新しい才能と出会いたい

キネマ旬報 1984年2月上旬号

 

 「やっぱりシナリオ公募やろうじゃないか」。ディレクターズ・カンパニーの監督諸氏に私が声をかけたのは昨年の2月頃だったろうか。〈時期尚早〉〈どうせロクなものは集まらんぞ〉〈そんな審査をやるヒマがあるのか?〉等々、もっともなる反対意見もあったが、〈今こそ皆がオリジナルの面 白い企画脚本に餓えてるじゃないか。それにこの会社がパンクせずにいつまで頑張れるか誰 にも保証なんかできないんだぜ、今やらないでいつやるんだ〉〈ロクなものが集まるかどうかは、 集めてみなきゃわからんだろう〉〈脚本を読むヒマが無いほど忙しい監督がいたっけ?現に俺は ヒマだぜ〉等と反対の反対もまた正論で、結局〈ともかくやってみるか〉と衆議一決した。どこにい るかわからない未知なる新人に、ひょっとしたら出会えるかも知れないという期待が皆を納得させたようだ。映画を本気で書こうとする若いライターが、西岡琢也一人でいいとは誰も考えていないのだ。

 ディレクターズ・カンパニーの脚本公募であるという特色を出すために〈監督指定部門〉なるも のを設け、〈オープン部門〉と並置した。賞金の額に関してはヒヨッコ会社の分相応なところとして150万円に落ちついた。〆切を8月末日としてから城戸賞の〆切り日とダブっているのに気づき、〈権威ある城戸賞が相手では、こちらには誰も応募しないのではないか〉と危惧もしたが〈少しぐらいはこちらを選んでくれる変わり者もいるだろう。奇人変人上等ではないか〉とバクチに出ることにした。

 〆切ってみた正直驚いた。城戸賞の2倍近い302人もの奇人変人が応募してくれたのだ。監督指定部門が85本でその内訳は、根岸(18)、大森(16)、長谷川(12)、石井(9)、井筒(9)、 池田(8)、高橋(6)、相米(6)、黒沢(1)であった。オープン部門は217本で、指定部門との数字的なバランスも程良く思えた。指定部門はその性格上少なからずファンレター的要素を持つだ ろうから、応募作品がそちらばかり偏するとヤバイと考えていたのだ。ラブコールは嬉しいが所詮ファンレター、そのままでは映画にならない。

 予想外の応募総数に嬉しい悲鳴をあげながら審査を始めたが、やがて悲鳴は苦しい溜息に変わっていく。大抵の脚本公募は予備審査員がこれはという作品を10〜20本選んだものを正審査員が読むらしいのだが、我々は全監督が直接予備審査も行うという正論を掲げてしまったので、各々が100本近くの脚本を読まねばならない。その上、全応募者に対して読んだ者が寸評を書き送るという、なんとも親切で正しい対応を決めたので下手をすると読むよりもそっちの方が時間を喰う。正直なところ、感想を書くのも億劫になるほど雑な作品も少なくないのだ。撮影中の監督も何人かいたりして、11月末には最終審査を行うという当初の予定は大幅に遅れてしまった。それでも全監督が暮正月も返上して読み進めているので、1月10日にはなんとか最終審査にこぎつけそうだ。応募者の皆さんには本当に申し訳なく思っているが誠心誠意審査している我々を理解してお許し頂きたい。(キネ旬誌の御厚意で審査の詳細と入選作品は3月上旬号に掲載させて頂きます)

 〈監督が群れたって駄目だ〉と厳しい指摘をされながら、ディレクターズ・カンパニーも1年4ヵ月走ってきた。池田監督「人魚伝説」は既に完成して公開を待つばかりだし、石井監督「逆噴射家族」もクランク・インした。公募脚本の中から最低一本は映画化できる作品も発掘できると信じているし、不肖なる私だって今年はクランク・インできそうな気配も生じている。映画 −−−夢づくりのレースはやっと始まったばかりなのだ。慎んで、乞うご期待である。

 


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