『一本も撮らなかったけれど、「自分も一緒に映画を
撮れてるような錯覚」はあった。』(5)


うまくいかなかった
「攻め」と「守り」の分業化

__しかし、『台風クラブ』は賞を沢山とったよな。東京映画祭ヤングシネマ大賞とか……。

長谷川 賞を貰うのは良い事だよ。それだけの映画だったとも思うしな。現場が苦しかった映画ほど、スタッフの励みにもなるし。宮坂も嬉しそうだったし自信もついたはずだよ。問題はその後だ。会社の基本姿勢が「攻め」オンリーになった、いや、ならざる得なかった。なにしろ、ペダルを漕ぐのをやめたら、自転車は倒れる、すなわち倒産だからな。ただ、その頃の自転車操業の程度は、ディレカン末期に比べればまだまだ軽傷だった。問題は、宮坂がヤバイ橋を渡りながら、「守り」の営業は手薄になるわな。さっき話した資生堂のPRみたいなものにしても、それ専門の制作会社がいくつもあるんだから。それに伍して仕事を取ってくるのは、大変なことなんだよ。こまめに足を使わなきゃあ、成立しない作業だからね。

__分担というか分業化ということは、考えなかったの?「攻め」と「守り」のさ。

長谷川 トライはしたはずだよ。しかし、小さな会社だからね。PRやCMの営業にしたところで、社長が自分で行って、頭下げるから成立するって側面 があるのさ。それに、もともとスゴイ頑張り屋さんだからね、宮坂は。自分がやった事の責任は自分が取る、他人まかせにはしない、出来ない。割りに早い時期にヒローーー自分の会社の社長業と掛け持ちでディレカンの副社長をしてたーーーの退陣を提案したのも、その宮坂の性格故のものだったんだ。「ゴジさん。ラグビーでも、やる気があるかどうか分からない者が入った15人より、いっそ14人の方が、絶対に強いんですよ」その言い方には説得力があってね。結果 、ディレカン創立の功労者ヒロは、宮坂に追い出されたんだ。

__ボンが自分のフロント入りを提案してた、というのは、ちょうどその頃なのかな。

長谷川 オーバーラップしてるけど、もう少し前なんだ。そのことでは俺も宮坂と何回も話したよ。監督で作った映画会社で、たまたま俺が「言いだしっぺ」だからフロントにいるけど、誰か他の監督と交代したっていいんだし。伴明は俺より、そういう経営とか金銭にも長けているし、良い事じゃないか、入れようと。何回喋っても、宮坂は「ノー」だったな。

__どうしてだろう。自分が楽になるって思わなかったのかな。

長谷川 まだ宮坂が、自信を持ちきれてなかった時期だったんだろうな、経営者として。ゴジ一人でも大変なのに、ゴジなんかより数等、金に対してもしっかりしてる伴明なんかが入ってくると、社長としての自分の行動自由はなくなるという危惧だったのかも知れない。その時の彼の言い方だと、監督は他に何人もいるんだし、伴明さんだけというのはと。他の監督の事も考えなければいけないしと、確かに全員がフロントじゃ、フロントじゃないからな。ただ、俺は俺で読んでたんだよ。宮坂がもう少し自信つければ、むしろ、お前の力が欲しいと言う時期がくるから、伴明、それまで待てないのかと。だけど、伴明は恐ろしくせっかちな奴だから。ディレカンで声かけたら、ほんの数週間で高橋プロを畳んじゃった奴だからな。それで、一緒にピンクをやってた連中に、「上昇志向の裏切り者」と後ろ指もさされたやつだから。その頃、何回も俺は絡まれたよ。自分はそこまで覚悟して入ってきてるのに何故に拒絶するかと、あいつも宮坂に怒りに行けばいいのに、俺に言うんだよ。「俺はもうやめるからな」と3年目頃から言ってた。

__それは、最初にゴジに誘われたんだから。ゴジの「この指とまれ」で皆、集まったんだから。

長谷川 それはそうだ。だから俺も宮坂と話したんだが。結果 、その時の俺の判断が違ってたのかも知れん。もっと揉ましてでも、強引に伴明をフロントに入れるなり、民主的というか、監督会社らしいシステム作りを、すべきだったんだろうな。

__しかし、その宮坂にしたって、ゴジが選んだわけだろう?いろんな候補に会った上でさ。

長谷川 1年目の忘年会の時だったかなあ、宮坂が寂しそうに呟くんだ。「所詮、この会社はゴジさんの会社なんですねえ。監督さんたちの会社なんだ」それを聞いてヤバイなあと思ったんだ。この男に早く自信をつけさせなきゃイカンと。確かに、2年かけて準備した会社が、やっとスタートしたんだから、俺たちもはしゃいでもいたんだろう。俺なんかも宮坂とヒロ、渡辺を連れて、東宝、東映、松竹と、社長さんたちに挨拶回りもしたし。要するに「お兄ちゃん」してたわけだ。一応、映画に関しては、こっちが先輩だからさ。でも思ったよ。これからは、俺も少し出しゃばらないようにしようと。

__会社の代表権は、ゴジも持ってたの?

長谷川 いや、彼ひとりにしたんだ。スタート時点で宮坂に聞かれてね。「どうしますか?法律上は、何人で持ってもいいんですよ」と。ただ、雇われ社長みたいにして参加した上に、代表権も何分の1というんじゃ、元気出ないだろうと思ったのさ。実際彼もそういう顔してたし。だから、「理念的には、俺たち監督がリーダーシップをとって始めたけど、会社の経営的な問題は宮さん、社長が決めて全責任を持つんだよ。でなきゃ、俺たちが考えてた事にもならない。仲良しクラブに終わってしまうんだから」と。

__それが、やっぱり“監督会社”としては、おかしかったんじゃないかな。監督たちがもっと、権利も義務も背負わなきゃ……。

長谷川 そうかも知れん。妙なもんでね、監督って誰でも自分の現場に行けばボスだからね。会社の経営なんかでボスになりたいやつはいないんだ。これだけ能書き垂れてる俺だって、本音は「自分の映画が撮りたい」に尽きるからな。結果 、宮坂に良い事も悪い事も、おっ被せちゃう事になったのかも知れん。

__うん。それはそうだよ。ゴジがさっきから言ってることもそうだ。宮坂の成長を期待するって、いろんな判断を押しつけていたんだ。

長谷川 相米が『台風クラブ』で宮坂と走っちゃったのも、あれはあれで、相米流に宮坂をプロデューサーとして育てるつもりだったんだとは思う。実際、赤字は出したけど、宮坂は自信もつけたし、映画作りの味も覚えたんだ。ただ、俺が宮坂に期待していたのは堅実かつ前向きな経営者であって、冒険的プロデューサーではなかったんだよ。このふたつを、ひとりの人間のなかで全うさせるなんて、あの永田雅一にも出来なかった至難の技だろう。しかし、これほどやり甲斐のある、面 白い仕事もないと思うよ。宮坂だって、責任感だけで頑張ってたんじゃない、目いっぱい映画作りを楽しんでもいたんだ。もちろん、その事を責めるなんて、誰にも出来やしないけどね。

__さっき『台風クラブ』がターニングポイントだったと言ったけど、具体的には何が変わったの?

長谷川 その頃まで、隔週1回くらいの頻度で、全員参加でやってた「定例企画会議」は、ほぼ有名無実化していったな。宮坂が、良く言えばマンツーマン、悪く言えば分断統治を始めたんだ。『台風クラブ』の独断専行が結果 的には、罷り通っちゃったからな。「企画会議でどうこう言ってても、ラチがあかないだろう。こういう映画やろうよ、責任は全部俺が持つんだからさ」……これには弱いぜ、監督は。

__ライターだって、弱いよ(笑)。

長谷川 そこにプロデューサーという職業が跋扈する要因があるよね。これ以降、ディレカンは急速に“宮坂個人商店”化していった。良くも悪くもね。宮坂が1プロデューサーなら、まだ良かったんだ。社長でもあるから、ある意味では絶対的な権力を持ってるわけだ。“俺が責任を持つんだから……”という事になればな。もちろん、この事自体はごく普通 の事なんだよ。日本中のプロデューサーが、そうやって喫茶店に監督を呼んで、ヒソヒソ企画の話をしてるのさ。別 に大声でやってもいいんだけど。俺自身の数少ない経験からは、どうもヒソヒソという感じが強い(笑)。

__分かる、分かる。でもゴジの場合は、自分の声のほうが、大きいだけなんだ。

長谷川 俺がすごく残念なのは、俺たちがディレカンを作った最大の理由のひとつには、そういうお呼び待ちの芸者みたいな隠微な監督稼業から、一歩でも二歩でもはみ出せないだろうか、という願望と夢があったからでね。自分たちでしか出来ない映画を、自分たち同士の責任と連帯でさ。ヒソヒソ話で、メンバー同士誰が何をやってるか分からなくなったら、連帯も責任もないじゃないか。いや、全部が全部そういう映画じゃなくていいんだ。お呼ばれで作る映画があったってもちろんいいんだが……。その夢を、自分たちの手で、自分たちの足元から壊していったというか。

__しかしそれ以前に、監督たちが集まってやる企画会議なるものが、果 たしてまっとうに機能していたか否かという事だって、あるんじゃないの?ごく初期にやろうとしてた、9人によるオムニバス映画の企画だって、結局流れたと聞くし。

長谷川 お前、どうでもいいことだけは、本当によく知ってるなあ。

__一応、映画雑誌の編集長だからね(笑)。

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