
長谷川和彦 黒い雨と今村昌平を語る(5)
| 『太陽を盗んだ男』と『黒い雨』
荒井 根岸と「黒い雨」を見て、あいつが、「太陽を盗んだ男」の方がいいよ、ゴジはエライよ、と。原爆いけないじゃなくて、原爆作る映画を作ることの意味っていうのか、早すぎたのかもしれないけど。これはまた非常に荒唐無稽な話で、封切った頃にも、賛否両論だったよな。 長谷川 とても喜ぶべき、名誉ある反応だったと思うよ。どだい誰からも褒められる立派な映画なんて、気味悪いじゃないか。いや俺のも立派な映画だけどね(笑) 荒井 いわゆるリアリズムの被爆映画として、今村さんが「黒い雨」をやったわけだけど、胎内被爆者で、しかも監督のゴジは、これをやろうと思わなかったの? 長谷川 それは例えば、在日朝鮮人の監督さんが、朝鮮人の問題を描いた『清く正しく美しい映画』――大抵それは暗い映画なんだが――に、ウンザリしてるっていうと似てるのかも知れない。原爆を描いた清く正しい映画も「原爆の子」を始めたくさんあったんだと思う。そして今また「黒い雨」だろう。俺には、こういう映画の持つ正義感がたまらんのだよ。真綿で首絞められてるような苦しさっていうか……。その正義感て、いつも必ず被害者の正義感だろう。被爆とか原爆ってものの意味を、被害者のポジションでしか捉えようとしない。確かに俺は歴史的、現実的には、被害者そのものだと思うよ。オフクロの胎内で被爆してんだから、選択の余地ゼロなんだから。ただ、その被害者であることの前に、俺自身一人の人間でもあるわけだろう。原爆なんてものを作ったり、落としたりする、人類なんてものの一員でもあるわけだ。幸か不幸か。そのことは誰も避けて通 れない……。ともかく“そうです、僕は被害者なのです”と思って生きる程、悲しくて不愉快なことはない。 荒井 だけど、原爆を扱った映画を撮ろうという思いはあった―― 長谷川 それが「太陽――」の原点じゃないんだ。
「太陽を盗んだ男」って、最初に俺がつけたタイトルは「笑う原爆」っていうんだけど。「タクシー・ドライバー」の脚本を弟のポールと一緒に書いたレナード(シュレイダー)とロスで友達になって、あいつの家に泊まりこんだりして、色々とバカな話をしてたんだ。俺の身の上話とか、あいつが18歳になるまで映画を見たことがなかったっていう話を聞いたりとか。“いつか一緒に仕事出来るといいね”とか言うんだよ。あいつら外交辞令が上手だから特に信じてはいなかったんだけど。半年くらいしたらきたんだ。“オーイ、アイデア思い付いたぞ、一緒に映画やろう”って。正直、驚いたし、とても嬉しかった。毛唐も仲々やるじゃないかって(笑)その時、五つぐらいのアイデアを持ってきた。その中の一つが、一人の若者が自分で原爆を作って、政府に要求することは“テレビのナイターを最後まで見せろ”だと。 荒井 ま、丸山昇一とか一色伸幸とかオリジナルが好きだ得意だという人もいるけど、俺に関して言えば、ま、オリジナリティがないと言ってしまえば簡単で、なんか、新しいアイデアを思いつく頭じゃないというか、それと原作モノじゃないということと、オリジナルって同義で語られているけど、それは違うと思う。どっかにあるんだよ、そんなの、今までに。だから、バリエーションだと思う。本当のオリジナリティかどうかということに関しては疑問だな。ま、俺だって、部分のアイデアというのは思いつくけどね。 長谷川 してないだろうな。“ナイターを見せろ”が出ない。確かにその頃は9時過ぎると絶対にオン・エアしてなかった。原爆とナイターを結びつけたことが、なんとも馬鹿馬鹿しくて面
白いアイデアだった。そのずっと前にレナードとダベッた時、“お前なんかアメリカ人から見て、日本て何なんだ?”って聞いたことがある。“レッドテープにがんじがらめに縛りつけられた国だ。しかも縛りつけられた個人個人が、そのことに殆ど気づいていない。あるいは無頓着だ。俺には非常に不思議、不気味である”(笑)――レッドテープっていうのは、様々な規制や倫理
、道徳による拘束を総称して言うらしいんだが――なるほど、と思ったよ。ナイター中断打ち切られても“ま、仕方ないか”って思ってるもんな、俺たち。全てが万事、そうなのかもしれない。 荒井 封切りで見た時、ゴジとイメージがダブって、主人公は被爆者だと思ってた。違うんだよな。 長谷川 当たり前だよ。 荒井 毛が抜けてくるじゃない。最初からだと思ったら、原爆を作って行く過程で被爆したんだよな。 長谷川 そこは丁寧にやってるだろう。頼むぜ。 荒井 でも、なんで原爆を作るのかがわからないわな。 長谷川 ウーン、分からないと言えばわからないわな。良識的な目からは変質者なのかもしれない。何故パンツをぬ すむのかってことと同じなんだよ。いや、ゴメン。そう言い棄てちまっちゃ、あんまりなんだ。こういうことは言えるよ。いわゆる、犯罪者モノで、実は犯行の動機はこうこうでって、シタリ顔のがあるだろ。アレ、腹が立つじゃないか。映画はワイドショーの犯罪報道じゃないんだから。犯罪者に失礼だろ、それじゃあ。……昔、『将来に対する漠たる不安』と言って、自殺した小説家がいたけど、その伝でいけば『社会に対する漠たる不満』とでも言うしかない、犯罪者の実感なのかもしれない。ただ俺は、その実感を他人事じゃなくて、なんとか自分自身の感情、感覚とシンクロさせてみようとはしたんだ。架空の犯罪である分、親殺しの実感より、数等難しかった……。 荒井 俺はゴジと重ねてたから、納得してたんだけど。 長谷川 そりゃ、ゴジに対して意識が強すぎるんだ。客はゴジなんか知らないんだから。 荒井 「アトミック・カフェ」という映画があって、若い奴がキノコ雲が綺麗だと言うんで、喧嘩したことがあるんだけど、あれを綺麗だと感じる世代があるわけだよ。 長谷川 世代で言われると、よう分からんけど、確かに俺は、沢田(研二)にやらせた主人公に、原爆あるいは原子力を『美』だと思わせようと、かなり強引にやってみた。 荒井 そう思ったよ。 長谷川 一人の主人公に、被害者も加害者も背負わせてみようと思ったことと関係あるんだ、それは。この男はたった一人で原爆を作り上げるんだから、世界で最初に原爆を作った奴と同質の『恍惚と不安』を持たなきゃ嘘だろう。だからアパートの一室での原爆製造過程は、ワル丁寧にやってみた。この件りが本質的には、あの映画の中で唯一最大のアクションシーンだと思ってたしな。そこだけが、最初一時間半あったよ。『原爆の作り方』ってHOW TOモノの映画が一本軽く出来るくらいだった。それを切って切って13分にしたんだけど、それでもまだ娯楽映画の常識から言えば長いんだろうなあ、と思ってた。しかし、客の反応は意外でな、若い客ほど、あれは飽きないって言うんだ。そのことと、荒井が言う若い世代の「アトミック・カフェ云々は関係あるのかもしらんな。 荒井 いけないと思うということと、綺麗と思うこととの分裂っていうかさ。例えば昔、「赤旗」の日曜版かなあ、私はアメリカ帝国主義には反対ですけど、コカコーラを飲んではいけないのか、という投書が載ってて、笑ったけど。で、後年、俺「赤軍―PFLP世界戦争宣言」という映画を釜ヶ崎の公園で上映会したことあるんだけど、その時、そこのオッサンにホルモン屋に連れてかれて“兄ちゃんたち、アメリカ帝国主義否定してるんだろう”と。なのに、どうして、そんな格好してるんだよって言われたんだ。俺、何にも言えなくて、安いからと誤魔化したのかなあ。 だから、いけないことはカッコ悪いことだって、繋がってなくてさ、いけないことはカッコいいという風にも言い切れず、分かれてあるという……当たり前なんだけど……そうか、「太陽――」は、被爆者のゴジ的な何かがあるのかと思ったら……ないのか。 長谷川 被爆者としての復讐心とか、怨念ていう意味なら、それはなかったな。俺、撮影なんかはシツコイ方だけど、そういう感情はもともと希薄なんだよ、たいてい。むしろ、誰かに復讐されているような気がしてたよ。“チキショォ 、どこかの阿呆が原爆なんて馬鹿なもの作りやがるから、俺はこんなシンドイ思いして、こんな映画撮ってなきゃいけないんだ”なんてさ(笑) 荒井 やっぱり、「アトミック・カフェ」で、どうして俺がキノコ雲を綺麗に思えないかというと、あの雲の形は、いけない雲だというのが先にあるからなんだけど、もうハナッから綺麗とかどうかを抑圧してるんだな。「黒い雨」というの…… 長谷川 お前も二割ぐらい、旧インテイゲンチャーをもってるんだよ、荒井(笑)。俺は、原爆に関しては、そのことからかなり自由なんだよ。当事者だから。 荒井 「太陽――」で抗議がきたんだって。そしたら、ゴジが“私も被爆者です”って言って、チョンチョン、と。 長谷川 その時だけは被爆者で良かったと思ったよ。出回った脚本のタイトルは「笑う原爆」で、電話帳みたいなやつでさ。百も二百も刷れば、その筋にも回るわけだよ。もう撮影に入った頃でさ。ナントカ被爆者同盟っていう、真面
目そうなオッサンがきたよ、抗議に。 荒井 俺がキノコ雲が美しいっていうガキと喧嘩するような、抑圧してる部分で「黒い雨」と今平さんが作っているような気がするわけ、キノコ雲が美しいって思ってる側から、被爆者の映画が作られたら何か出てくるように思う。 元気が出る映画「どついたるねん」 長谷川 「黒い雨」が10年前にあって、いま「太陽――」があれば、今日喋ったようなこと、みんなもっとよく分かるんだろうけどな。俺が早過ぎるのか、今平さんが遅すぎるのか。俺が早過ぎたとは全然思ってないし、時代はそこまで行ってた思うし……ただあれ(「太陽――」)から時代がバックステップすると は夢にも思わなかった。 荒井 そこが驚くわけだよ。もう「太陽」が既にあるわけだから。 長谷川 映画じゃなくて、時代がバックステップ踏んでいるのかもしらんけどな。 荒井 「黒い雨」を見て、やっぱりゴジって凄いじゃねえか、と思った。成功、失敗は措いといて。その方向っていうか…… 長谷川 バカヤロー、成功、失敗を措くなよ。どうせなら褒めろ(笑) 荒井 明るい話ねえ。根岸とやってた話がイン直前で流れて、芸術やろうとしたわけじゃないし、流れるなんて不安はチラとも思わなかったのに、想像もしなかった理由で流れてちょっとショックと言うか、いまの映画のあり様、映画の成立の仕方の狭さというか、そういうことに絶望してね。ま、それも雑誌やったろうかと思ったひとつなんだけど。そしたら、ある先輩ライターから、お前、もっと仕事なくなるぞって言われて……収入はないのに雑誌で金は出ていくし……もう暗いよ。まあ、こういう話になると、仕事ない同志で愚痴と、撮れる人の悪口言ってると思われるけど…… 長谷川 バカヤロー、俺だって半年かけて七百枚のシナリオ書き上げたんだからな。 荒井 「吉里吉里人」か? 長谷川 ああ、いくら長くても原作よりゃ短いぞ、コノヤロオ(笑)しかし、どうして三百枚の、スンナリ受け入れられる脚本がすっと書けないのかね。俺は…… 荒井 大丈夫だよ。俺なんか第一稿は、いつも四百切るのがテーマなんだけど、つい五百枚とかね。六百枚以上書いたこともあるよ。 長谷川 そうか、恥なくてもいいか7百枚……しかし、これからが大変なんだ、この企画も。 お前、俺があんまり撮れないんで、憐憫の情でやさしくなってるんだろう。昔ほどカラまないじゃないか? 荒井 うん、憐憫の情という余裕じゃなくて、知らないうちに俺も人にそれを持たれているというか、そっち側になったというか、不必要に突っ張ってるわけじゃなくて、こっちはマットウなこと言ってるつもりなのに、面 倒臭がられて、知らないうちに敬遠され、排除されてるんじゃないかという感じがね……俺は監督じゃないけど、なんかゴジを他人事のように思えなくなったんだな。多分。 長谷川 そうだ「どついたるねん」見たか?良いぞぉ。 荒井 うん。ちょっと驚いた。新人らしいところと、新人らしからぬ ところがあって、リキがある奴が出てきたなあと思った。『ぴあ』とか、そういうところから出てくる奴の映画って、なんか自分だけ分かってればいいというのか、見る人に伝えたいっていった気持ちが薄い感じがするんだ。それで、こっちが何か言うと“感覚の相違ですね”とかしか言わないし、そういうのに比べると、マットウだよ。阪本順治って、久々の硬派だなあって思った。 長谷川 なあ、良いなあ。俺も、本当に久し振りに映画みて“やっぱり映画はいいなあ。俺も映画撮りてえ”って、素直に本気で思った。元気出たよ。阪本に“アリガトウ”って握手しちゃった。 荒井 漫画みたいな雷の遊びとか、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」の薔薇の蕾みたいな、背中の使い方っていうか、隠し味もあってさ、映画なんだよ。映画やってるんだ。たいした映画なくて、こんなのばっかりしか映画になんねえのなら、俺、映画サボっててもいいやなんて、どっかフテクサレていたんだけど、「どついたるねん」見て、俺も映画っていうリングに上がりたいな、と思ったよ。 長谷川 うん、ちょっと元気出てきたな。飲みに行くか?「どついたるねん」で喋り直そうぜ。 荒井 頼むから『どつくなよ』(笑) |
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