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話しことばの通い路
Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究

ニッポニアニッポン語2005年3月a  
ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語 ことばのイメージも変わる

日付2005 タイトル
03/01〜03/02 ことばのイメージも変わる
03/03〜03/05 老化防止に思い出す語、覚える語(あしやごしや/トリアージ/啓蟄の日に
2005/03/01(火)14:49編集
「ニッポニアニッポン語>ことばのイメージも変わる@」

 「美しい日本語を大切にしよう」もちろんだ。私は私のことばを大切にし、人に良い印象を与えることばを使いたいと思っている。
 だが、当然のことに「美しいと感じる表現」が何か、「よいイメージの語」は何か、というのは、時代によって異なり、個人によっても異なる。

 「言葉に付随するイメージ」をとりあげてみよう。プラスのイメージをもつ語なのか、マイナスイメージの語なのか。

 私にとっては、プラスイメージだった言葉の例。「練炭」
 冬の日、こたつの中のあたたかいイメージと共にあった練炭。寒い朝、母が用意してくれ、掘り炬燵の中に入っていた。練炭のこたつは、寝起きの私たちをほかほかとあたためてくれた。「おこたのレンタン」、プラスのイメージだった。

 若い世代にとっては、「何ソレ、そんな言葉何をさしているのか、イミわかんない」という人と、「えぇ、レンタンって、あの自殺の?やだなあ」という人と。
 今朝のニュースでも、レンタンが置かれた車内に集団自殺の3人が。
 練炭から連想できる言葉は「一酸化炭素中毒。ネットで募集の集団自殺に使われたもの」というマイナスイメージしか思い浮かばないという。

 最近のニュースでの言葉のイメージについて。
 テレビやラジオのニュース原稿、新聞報道は、これまで「標準的な日本語の発音、語彙、用法」の代表にされてきた。

 「雑貨小売業ドンキホーテの防犯ビデオに映っていた女が窃盗容疑で逮捕された〜」
 「バイクによるひったくりの被害にあった女性は、〜」
 ニュースで聞くかぎりでは、容疑者は「女」で、被害者など他の立場の人は「女性」と表現されていて、逆はない。「詐欺で起訴された女性は」とか、「電車内で痴漢被害にあった女は〜」というニュースは聞いたことがない。

 「悪いことをした方=女」「被害者その他悪いことをしていない方=女性」と、区別して表現している。ニュースのなかでは「女」をつかうのは「悪いほう」に固定されている。

 本来は「女」に、特別悪い意味はない。しかし、この用法が固定されれば、「女」が今より低いイメージの語になっていき、そのうち「おれの女はお前ひとり」などという歌の一節も、受け取られる意味が変わってくるかもしれない。

 現代日本語で、「あなたにとって、よい感じを受けることば、プラスイメージの語は、何ですか」というアンケートをとったら、おそらく上位にランクインするであろう「ありがとう」「おかあさん」の二語を見てみよう。

 「お母さん」という語が一般に広まり、使われるようになったのは明治時代から。国定教科書が制定され、標準語導入時に、母親への呼びかけの語として、当時の一般的な語であった「オッカア」「オッカサン」「カーチャン」「カカ」などを押しのけて採用された。

 教科書によって徐々に「お母さん」が普及していくにつれ、「オッカア」は書き言葉の地の文中には登場せず、「セリフ」の中の語としてだけ文字にできた。
 「オッカア」と表現された母親が文章に登場したら、それは「田舎に住む母親」や「街の片隅で、つつましく暮す母」をイメージする手がかりになった。

 標準語として採用されたことにより、「おかあさん」は「オッカア」「オッカサン」より、「よい暮しをしていそう」なイメージを与えられたのだ。

 一方、戦前は「都会に住むハイクラス家庭の母親」をイメージされていた「ママ」は、現在は「一般家庭の母親」から「飲食業店舗の女主人」への呼びかけまで、さまざまに用いられている。
 言葉に付与されるプラスマイナスイメージも、時代によって変化していくのである。<続く>


2005/03/02(水)08:43編集
「ニッポニアニッポン語>ことばのイメージも変わるA」

 「ありがとう」は「ありがたし」の音便形。有り難し=「存在することが難しいもの、実際にはなかなかないもの」という意味だった。
 平安時代の清少納言は「ありがたきもの。舅にほめられる婿。姑に思はるる嫁の君」と書いている。しゅうとに誉められる婿どのも、姑に気に入られる嫁さんも、実際にはないもの、存在することが難しいものだった。

 「存在することが難しい」→「めったにない、めずらしいもの」→「めったにないような珍しいことをしてくれたり、物を与えてくれたことへの感謝の意」と意味が変わってきた。

 現在では「プラスのイメージがあることば」「美しいと感じる言葉」人気ランキング上位の「ありがたい」「ありがとう」も、清少納言にとっては、、特別プラスイメージでもなく、美しい言葉でもない語だったろう。

 清少納言の時代には、感謝のことばとして「かたじけなし」を使っていたが、「かたじけなし」も、もともとは「容貌がみっともない」という意味だった。
 みっともない容貌→人前で顔がみっともなくなるくらい恥ずかしい→相手に失礼と思うくらいはずかしく恐縮する→恐縮し、恐れおおく思うくらいに相手に感謝する。

 最初はマイナスイメージのことばだったであろう「かたじけない=醜い容貌」が、「相手に感謝する」になり、よいイメージに変わった。
 源氏物語桐壺巻には「かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて」とあり、「ありがたい、もったいない」というプラスイメージのことばとして使われている。

 現在、若い人が「そんな状況はめったにない」と言う意味合いでよく使うのが「アリエネー」。現在では、特にプラスのイメージがある語ではない。
 「有り難し」から、感謝の意の「ありがとう」へと、意味が変化した。これから類推すると、未来の日本語においては「アリエネ」が、感謝を表現する意味になっているかもしれない。
 「美しいと感じる日本語」の上位に「ありえね」がランクインするかも、、、、そんなことアリエネー!、、、とは限らない。

 2005/1/15の「ニッポニアニッポン語、新しい動詞」の例をあげ、「インターネット内だけでなく、これから一般にも定着してくだろう」と予測した語彙のひとつ「ブログる」。

 ネット内では「ブロクる」という動詞を検索すると2万件以上もでてきてはいたが、1月31日の新聞で一般書籍広告の中に書籍の題名をみつけた。『時代はブログる』
 これから「メモる」「ダブる」などの語に続いて、定着していく英語由来の動詞となるか。「部録る」などの当て字が登場しそう。

 広告や週刊誌、ファッション誌などでは、新鮮に感じられる表現を見出しにつかってインパクトを与えようとするので、新語が多くなる。「バトる女たち」という見出しも見た。こちらは「闘争る」と書いて「バト」のフリガナがつくのかも。

 新鮮なイメージを与え、衝撃をあたえるための新語がどんどん登場するが、この中から、定着し、「日本語語彙」として、残るのはどれだろうか。
 生きて使われる流れの中で、プラスイメージの語、マイナスイメージの語、さまざまなイメージを伴いながら、ことばは生々流転していく。<おわり>


2005/03/03(木)10:03編集
「ニッポニアニッポン語>老化防止に思い出す語、覚える語@ふりもの」

 これまで知らなかった言葉を知ることは楽しい。
 出雲にお住まいの翻訳家の文章で、出雲のあたりでは、雨や雪などを総称して「降りもの(ふりもの)」と呼ぶことを知った。
 舞台関係では、舞台に降らせる紙吹雪の桜や雪などを総称して「ふりもの」と呼ぶこともあるというが、現実の雨や雪の総称をこれまで聞く機会がなかった。

 「降りものがあると困るから、早めに帰ります」「降りもので、お足もとが難儀なことです」などと、出雲ではことばをかわすようだ。
 島根県下小学校の学校便りに「冬型の気圧配置になり,寒い日となりましたが,雨や雪の降りものがほとんどなく、子どもたちが移動するにも楽器の運搬にも都合がよかったです」と記載されていた。

 飲み物食べ物かわき物、着物履き物かぶり物、読み物書き物作り物、見もの聞きもの探しもの、入れ物乗り物落とし物、金は天下の回り物私のところにゃ来ない物。物にもいろいろあるけれど、「降りもの」はじめて聞きました。これから、ちょこっと真似してつかってみよ。
 今夜の東京は氷点下に冷え込むという予報。夜半過ぎの降りもので、また屋根が白くなりそうです。

 f******さんからのコメント。
日本語はよく調べるとおもしろいですね。国語辞典をひいているとこんな言葉もあるんやと驚きます。投稿者:f****** (2005 3/2 16:59)

 私も辞書を開くことが好き。知らないことばを発掘し、忘れた言葉を思い出すジョブトレーニング、職業訓練のひとつとして、辞書を「一冊、1頁めから最後まで一度に全部読んでチェック」ということを、ときどきしている。
 「ことばを教える者としての職業訓練」というと、大義名分がたつような気がするから、そう言ってみたが、「金のかからないヒマつぶし」にすぎないと言われれば、その通り。

 国語辞書は、仕事がら何種類かパソコンまわりに並べてある。もちろんパソコンでも言葉はさまざまに検索することができるが、辞書は、調べたい言葉だけでなく、その前後の語や他のページなどもちょこっと覗くことができ、思いがけない言葉を見ることもあって、今のところ、私には書籍版の辞書の方が使い勝手がいい。

 コンパクトサイズ国語辞典で6〜7万語、机上サイズで10万語の語彙が一冊の辞書に並んでいる。
 日本語教師春庭、学生よりは語彙力があると思っている。しかし、辞書にある語、全部知っている語かというと、現代日本語辞書でも知らない語はあるし、みたこと聞いたことある語でも、忘れてしまったものもたくさん。
 
 2年前の「辞書全読チェック」のときは「文色(あいろ)」という語が「昔みたことあったはずなのに、忘れていた語」だった。「懸魚(かけざかな)=枝にかけて神前に備える魚」という語があることをこのとき始めて知った。私の家では仏壇神棚に魚を供えることをしたことがなかったので。
 (このときの辞書全読については0301c7mi.htmの2003/01/29と2003/01/30に記載した)

 今回、古語辞典をのぞいてみたら、「古事記」を学んでいたころに読んだはずなのに、そんな語があったかどうか、すっかり忘れていた「ああしやごしや」を再発見した。<つづく>


2005/03/04(金)10:11編集
「ニッポニアニッポン語>老化防止に思い出す語、覚える語Aトリアージ」

 弥生の空から白い「ふりもの」が次から次へと落ちてきます。
春雪三日祭りのごとく過ぎにけり(石田波郷)

春の雪が地上へとおりていく様を9階の部屋の窓からじっと見つめていると、「時」が空から地上へと降り続く気もする。逆に下から空を見上げると、雪の中へと上昇していく幻想も広がる。

 ことばを探る楽しみは、さまざまな季節の中に過ぎ去った時間をふりかえる楽しみでもある。 時間の中を旅するように、辞書の中、ことばの中にもたくさんの「時の旅人」が行き交う。

 『古事記』の中のさまざまな古語。「古事記歌謡」にも、今は聞かない表現がいろいろみつかる。
 人をあざけって笑うときに使う「ああしやごしや」という囃し言葉は、戦勝祝い(久米歌)の一節に出てくる。
 久米歌は、服属儀礼のひとつとして天皇の代替わりの即位礼などで歌われた歌謡だという。

 「年取った妻がおかずがほしがるときは、蕎麦の実がついていないほどに、ちょっぴり与え、若い妻がおかずをほしがるときは、ヒサカキの実のように大振りにたっぷりやろう」

 『前妻(こなみ)が 菜乞はさば 立(たち)そばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻(うはなり)が 菜乞はさば いちさかき 実の大(おほ)けくを こきだひゑね ええ しやごしや こはいのごふぞ ああ しやごしや こはあざわらふぞ(記・神武天皇)』

 「ああしやごしや、これはあざ笑うときのことば」と、歌われた。
 人を非難し、悪口をいうときにつかう悪態ことばが「ああしやごしや」だと書かれている。今では聞いただけでは誰も意味がわからない。

 今ではだれもこの言葉を使わないので、もし、悪口をいいたい相手と対面してつぶやきたいときは、おすすめ。仕事のことで、上司に文句をいわれたとき「ああしやごしや」と、つぶやいてみる。上司が「何?」とききとがめても、叱られる心配はない。

 「ああしやごしや」のように、早くから意味が分からなくなった古い言葉もある。
 100年前までは使われていたのに、消えたことばもある。10年前にはおおはやりだったのに、たちまち消えてしまったことばもある。ことばのウォッチングはほんとうに面白い。

 すっかり忘れてしまう語もあれば、新しく覚える語もある。
 最近、新しく覚えたばかりの語。テレビドラマ『救命病棟24時』をみていて「トリアージ」という外来語を知った。防災や医療関係者には、とっくに知られていた言葉なのかもしれないのに、私は阪神淡路大震災のあとも、聞いたことないことばだった。

 トリアージは、災害時における救命活動の優先度に関する語だ。優先度は、生命が危機的状況にある患者が高い。予後(社会復帰)に基本的な重点が置かれる、など。この優先度決定により、医療能力を最大限に発揮させ、最大数の傷病者を救命することができる。

 トリアージという言葉を知ると同時に、「重症すぎ、救命できる可能性が低いものの治療はあとまわしになる」という現実も知った。

 本当に災害が起こり、自分の家族がトリアージにより「治療あとまわし」になったら、どういう態度をとればよいのか、など、考えさせられた。「新しい言葉を知る」とは、新しい概念、新しい考え方を知っていくこと。

 常に好奇心をもって、新しいことばを知っていくように心がけることは、脳細胞を新しくする。
 新しく覚える言葉、忘れていく言葉、頭の中の辞書は、いつも書き換えられながら使っているのだが、たぶんこれから先私の脳内辞書は「忘れることば」のほうが多くなるだろう。<続く>


2005/03/05(土)13:08編集
ニッポニアニッポン語>老化防止に思い出す語、覚える語B啓蟄の日に

啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる(山口青邨)
 今日は二十四節季の啓蟄。虫が地面のぬくもりを感じて動き出す日、のはず。ですが。桃の節句の夜にふった雪が、夜も零下の気温となり消え残っている所も多い。外へと顔を出してみて、あわててまた穴のなかにもぐりこんでしまった虫たちもいることだろう。

 それでも今日の陽射しは春の気配を感じさせる。身体も脳も、春に備えて活動開始しなければと思いながら、穴のなかで首をすくめている。
 身をすくめ、陽射しを確かめながら、春の季語などひとことふたことつぶやいてみる。
春めきてものの果てなる空の色(飯田蛇笏)
春めくと覚えつつ読み耽るかな(星野立子)

 忘れていきがちなことばを脳内につなぎ止めておくために、辞書のほか、歳時記や詩集も手に届くところに置いておく。ことばの楽しみに読み耽る。

 1月に銀座のデパートで「金子みすず展」を見てきたので、金子みすず詩集をパラパラと読みかえす。篠弘『疾走する女性歌人』を読了して、手元にある道浦母都子や俵万智の歌集を開く。今は枕元に安東次男『花づとめ』をおいて、一章読んで眠りにつく。俳句短歌漢詩などを詩人安東次男が読みとったエッセイ。

 先週、母の33回忌に田舎の寺へ行き、行き帰りの電車で永井路子の『今日に生きる万葉』を読んだ。古本屋で一冊百円。
 東京に戻り、母の形見の土屋文明『万葉私注』を出してみる。奥付発行日は、私が生まれた日の20日後。紙質の悪い時代の本だから、背表紙もなくなっている。「賣価参百参拾六円」とある。ラーメン一杯23円の時代。本一冊でラーメンは10杯食べられた。

 それから母が残した一冊の作品集をめくる。
 田舎暮らし、家事の合間にちびた鉛筆で広告チラシの裏に書き留めた一句、また家庭菜園をたがやす合間に思い浮かんだ一首を新聞に投稿していた。
 新聞や雑誌に掲載された切り抜きが、母の急死のあと文箱がわりの菓子折空き箱に残っていた。母の3回忌にまとめて自費出版し、供養とした。
 この一冊をまとめるために、私は母のあとを追うことをせずにすごし、出版後の30年間を生き続けることができた。母のことばの一語一語が私を支えたのだ。

 一句一句をたどる。55年の短い生涯を母なりに懸命に生き抜いたあとが、ページの上に広がっていく。
 私にとってこの冬はひときわ寒さが身に染む日々だったが、そう、もう3月だしね。母には経験できなかった55歳から先の人生を母の分まで生きなくちゃなあ、と思う。

 ひとつひとつの言葉を読み返し、新しい言葉を覚え、これから先の「老い暮し」に、心まで老け込んでしまわないように、脳細胞をゆすっていかないと。
 「枡野浩一かんたん短歌」も面白いし、ことばの楽しみはまだまだ∞。<おわり>


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