
長谷川和彦 黒い雨と今村昌平を語る(3)
| ラストカットの無神経さ
長谷川 俺はトップシーンとラストカットにこだわる方だからさ。トップカットとラストカット、中に見せ場がひとつあれば、映画なんて出来ちゃうと乱暴に思ってるから。その割にゃ、映画撮れないじゃないかってか? ウルセエ(笑)だって映画って時間の流れなんだから。小説と違って読み返せないんだから。頭がどの画で始まって、ラストがどんな画で終るかって凄く大きいと思うわけ。だから、もう一度しつこくこの映画のラストカットにケチつけるんだけどさ、まず無神経だよな。それに素直じゃない。今平さんのことだから、理屈はあるだろう。“皆が虹を見たいってとこを、俺は突き放したんだ”って、言うかもしれんがね。しかし、突き放すんならナレーションつけて、ズームアップまでして呼び込むなって言うんだよ。あれじゃ誰でも虹が見たくなるよ。もしも、パァーッと虹が出たら、大半の批評家は笑うだろうな。しかし、俺はその方が数等好きだな。今平さんが、そこまでいってたら俺も素直に手を叩くよ。“ちょっと照れ臭いけど、気持ちは良くわかります。それでこそ、ナレーション、ズーム、虹と一貫した立派に声高な表現です”と皮肉じゃなくて言えると思う。 荒井 でも、それが映画じゃないかって気がするんだよ、俺は。上っ面 を撫でるように作ってることが、淡々とか成熟とか完成度が高いとか言われることって……。 長谷川 そういう意味じゃ、十年振りに撮った「復讐するは我にあり」のラストカットの方が良かったな。三国連太郎が、死刑になった緒形健のお骨を展望台から投げ捨てるのを、何回も何回もストップモーションかけて見せるんだが、“わあ、今平、新人監督みたいにウロウロしてはるわ”と、妙な感動があった。完成度とか淡々とかではない、初々しい悶えみたいなものが素直に出てて……昔から、ラストでは死ぬ ほど悶える人だった。 荒井 『イメージフォーラム』で、今村さんが喋ってるのを読んで知ったことなんだけど、ラスト二十分ぐらい、スーちゃんがお遍路さんになってるシーンがあったっていうんだ。それを切って、まぁ原作に戻したって。だから、北村和夫と市原悦子の部分に比べると田中好子の部分が弱い感じがするでしょ。バランスが悪い。 長谷川 俺がスーちゃんだったら怒るなあ。お遍路さんになって、乞食になってウロウロする部分があったから頑張れたのに、詐欺じゃないかって(笑) 荒井 スーちゃんと青年との純愛で泣かせてくれるなら、まだしも、北村で終るから……はぐらかされた方向でまとめられたというか……。 長谷川 今平さん的に、正直にはなったんだと思うよ。北村和夫で終るというのは。『自分』で終るんだからな。 荒井 北村和夫が『シネフロント』で喋ってる。最初今村さんが出演交渉に来た時、『自分でやればいいじゃないですか』って言ったんだって。 長谷川 「神々の深き欲望」で北村さんのやった、東京から来た技師という役は今平さんなわけだよ。あの頃から割と自分を出すんだな。 荒井 北村和夫が言うには、あの時計を直したりするのは(普段の)今平さんだって? 長谷川 いやあ、あの人の几帳面
さって並みじゃないぜ……今村事務所、な。俺、22歳で、入ったばかりの助監督だよ。あの時期、俺はアパート代がなくて、女房連れて管理人夫婦と称して事務所に住みこんでた。“それじゃ、ゴジも家賃を半分出せ”って、手取り2万円の給料の半分、1万円出してさ。でな、敵は朝の10時にきっちり来るんだよ。仕事もないのに。朝の10時、22歳の青年は寝てますよ。それで何を始めるかというと、この人、事務所中の掃除を始めるんだよ。
その頃の今村プロの事務所は、幡ヶ谷の火葬場の真裏にある廃屋みたいな一軒家で、トイレもまだ汲み取り式なんだよ。そのトイレまで自分で拭くんだぜ。“監督、僕がやりますから”って言っても“いいから、お前は向こうを綺麗にしろ”と手を休めない。天下の今平と一緒に、朝の10時から便所掃除やってるんだから、多少嬉しくもあるんだが、毎日だからな、これが(笑)ともかく俺のような怠け者には、殆ど異常な掃除魔だった。 荒井 あの学校(日本映画学校)って、未だに田植えをやらしているらしいじゃない。 長谷川 そりゃ、田植えは好きだよ。『ここより他の場所』に行きたかった残滓だよ。 荒井 俺はあの学校へ行って、田植えと映画は関係ないって喋ってきたけど……。 長谷川 俺、今平さん、好きは好きなんだよ。土にまみれたい、オマンコにまみれたいって、それを懸命にやってきた冒険少年として認めるわけよ。それでもやっぱり映画が面 白くないとなあ……。 個のウロウロを見たかった 荒井 今度の映画、どうしてセックスがないんだろう。 長谷川 テーマゆえの自主規制か、リビドーの後退か……。 荒井 例えば、スーちゃんが夜中に外に出てきて、アロエを切るシーンがあるでしょ。あの辺から(カットの)繋ぎがおかしいんじゃない。次のカットは朝になってて、スーちゃんがいないって騒いでて、次はもう病気なんだよ。 長谷川 オマンコの匂いがしないわな。今平さんの好きな言葉で言えば―― 荒井 アロエ切っている時、石を彫っている音が聞こえるんだよ。で、(スーちゃんは)石の方を見るんだ。 長谷川 あの意図的な音のつけ方もな。紅谷(愃一 録音)に言ってやりたいよ。“監督がどう言おうともあんな恥ずかしい、これみよがしの音のつけ方は止めろ”って。 荒井 普通 、次は小屋へ行って二人が抱き合うんだよ。“結婚したい”“結婚なんていいんです”とか言ってて。セックスしてる最中に具合が悪くなって、倒れるわけだよ。それで青年が病院へ連れて行ったんだなと、こっちで補って朝のシーンに繋げなきゃいけない。 長谷川 またまた声高で恐縮だけど(笑)あの人、映画の中でセックス描くの、声高なことだと思ったんじゃないのかな。最近の映画でも必ずセックスは描いてあったろう? ただ昔から比べると随分パターン化して、力がなくなってた。立たないチンポコ、無理に立てようとしてるみたいなさ。「黒い雨」で被爆という悲劇を淡々と描こうとした時に“アッ、セックスはこの映画じゃ必要ないのか”って初めて思ったような気がする。だって、黒髪の抜ける入浴シーンなんかで、ヒロインの性や裸を見せて満足する人じゃなかっただろう。そういう意味じゃ、年令相応に素直になったのかもしらん。しかし、じゃ何がこの映画を作る彼を支えていた欲望なのかと言うと、インテリ小市民の使命感なんですか? と思えてしまう。それじゃ、どう描いてても全部他人の話だろ。俺たちは今村昌平という魅力的な個のウロウロとして、その映画を見たいのにさ。今平さん、個であることが不安なんじゃないかな。だから学校作るんだ。教育者たりたいと思うのは、自分の個が立派だから教えたいんじゃなくて、自分の個を支えるために、個を普遍化したいんだろう。それは必ずしも悪いことじゃないしな。その個はしっかり優秀なんだもん。だって日本中にある映画学校の中じゃ、今平さんとこが一番マトモなんだろうし……ただ、映画を作って人にみせるってのは、教育じゃないからなあ。当たり前だけど、どうも『校長先生が真面 目に一所懸命に作られた映画』みたいでイカン。やっぱりギリギリ一人っきりの個になって、64歳の新境地を見せて欲しかったわなあ。 |
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