
Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究
ニッポニアニッポン語2005年2月b

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語 『問題な日本語』もモンダイだ
| 日付 |
タイトル |
今日の一冊 |
著者 |
| 02/08〜10 |
『問題な日本語』の問題@〜B |
問題な日本語 |
北原保雄(編) |
| 02/11 |
『かなり気がかりな日本語』と、かぶった |
かなり気がかりな日本語 |
野口恵子 |
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語『問題な日本語』と、かぶった@
2005/02/08(火)
「ニッポニアニッポン語>『問題な日本語』と、かぶった@」
正月に問いかけを受けた、日本語教師として「あけおめ」をどう思うか、という質問に答えるつもりで「ドーモの変遷」から書き起こしてきた。
コメントをいただいた中からまた話がふくらんで「ニッポニアニッポン語」が続いている。挨拶ことば、動詞形容詞の変化、誤読から慣用読みへ、などを気ままに書き散らしている。
まるで『トリビアの泉』のよう☆「へ〜!」を連発してます・・・ 投稿者:c********* (2005 1/27 17:0)
なんて言われると、知ったかぶり大好きの春庭、ついつい余計な話もしてしまいます。
もっと続けようとして、ちょっと待て。
去年、上級クラスの作文の時間に、いつもの調子で日本語の話をしていたら、留学生から「あ、それ先週トリビアの泉できいた!」と、うれしそうに言われてしまった。
なんてこった。先々週の授業で話しておけば、「すご〜い!先生が話してくれたこと、トリビアでもやっていた」と、予言者のごとく学生のソンケーのまなざしを集められたのに、テレビが先にやってしまったのなら、まるで「テレビで見たことをそのまましゃべっている二番煎じのアホ教師」に見えるではないか。
「まるで『トリビアの泉』のよう☆」というコメントを読んで、こりゃしまった、読まずにすませようと思ったベストセラー『問題な日本語』を読んだ方がいい、と思うようになった。
話がかぶったら、「『問題な日本語』に書いてあったことを、春庭が二番煎じで書いているよ、ばかみたい」と思われるは必定。
翌日1/28の仕事帰りに本屋へよって、買ってきました『問題な日本語』
ふぅ、ベストセラーになってしまったあと買うのは、ちょっと気恥ずかしい。『日本語練習帳』も、買おうと思ってもたもたしていたらベストセラーになってしまったので、結局読んだのは、売れてから数年後になった。
日本語に関する本は毎年たくさん出版される。2003年に出版された野口恵子『かなり気がかりな日本語』(集英社新書)は、日本語教師の著作なので、出版されてすぐに購入した。
しかし、読み出して、私の言語感覚とかなり違うと感じ、途中で読むのをやめ、ツン読にしてしまった。今回「問題な日本語」と比較しながら読むという方法をとって読むと、とても面白く読めた。
著者野口さんは、私と同じ世代。大学で「留学生への日本語教育」「日本人学生への日本語教育論」を担当しているということも、私と同じ。学生ことば用例や留学生の誤用などに共通する経験がある。
ただし、野口先生は「このようなまちがった日本語は困る」という意見が多く、全体として「学生に正しい日本語を教えたい」という意欲が強い。
「変化し続け、変化の末に定着したものが、その時その時代の日本語」という「流れモノ主義」の私に対して、野口先生は「正統派日本語教師」の方なのだ。
出版以来、「問題な日本語」ほどのヒット作にはならなかったのは、「規範日本語」への意識のちがいのように感じた。<続く>
☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊
(き)北原保雄 「問題な日本語」
09:48 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語『問題な日本語』と、かぶったA
2005/02/09(水)
「ニッポニアニッポン語>『問題な日本語』と、かぶったA」
『問題な日本語』のほうは、「いまどきの日本語」が、なぜこのような言い方になるのか解説したあと、それを誤用とするか、「まあ許容範囲とするか」で、これまで出版された類書とずいぶん温度差がある。
従来の「『正しい日本語』本」業界のなかで、『問題な日本語』は、もっとも「許容範囲が広い」のだ。たぶん、だからこそベストセラーになっただろう。
「こんにちわ」については、私も、『問題な日本語』も、ほぼ同意見。
といっても、説明の部分は『問題な日本語』の解説も私の解説も、日本語史や文法に沿った部分は同じになってしまうのは、当然のこと。
「今日は」という挨拶が「こんにちはお日よりもよく〜うんぬん」という長い挨拶の冒頭の部分だけが「あいさつ語」として定着した、という日本語史の事実の部分は、だれが書いても大きく異なることはない。
『問題な〜』と、意見が少々異なる部分。
私は「現在の表記基準では『こんにちは』が規範的な書き方だが、留学生が『こんにちわ』と書くことを認めている。すでに『は』に助詞の機能がないから」と書いた。(2005/01/19)
『問題な日本語』も、「は→わ」について、
『今はまだ誤用とされるが、「こんちわ」「ちわ」では「わ」が一般的になっており「こんにちわ」が正しいと認められる日は近い』
と、述べている。
現代仮名遣いの「こんにちは」を規範としつつ、「こんにちわ」容認の日近しとみなしているのだ。
「規範の仮名遣い遵守」から、「こんにちは」の「は」に、助詞の機能はない、という現実の言語意識追認へ、一歩近づいてきている。
「違う」の形容詞化についても、『問題な日本語』と意見一致。「ちがくない、ちがくて」の出現に対して、「違う」が形容詞的な内容をもつ状態動詞だから、と考える点では同様だ。
しかし、「形容詞型終止形:ちがい」がまだ出現していないから、現段階では、「違い」を形容詞とは認めない、というのが『問題な日本語』の結論。
「その答えは、ちがいます」「その答えは、間違いです」と平行して「その答えは、ちがぃいです」という言い方は、まだ出現していない。
それでも、私は、「ちがくない」「ちがくて」のほうは、「動詞の誤用」ではなく、「すでに形容詞化している」とみなす。形容詞「ちがい」「ちがぃい」は、潜在していると、考えている。
そして現在、「同じだ」というナ形容詞(国文法の形容動詞)が、「おなじい」というイ形容詞優勢になっていくだろうという点については、「問題な〜」は、
『現在は「おなじい」が使われるのはまれ』
と述べるにとどまり、これからの使用については言及していない。
私は、終止形もイ形容詞「おなじい」が使用されるようになるだろうと予測している。いったんは「ナ形容詞(形容動詞)同じだ」に圧倒された形容詞「おなじい」が復活するのだ。
連用中止形。形容詞型「Aと同じく、Bは〜」形容動詞型「Aと同じで、Bは〜」が、平行して使われてきた
終止形は「AはBと同じだ」という形容動詞型が現代では多く使われており、「AはBと同じい」という言い方は、古めかしい文章の中でしか見ない。
「おなじくない、おなじいです おなじければ」と「おなじじゃない おなじです おなじならば」が、平行して使用される時期を経て、これからは、イ形容詞「おなじい」が優勢になっていくだろうという予想をしている。
「きれぇくない きれぃいです きれぇければ」という「きれいだ→きれぃい」という「きれい」のイ形容詞化は、進行中。
「ほとんどのナ形容詞(形容動詞)が、しだいにイ形容詞化していく」という予想は、近未来予測ではあたらないかもしれないが、日本語変化の来し方行く末を見続けた場合、長期的予想においては的中すると思うのだが。
ファッションでも、ものの考え方でも、時代の半歩先を歩くことが「ウレセン」のコツ。二、三歩前へ出てしまうと、出る杭が打たれるだけで、おしまい。
「ちがくて」も「おなじい」も「こんにちわ」もオールOKだと、ちょっと先走りすぎ、ヒンシュク買うだけで、売れはしない。<つづく>
08:00 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語『問題な日本語』と、かぶったB
2005/02/10(木)
「ニッポニアニッポン語>『問題な日本語』と、かぶったB」
「名誉挽回」は、一度失われた名誉を挽回するのだから正しいが、「汚名挽回」は、汚れた名前を再び挽回して取り戻すことになり、よけい汚れてしまうから、間違い、という「正しい日本語」説について。
『問題な日本語』のコラムでは「挽回」は、巻返しを図るという意味もあるから、「衰勢挽回」「劣勢挽回」「不名誉を挽回する」も、みな正しい。従って「汚名挽回」だって、「正しい日本語」として認める、という判断。
『問題な日本語』の編集責任者である北原保雄が「判定者」として出演したクイズ形式のテレビバラエティ「みんなのモンダイ!日本人は日本語を知らない」(TBS 2005/01/29)の冒頭、北原が登場する前の「事前の練習問題」に出題されたのは、この「汚名挽回」だった。
番組ではこれを「名誉挽回は○だが、汚名挽回は×。汚名返上が正しい」という、一般の「正しい日本語」説を採用していた。
北原保雄が番組全体を監修したのではないから仕方がないとはいえ、『問題な日本語』に書かれたことを否定している部分が放映されたあと、北原先生が登場したことになる。
北原先生を番組に呼ぶなら、制作スタッフは、『問題な日本語』を全編読み通して、書かれていることを理解した上で内容構成をしたらいいのに、と思うけれど、テレビ制作って関連本読むヒマなんかないくらい忙しい仕事なんでしょうね。
『問題な日本語』は、全体としてこれまでの「正しい日本語」本に比べて、「いまどきの日本語」に理解を示す度合いが強い。
ただし、どれを許容と認めるか、という判断について、『問題な日本語』は、「過去に用例があるかどうか」が、基準になっていることが多い。
たとえば、「全然いい」という言い方が、許容範囲かどうか。
「全然」は否定語と結ぶ副詞であって、書き言葉では「ぜんぜんダメでした」はよいが「ぜんぜんうまいですよ」は、俗な用法である。というのが、従来の「規範日本語」の考え方。
しかし、『問題な日本語』は、明治時代以降、肯定文にも全然が使われている例として漱石や芥川の小説を例示する。漱石芥川など、著名な作家、学者の文章に用例があればOK。「すごいおいしい」のたぐいも、漱石、鏡花、曾野綾子に用例があるからよしとする、というのが『問題な日本語』の判定。
大家の用例がないと、
『「っていうか」は子どもっぽい、教養がない、という印象を聞き手に与えるおそれがあります。』
と、容赦がない。
私の世代では、庄司薫、橋本治、村上龍などが積極的に口語を文体にとりいれてきたし、最近の若い書き手は、若者言葉、俗語表現をどんどん「地の文」に採用している。
「問題な日本語」のように、「評価が定まった著名な文学作品に用例があるかどうか」を基準にするのなら、町田康、舞城王太郎ら、口語体小説の評価がさだまれば、現在使われている俗語表現は、ほとんどが許容範囲に入るだろう。
チョーすげぇおもろい日本語、じゃんじゃん使ってもオニ平チャラっつうか、全然いい、みたいな。
きしょいヒョーゲンだろうと、いっこ上のセンパイがなにげに話してるのを聞いてれば、ワタシ的にはマジOK。オヤとかに「このにほんごチガくて」なんて、ウザイこと言われたくないしい。
でもさあ、こないだ、2こ下のやつにタメグチきかれて、これってドーヨ。こうゆーのは、怒らさせていただきます。
未来ニホンゴについて、以上のほうでよろしかったでしょうか。オゆっくりお読みになられてくださいネー。
と、私は言えませんけど、『枕草子』の中でことばの乱れをなげいている清少納言からみたら、現在の私の言葉遣いは、上の「チョ〜すげぇ」より、すごいことになっているんでしょうね。
ですから、お宅さまも、「チョーすげぇ日本語」に出会っても、お嘆きあるな。
「お宅さま」と入れ替えてお好みの言い方を入れてください。
「そちら様、あなた(貴方、彼方、貴女)、あんた、きみ、おまえ、貴様、お(ん)どれ、おぬし、ユー、わい、そち、そなた、そこもと、そのほう、うぬ、なんじ(汝)、なれ(汝)、ネーカノジョォ(カレシィ)、(お)てまえさま、わりゃー、ジブン、そっち」
<『問題な日本語』とかぶった おわり>
08:13 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語『かなり気がかりな日本語』と、かぶった
2005/02/11(金)
「ニッポニアニッポン語>「かなり気がかりな日本語」と、かぶった
今週は「『問題な日本語』と、かぶった」部分について、ツッコミいれてみた。
『かなり気がかりな日本語』の著者は、「かぶる」はテレビ業界などでつかわれた業界用語であるとして、学生が「かぶる」という語を使用するのは好ましくない、と憤慨している。
学生が、芸能界の業界用語などを無批判にまねて使用する、悪い見本の例としてあげている語のひとつが「かぶる」なのだ。
「かぶる」は@上から覆って、重なるようにするA液状粉状のものを上から浴びるB我が身に引き受ける
などが本義であって、@の「覆って重なる」から、C「先行のものと同じになって重なる」が派生し、テレビ業界などで、企画や発言が先行のものと重複した場合をいうようになった。
『かなり気がかり〜』の著者は、このような用語を学生がとりいれて、授業発表のさいに「前の人と、発表内容がかぶっちゃうんですけど、私の意見では〜」などと発言することに、不快感をしめしている。
誤読も言葉の意味の新用法も、「不快だ」と思う方は、自分では使わないのは当然のこととして、若者世代同士の会議などで「前の人とかぶるんですがあ」と耳にした場合、どうするか。
「許容する」「黙って眉をひそめる」「そんな日本語は正しくないと表明する」どれにするのか。あなたの考え次第。お気持ちしだい。
「私はそういう言い方は、好みませんで」と、言うのも、「先行世代」の特権。
許容範囲が広すぎて顰蹙を買うこともある私は、「かぶるOK!」
「前の人と発言がかさなるんですけれど」と言い出した人の気持ちと、「前の人とかぶるんですけど」と言う人の気持ちはちがうからだ。
「重なる」には、前後の部分の評価に差はない。「前の人と発言が重なる」と発言した場合、単純に同じ意見を出していることの断りを言っている。
「かぶる」は、オリジナリティ、独自性を高く評価することが重要な局面、たとえば、テレビ番組の企画や、バラエティ番組トーク番組の発言などで、使われだした。
「先行のものに対して後発のものが重なる場合、オリジナリティがないとみなされ、評価が低くなる」という意識が強い。
学生が「前の人とかぶる」と、発言した場合「先行の発言と同内容のことを発表する」ということに対するエクスキューズが含まれている。
前の人と同じ内容を言うことになって、自分自身のオリジナリティが減少したことを認めた発言なのだ。
単に「重複する」「重なる」と、いうのと、異なる使い方をしているのだから、学生をはじめとする若い世代がこの語を使うことには、それなりの言語意識が含まれている。
「かぶる」が、「業界用語」から普及した語であるとしても、「業界用語を無批判にまねする」と非難するより、新しい表現の語として認めたいと感じるのだが。<『かなり気がかりな日本語』と、かぶった 終わり>
10:45 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ
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