Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies


ポカポカ春庭のニッポニアニッポン事情

ニッポン今転ポラリ 2006 いのち編

| 日付2006 |
ニッポン今転ポラリ いのち編 |
| 10/15 |
借り腹お世継ぎDNA |
| 09/13 |
死国猫殺し |
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2006年10月15日 18:36
50代母、30代娘の卵子で「孫」を代理出産…国内初(読売新聞 - 10月15日
03:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=102381&media_id=20
この場合は、母と娘の間のことであり、戸籍上もいったん母親の実施として届け出たのちに娘夫婦の養子とすることで決着。
新生児の出生はめでたい。祝いたい。子をもつ親を祝福したい。
タレント向井亜紀と元プロレスラー高田延彦夫妻が、自分たちの間の受精卵をアメリカ女性の体を借りて出産してもらった。
その子の法的な届けをめぐって裁判に訴えていたが、高裁は、実子として戸籍に記載することを認めた。
区役所は「社会全体の合意がない」という理由で受理を拒否。まだ戸籍問題は解決していない。
代理母(借り腹)出産と「卵子提供者、精子提供者」からの提供を受けた出産など、不妊や出産をめぐる問題噴出。
生命倫理をめぐって社会の生命と出産の考え方以上に医療技術が進歩したために意見の一致がみられていない。
向井亜紀は癌による子宮摘出手術後から「夫の遺伝子を残したい」と発言してきた。
子宮を失い、最初は「愛人の子でもいいから、夫の遺伝子を持った子を残したい」自分の卵子が使えることがわかってからは「他人の子宮を借りて実子を得たい」
1年間の「体を借りる謝礼」は、230万円。アメリカの貧しい女性が、借金のために自己破産した夫の許可を得て子宮提供を申し出た。
腎臓売買が発覚し、患者側が逮捕された事件も記憶に新しいが、子宮を報酬を受けて貸すことも、腎臓など人体を売買することも、これからさらに増えていく問題だろう。
生命倫理の問題をあとまわしにしたまま医療技術が進んでいくなら、SF小説にあったように、「人体牧場」が秘密裏に運営され、金持ちのために「移植用臓器の牧場」で人体が売買されることも遠からず起こってくるだろう。
十分な栄養を与えられ、贅沢な環境で幸福な生活を送っていると思えた子供。ある日、心臓病を患う金持ちの子供と「適合」が確認される。翌日、子供は本来の使命を果たすために、手術台の上へ。
その子供は、もともと「移植用」として育てられていた「人体牧場」の一員だった。というSF。
子宮を貸すだけなら、命に別状はないからいいのだろうか。どれだけ医療が発達したとしても、出産にはもちろん生命のリスクがともなう。
その危険手当も含めて、230万円で代理出産を引き受ける貧困層は、アメリカのみならず、アジアアフリカにはあふれているだろう。
代理出産ビジネスは、すでに産業化拡大を始めているという。
卵子提供ビジネスもはじまるだろう。
向井亜紀が、「夫の遺伝子を残すためなら愛人に子を産ませてひきとって育てたい」と、当初は発言していたことに関して、子を産む人の人権をないがしろにし、今回は代理出産した人に関して「子宮を貸しただけの人を母親するのはおかしい」と言ったということに関して、「自分の子を」という意識が強いあまりに、不用意な発言を連発してしまったのだろう、と、同情もできる。
しかし、やはり「金がある人」が「お金をどれだけつぎ込んでも実子を得たい」という望みをかなえることに対して、どうしても格差社会のやりきれなさが残る。
不妊治療に成功した人や体外受精でうまく受精卵を着床させるまでには、平均で1000万円以上の負担が必要と言われている。
金持ちはどれだけ金をつぎ込んでも実子がほしい、貧乏人は他人に子宮を貸しても金が欲しい。この構図が、子が誕生した話なのに、なんだか心はずまないニュースと感じられるのだろう。
めでたい出産なのに。なんだか、、、、は、「乙武ブログ炎上」もそうだった。
「男子」出生、「五体満足な子」の出産がこれほど「めでたい」とされたことに、何の違和感もなしに祝える人々もいる。
他方、「男子」じゃなかったら、「五体満足じゃなかったら」めでたさが減じたのか、と不安に思った人々もいる。
新しい子が生まれるのは、借り腹だろうと、女子だろうとめでたい。
ただ、「夫のDNAを残さなければならない」と、向井亜紀が言い、男系Y染色体が残せなければ、万世一系じゃないと考える人がいる、ということが、私にはなんだか、よく理解できないってことだけなんだけど。
先祖のDNAと言ったところで、先祖もピカイアまでさかのぼれば、人類どころか、ほ乳類みんないっしょなんだろうし。
自分のDNAが大事ってのも、よく理解できません。子は2分の1、孫は4分の1、ひ孫は8分の1、10代くだれば、1024分の1。千年30代がたつころには、10億7374万1824分の1です。自分の遺伝子なんて、かけらしか残らないだろうに。その10億分の1が大切なのかなあ。
アホな遺伝子しか持たなかった私には、わかりません。
ただ、言えること。アホな我が子を見ていて、こんだけアホなのも、自分の子だから、アホで当然とあきらめがつくこと。
なるほど、向井亜紀が「プロレスラーとして、スポーツマンとして偉大な我が夫の遺伝子を残したい」と言っていたことへの違和感は、これだったか。
うちは、アホDNAをしっかりと受け継ぎました。ちゃんちゃん。

2006/09/13
本日の主婦たちのおしゃべりランチ会の話題は、10日の発表会の評判についてやら、悠仁親王誕生やら。
板東真砂子の猫殺しについても話題がでました。
主婦たちはただ、「子猫がかわいそーよ、ねぇ」という反応だったので、私は生命論うんぬんと口を挟むことはしませんでしたが。
『 子猫殺しの理由として、坂東氏は避妊手術の決心がつかないことを挙げた。「盛りのついた時に性交し、出産することが雌猫の「生」だとし「その本質的な『生』を人間の都合で奪いとっていいものだろうか」と、板東氏はいう。 』
この板東真砂子の
「出産が雌猫の生であり、妊娠を人間の都合で奪い取っていいと思わないから避妊をせず、生まれた子猫を捨てる」
というのは、生命の存在について考えて作品をつくっているはずの作家のことばとは思えない、粗雑な破綻したものですね。
まず第一に「出産が雌猫の『生』である」という考えについて。これは、野生の動物には当てはまる考え方です。
山猫とか、野生のライオンなど、自力で生きている動物にとって、交尾と出産は、生きる目的。
しかし、家畜およびペットは別です。ペットは自分でえさを探して生きているのではない。
板東が飼っているのはペットとして、家畜としての猫です。
2006-09-13 18:07:46 | 返信フォームへ | 掲示板へ戻る |
Re:死と死と
haruniwa
家畜やペットの生は、人間が責任を持ってコントロールすべきであり、それがいやなら、家畜もペットも人間の都合で飼うべきではない。板東家のすべての動物を野に放つべき。(自力でエサをとれるように訓練したのちのことになるが)
エサを与えて、飼い主の都合で猫や犬をかわいがりたいのなら、飼い主はペットの一生のすべてに責任をもつべきです。
盛りがついた猫を交尾させ、出産させるのが猫の「生」にとって必要なことと思うのなら、生まれた命すべてに責任をもって、猫の「育児」という「生」をまっとうさせるべきです。
生まれた子を育てたいのは、人も猫も同じです。育児をさせる気がないのに、出産だけさせるのは、猫の生にたいする冒涜であり、そういう人はペットを飼うべきでない。
猫に交尾と出産だけ勝手にさせておいて、育児をさせないのなら、そんなのは「猫の生」を尊重したことにならない。
板東さんが思い違いをしているだけ。作家として云々以前に、人間として思い上がっている。
ペットとして飼うなら、きちんと避妊手術をすべき。
万が一、仔が生まれたなら、その仔もすべて受け入れて世話すべき。それが家畜やペットを飼うもののつとめです。
それができないなら、「猫の生」とかって、屁理屈をのべていないで、ペットなぞ飼わず、たまに外へでかけていって、野生動物をながめてすごせばよい。
「生」を体いっぱいに表現している動物たちに出会えます。
なぜ、子猫殺しをわざわざエッセイにして発表したのか、その感覚がわからない。売れっ子直木賞受賞作家といえども、市場原理のなかで、売れる作品を書いていかなければ、ものかき市場マーケティングからたちまち脱落する。
この騒ぎで、出版社新聞社は、彼女の作品掲載をためらうだろう。
2006-09-13 18:09:16 | ページのトップへ |
Re:死国
haruniwa
タヒチはゴーギャンを魅了した「生命感」にあふれた島。タヒチに住んでいるうちに、ニホン社会のマーケティング作法を忘れたのだと思う。板東クラスの作家、マーケティングをわすれちゃダメよ。
まだ、「一般社会の常識」の超越をゆるされるほど、大物にはなっていない。
室井佑月は、「内容はともかく、『子猫殺し』という挑戦的タイトルがいい」と、ほめていますが、板東の読者層は、ホラー好きな人たちですよね。これから、この作家の作品はどんな読まれ方をするのか、興味がわきます。
ホラー好きにとって、作者がほんとに猫殺しとか人殺しであったとき、作品の読まれ方かわるのかしら。作品のなかには、死者の怨念とかおどろオドロの話が出てくるけれど、これからどう作品を受け止めるのだろうか。
これから先、猫殺しと猫の怨霊話でも書くなら、ソンケーするけどね。
江戸時代、200年間、全国的にほとんど人口増加がありませんでした。
自然に出産する社会で、結婚した女性が一生に出産する子の数はおおよそ3〜10人。幼児死亡率が高かったが、成人できる数は2〜6人。すると人口はしだいに増えるのが世界の人口統計ですが、日本の江戸時代に限って、自然増がごく低い。
江戸年間を通じて、「余分に生まれた子を殺す」という風習が、全国的に行われていたからです。
母親自身またはとりあげ産婆が鼻と口をふさいで始末するという方法がもっとも一般的だったといいます。
水子地蔵などの調査をしている民俗学研究者もいるけれど、この「江戸時代の全国的風習」が大きくとりあげられたことはない。学校ではもちろん教えない。
四つ足の動物を殺して食べてはいけないという仏教社会で、この水子殺しはどう受け止められていたのか。
生まれてひとりで立って歩くまでの子は、人間とはみとめない、という考え方の社会は、世界各地にあった。生まれたばかりの赤ん坊は胎児と同じであって、人ではない、とみなされていた、と考えられる。
板東を弁護するなら、この江戸時代の考え方を援用するしかないだろうね。
2006-09-13 18:10:35 | ページのトップへ |
Re:板東死国
haruniwa
さてと、生まれたばかりの子猫を殺すことが許されないのなら、生まれる前の胎児を殺すことは許されるのか、とか、絶対に話がひろがっていくだろうなあ。
アメリカだったら、たちまち中絶禁止派たちが立ち上がる。
現代医療技術では、妊娠24週以後(約妊娠6ヶ月)の胎児の命は救うことができる。早産でも保育器で一命をとりとめる。500gで生まれた赤ん坊でも生き延びるのだ。
しかし、現在妊娠6ヶ月での堕胎はできる。産科医の収入の多くは、この堕胎による収入である。
すると、産科医の多くが、救える命を殺していることになる。これは殺人ではないのか、と、中絶反対論者が言い出す。
人と猫に共通する乱暴な結論を言ってしまおう。
自分の力ひとつで「子を育てるための食べ物」を得ることができないものは、人も猫も妊娠させるべきでない。
自力で子を育てる力がないなら、猫も、収入のない貧乏人も、高校生中学生も、妊娠すべきでなく、完璧な避妊ができないなら、性交すべきでない。
完璧な避妊ができ、経済力のある親が金をだすなら中高生が性交してもよいのか。否。完全な避妊はできない。
荻野式もコンドームも不完全。ピルがもっとも安全確実であるが、絶対確実なものなどこの世にはない。
親世代が金をだすなら、経済力のないものが子を産んでもよいか。
親が金をだしたいなら、生まれる子を自分の養子として、自分の子として責任を持って養育すべき。子供世代の育児に親世代が金だけを出すべきじゃない。自立していない子のもとに生まれた子が不幸。
って、今、正社員の結婚出産率と、フリーターの結婚出産率の差が「格差」として話題になっていますね。フリーターすなわち貧乏人は、子孫を残す競争に絶対に不利。
う〜、私、孫の顔みることできないだろうなあ。娘も息子も働く気なし。収入なし。
猫の妊娠出産も問題いろいろ山づみだろうが、うちの子の結婚も問題やまづみ。
2006-09-13 18:11:50 | ページのトップへ |

2006年09月20日 16:23



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