ホーム :「弥生時代」について :


「縄文」から「弥生」への移行について

前へ 次へ

 既に見たように「弥生時代」は「全国一斉」に始まったわけではありません。なぜならその前代の「縄文時代」に「統一政権」などなかったからです。もし「弥生時代」が全国一斉に始まったとすると、それは「国家」の政策としてのものと考えざるを得ず、「弥生」の前代にそのようなことが可能な中央集権的国家があったこととならざるを得ません。しかしそれは明らかにナンセンスであり、「全国一斉」などあり得るはずがないことは明白です。当然、列島各地は個々ばらばらに「弥生時代」へ移行したと考えざるを得ないこととなります。
(これについては現代でもそれを承認しない勢力があることに驚かされます。彼らは「近畿」も「九州」も同時に「弥生時代」に移行したと考えているわけです。それがナンセンスであるのはいうまでもありません。)

 上に見たように「縄文時代」に統一王権があったという仮定でもしなければ「弥生時代」に同時移行するはずがないのはいうまでもありません。そう考えると、「弥生時代」への移行には地域差があったこととなり、早く始まったところと遅れて始まったところとがあったということとなります。それでは「先進地域」はどこであったのでしょうか。「近畿」で早く始まったのでしょうか。もし、そうならそのための「アドバンテージ」は何かあったのでしょうか。

 「弥生時代」は「稲作」の伝来をもって「弥生時代」の始まりとする、とされています。ところで、「弥生時代」の前の「縄文時代」は地球は温暖化していました。そのため、氷河が溶け、海面が上昇し、内陸のかなり奥まで海岸線が入り込んでいました。これは「縄文海進」と呼ばれています。「東日本」の本格的縄文時代はこの今から七千年ほど前から始まったとされる「縄文海進」の時期にピークを迎えました。
 この時期全地球的に温暖化が進行し、日本列島では海水面が現在より最大10m程度高くなって、海岸線が現在よりも大きく内陸に入り込んだ形となりました。また「暖流」である「黒潮」は現在の北限である房総半島沖をはるかに北上し三陸沖まで流れ込んでいました。そのため現在の東北地方を中心とした「東日本」では水産資源も植物資源も動物類も豊富でした。これらのアドバンテージにより縄文時代は「東日本」が中心であり、「巨木」文明が栄えていたのです。
 この時期に大規模な「クリ」栽培(青森三内丸山遺跡)や大規模柱列(石川チカモリ遺跡)、環状列石(青森大湯環状列石)など広範囲、多数の人間を動員する必要のある構築物などが各所にできたのです。
 特に「青森三内丸山遺跡」の内容は特記すべきものであり、縄文のほぼ全期間を通じてここに多くの住民が居住し続け、高い文化を創成していました。




前へ 次へ
「弥生時代」について に戻る