えないから、今平さんの横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)でシナリオの先生をやってたんだ。そこで紹介されたんだよ。向こうも俺のこと知っててくれて。そのへんの居酒屋で飲みながら話した。最初、すっごい丁寧なんだよ。俺のこと「あなた」と言うんだ。ひとまわりも歳の違う先輩なんだから「君」でも「おまえ」でもいい筈なんだが、「あなたの何々は読みました」とか、脚本書いたものも読んだりしてくれてる。それは嬉しいことじゃないか。彼が大島(渚)さんと創造社で作った『少年』は、俺、ファンだったしな。尊敬の念でこっちも喋って、なごやかに飲んでると、突然調子が変わるんだ。「君子豹変」なんてもんじゃないぜ。「あなた、長谷川さん、立派」みたいなのが「お前は馬鹿だ!」にカットで変わるんだから。あれにはビックリしたよ(笑)。酒飲んで絡む人間て、基本的には小心で弱虫で人恋しいヤツだからな。俺も酒乱だから、反省こみでよくわかる。孟さんの酒乱は、俺のように凶暴になるんじゃなくて、ともかく辛辣に人の弱点を突いて絡むんだ。しかも全て正論だから質が悪い。 でもまあ、それがきっかけで付き合いが始まったんだ。デビュー前の新人監督のアドバイザー役って感じでね。ま、人恋しい酒乱同士でつるんだんだな。

荒井 中上健次の「蛇淫」をやろうというのは、孟さんから出たの?

長谷川 俺はね、中上の「十九歳の地図」をやろうとしてたんだ。孟さんも「中上とは良いとこへ目をつけた」なんて言ってた。「十九歳の地図」は、自分でちょっといじってたんだけど、難しいんだ。映画にしようとすると、なんかコアになる絵が見えてこないんだよ。あの小説はいわば「何も出来ない十九歳」の心象風景なわけで「何も出来ない」とこがミソなのに、映画の主人公だから、俺は何かさせたくなるんだ。当然、原作の世界は壊れるわけでね。困り果 ててた頃、孟さんが「短編だけど『蛇淫』は読みましたか?」って言うんだ。まだ単行本は出てない時で、俺は読んでなかった。読んでみるとこれが「親殺し」じゃないか。おうそうか「親殺し」があったかと興奮した。「十九歳の地図」と違って「親殺し」という具体的な行動だけで書いてある小説でね。そういやキッチリ親を殺した映画、観たことないなあ、ヨシ、これだ!と、覚悟がきまった。素晴らしいアドバイザーだったよ、孟さんは。その後もいつもそんな調子だった。例えば、アラン・シリトーの話してると「『屑や娘』は読んだ?」と聞く。俺は「土曜の夜と日曜の朝」「長距離走者の孤独」までしか知らないんだ。凄いインテリの博識な兄貴が現れたみたいな感じで、現場の肉体労働者として走ってきた俺には、1から10まで勉強になった。

荒井 『蛇淫』にはモデル事件があったんだよな?

長谷川 そうそう。中上は「新聞の3面 記事読んだだけで書いた」って言ってたけど、こっちはそうはいかない。何しろ「調査魔」の今平がプロデューサーなんだから。「それはゴジ、まず事実を調べよ」てなもんで、半年以上千葉に通 って、裁判を傍聴し事実関係を調べた。その資料はアドバイザー・孟さんにも読んでもらってた。

荒井 で、誰かライターをたてなかったの?

長谷川 何人かに頼んだんだよ。でも全部断られた。「自分で書けばいいじゃない、ゴジは。書けるんだから」って、冷たい反応しかなかった。ATGじゃ金にはならないし、巻き込まれたら酷い目に遭いそうだと、敬遠されたんだろうね。俺としては、デビュー作はなんとか他人の脚本で撮りたいという思いは強かった。自分が監督として通 用するのかどうか、勝負してみたかったんだ。ま、仕方ないと、自分で書き始めて二ヵ月くらい経ったころかな、撮影した年の正月に孟さんから電話がきてね、「どうですか、やってますか?」とか聞くから、「やってるけど、うまくいかんですわ」ってぐじゃぐじゃ言い訳してたら、「きみがまあ、一気に書けばなかなかのホンを書くだろうが、そうやって悩んでるようじゃ、駄 目だね。まあ、僕が書けば、二週間だけどね」って言うんだよ。オイオイってなもんだ。すぐ今平さんに電話してさ「孟さん、乗せれば書きますぜ、あれは」と言うと「そうか、あいつがそう言うんなら、それはあいつに書かせるのが1番いいな」てなことになった。後に思うとだね、やっぱり書きたくなったんだよ、孟さん。俺が送った資料を抱えていろいろ考えてると、冒頭の母親殺しが見えたんだ。これで映画出来たって、やっぱり作家なんだね、見えたら書きたいんだよ。

荒井 本当に2週間で書いたの?

長谷川 母親殺しまでは早かったよ。正味2週間かからなかったかも知れない。でも後半がな、えんえん何ヵ月も書けなかった。結果 上がってきたのがディスカッションドラマでさ。完成した映画じゃほとんど残ってないが、(水谷)豊が家へ同級生を連れていって、風呂桶にぶちこんである両親の死体を見せるんだよ。そいで、皆なんか共犯者みたいな感じになって、浜へ行ってだな、えんえんディスカッションをするんだよ。家族帝国主義について。

荒井 創造社だな(笑)

長谷川 だろう?で、俺も監督やるんだから、言うことは言わなイカンと思って言ったんだよ。「孟さん、俺は創造社の映画撮る気はないから、ディスカッションはやめよう」って。そしたら孟さん、ディスカッションがいかに大事かということを懸命に説くんだ。でもイマイチ説得力が無くてね。彼もほら、創造社映画と言われることは、辛い時期でもあったんだろう。創造社解散したし、次のステップで何かやろうとしてるわけだし。でまあ、何とかディスカッションでは無い方向で脚本作ろうという事になったんだが、えんえん書けなくてね。このままじゃ映画流れちゃうという頃に、孟さんの家に押しかけたことがある。今平さんとカノウ(大塚和)さんと俺でね。「ここはともかく、脅してでもホンをいただいてこよう」と今平さんが言って。激怒したねえ、孟さん。玄関口に立ってる俺たちを睨みつけて「きみたちが雁首そろえて今来ても、出来ないものは出来ない!」「こんな時間がもったいないんだ、俺は!」って怒るんだ。凄かったよ。「そうか、こうやって怒るという手があるのか」と俺は内心で感心してた。圧倒された今平さんも妙に大人しくてさ。スイマセンデシタってシッポ巻いて表へ出て、「怒られちゃったな。ゴジ、これは駄 目だぞ」って力無く言うんだよ(笑)。「いや、本人は書くと言ってるんだし、前半はあれでいいんだから、予定通 りクランクインしましょう」って、俺は必死だよ。このチャンス逃したら、またいつ撮れるかわからんのだから。

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