往復書簡
返信 石井聰亙様――――――――長谷川和彦』

 

「キネマ旬報」1980年12月下旬号 p.55〜56



  『そろそろ、新作始めないと、ヤバイすよ』か……
  石井よ、おまえさんにそんなふうに言われるとズーンとボディに効いてジワッと涙なんか出そうになるよ。忠告、心からありがとう。

 〈そおなんです、川崎さん、犯人の長谷川はもうぼつぼつ新作を撮らないとヤバかったんです〉 〈ちょっと待って下さい山本さん、新作を撮らないといったいどういうことになるんですか?〉〈それなんですがね、川崎さん、犯人の長谷川にとって健全な市民社会との唯一の接点は、映画を作って お客さんに観せるというささやかな行為、それだけだったんです〉〈ちょっと待って下さい山本さん、 するとその新作というのはつまり、映画―――〉〈そお、映画なんです〉
  〈え!すすすすすすすると何ですか、その犯人の長谷川というのは、ひょっとして、映画監督だったとか―――〉〈そおなんです〉〈本当に?〉〈本当なんですよ、川崎さん〉〈まーこわいですねえこわいですねえ、王でさえ助監督だというのに、犯人の長谷川は何と監督だったわけですね〉 〈しかもですね、川崎さん、王のホームランは868本にも達するというのにですよ、この男の撮った映画はたったの2本だけなんです〉〈すると山本さん、犯人の長谷川は、たった2本撮っただけで映画監督を自称していた―――〉〈そおなんです。こんな調子だからですね、川崎さん、彼が映画監督だというのは実は名ばかりで、実際のところ、大酒飲んで麻雀にうつつを抜かすだけの、言ってみれば町のフーテンというか、ゴミというか―――ま、映画界自体がゴミ箱みたいなところですから、要するにそれにたかるゴキブリですね〉〈ははあ、そう言えばあの無意味としか思えないサングラスが実は複眼を隠すためのカモフラージュであるという噂、あれは本当だったんですねえ〉〈しかもですよ、川崎さん、彼は、ゴキブリゾルをひと吹きすれば学食の棚の下や撮影所の自動販売機の裏からゾロゾロ出てきてコロリといく、あの手の健全なゴキブリ達とは較べものにならないくらい凶悪な種類なんです。
 
〈ホイホイもだめですか?〉 〈だめです、粘液にからめとられた奴の頭を乗り越えて平然とホイホイを通 過する、そういう奴なんです〉 〈成程成程、こういう非生産的な存在を今まで警察が放置していたのがおかしいくらいなんですねえ〉 〈そお、そお、そおなんです〉
 
〈すると山本さん、犯人の友人と称する石井という男もまたこの手のゴキブリであったわけなんでしょうか?〉 〈ええ、こっちのゴキブリの方はまだ23歳で日本大学の芸術学部に籍のある学生でもあったわけですが、「狂い咲きサンダーロード」なる暴走族映画をですねえ、不遜にも大東映から配給して成功をおさめていたわけなんです〉 〈また暴走族映画ですか、こういった反社会的な題材の映画が大都市のしかも一流の映画館で封切られるというのも本当に悲しい日本の現実ですね え〉〈そおなんです、しかもこの石井の映画の中には事もあろうにまだ10歳ぐらいの小さな少年が、小さな少年がですよ、川崎さん!〉 〈はいはい聞いてますよ〉 〈その小さな少年が腕にシャブ、すなわち覚醒剤を注射して陶然とするという場面 まであるんです〉 〈本当ですか山本さん!?〉 「本当なんですよ川崎さん、実際のところ私も驚いてあきれかえってしまってるんです。市民社会の良識に反するという意味では犯人の長谷川も酷いもので、若者に両親を殺害させたり―――〉 〈ええっ!〉 〈中学教師に原爆を製造させたり―――〉 〈うわあっ!〉
 
〈まったく言語道断、許すべかざる映画ばかり作っているわけです。……どうしました?〉 〈い、 いえ、ちょっとめまいが……〉〈それでですね川崎さん〉 〈はいはい〉 〈その新作を撮らない長谷川という男がですね、積極的かつ戦略的に撮らないでいるのか、ただ単に撮れないだけなのか、その辺の区別 が自分でもつかなくなった時にですね〉 〈はい〉 〈石井の「狂い咲きサンダーロード」が 出現してしまったんですよ、川崎さん〉 〈それで山本さん、どうなりました?〉 〈大変なことが起こりました〉 〈と言いますと?〉 〈犯人長谷川はですね、東映の小屋を出たとたん、すれ違った老人の首をへし折り、タクシーのバンパーをひとしきり蹴り狂ってから、7回どぶに落ち、女の子の眼窩でタコ焼きを焼いて、駆けつけた警官の手足を蝶々結びにし、ポストの前で3回敬礼してから、最後に東京タワーの頂上に賭け上がってカラスに向かって“がお”と吠えたということなんですねえ〉
  〈そそそそその時、犯人の友人石井はとうしていたんで?〉 〈笑っていたそうなんです〉 〈で山本さんこの事件それからどうなりました?〉 〈ええ、それはまたコマーシャルをはさみまして―――〉

 


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