Home Sitemap 日本語 リンク集

話しことばの通い路Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture StudiesHAL-niwa LOFT

ポカポカ春庭 生きてゆく女たち

ポカポカ春庭 生きてゆく女たち2008年
日付
2005
タイトル
02/15 ラ・ビアン・ローズ エディットピアフ


ぽかぽか春庭・生きていく女たち>歌姫(1)雀とひばりとクルスーム

 「あなたの国を代表する歌姫を過去現在の歌手のなかから選んでください」という質問を受けたら、あなたは、誰の名前を出しますか。
 好きな歌手、ひいきのタレント、たくさんいますが、国民全員がその歌手の歌を歌えるような代表的歌手となると、迷います。
 

 エジプト人なら、あまり迷わないかも。
 エジプトを代表する歌手としては、1905年生まれ、1975年に没したウム・クルスームの名をあげれば、みな納得するでしょう。
 クルスームが亡くなって30年以上もたつのに、未だにCDが売れ続け、「国民的歌姫」ときかれて、彼女の名をだせば、他の数々の女性歌手は影をうすくします。

 クルスームに匹敵するような、戦後日本を代表する歌手として、美空ひばり(1937〜1989年)の名をあげることに、おおかたの人は賛成するのじゃないかと思います。国民栄誉賞を受けた女性歌手はほかにいないことだし。

 私、生前の彼女については、その歌い方や衣裳、歌番組に登場したときの「エラソー」な態度を含めて、それほど好きでたまらない、という方じゃなかったのに、「では日本の歌姫として、ひとり」と、言われると、ひばりのほかは一頭地を抜く人を思い浮かべられません。没後20年たっても、未だに「国民的歌手」の座を守っているといえます。

 世界の歌姫のなかでも、フランス人に同じことを尋ねたら、私と同じ年代の人なら、好き嫌いはあろうともエディットピアフをあげれば、だれもが納得するのではないでしょうか。

 エディットピアフ(Edith Piaf 1915/12/19〜1963/10/11)は、世界が認めるフランスのシャンソン歌手。

 『愛の讃歌 Hymne a l'amour』を始め、『ばら色の人生 La vie en rose』『ミロール Milord』など数々の名曲を歌ったピアフ。
 彼女の葬儀に日には押し寄せる人並みのため、パリの交通がマヒしてしまった、という、伝説の歌姫でした。
 ピアフの人生は、波乱万丈、自由奔放。歌に生き、恋に生きた人生。

 私が、ピアフの自伝『わが愛の讃歌(エディット・ピアフ自伝)中井多津夫訳』を、読むことになったのは、自分から進んでのことではありませんでした。
 私が図書館朗読ボランティアをしていたころ、朗読パートナーの視覚障害者阿子さんのリクエスト本が『ピアフ自伝』だったのです。それも、もう10年も前のことになるでしょう。

 阿子さんは、「ピアフは幼いころ、目がみえず音だけをたよりに生きていた時代があった」ということに興味を持って、朗読をリクエストしたのでした。
 図書館での朗読がおわると、阿子さんはCDを1枚借りて、次の週の朗読が終わるとまた次の1枚を借りて帰る。
 週に一度の朗読サービスで、4回くらいかけて読んだと思います。

<つづく>


ぽかぽか春庭・生きていく女たち>歌姫(2)小さな雀

 エディットは、パリの貧民街ベルヴィル街72番地で、貧しいストリートシンガーを母とし、大道芸人を父として生まれました。

 両親はエディットを養うことができず、父方の祖母が経営する売春宿で養育されます。
 娼婦たちの間でかわいがられはしたけれど、目の病気が回復せず、3歳から7歳まで目が見えずに音の世界だけで育ったといいます。

 エディットの天性の音への感性は、この「音だけで生きていた」時代のたまものだという人もいます。

 祖母の娼婦宿の女たちとリジューという聖地への巡礼を行った後、奇蹟的に目が回復。
 しかし、目が見えるようになれば、大道芸に使える。
 エディットはかわいがってくれた娼婦たちと引き離され、大道芸人の父のもとに引き取られました。

 父親は、サーカスや大道でアクロバット芸を売って暮らしていました。やがてエディットは母と同じように街路で歌って小銭を稼ぐ生活を始めますす。
 15歳のころには、父のもとを飛び出して自立。
 16歳で正式な結婚をしないままマルセルという名の子供をもうけたのに、その子は2歳で病死してしまいました。

 父親には、エディットの母親のほか、旅芸人の泊まる宿ごとに何人もの愛人がいて、誰が本当の兄弟かわからないくらい、腹違いの兄弟がいました。
 そのうちのひとりを自称していたシシモーヌ・ベルトー(愛称モモーヌ)は、20歳ころから、長くエディットと生活をともにし、のちにエディットの伝記を書きました。
 「愛の讃歌―エディット・ピアフの生涯(1971年)」

 どうやら本当の「腹違いの姉妹」ではなかったようですが、若い頃の絵えぃっとを間近でみていたモモーヌの証言は、ピアフを知る為には、重要な資料のひとつと言えます。

 エディットが20歳のころ。
 キャバレーオーナー、ルイ・ルプレーが街頭でエディットの歌声を耳にしたときから、ピアフの歌手としての運命が開けていきました。

 「小さなスズメLa Mome Piaf」という芸名を彼から与えられ、キャバレー歌手としてエディットの歌声が人に認められるようになったやさき、恩人のルプレーは何者かに殺されてしまいます。
 あまつさえ、エディットにも殺人容疑がかけられるしまつ。ようやく無実とわかってもらい、エディットは「歌手」として再出発しました。

<つづく>


ぽかぽか春庭・生きていく女たち>歌姫(3)ラ・ビアン・ローズ、バラ色の人生

 レコードも売れ、歌手として成功したのちも波瀾万丈は続きます。
 最愛の恋人は飛行機事故で墜落死。
 結婚2回。離婚1回。愛人とのケンカ別れは数知れず。

 自らは運転しなかったのに、自動車事故4回。事故による怪我のための手術7回。痛み止めのモルヒネ注射の依存症となり、自殺未遂1回、モルヒネ依存症治療4回、睡眠療法1回。
 肝臓病の昏睡3回、狂気の発作1回、アルコール依存症の発作2回、気管支肺炎2回、肺水腫1回、、、、最後は癌。直接の死因は、癌による心臓発作。

 ジャンコクトー、モーリス・シュヴァリエ、マレーネ・ディートリッヒなど欧米の芸術家と知りあい、アメリカで公演も大成功をおさめます。
 また、シャルル・アズナブール、イブ・モンタン、ジョルジュ・ムスタキなどの若手歌手を育て、若い作曲家作詞家の才能を拾い上げてプロモーションを行いました。

 アメリカ公演中に知り合ったモロッコ生まれのボクサー(ミドル級チャンピオン)のマルセル・セルダンと恋仲になり、幸福な日々をおくることができたのに、マルセルは、アメリカへ向かう飛行機が墜落し、亡くなってしまいます。
 マルセルへの追憶の歌が「愛の讃歌」です。

 エディットは恋人マルセルを失った悲しみから立ち直ろうとつとめましたが、友人とのバカ騒ぎも酒を飲むことも、本当の救いにはなりませんでした。
 マルセルの死の2年後、交通事故に遭い痛み止めのためモルヒネを使用。それ以来、モルヒネ中毒に苦しみます。中毒の克服を決意し入院治療。退院。心や身体の強い苦しみ。またモルヒネ依存。その繰り返しが何年も続きました。

 1952年の最初の結婚も、この麻薬中毒のためにうまくいかず、4年で離婚となりました。
 1962年にピアフの一ファンであった20歳年下のギリシャ人青年、テオ・サラポと再婚。テオは、パアフの助言をえて、美容師から歌手・俳優へと転身します。しかし、わずか1年後、ピアフは癌で亡くなりました。享年47歳。

 ピアフの名声めあてに結婚したとの誹謗をうけたテオですが、彼は、ピアフの死後、彼女が麻薬中毒による公演キャンセルなどで作った借金を独力で返済するなど、ピアフの人生の後始末に奔走しました。たった1年の結婚生活のあと、7年間をテオはピアフのために捧げて働き続け、借金を返し終わると、交通事故で死去。
 テオの人生もまた、純粋に愛に生きた生涯でした。

 いかに波瀾万丈であろうと、マルセルもテオも、心からエディットを愛したという点で、ピアフは幸福な生涯をおくったのだと言えるでしょう。

<つづく>


ぽかぽか春庭・生きていく女たち>歌姫(4)水に流して(私は後悔しない)

 マリオン・コティヤールがエディットを熱演した映画『エディットピアフ愛の讃歌』の原題は『ラ・ビアン・ローズ バラ色の人生』エディットの代表作のタイトル。
 エディットが晩年、モルヒネ依存症アルコール依存症に苦しみ、最後は癌にかかって壮絶な闘病のみせる姿、20歳の生意気盛りの魅力をはつらつと見せる姿、我が子を失う悲しみ、恋人を飛行機事故で失う絶望、すべてを「これでもかっ」というくらい強烈な演技で見せ、これぞ女優魂と思わせる。
 エディットの人生もすごいし、演じるマリオンもすごい。

 同じ生きていくのなら、こんなふうにいつでも全身全力でぶつかりたい、と、思いながらも、今日も私はぐうたら、ぐうたらセッシボン。
 せめて、一日のおわりには「私は後悔しない」と歌いながらふとんに身を横たえたいけれど。 

 ピアフ晩年の傑作のひとつ。「私は後悔しない」
 激しく燃えた恋もいつかは終わる。でも、終わった恋を後悔なんかしない。新しい恋を前にすれば、すべてリセット、新しい人生の喜び悲しみがまたはじまる。

 ラ・モーム・ピアフ、小さな小雀は、いつも全力で羽ばたき、飛び上がり跳び続けた。

『水に流して(私は後悔しない) / NON,JE NE REGRETTE RIEN』

Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Ni le bien qu'on m'a fait
Ni le mal Tout ca m'est bien egal
Non, rien de rien
Non,je ne regrette rien
C'est paye, balaye oublie
Je me fous du passe

Avec mes souvenirs
J'ai allume le feu
Mes chagrins, mes plaisirs
Je n' ai plus besoin d'eux
Balaye mes amours
Avec leurs tremolos
Balaye pour toujours
Je repars a zero
Car ma vie, car mes joies
Aujourd' hui, ca commence avec toi.....

いいえ、ぜんぜん
いいえ、私は何も後悔していない
私が人にした良いことも、悪いことも
何もかも、私にとってはどうでもいいこと
いいえ、ぜんぜん
いいえ、私は何も後悔していない
私は代償を払った、清算した、そして忘れた
過去なんて、もうどうでもいい

私は多くの過去を束にして
火をつけて焼き去ってしまった
私の味わった苦しみも、喜びも
今となっては必要がなくなった
私は過去の恋を清算した
トレモロで歌う恋を、清算した
永遠に清算してしまった
私はまた、ゼロから出発する
私の人生はすべて、喜びも
今は、あなたと共に始まる……

参照エディットピアフ年譜
http://www.chansonkame.com/p16_f.htm

<おわり>





春庭ロフト目次

春庭ワークショップ目次
話し言葉の通い路トップ サイトマップご案内 コミュニカテイブ アプローチ リンク集

話しことばの通い路