インタビュー(2)長谷川和彦

『5月末にディレクターズ・カンパニー設立を目指す
好きな映画を作ってしっかり金を儲ける』

 

「月刊シナリオ」1982年6月号 p.62〜67



――映画を撮っていない時の映画監督とは何物なんでしょう?

長谷川 やっぱり映画監督じゃないんだね。巷のチリアクタのようなものです(笑)。「太陽」を撮り終えた時点で「連合赤軍」をシナリオにすることを始めたんです。それは僕なりに真面 目に田村孟さんと組んでやったんですが……結局、僕の組織力が足りなかったんでしょうね。面 白い傑作ができる予感はお互いにあった。勿論、お互いの傑作はどこか少し違うかもしれないけれど、やろうと言って組んだ接点はあるわけだから。それを脚本にまで僕が生かしきれなかったということですね。

――それでは「連合赤軍」のシナリオはまだできていないんですね。

長谷川 うん、ホンの一歩手前で。メモと資料だけはいつでも書き出せる状態になっているのにね。結局、僕が、製作者であったり監督であったりする人間がやらなければならない目途を、彼に与えきれなかった。これだけの規模で、予算、配給、配役を決めて、さあ書いて下さい、と。これぐらいしないと彼のような遅筆のタイプの作家は書けない。これは僕も怠け者のライターでもあったから、よく分るわけです。まあ金がかかりすぎるということが一番のネックだったんじゃないですかね。今でも、あれが二億円でできるのなら、おそらくどこかノルところがあるんじゃないかな。

――二億円ではできないんですね。

長谷川 僕の考えてるものはね。戦争映画だから、春夏秋冬のある叙事詩にしたいと思っているから。例えば山崎哲さんがやったように、演劇空間がもつ表現でできる部分があるわけです。リンチを含めた、ある押し込められた状況を演劇的に凝縮することはできるんだろうけど、僕は(非常に)ミーハー的に映画に入った人間だから、バァーッとスペクタクルというのが好きなんですね。だから「青春の殺人者」みたいな子供が親を殺して、家に火をつけて逃げるだけの話でも、そのスペクタクル志向ゆえに最後の火つけにこだわる。僕にとってはそういうのが映画なんです。地味で真面 目いっぽうってのは、いくら良い映画ではあっても、僕の好きな映画ではない。それと、テレビでは絶対できないもの、というのは凄くあります。テレビでは絶対に見れないものを作らないと、映画は勝てないと思ってるんですよね。じゃあ、映画の特性は何だ、と言ったらやっぱりスペクタクルということはあると思う。何がスペクタクルかという問題はありますよ。空中に蹴り上げられたサッカーボールひとつがスペクタクルになるということもあれば、5万人のエキストラが戦争してでもスペクタクルにはならないということがある。そんなことは分った上で、やっぱりスペクタクルだと思っているしね。

――一作目が親殺し、二作目が原爆、そして「連合赤軍」と非常に反社会的な色が濃いですね。

長谷川 結果的にそうなんで、最初から犯罪者とか反社会的な素材ばかりを描きたいと思っているのではない。自分の理解できる人間を捜していくと、たまたま二宮金次郎にはならないわけだな(笑)。じゃあ、世間には犯罪者と二宮金次郎しか存在しないのかと言えば、そうじゃなくて、その中間が圧倒的に多いワケでね、自分白身も含めて。ま、僕はだんだん犯罪者に近くなっちまってるけど(笑)ただその“普通 の人々”の中からどんなドラマを抽出するかってことでしょう。その時に重要なのがやはり映画でしかやれない素材であり、表現であるってことじゃないかなあ。映画とテレビは、今やはっきり全く別 種のメディアなのだということは明らかなんだから。配収20億の大ヒットも、観客の数をテレビの視聴率に換算すれば、7%にも満たないんだからね。優劣なんてものじゃなくってまるで違う機能なんだ。差別 するんじゃなくて区別しなければいけないと思いますね。「エレファントマン」や「ブッシュマン」を最初からTVでやってもあんなにヒットするわけないし、「水戸黄門」をそのまま映画化したってコケるに決まってるしね。そこで象徴的なのが「寅さんシリーズ」の存在でしょうね。「寅さん」はTVドラマから生まれて、映画化されてからもう10数年ヒットを続けている。それはとりもなおさず、この10数年間それ以外の日本映画のボルテージが低迷し続けてきたってことでしょう。ところが今年の正月に「セーラー服と機関銃」に実に何年振りかに興業的首位 を奪われた。角川商法の勝利と云えぱそれまでで、“それじゃ俺は何なんだ”と相米が怒るだろうが(笑)しかし低迷期は終って、はっきり混乱期に入ってきたってことは言えるわけでね。混乱期こそ、色々新しく面 白いものが生まれてくるんじゃないですかねえ。自主映画やピンク映画から、大挙して監督が登場してきている事と、角川映画が勝ってる事は共にその混乱に起因しているワケで、ともかく活き活きと楽しいことですよ。僕にとって第一の混乱期はロマンポルノ創生期だし、それは一撮影所が崩壊しかけていく過程で現われた、妖しくも魅力的な徒花でね。う一ん、本当にロマンポルノ撮りたかったなあ。そしたら今ごろ“女のうまい長谷川”なんて云われてたかも知らんもんね(笑)。

――ロマンポルノ当時、主についた監督はどなたですか?

長谷川 西村(昭五郎)さんが、一番多い。あの人がいたから僕は食えたんですよ。あの人はホンいじらないから、僕が昼休みにシナリオに手を入れて、それを午後撮るみたいなことやっていた。おかげで現場の仕事を、堂々とサボる悪い癖がついた(笑)。その次ぎに多いのがパキ(藤田敏八)さんかな。パキさんは人の使い方が旨いんです。一助監督に“俺の映画”という気にさせちゃうからね。そのくせ、どんなに意見を取り入れても、最後的には自分の映画にしてしまう自信があるんだ。あの人の強さはあるところで、人を信じないところがあるからじゃないのかな、役者も含めて。クマさん(神代辰巳)なんかが役者に愛されるのは、役者の芝居で映画を作っていくからね。クマさんはコンテに興味ない人だから。バキさんはコンテが勝負みたいなとこがあるからね。バキさん、日本で一番コンテが旨い人なんじゃないかな――役者が冷遇された感じになる。演出してくれないから。淋しそうな顔してくれれぱいいんですみたいなことしか言わない、NG出すといっても役者に分らないようなNGなんだよね。説明しないから。俺はそのスピーカー係をやってたから、桃井かおりにしても秋吉久美子にしても、監督はゴジだと思っていたと言うんだけど、それはえらい錯覚なんでね。僕は音の割れたガラガラ声のスピーカーに過ぎなかった(笑)。

――師事した監督の中では、どの監督に一番近いんですか?

長谷川 やっぱり今村昌平さんのタイプですかね。人を信じないタイプですね。人を信じない小心者はしつこいんです。それは間違いない。演出するという行為に限らず、何かをするということは人に委ねるところがあるでしょ、その能力に欠けている奴は、しつこいネバリ屋の監督になる。もっとも僕は今平さんの悪いとこだけ受けついで、良いとこは全然学べでないような気もするけどね(笑)このタイプは数たくさんやりたいということがないから一本撮るということが全人生になるんだね、その時。そのへんは浦山桐郎さんなんかも一緒だと思うけど、百二十%燃えつきないとやった気がしないという強欲なタイプだから、一本終っても次のエンジンがかかるまで、当分ぼおっとしててね。今どき僕みたいに3年前の映画がどうのこうの言ってりゃ、これは単なるアホですよ(笑)。根岸(吉太郎)なんかもう8本も撮ったっていうのに。そういう意味じゃ浦さんだけだな、僕の心の支えは。浦さんになら、本数だけは死ぬ までかかれぱ追いつけるかもしれない。要するに二人とも度しがたい怠け者であるということですけどね(笑)。

――いよいよ、ディレクターズ・カンパニイ設立なんですが……。

長谷川 監督、プロデューサー、ライターという三者は映画作りにおいて欠くことのできない重要なものだと思うんですよ。そこで近年、プロデューサーは色んな形で出てきた。山本又一朗や荒戸源次郎、佐々木史朗、或いは角川春樹やサンリオの辻信太郎とか。その中で映画の為に映画を作っている人が、僕はまず仲間だと思いたい。だから、山本又一朗なんて何のバックもない人間が強引に「俺は世界一のプロデューサーになるぞお」って映画撮り始めたんだから、僕は彼奴はヨシです。大ボラとしか思えなかった『ベルバラ』をスタートに、今までの日本には存在しなかった本格派のプロデューサーのポジションを確立してきている。荒戸源次郎も同じ意味でヨシでね。産地直送、ドーム上映という画期的な方法論を着々と実現しつつある。佐々木史朗は……僕は驚いたね。ATG映画一本プロデュースしただけで、気がついたらATGの社長になっていた。“なんだ、あの会社乗取っちゃえぱよかったんだ”って。審査委員会に企画かけて通 るか通らないか気にしてるんじゃなくて。それで、僕は彼と人間的に付き合い始めてもっと驚いたのは、真面 目な、悪く言えば退屈な人かと思っていたら相当なヤクザだね。今、挙げた三人の中では一番ヤクザらしくない彼が一番のヤクザだね。これは勿論、最高級の褒め言葉としての意味でね。僕らは彼のことを“紳士の皮をかぶったケダモノ”というふうに呼んで尊敬しているのです(笑)。ともかく、彼の映画にかけるまっとうな情熱は大変なものです。その行動は今や、ATGを正しく再生させたという以上の拡がりを持ってきているしね。彼等三人が共通 して優れている点は、新しい映画、新しい監督を作り続けていこうとしていることでしょうね。それぞれ独自の方法論でね。一方我々監督の情況はどうかというと、もちろん5、6年前から比べれば素晴らしく活況を呈している。色んなジャンルから色んな個人史を持った監督が、各々の作品を引っさげて映画の表通 りにとび出して来た。ただ悲しいかな、“一点突破”はしたけども、さあ次はどうしようってところで、皆やや途方にくれて立ちつくしている。それは僕自身も含めてね。より良きプロデューサー、より良き配給との出会いを求めて立っているんだけれども、巨視的にフカンして見れば、しょせんは客に声をかけられるのを持っている、街娼の群れにすぎない。旦那を待つ芸者だな(笑)。運良く声をかけられても、いつも主導権は旦那の方が持っている。五分と五分の付き合いじゃないんだね。『生意気言うんなら、別 におまえじゃなくていいんだぞ、監督なんてもうその辺にゴロゴロ転ってるんだ』というね。要するに新しい一本釣り情況が生まれてきてるわけだ。もちろん必ずしも悪い情況ではない、十年位 前に日活の監督が東映に行って撮るなんてことが話題になった頃を思えば、数等、面 白くなってきてる。だからせっかく混乱して、戦国時代に入って面白くなってきたんだから、ついでにもうひとつ面 白くしようじゃないか、ということなんですよ。でその為には具体的にどうすれぱいいのかってことをずっと考えてきたんだけど、それなら僕と同じようなことを考えている監督たちが徒党を組んだらどうだろう、と、“一点突破”は皆、個々の作品や方法論でやってきた人間たちが“全面 展開”するためにはやっぱりチームを組むしかないんじゃないかと考えるようになったんです。同人雑誌的な陰湿なものじゃなくて、面 白くて金になることならどんどん何でもやりますという、利潤追求のカンパニーを作ろうということにね。

――いわゆる独立プロとは違うんですね?

長谷川 僕が知ってる独立プロというのは60年代後半からのもので、それ以前のものは知りませんがね。自分がその一番下っ端の社員として四年近く所属していた今村プロを例にとれば、これは典型的な一監督独裁独立プロだったですね。今村昌平が監督であり社長であり神ですらある小字宙が、幡ヶ谷の火葬場の裏にひっそりと存在していた(笑)。強味はその一神教であるということにつきる、価値感は今平ただ一つなんだから。『人類学入門」『人間蒸発』『神々の深き欲望』と作家としての今平さんが充実している時は、プロダクションとしてもしっかり機能していた。しかし弱味もまたその一神教にあったわけで、今平さんが作家として行き詰ったり、内省、内向の時期に入ると、途端に会社として機能しなくなる。今平さんは本当に真面 目な小市民だから、それでも何とかしようと頑張ってたけど、痛ましかったなあ、立たないオチンコを叱咤激励して無理やり挿入しなきゃいけない、と頑張ってるみたいでね(笑)僕なんか仮に間違って監督なんかになっても、絶対にこんなシンドイ監督ブロやるのなんかやめよう、チャランボランな雇われ監督でいようと思ってましたね。その後今平さんは学校経営というビジネスに手を拡げて、現在やっぱりその二本立てで成功してるんだろうけど、根が真撃な教育者ですからね彼は。僕なんか照れくさくて恥ずかしくて、とても人に映画教えたりできないね。こっちが教えて欲しいぐらいなんだから(笑)その世代のもう一つの雄として大島(渚)さんたちの創造社があったわけ、だけど、創造社の最大のウィークポイントは大島渚に続く監督を輩出しなかったということでしょうね。素晴らしい作家集団ではあったけど、監督、ピッチャーは彼一人だったから。一人であれだけ連投すれば肩痛めるわな。石堂淑朗監督作品、田村孟監督作品なんて見たかったけどね僕ら観客としては。ただあの当時はまだ映画資本側にそこまでの受け入れ体制が無かったんでしょうね、各社の撮影所が多くの監督を擁してまだまだしっかり量 産体制をとっていたから。で、現在盛っているのは東陽一さんの幻燈社なんだろうね。あそこには前田さんというやり手のプロデューサーがいるから、商品は東陽一ただ一つであれだけしっかり商売している。しかし、今村プロや創造社がそうであったように監督一人が商品である限り、その活動には限界点があると思う。もちろん走り続けて欲しいですけどね。もう一人僕と同世代で頑張ってるのが柳町(光男)でしょうね。彼は東、前田の二人分を一人でやってるわけで、これはもう大変なことですよ。僕なんかただただ頭を下げて、「ご苦労さまです。負けずに頑張って下さい」と言うしかない。ただ時々二人で飲んだりすると、やっぱりさすがの奴もぼやいたりするね、「自分の映画を自分で売ってまわるのはキツイぜ」ってね。しかし彼は異常に強いから大丈夫だと思う。『さらば愛しき大地』もついにシネマとうきゅうロードショーにこぎつけたしね。ただ僕自身はあそこまで一人でやってく自信はない。それに柳町の方法論も従来の監督ブロが持っていた問題点はそっくりそのまま抱えているわけでね。で、結局一人でいればダメな部分も多い僕みたいな欠陥監督は、やっぱりチームプレイを始めてみるしかないんじゃないか。チームのメンバーの欠陥部分は各々に違うだろうから、個ではうまく機能しなくても複合体になれば動くかも知れない。もちろん各々に欠陥じゃない部分も少しずつはあるはずだからね(笑)そうやってカンパニイがある種の弾力性を持った大人の球体になっていけば、これまで個でいたら持てなかった他との接点を、より多く持てるようになると思う。前にいった頑張ってるプロデューサーたちはもちろんのこと。角川、サンリオ、キティ、そしていわゆるメジャーともね。

――チームのメンバーはどういう顔ぶれですか?

長谷川 バックグランドが近いところでは、相米、根岸、池田、多少違うところで井筒(和幸)、高橋(伴明)、もう少し違うところで大森、石井(聰互)黒沢(清)といったところです。ただ大森の場合は、趣旨には賛同しているけどすでに佐々木史朗との良い意味で幸わせな出会いがあって、(シネマハウト)をベースに活動を続けてきているから、ややサイドの同人的なポジションになると思うけどね。それに、これはあくまで現状であって、面 白そうだから俺もという人がいれば、どんどん話し合っていきたいと思ってるんです。

――カンパニーはどんな仕事をどんな形でやっていくんですか?

長谷川 もちろん映画製作が本線であるには違いない。でも映像表現を楽しみながら利潤をあげていけるものなら、何でも貪欲にやっていきたいと思ってます。テレビの番組製作――ドラマ、ドキュメンタリー、バラエティショウ等。ビデオディスク、CF製作。僕白身この2年間、やとわれディレクターとしてテレビドキュメンタリーやショー番組を作らせてもらったけど、非常に、面 白いですね。映画とはまったく別の楽しさと苦しさがある。ドラマにしてもミニ映画的テレビドラマではない、テレビでしか出来ないドラマ作りの方向はあると思う。特に連続ドラマというのは最もテレビ的に面 白いわけで、のべ何十時間のドラマを作っていくっていうのは、映画じゃとてもできない。個人で雇われて、そのうちの一、二本撮るんじゃ知恵も力も出しようがないかもしれないけど、ゼロから企画して製作していければ、これだけの人数の監督、作家はすでにいるわけだからローテーションも組めるしね。ただ、非映画では僕をはじめ皆、素人に近いんだから謙虚に地道にやらせてもらわなきゃいかんですがね。

――で、本線の映画の方で、外部から仕事の話があった時は、誰かが出向して仕事をするという形をとるのですか?

長谷川 最初のうらはその形をとらざるを得ないでしょうね。すでに個人的に外部と企画が進行している者も何人かいるし。ただ今まで各々が一人でいた時よりも、その映画に対する権利を主張していく、それは単にギャランティの問題だけじゃなくてね。そしてある過渡期的段階が過ぎたら、基本的には、少くとも他社との提携作品、予算と素材が可能なものは完全に自社製作でやっていくつもりです。一本一本の映画が封切り時点では必ずしも大儲けをしなくても、配給契約が切れて自分たちのところへ戻ってきた映画は、最大の財産ですからね。その財産を生かすという意味も含めて、非常に長い展望の中では、自分たちの配給系統を持ちたいという願望もある。

――以前、劇場を持ちたいと言ってましたが……。

長谷川 原点はそれです。勿論、2年や3年という短い展望で云ってるんじゃありませんがね。まず企画製作会社としてのこのディレクターズカンパニィが最低5年は頑張って生き残らなきゃいけない。その時にはまた映画界の情況も変っているだろうし、一緒に手を組んでやっていける新しい仲間がきっとみつかると思うんです。配給系統なんてことはその時に始めて考え得ることかもしれないけど、夢と展望はやっぱりいつでも持ってないとね、僕はやや夢ばかり持ちすぎるけど(笑)その遠い展望の為にも監督が一人や二人じゃダメなんでね、とりあえずは10人足らずでスタートするけども、5年たったら20人になっているかもしれない。新しい10人はこれから僕らで発掘したり製造したりしていくわけでしょう。そしてそれこそ20年後に僕らの劇場ができたりしたら、もう映画を撮れなくなってる長谷川なんて奴は、劇場の前で大声で呼び込みなんかしてれぱ大納得だもんね。ああもうはっきり誇大妄想狂だな俺は(笑)

――妄想に水をさすようですが、個性の強い作家の集団で、お互いの個性がぶつかって空中分解するのでは、と危惧するんですが……。

長谷川 勿論、それはあるけど、お互いの映画はみんな各々に違うんだということは、理解し合った上で集まるんだからね。お互いの作品を批判しあったりはするけども、このカンパニィで作る映画はこうあらねばならないというバカなテーマ主義は無いわけだから。テーマは各々が自分自身のための好きな映画を作ってしっかり金を儲けるということにつきるわけだから。少なくとも本人が好きでやった事はヨシですよ。金を儲け得なかったことについては批判もしようし、自己批判もしようでね。ただ各監督が今までよりは、もっともっとプロデューサー的な視点と責任を持たなきゃいかんでしょうね。自分自身の作品だけじゃなくて他の監督の作品に対してもね。内にひそんでいた未使用の能力を開発しなくちゃね(笑)。

――資金的な問題とか事務所などはどうなってますか?

長谷川 資金的な目途はもうついたし、事務所も借りました。ただ(結成を)打ち上げる時に各々の監督の次回作が決まってないとね。もちろん、明日クランクインする人もいれば、まだ企画の段階という人もいていいワケだけど、目途だけは立っていることが大事だと思ってるから。それやこれやで、五月の末頃を目標に準備を進めています。

――長谷川さん自身の次回作はどうなりそうですか?

長谷川 それを云われるのが今まで一番弱かったんだけど(笑)。おそらく漫画の大友克洋と組んでやることになると思います。『童夢』という彼が別 冊漫画アクションに連載して未完だったものを単行本で出すんで、今その最終章を描いてるんだけど、それが第一候補です。ただこのところ何回か会って打ち合わせをしていると、もっと面 白いオリジナルが生まれてきそうな気配もあるので、そっちに乗りかえるかもしれませんがね。ともかく大友克洋と組むことだけは変わらないと思います。なんにしても僕の場合はこれからが時間かかるから、気長に待ってもらいたいけど、我々のカンパニィには相米のように『俺は2年で3本は撮るぞお』と宣言する元気の良い監督が沢山いるから、絶対大丈夫だと信じています。どうか末長くヨロシクお願いします。(と両手をついて頭を下げる)

 


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