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アメフラシ科 大きさ 15〜40cm  分布 日本各地・韓国・中国
 日本沿岸の岩礁地帯に生息。褐色の体に白い斑紋がある。体にさわると、紫色の液を出す。液に毒はないが、相手の目をくらましたり、味がまずいので身を守るすべになると言われる。産卵期は3月〜7月で、ウミソーメンという黄色いラーメンのメンのかたまりのような卵を産む。
ウォッチングのコツ・・・春から初夏にかけてが旬。梅雨時は磯に集まって何匹かのアメフラシが連なっていることがあるという。これは交尾行動のようで、そんな場面を狙ってみるのも面白いだろう。また、僕は見たことがないが、黄色い卵塊『ウミソーメン』はぜひ見てみたいものだ。

アメフラシ 



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 昭和天皇はまた、一流のウミウシの研究者で、テレビで見る姿はゆっくりした動作だったけど、葉山の磯を歩く姿は軽快そのものだったそうだ。相模湾だけでも、100種以上ものウミウシ類の新種を発見され、アメフラシを食されたこともあるとか。
 実際に食用にする地域もあるそうだが、アメフラシは基本的には美味しいものでなく、毒性のある海草などを食べていたら、その毒が残ってしまっていることもあるそうなので、注意!
 

 しつこく撮影していたら、紫色の液体が出てきた。
 アメフラシの名は、この紫の液がたちこめる雨雲のように見えるからとも言われている。
 見た目は不気味だが、敵をやっつけるほどの毒性はなく、ただの煙幕程度の効果とも言われるし、まずい味がするため、相手が去っていくということもあるらしい。見ていて飽きない、なんとも不思議な生き物である。
 

 南紀白浜でアメフラシと戯れながら、終生在野の学者で貫いた熊楠に想いをはせる。
 
    雨にけぶる神島を見て紀の国の生みし南方熊楠を思ふ
                              (昭和37年 昭和天皇)

 この歌は、熊楠と会った33年後に詠まれたものだ。
 まさかアメフラシが雨を降らしたということはあるまいが、昭和天皇が眺めた南紀白浜の磯は、ちょうどアメフラシが集まり始めたころだったろう。

平成17年5月4日 和歌山県西牟婁郡白浜町

 さて、ここ白浜には、南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館がある
 熊楠は、明治から昭和初期までを生きた伝説的な博物学者だ。粘菌類の研究を通じ、熊野の貴重な生態系を保護しようと運動し、ナショナルトラスト運動家のさきがけとしても知られる。
 熊楠は一口に紹介できない天才であり怪人で、その人生は波乱に満ちていた。孫文を友にもち、大英博物館に勤務するなど、世界を股にかけたが、日本では不遇で、晩年はひどい困窮ぶりだったそうだ。
 この不遇の晩年、昭和天皇が神島行幸の際に、専門の粘菌類の研究についてご進講するという栄誉を得た。昭和4年のことだ。
 熊楠は粗末なキャラメル箱に入れた標本やら、新聞に包んだ標本やらを、昭和天皇に進呈したという。その現場に徹した真摯な姿に、昭和天皇はいたく感心された。ご進講の予定時間を超えて、お聞きになったというが、当時の情勢からすると異例のことだった。
 二人の立場は違えど、生物を愛する研究者どうし、深い尊敬と共感があったことは想像に難くない。 

  手前が頭。2本のツノが見える。

水中カメラを近づけると、紫の液を発射!

白浜の美しい海で、のんびり牛歩・・・・

現地情報

南方熊楠記念館

〒649-2211
和歌山県西牟婁郡白浜町3601-1(番所山)

TEL 0739-42-2872 

南方熊楠を知るならこの記念館へ。文献・標本類・遺品を保存・展示している。
開園時間:9:00〜17:00 入館料 おとな400円、こども200円 木曜日休み
詳しくは、南方熊楠記念館HPへ

 水中カメラを持って磯を歩くと、岩の間をノロノロと動く生き物を発見。
 名前はアメフラシ・・・ウミウシの仲間だ。ウミウシ類は海を這いまわるナメクジのような形態で、世界で3000種もいるらしい。厳密に言えば、貝の仲間(巻貝の仲間)だが、貝殻はなくなっている。今回取り上げたアメフラシは、ウミウシ類の中では貝に近い種類で、体の中に貝殻が退化して残っている。
 日本のウミウシの仲間のなかで、アメフラシはもっとも気軽に観察できる種類だろう。
 頭にある角から、日本ではアメフラシの仲間を『海の牛』に見立てた。地方によっては『海鹿』とも呼ばれている。英名では『海のウサギ』という意味で、中国でも『海兎』というらしい。

※参考:『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』神坂次郎著