Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究
ニッポニアニッポン語2005年1月c

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語 形容詞副詞も変わる
| 日付 |
タイトル |
| 01/26〜28 |
いまどきの形容詞 |
| 02/12 |
新語新用法の生成(ピンク→ぴんくイ) |
| 01/29 |
フツーにおもろい新語造語新用法 |
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「いまどきの形容詞@」
2005/01/26 (水)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞@
変わりつつある動詞使役表現につづいて、変わりつつある形容詞について。
日本語教育で扱う形容詞は、イ形容詞(国文法形容詞)とナ形容詞(国文法形容動詞)がある。
形容詞もさまざまな変化のなかで新しい表現が生まれたり、発音が変わったり、品詞が変わったりしている。
古い辞書にはのっていないが、辞書の新しい版に俗語として搭載される形容詞もあり、若者言葉の省略形容詞も増えてきた。「ばっちい」のように、「汚い」の幼児語としてつかわれていた語が、大人の話の中でも普通に使われるようになったものもある。
最近、辞書に載った形容詞の例。
「せこい」〔俗〕ずるかったり、人目をごまかしたりする所があって、まともには付き合えない感じだ(新明解国語辞典第3版・第4版)
以前とは、使い方、意味合いが変わっている形容詞。
たとえば、以前「おいしい」は、「食べ物の味がいい」という意味が主要な使い方だったが、「うまい」の丁寧な表現として多用され、いまでは、「いいところだけ使ったりもっていったりすること。他にくらべて、条件がいいこと」などを表現するようになっている。用例「おいしいバイトあるけど、やんない?」「おいしい話には裏アリでしょ」
「ヤバい」は、俗語として「危ない、悪い状態になる」を意味していた。その意味に加えて、若い人は「他からぬきんでている度合いが危ないくらいにすばらしい」「いいと感じ、それを好きになるのが危険になると思えるくらいだ」という意味合いで、「いいっすねぇ、それ、ヤバイよ」などと表現し、「ヤバい!」が誉め言葉になっている。
形容詞の省略化も進んでいる。若い世代では省略化が定着している形容詞をあげてみる。
グーグルで検索したときの出現件数が多いものをあげると
「うっとうしい、うざったらしい」→「うざい」10万2千件
「めんどうくさい」→「めんどい」84800件
「気持ち悪い、気味が悪い」→「きもい」58000件「きしょい」7800件
「むずかしい」→「むずい」5万2千件
「かったるい」→「たるい」「たりい」(垂井、樽井といっしょになるので件数不明)
長い形容詞を短くする変化が多い。短いほうが、「簡単便利」だからだ。言葉は複雑なほうには変化しにくい。たいてい「短く言いやすい」ほうへと、変わる。
「しょぼくれている」→「しょぼい」20万4千件
これなどは、動詞アスペクトの「〜ている」が、形容詞化している。「しょぼい」は、動詞としての「しょぼくれる」と別の語として存在する。<続く>
=========
もんじゃ(文蛇)の足跡
102?件 84?件 58?件 52?件 204?件 7?件
数字を打ち込んだら、ハングル文字が出てきたので、面白いので、残しておきます。ハングル文字の入力方法を知らなかったので、びっくりしました。
09:02 |
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「いまどきの形容詞A」
2005/01/27 (木)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞A
「やばい」が若い世代の中で誉め言葉として機能していることについて「やばいが褒め言葉とは、驚きですね」投稿者:w****** (2005 1/26 9:15) と、コメントをいただきました。感想をお寄せくださりありがとうございます。
私たちの現在の語感からすると、「びっくり!」のところもありますが、実は、この変化は日本語としては、よくある意味の変わりかたなのです。
「すご〜い!」「すごっ!」という感歎のことば。
すばらしい技や出来事などに感激した人たちの口から漏れる。この場合、すばらしさを誉めたたえることばになっている。
しかし、「すごい」の元の語「すごし」は、
@気候様子態度などが寒く冷たく感じられ、身にこたえる → A冷たさを含み、恐ろしく感じる → Bぞくっとして恐ろしく感じるほどすばらしい →C程度がはなはだしいようす(すごくいい、すごく悲しいなど)
と、いう意味の変遷を経て、現在わたしたちが気軽に口にする「すご〜い!」という感歎の言葉になった。
津波惨禍の写真をみて「すごい!」ぞっとするほど恐ろしい悲惨な状況。原義から言うと、こちらのほうが「すごい」の意味にあっている。
しかし、美しいものを見たときも、驚くような技を知ったときも「すごい」のひとこと。若い世代が「やばい!」を誉め言葉に使うのも、「すごい」の意味変遷と同じ歴史をたどっていると言える。
言葉は意味のうえでも、形の上でも、さまざまな変化をしていく。
動詞から形容詞へと品詞移動しつつある例を紹介しよう。
動詞「違う」が、形容詞へと品詞移動していく途中。
動詞では「ちがう、ちがわない、ちがって、ちがえば」と活用したが、形容詞と同じ活用「ちがくて」「ちがくない」「ちがければ」という活用を、若い世代が使っている。終止表現が「ちがいます」から「ちがいです」に変われば、形容詞化が完成する。
おそらく定着していくだろう。
「違う」は、もともと状態を表わす動詞なので、動きや作用を表わす動詞に比べて、形容詞に近い内容をもっていた。「違う」の対義語(反対の意味をもつ言葉)が「同じ」というナ形容詞(形容動詞)であることからも、形容詞化が進むことが推察される。
ナ形容詞「同じだ」も、イ形容詞へと移動していく。「おなじい、おなじくない、おなじければ、おなじくて」と、形容詞型の活用に変わっていくだろう。<続く>
09:01 |
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「いまどきの形容詞B」
2005/01/28 (金)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞B
ナ形容詞(形容動詞)からイ形容詞へと品詞移動する例もある。
「きれいだ」は、日本語教育では「ナ形容詞」国文法では「形容動詞」。これまでの活用は「きれいだ、きれいじゃない、きれいな人」
しかし、若い世代の間では、「きれいだ」はイ形容詞に移動しつつある。「きれい、きれぇくない」。名詞修飾はいまのところまだ「きれいな人」。イ形容詞への移動が完了すれば「きれいぃ人」になるだろう。仮定形も「きれいならば」から「きれぇければ」へ。
日本語変化予想。「元気だ→げんきい」「便利だ→べんりい」「不思議だ→ふしぎい」など、語幹部分が[i」の段で終わるナ形容詞はイ形容詞へ品詞移動が進むと推測できる。
さらには「静かだ→静かい」「健康だ→けんこい」などの変化が起こるかも知れず、「静寂だ」は「せいじゃくて、せいじゃくない、せいじゃければ」などの活用をみせるかもしれない。予想があたるかどうか。「大穴100円→400万円」くらいでるかも。
若者ことばのイ形容詞の用法に、「感動終止形」とでも名付けられる新しい言い方がある。「はやっ(とても早いので驚いたとき)」「うまっ(とても美味い)」「おもっ(とても重い)」など、程度が大きいようすをいうとき、基本形の[i]を省略し、促音化していう。この言い方はすでに定着している。
基本形の発音も変化していく。形容詞の例。「ちいさい」→「ちっちゃい」「ちっちぇえ」長い→なげえ 痛い→いてえ やばい→やべえ つらい→つれえ 寒い→さみい 明るい→あかりい、のように、母音が変化した発音の語、現在は俗語表現だが、将来はこちらがメインになるかもしれない。
イ形容詞は二種類ある。属性形容詞(形状、形態やもののありさまを形容する。大きい、長い、重い、黒い、丸いなど)は、語尾がイ。感情形容詞(人の感情や感覚を形容する。寂しい、悲しい、苦しいなど)は、主として語尾がシイになる。
省略形容詞は、「うっとうしい→ウザイ」「めんどうくさい→メンドイ」など、感情や感覚を表わす形容詞であっても、語尾が「シイ」にならず、「イ」になる傾向がある。
それから類推すると、これまで使われてきた感情形容詞の多くが「シイ」ではなく、「イ」の語尾に短く省略されることが予想される。
「悲しい→かない」「寂しい→さびい」「楽しい→たのい」「うつくしい→うつくい/うっくい」「やさしい→やっさい/やしい」
未来日本語予想があたるかどうか、ウォッチングを続けていこう。
07:36 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/02/12 (土)
ニッポニアニッポン語>新語・新用法の生成・ピンクい
子どもは、赤ん坊のときから周囲のことばを耳にし、しだいに母語を獲得していく。子どもの「ことば獲得過程」を観察するのは、本当に面白い。
大人のいうことをそっくり真似したり、同じように言っているつもりで間違えたり。
やわらかい→やらわかい、エレベーター→エベレーターのような発音しにくい語の言い間違いのほか、過剰適用と呼ばれるまちがいがよく起こる。
ことばに規則があることを発見した子どもが、見つけ出した規則を過剰に適用していくのだ。
a****さんの投稿
『まだ就学前のこと。夏の夕方、浴衣に下駄を履いて、両親と姉と散歩に出た帰り道、劣化したコンクリート舗装の道でつまずいて転んだことがあります。『大丈夫?』と声をかけられて何と答えてよいかわからず『だいじょばん(・・ばない』と答えました。皆大笑いでした。爪先と膝を打って痛かったので、とっさのことに「形容詞+否定語」を発したのでした。
「ちがくない」「きれーくない」を見ていて思い出しました。。。 投稿者:a**** (2005 2/10 0:50)
この投稿に書かれているように、子どもは母語獲得の過程でことばの規則を発見し、さまざまに応用していく。
行く→いかん、食べる→たべん、という否定の表現を覚えたら、さっそく応用する。
だいじょぶ→だいじょばん(だいじょぶない)
子どもの「だいじょばん」に、周りの大人たちは大笑いし、子どもは「だいじょばん」と言ったのでは間違いらしいと気づく。そして、周囲の人々は「だいじょうぶではない」「だいじょうぶじゃない」という言い方をしていることを学ぶ。
しかし、ある程度のまとまった層が「たいじょばん」とか「たいじょぶくない」と皆で表現し出したとき、変化が起こる。
だいじょうぶナ(ナ形容詞、国文法の形容動詞)をイ形容詞として、「だいじょぶイ、だいじょぶくない」という言い方をする人たちがでてきているし、チョキの形の指2本、Vマークとともに「だいじょV」というのもある。
発音の変化や文法規則の変化は、あっという間に広まっていく。たいていは、「言いやすいほう」「簡単なほう」へと変わっていく。また、「既成の規則を他の語にも応用する」ほうへ向かう。
たとえば、赤→赤い、青→青いという規則を、昔の人は、黄色→きいろい、茶色→ちゃいろい、と過剰に適用した。その結果、現在、ちゃいろい、きいろいは、形容詞として成立している。「まっしろ」「まっくろ」に対する「まっきいろ」もある。
さらに、子どもは、緑→みどりい、紫→むらさきい、と応用する。
留学生から「青は青いになるのに、紫はなぜ紫いと言ってはいけないのか」という質問が出たとき「今は、まだ名詞の紫だけ。形容詞の紫いはありません。紫いセーターと言わずに、紫のセーターといってください」と、答えている。
しかし、「黄色→きいろい」が成立したあと、「紫→むらさきい」が、誤用とされる根拠は、今のところ「紫い」は、成立していない、というだけであって、皆がつかえば、成立する。
「みどりい」「むらさきい」は、現在のところ認められていないのであって、将来は色彩形容詞として定着すると思う。
外来語にも適用されて、ぴんくい、オレンジい、まで出現するかどうか、ウォッチング。
色彩語として、ピンクのかわりに桃色、オレンジのかわりに橙色を使用する人は、若い世代にはほとんどいない。ぴんく、おれんじを外来語意識を感じない幼児のうちから使用している。
「正しい日本語」とは、「現在広く使われ、共同体の精神的基盤・共通財産として理解しあえる表現」「現在のところ、大多数の人に不快な感情を与えずに伝達できる表現」にすぎない。
「まっか」に対する「まっピンク」を不快とは思わず、当然の表現として使う層が広がれば、「まっピンク」が成立する。
「むらさきい」「だいじょV」なんて、変!と、現在のところ感じる人がいても、将来の変化を憤ることはできない。<おわり>
09:12 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
2005/01/29(土)
「ニッポニアニッポン語>フツーにおもろい新語造語新用法
新語造語流行語は、毎年毎年生まれて消える。消えずに残ったことばは定着する。
m:********さんから教わった「二十歳る(はたちる)」も、語感のおもしろさ、造語の妙に感心。AV業界での造語だそう。
タレントの榎本加奈子(最近は佐々木大魔神の恋人としてマスコミに登場)が、かって、「二十歳になったら何をしたいか」という質問に、「ラブホとか」と、シレ〜と答えていた、あのノリの語感。キャピキャピとはずんでいて、人生の苦しみや悲しみはまだ遙か先、いまのところ「ムズいこと」は、なあ〜んにも考えていない若さの躍動特権。
「成人する」というと、一人前になったような語感の動詞だ。身体だけ育っていても精神未熟な近頃の20歳。成人式といっても「保護者同伴の式」という地方もでてきた昨今では、「はたちる」の造語がふさわしい感じ。「散る」という音が含まれているので、20歳までの「子ども」が散っていく感じもして、うまい造語だと思った。
「ハタチルなんぞという造語、スカン」と歯がみをしても、未来のワカゾーは20歳になると「やだ、私もとうとう来週、はたちるんだよ」「はたちるのぉ?やばいよぉ」などと会話しているかもしれない。
「はたちる」があるなら、「三十路る(みそじる)」「みそじい」または、「三十る(みそる)」もあり。「みそい」はネットでもなかった。
30歳すぎてパラサイトしている独身のなかで、あんまり羽振りがよさそうじゃない人に「みそじい人」「いつまでもミソってられていいね」なんて言いそうな気がする。
すると、四十代は「フワクる」「フワクい」が候補だろうか。現代の四十代は迷いっぱなしで、絶対に「不惑の年」じゃなく未だにふわふわしている感じが「ふわくい」
こんなふうに言葉あそび造語あそびなどしたり、ヒンシュクものの新語造語を使って話したりする生活→ジャンク言語生活。ジャンク言葉を発したり、ジャンクフードで一日過ごしたり、ジャンクな生活をおくるのを総合して「ジャンクる」
グーグル検索でも出てこないこの「ジャンクる」が「普通に使われる動詞」になる日がこないとも限らない。
この「普通に」の意味。私は「一般的に、どこにでもあるありふれた」の意味でつかっているが、若い世代での使われ方、意味が少し違うものがある。
「はたちる」を教えてくれたm*******さんの文章から。
A:国語教科書からも、漱石が消えつつある。普通に、悲しい。
B:国語教科書には、大変世話になった。普通に暮らしていたら、中島敦の小説には、なかなか出会う機会がないと思うから。
Bの「普通に」が従来通りの使い方。「普通に暮らす」「普通に使われる」など、副詞として動詞を修飾する。「他とかわりなく、一般的な」「だれでもしているあたりまえな」「特にほかと変わったことはない」という意味。
Aの「普通に」が「若者世代の新出用法」
評価や程度に幅や差を含む形容詞を修飾する。「普通に悲しい」「ふつうにかわいい」と、若い世代が表現したときの「フツーに」は、「特別な場面、他とことなるような特異な状態において悲しいのではなく、ごく自然な発露の感情として悲しい」「特殊な状況、特別な環境でいうのではなく、自分自身の日常感覚としてとてもかわいいと感じる」というような意味合いで使う。
「あなたにとってはどうか知らないが、私にとっては、あたりまえのこととしておいしいと感じる」→フツーにおいしい。
「よい」「ふつう」「悪い」という三段階の分け方の感覚で言うと「この味のうまさは普通だ」は平均的な味、特別に美味くもまずくもない味を示す。
若い人の言い方だと「ふつうにうまい」は、「他の人はどうかしらないが、私にとってはおいしい」「特別な基準でなく、そのままでおいしい」のような使い方。
この「フツーに」の使用も10代は20代よく使い、30代前半がぎりぎり。40代で使う人は少なくなる。
「あいつってさぁ、フツーに危ない人だよね」なんて人物評をされると「え、普通なの、危険なの、どっちなの」と思ってしまうのは50代以上。
夕暮れ時にひとりでいるあなた、「フツーに寂しい」とつぶやいて、若者ぶってみますか。
これらの「今出来のことば」も、みんなが使えば「ふつうの日本語」になっていく。
「そんな変な日本語認めない」と、いきり立っても、生きていることばは変化する。
「おもしろい」の省略形、「おもしい」派と「おもろい」派があるらしいが、私は関西風に言ってみます。「フツーにおもろい日本語」。
13:05 |

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