『表現者の成功とは? 長谷川和彦さんに聞く』

「木野評論Vol.31 特集:頑張らない派宣言 p.94~102」(2000年3月15日)
聞き手●鈴木隆之

 

…久々に映画をお撮りになるはずだったのが流れてしまったようで、残念です。インターネットでも、長谷川さんの復帰を望むファンが多いですね。

長谷川●ありがたいことだと思っています。僕は、「頑張る」か「頑張らない」かって言うと、遊びはめいっぱい「頑張る」方。遊んでしか生きてないし、映画も仕事だと思ったことは少ない。だからプロデューサーがこっちにキューを出さないし、それで自分たちで遊びの場を作ろうとディレクターズカンパニーみたいなこともやった。一〇年やって僕以外の人は映画を撮ったけど、結局僕だけ撮らないままでした。何のためにあんなものを作ってしんどい思いをしたんだと、かなり自己嫌悪にも陥りました。
 僕の子どもはいま二九歳と二七歳ですけど、奴らがガキのときに、三〇過ぎだった僕も一緒に団地で近所の子どもを集めて、ほとんど連日のように缶 蹴りをやってたんですよ、ヒマでしたから。その頃の子どもも缶蹴りくらいはけっこう面 白がってやるんです。ただ、四時、五時になると消えていく。日が暮れる頃、僕が壊れたトイレの隅に隠れてたりすると、誰も探しに来ないんです。出ていくと自分のガキが二人だけ残ってて、「1どうしたんだ、あいつら」って言うと、「みんな塾とかあるから行っちゃうんだよ」って。そういうことは僕の方が子どもよりもドキドキして頑張ってやるんだけど、「仕事」を頑張ってやるという感覚は欠落しているみたいですね。
 高校生の頃に、これなら目一杯やれそうだと思ったのが映画だった。根っこから怠け者なんじゃなくて、怠け者でも時々は目の色を変えて頑張りたいんでしょうね。中学の頃は建築をやりたかったんです。ただ、不器用でしたから。次は音楽をやりたくなった。高校の時にジャズバンドを作ってテナーサックスを吹いたりしてたんですよ。自分では「コルトレーンと勝負だ」くらいの気にはなってたんです。だけど、同級生に、小学生の時からクラリネットを吹いてて僕からみれば天才少年のようにみえる奴がいたんですが、高校三年の夏休み頃に進路のことを彼に聞いたんです。「お前は芸大とか行って、プロになるんだろうな」っておずおず聞くと、「何を言うとるか長谷川。ワシらのレベルでプロになれるわけがないだろうが。ワシは上智の経済に行って、家に帰って親の鉄工所を継ぐんだ」と。僕が天才だと思っていた彼が、とてもプロになれるわけがないって言うものだから、変なもので、昨日まで吹けてたものがその日から吹けなくなった。これもダメか、みたいな感じでウロウロしてたら映画というものを偶然みつけたんです。だから、社会の常識という意味での,「仕事」「頑張り」という感覚はないですね。時代的なものか世代的なものなのか、ただゴロゴロしてた奴もみんな何とかなってますからね。

 

「親殺し」と「全共闘」

…デビュー作の『青春の殺人者』は、「親殺し」がテーマの、衝撃的なものでした。これを撮られるきっかけは何だったんですか。

長谷川●僕、体内被爆者なんです。だから若くして死ぬ と思ってた。僕と同じような境遇の子どもが突然死ぬことってよくあったんです。ある時、そういう記事が載ってる新聞を家族が隠してたりして。早く死ぬ んだから早くできることでないとダメだ、と半分ほやや憧れ、半分は正直恐くて。ちょうど大島渚さんたちの松竹ヌーヴェルバーグと呼ばれた映画が僕が高校生くらいの時に出てきた。二〇代半ば過ぎくらいの監督がポッと出るような状況を見ていて、もしかして僕もすぐにできるんじゃないか、と考えた。そういうことがあって今村昌平プロから映画に入ったわけで、非常に生き急いでたんでしょうね。二〇代で監督にならなきゃいけない、その先、生きてるかどうかわからないんだから、と。そんなわけで、二二歳で映画に入って三〇歳で監督するまでの「頑張った」ころは面 白かったんですよ。ダイニチの末期からロマンポルノになったころで、ロマンポルノの助監督を年に八本やりながら、脚本を三本書いたりしてましたからね。
 そのころ、中上健次の『十九歳の地図』を読みました。題名が、映画のタイトルみたいで良いじゃないですか。新聞配達の少年が、気に入らない配達先の家を地図の上にバツ印をつけてまわるという話で、最後に公衆電話の中で十円玉 を握りしめて泣く描写がある。小説としてはすごく好きだったんだけど、映画だから十円玉 を握りしめて泣くだけじゃなあと思っていろいろと脚色を模索した。だけどそれを壊すと違うものになるし、これは小説的な表現の世界なんだろうと思って諦めてたら、彼が芥川賞を取るという。それであらためて中上の小説を読んでみると、『蛇淫』という、新聞記事を読んで三日で書いたような小説があった。それが両親殺しだったんです。両親殺しというのをきっちり描いた映画は見たことがないし、こりゃあいいや、と思いました。その小説の中にあるフィクション性と現実を掛け算したら映画になると感じたね。小説の最後が、「家に火をつけて全部燃して天王寺にでも出ようかと思う」みたいなセンテンスで終わるんだけど、映画だから本当に火をつけちやえばいいじやないか、とかね。

…「両親殺し」が面白そうだっていう感覚は何に根ざしていたのでしょう?

長谷川●人は誰でも、精神的にですが親を殺して大人になるんだろうということがある。僕自身、一八の時に合法的に家出をして東京の大学に出てきて、ある意味で親を切っているというか、自分の枷としては抹殺してきたわけです。『蛇淫』という小説は現実の事件に基づいたものですが、実際に両親を殺してしまったS君という二四歳の青年は、普通 の高校で八ミリ映画を作ったりするような優等生だった。そういう子が実際に両親を殺したらしい。どうしてこの話を映画でやってみたかったかと言えば、僕の申で、親を殺して一人の男になっていくことをロマンだと思ってる何かがあるからかもしれない。ロマンを表現するのに的確な素材ということと、誰もそれをきっちりやってないということ。おそらく自分とたいして変わらない人間が、世間には「犯罪」と言われるけど自分にとっては「ロマン」と感じられる行為をした。そこに、僕の体に興奮を覚えさせるものがあった。それは、たとえば連合赤軍の映画をやってみたいということとダブるんですが。

…長谷川さんはおおよそ全共闘世代ですか。

長谷川●ぎりぎり前なんです、僕は。六四年入学ですから、六〇年には遅すぎて七〇年には早すぎた。だからお祭りに参加しそねたような気分でした。それと、大学時代にアメラグやってたんですが、アメラグという体育会系の、思想なんか関係ない連中までもがデモに参加してましたから。そういう奴等が捕まったりケガしたりするのを卑近に見てましたね。だから、奴等のように楽しめなかった人間として、批判もあれば嫉妬もあります。

…僕が大学に入った頃はまったく終わってましたから、全共闘世代には、意地悪く言うと、飲み屋でくだ巻いてる人という印象しかない。

長谷川●僕らの世代は、六〇年安保の世代を非常にバカにしてました。いつまでもアカシアの雨に打たれてって歌ってんじゃない、みたいなね。もっときっちりやりゃあいいのにって思ったんですよ。でも、そのあとの世代が、きっちりやった成れの果 てが、たとえば連合赤軍の浅間山荘事件。七〇年安保の終わったあとというのは、自己嫌悪感が強かった。それでも僕らから見れば、シラケて「モラトリアム」と言ったり、ニヒルにならざるを得ない次の世代の学生よりは楽しかった。

…僕からすれば、さんざん楽しんでおいて、という嫉妬もありますし、あとの燃えかすみたいな時代を生きさせられたという恨みみたいなものもあるんです。時代の「お祭り」を楽しんだ人たちは、一方で平然と社会に出ていく、もう一方では、煮詰めていって浅間山荘にいきついてしまった。連合赤軍が、仲間を殺し合うことにならざるを得なかったという状況には、暗澹たる気分にさせられます。その連合赤軍が映画の素材として魅力的だというのはなぜなんでしようか。

長谷川●さっきも言ったように、彼らのベースはわかるような気がする。でも、俺があの運動をやっていたらウソになるという感じ。俺は、自分が楽しけりゃ良いという程度の人間だから、正論とか正義を自分に科すと居心地が悪い。ただ、自分より圧倒的に強い者に向かって戦うというのはロマンティックなことなので、それは良いじゃないかという認識だね。
 だから、あいつらがどうしてあんな出口のない同志殺しにはまっていったかということに疑問がある。もちろん誰かに聞かれれば文化人的な解説はできるんだけど、その解説はほとんど意味がない。社会的な事実を検証するということを表現の具体として選んでいるわけじゃないから、作られるものはフィクションで良いわけですよ。フィクションだとむしろ開き直らなければ事実の重さに勝てないわけで、実録連合赤軍をやるわけじゃあない。事実はいくらヘヴィであっても、取り込むものは取り込んで映画という虚構のなかでしかやれない出口を見つけようとする、そんな感じのことがしてみたい。さっき言った殺人者のモデルのS君というのも、数年前に死刑が確定したんですよ。すると、『青春の殺人者』という映画のモデルだったということで記事が出る。そしたら、新聞社とかの取材が僕のところに来るんですよ。「どう思いますか」って。逃げまわりましたね。やっぱり言えないですよ。本人は法廷でも基本的に否定してるわけですし、死刑になるわけがないと言っていた青年をああいう風に描いたわけですからね。法廷ものや事件ものとして、「真相はこうだった」ということをやりたいわけではないから、何かを隠して誰かをかばうという要素は僕には必要なかった。でも、死刑になる人間の人生をモデルにしたわけです。実際に死体を捨てた場所もあの映画で撮ってる場所ですし、コメントを、と言われても言いようがないでしょう。それが何十人もいるのが連合赤軍ですからね。堅苦しく言えば、死者に対する畏敬の念ほ当然ある。死刑が確定して獄中にいる人間もいるわけで、そうすると、僕も口で言うほど事実の重さみたいなものから自由になるのは上手ではない。不器用に真面 目というか。

 

社会派ではなく実感で

…長谷川さんの場合、親殺しにしても連合赤軍にしても、それらが直接反体制とか世の中に対する異議申し立てには結びつかない。つまり政治派あるいは社会派みたいにはならない。それは政治、あるいは社会に対して懐疑的ということなのでしょうか?

長谷川●俺がそっちを言うと、ウソになるんじゃないかなあ。とくに僕が特殊なことを言って異義を申し立てなくても、『青春の殺人者』を撮った頃は、時代の気運として当然のように反体制というか政治性はあったように思います。

…学園紛争が終わったあとは、政治について語るのは恰好悪いっていう感じの時代になっていきましたね。七〇年代後半から八〇年代にかけてのシラケの次はバブルですから、余計に政治については語らないという状況になった。ところが最近になって、わりとまっとうに政治に感心を持つ若い人が現れているような気がします。

長谷川●阪神淡路大震災のあとにボランティアが流行ったよね。あれがそうなんでしょう。変な言い方だけど、自分のことを社会的に出来の悪い方だと思ってる連中が、そこへ行くと自分の行動を必要としている人がいて、安心する。僕なんかもそうだけど、社会の何かと繋がっていたいじゃないですか。僕は単純に「寂しいから」という言葉でしか言えないけど、これをもう少し難しく社会科学的に言う言葉はあるだろうと思う。でも実感でものを考えた方が見えてくるものもある。
 二〇年くらい前の梅川事件(※編集部注)のときに、『月刊プレイボーイ』だったと思うけど、緊急対談と称して梅川と年齢の近い奴らを集めてしゃべらせたんですよ。僕とつかこうへいと三田誠広と高橋三千綱だったかな。この中では僕がみんなよりいくつか上だったんだけど、みんな文化人風にしゃべるものだから、今のようなことを言ったんですよ。お前ら社会学者じゃないんだからもう少し実感でものを言わんかい、というようなことを。「俺は梅川が自分かもしれん」みたいなことまで言って、「お前は梅川かどうか」なんて迫ったりしたんです。三千綱と三田はまったくだらしがなくで、一時間以内に「いや、僕もきっと梅川です」とか言い出した。つかはなかなかたくましくて、「僕は梅川ではありません」みたいに最後までつっぱていて、こいつは根性あるなと思いましたね。もちろん、犯罪者を自己同化して何かを語ることが必ずしも立派だったり偉いことだとは思わないけれども、たとえば暴力ということで言えば、弱者が強者に対して振るうものは、どう見ても暴力じゃないと僕は思っています。「社会派」になるのではなく実感でものを考えれば、これくらいのことはわかる。

…梅川事件のことについて長谷川さんがお話しをされていたのは、覚えています。事件そのものにもかなり衝撃を受けましたし、僕は高校生でしたから人間とはどういうものかを考えたりする時期で、相当ショックも受けた。さっきの「お前ら社会学者じゃないんだから」という言葉で一蹴されてしまいそうですが、しかし解釈や説明を受けることによって安心しようというところが人聞にはあると思う。たとえば親殺しにしても、連合赤軍にしても、「戦後の教育がこうだったから」とか、「マルクス主義の行き着く先は云々」とか。でもそうじゃなくて、実感として何かを語ってしまうところが、長谷川さんの面 白いところでもあるし、危険視されるところでもあるのかなと思います。

長谷川●危険とは誰も思ってないだろうけどね。

 

何を「要求」しようか?

長谷川●実感という意味で言うと、『太陽を盗んだ男』という、全く架空の存在ででっち上げたバカ犯罪の映画は楽しかったですよ。あれはモデルがない。その苦しさはあるんだけど、コアになるアイデアはシュレイダーが思いついて僕にくれたんです。「原爆作って政府にプレゼンして、テレビのナイター中継を最後まで見せると要求するんだ。乗るか」っていうから二つ返事で乗りましたね。そういう痛快な犯罪者はなかなかいないから。これは多少自慢で言うんだけど、映画はコケたのに、賞をもらったんです。コケた映画は読者投票のベストワンは普通 取らないんだけど、ベストワンを取っちゃったんですよ。

…『太陽を盗んだ男』は、原爆を手に入れながら「ナイターを最後まで流せ」という要求しかしない。なぜそんな要求しかしないように設定したんですか?

長谷川●この延長線の要求をもう二つ思いつけば、そりゃ大娯楽映画になる、とシュレイダーと話しましたよ。で、「ローリングストーンズを呼べ」という要求を考えた。それで本当に呼ぼうとしたんです。結局ダメになったんですが。

…原爆を手に入れたんだから国家に対して反逆するんだという話にはならなかったんですか。たとえば「天皇制をなくせ」という要求をする。

長谷川●七九年ですから、ジュリーに言わせてる台詞でも「わたしは過激派なんかじゃないわよ」という感じで、過激派は地に落ちているころだから、そんな要求を出せる元気があるやつはいないんだ。逆に、過激派のように徒党を組まないでもこの兄ちゃんは一人でタイマン張ってるぜ、みたいなということが自慢だったわけでね。

…たとえば東アジア反日武装戦線みたいな人たちが原爆を手に入れたら、もちろんまったく違う状況になりますよね。長谷川さんは、心情的にはひかれもする連合赤軍や東アジア反日武装戦線にはこの原爆は渡さないで、あえてバカな中学校の先生に原爆を持たせた。

長谷川●きれいに言えば、組織が嫌いなんですよ。苦手なんだな。映画も、作ってる時は一つの組織ですよ。ちょっと大きい組なら百人くらいいる。でも映画の場合、長くても一年ありゃ終わる。終わるとただの人なんですよね。昨日まで監督、監督と言ってた助監督が「ゴジ」って呼び捨てにして、お前あんな程度で良いもの作ったと思ってちゃだめだぞ、みたいな説教こくわけですよ。こっちもハイハイと言って聞くわけで、それはもう横の関係で、要するにつかの間のお祭りなんですよ。でも、そういうのじゃない組織というのが、どうも好きになれない。

…組織は僕もあまり好きじゃない。東アジア反日武装戦線は、三菱重工に爆弾を仕掛けて、そのあと反省しちゃうわけですね。関係ない人まで殺して。彼らはある意味でとっても真面 目なんだと思う。『太陽を盗んだ男』と彼らとの違いはその真面目さの加減なのかもしれない。

長谷川●うん、彼らは真面目なんだ。あれ、大道寺だっけ。僕も手記に近いものは全部読んだけど、なんでお前らこんなに真面 目なんだと思いましたね。だから俺はついていけないんだ。例の連合赤軍の坂口にしてもそうですよ。不器用なくらい真面 目で。よくこんなに私欲のようなものを抑えてでも頑張れるな、とまずは思う。しかしその回路は違う、とフィクションとしての連合赤軍の脚本を書いてて思うんだ。こいつら好きでこうやっとるんだから、そんなに美化してはいかんと。美化でも蔑視でもない地平でこいつらをどう捉えるんだということなんです。

 

表現の「成功」とは何だろう?

…ところで僕は、このところ表現で成功するっていうのは何なんだろうということをよく考えるんです。『太陽を盗んだ男』は興行ではコケだけど見てくれた人は評価してくれたというお話でした。それは幸せな状態ですね。

長谷川●あれは個人の成功だと思う。悔しまぎれじゃなくて。組織は経済的には負けたわけですよね。それはビジネスとしては失敗だった。でも、二〇年たっても、あれは面 白いぜと言わたり、リメークしたいとな言われるのは、個人にとっては面白いことで、どのベクトルで切るかで成功ということの意味は違うような気がする。

…映画というのは不思議な媒体というか、常に大衆相手ですよね。たとえば純文学で言えば文芸誌を読む人はせいぜい五千。だけど映画は、難解な映画を作って喜んでる人を別 にすれば、多数の人に面白いと言ってもらわなくてはいけない。でも同時に、「お前ら大衆にはわからないだろう」という気梼ちも生じたりしないものですか?

長谷川●ない、ない。全共闘も使ったんだよね、大衆という言葉。あれはダメだったね。民主主義も共産主義も大衆がとか何とかと言うけど、そんな大衆という人はどこもいないわけで、また国家さんという奴もどこにも歩いてない。たとえば俺は高校生の時に小田実の『何でも見てやろう』を初めて読んで、「面 白いなあ、このおっさん」と思った。その後会ってしゃべったりしたけど、やっぱり俺はこの人と違うよな、と実感した。だから僕にとっては、小田実は市民運動家としては面 白かったが、小説は面白くない。小説はあくまで個から発するもので、もちろん彼は、「バカたれ小説書いとるワシほ、個にきまっとるやないか。市民運動も同じ個や」って言うだろうけど、読み手の側にそう伝わらない。彼のように少年として敗戦を迎えた人たちには、市民とか正義というロマンはある。それは羨ましいような気もする。でもこっちにはそういう実感がないからね。俺らの世代で、面 白くなるんじゃないかと思ったのは、沖縄から帰ってみたら日大までバリスト組んで、街中の敷石をはがしてお巡りにぶつけたら気分いいなということだった。中上健次は素直にそれを表現してたんですよ。その気分とあいつが書いた小説文というものは、俺の中じゃ違和感なくシンクロしてて、そのベースに彼の生い立ちがどう機能してたのかなんて考えなくても、あいつは俺だし、俺もあいつだくらいの気分にはなれる。

 

陽水の「成功」はいい

…中上健次さんは、自分の中に文学があるんじゃなくて文学の中に自分があると言っているくらい文学に対する信頼感が厚くて真面 目な人だったと思います。

長谷川●俺より真面目だと思うな。死と隣接して生きてる実感という意味で、共有できるものは多かった。俺もめちゃくちゃ生き急いで、ある種成功したのかもしれないけども空しいわけです。しかも死にそうにないんだ、どうも(笑)。中上は文学者になろうとして頑張って文学者になっちゃったよね、しかもああいう生い立ち、学歴で。やっぱりスゴイんじやないかな。思い出したけど、あいつが『荒神』っていう短編小説を書いたことがあるんだ。それを読んだときに異常に句読点の多い小説だったんだ。ほとんど一語づつ句読点が入ってるような。俺は文学のことなんかよくわからないのに、一応お兄ちゃんぶってるし、中上って呼び捨てにしてる手前「中上、お前カット細かくなったな」って言ったんだ。「映画で言えばカットなんだ、句点は。映画でカットが細かくなる時は、自信がないときだぜ」ってカマしたことがあって、そうするとすごい素直に聞いたね。俺はちょっと怒らせたくて言ったりしたんだけど。「うんうん、まったく俺もそう思う」って言うんだよ。「俺は俺なりに実験してるつもりだったんだけど、ゴジにまで言われるんじゃお前の言ってるのが正しいよ。ちょっと腰落ちつけて文学やるよ」って。

…僕も中上さんとは何回か会ったことがありますけど、本当に文学の話しかしない。何でも文学の話にしたがるんです。

長谷川●成功ということでまとめるなら、ジャンルは違うが矢沢永吉はいいんじゃない。俺と同じ広島の生まれだけど、本気で出てって横浜でキャロルを作ったわけだから。故郷の広島で公演やったのはずいぶん後だよ。成功した後。もう俺も大人になったし広島でもやれる、って広島でやったのが話題になったくらいだから。それが七、八年前かなあ、それくらい最近のことだよね。
 成功者はミュージシャンに多いな。井上陽水の音楽は来世紀も残ると思うね。それは奴の詞が優れてる。ああいうクリティックと本音が入ってる、それがメロディラインとシンクロしてるものはほかにないよな。麻雀では俺の弟子だけどね。あいつ変な美意識があって、チー、ポンと言うのは下品だと思ってるバカだったんだ。これがマリファナで捕まって酒を飲むようになって、飲みながら麻雀するようになると奴の美意識と羞恥心はなくなる。そうすると、チーポンやって裸タンキまでする奴になったんだ。ハイテイで三枚目の白をロンとか言って、メンホンチートイハイテイドラドラみたいなアガリをして、それでニマーと笑うみたいな気色の悪い奴なんだよ。バカ下手なんだけど美学があるよね。この間夜中の三時頃に、ホロ酢いで妙に人恋しくて久しぶりに陽水に電話してみたら居やがるんだ。それでマンションヘ行って夜中までビールだけでしゃべったんだけど、あの「成功」はいいと思うなあ。 (文責/編集部)

※編集部注
梅川事件 一九七九年一月、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に、猟銃を梼った男が押し入り、いきなり三発を乱射。行員一人と銃声で駆けつけた警官二人を射殺。シャッターを下ろさせ、机やイスでバリケードを築かせた。行員と客四〇人を人質に、五千万円を要求。人質全員を整列させ、支店長の顔面 に発砲、即死させた。行員一人の肩を撃ちケガをさせ、さらに別の行員にナイフで片耳をそぎ落とさせた。そして男子行員は下半身裸に、女子行員には全裸を強要。大便以外は便所を使わせず、フロアでさせるなど、惨劇が繰り広げられた。(朝日新聞社『20世紀年表』より)

 


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