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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究

ニッポニアニッポン語2005年1月b  
ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語 動詞も変わる

日付2005 タイトル
01/11〜14 動詞の新用法「振り込め詐欺」
01/15 新しい動詞ボキャブラリ
01/25 「さ」入れことば
02/15 対象をしめす「が」と「を」
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「動詞の用法も変わる@」
2005/01/11(火)
「ニッポニアニッポン語>動詞の用法も変わる@」

 昨年暮れのこと。商店街の屋台で焼き鳥を買った。
 客はそれぞれ「うち、レバーとハツ5本ずつ」などと注文して、寒風ふきぬける通りで焼き上がるのを待っている。焼き鳥屋のおばちゃんは、待ち時間サービスのつもりか、愛想良くおしゃべりを続ける。

 「いやぁ、うちにもついに来たんよ。ほら、あのオレオレっての。娘が交通事故を起こしたって、男が電話してきてね。娘、電話で泣いてんのよ。うひゃぁ、って、おろおろしてたらさ、そこに娘が帰ってきたの。
 あ、オレオレじゃなくて、振り込みって名前になったの?え、振り込め詐欺?なんだかわかんないけど、とにかく娘がちょうどよく帰ってこなかったら、ひっかかってたよ」

 実害がなかったせいか、「流行におくれることなく、世間の話題に入れた」というノリで、おばちゃんは「振り込め詐欺未遂事件」を語る。
 「オレオレ詐欺」から「振り込め詐欺」に名称変更して、ますます手口は巧妙になっているらしい。正式な裁判所の小額訴訟制度を堂々と利用した新手の手法も出てきた。お気をつけください。
   
 手口が巧妙化するテンポにあわせて「振り込め詐欺」という名称も一般に浸透してきたようだ。しかし、詐欺には引っかからなくても、この名称に引っかかった人もいる。
 私も最初耳にしたとき「おっ!」と思った。人目をひく、新しい語法だったから。
 何が新しかったかというと。

 詐欺を修飾する「振り込め」は「振り込む」という動詞の命令形(仮定形も同形)だ。詐欺犯が振り込み先の銀行通帳を指定する。「どこそこ支店の何番へ振り込め」と命じて、まんまと振り込ませる。
 この詐欺のやり方がぴったり表現されていたせいか、新しい語法が耳目を集めたせいか、新名称の浸透速度は速い。

 他の語を修飾するために動詞が用いられるとき、もっとも一般的な活用形は連用形(日本語教育では「マス形masu-form」として扱う)がくる。
 動詞の連用形(マス形)は、「行き帰り」「ブラブラ歩き」など、そのままの形で名詞として用いられる(連用形名詞)。修飾語としても連用形名詞が使われる。

 新年に提出した動詞「走る」「笑う」「書く」を例に挙げれば。
 「幅跳び」をするとき、助走をつけて走って跳躍するのは「走り幅跳び」。「走る幅跳び」「走れ幅跳び」とは言わない。
 簡単な使われ仕事に走り回ることやそれを行う人は「走り使い」。笑いだしたら止まらない人を「笑い上戸」。面白い話は「笑い話」。新年に初めて筆を用いるのは「書き初め」漢字を書く順番は「書き順」。「この順番通りに書け」と、漢字を教える先生が命令しても「書け順」とは言わない。

 今回の詐欺事件。「オエオレ!オレだよ」と、家族知人になりすます手口が巧妙化した。最終的に、犯人は「○○銀行に振り込め!」と命じる。そこで「振り込め詐欺」と命名された。
 以下、この「振り込め詐欺」という名称についての賛否両論を解説し、日本語教師春庭はこの造語法に反対はしないことを述べる。<つづく>
09:51 | コメント (1) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語「動詞の用法も変わるA」
2005/01/12(水)
「ニッポニアニッポン語>動詞の用法も変わるA」

 湯を飲むための茶碗は「湯飲み茶碗」。人が飲む水は「飲み水」といい、「飲む〜」という表現は「赤ちゃんが飲む水」「毎晩飲むビール」などの形で用いられていた。
 液状の水剤も固形の錠剤やカプセル粉薬も、口から飲む薬は「飲み薬」。「飲む薬」ではなかった。

 広告などでは、いつも人目をひく新鮮な語が次々を登場する。
 固形ヨーグルトに対して液体ヨーグルトが発売されたとき「飲みヨーグルト」ではなく「飲むヨーグルト」として発売され、今では「液状ヨーグルト」などと言う人はあまりいない。「飲むヨーグルトが好き」など、一般的な表現になっている。 
 ヨーグルトに関しては固形ヨーグルトに対して、液状ヨーグルトは「飲みヨーグルト」ではなく、「飲むヨーグルトが好き」という表現が選ばれた。

 働きつづける蜂は「働き蜂」。その造語法でいくと、自動的に動き続けて、歩行者が歩かなくてもよい舗道は「動き舗道」となるはずだが、広まったのは「動く舗道」。「東京駅で京葉線に乗り換えるとき、動く舗道を使った」などという。

 動詞を修飾語として用いるのに、「飲み水」「振り込み先」など「マス形動詞+名詞」が一番多く、人目を引く表現として基本形(注1)を修飾語にした「飲むヨーグルト」「動く舗道」がある。

 さらに、今回、新表現として「振り込め詐欺」が出てきた。動詞命令形を修飾語にした名詞。
 なじみのない表現が出てくれば、必ず「こんな言い方は日本語にはない。この表現は日本語を破壊するものだ」という意見が出される。2005/01/05の朝日新聞投書欄にさっそく掲載されていた。

 「取り込み詐欺」という名詞はOK。連用形+名詞だから。投書氏は「なりすまし詐欺」がよかったと、広島県警の造語例に賛成する。しかし、「なりすまし詐欺」では、従来の「有栖川宮になりすました祝儀金詐取事件」とか、「エリザベス女王のいとこになりすました結婚詐欺」などとの違いがわかりにくい。 

 投書氏は「動詞の命令形と名詞の組み合わせで複合語ができるなどという前例を作らないでもらいたい」と、日本語破壊をなげく。

 しかし、言語表現というのは、常に破壊と変化が作り上げるものなのだ。清少納言が枕草子の中で「近頃のことばづかいの乱れはひどい」と嘆き、古代バビロニアの粘土板に「最近のワカイモンの言葉はなっていない」と憤慨した文章があるように、太古の昔から、「この新しい表現は、私が知っている正統な言葉からみると、乱れている」という年長者のなげきに出会わない言語はないのだ。<つづく>
===========
もんじゃ(文蛇)の足跡
 古典日本語文法の上二段下二段活用カ変サ変の動詞。「終止形」「連体形」は、別々の形だった。(例: 水、器に溢(あふ)る。溢(あふ)るる水。人、老ゆ。老ゆる人。)五段、一段動詞の連体終止形は古典日本語でも同形。

 しかし、現代日本語ではこのふたつの形に区別はないので、日本語教育では終止形連体形ふたつをいっしょにして「基本形」または「辞書形」として扱う。
08:48 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「動詞も変わるB」
2005/01/12(水)
「ニッポニアニッポン語>動詞も変わるB」

 可能動詞の変化について、2004年に書いたけれど再度確認。

 1月7日の仕事はじめ。初級クラスで、最初に冬休みの報告を聞く。
 「長野へ行ってスキーをしました」と、ウーさん。「新幹線を乗って仙台へいきました」「スーさん、新幹線に乗ったのね、すご〜い。バスに乗る、電車に乗る、でしたよ。スーさんは新幹線に乗りました」「はい、しんかんせんにのりました」「いいね!」
 「友達の車で日光へ」などの旅行報告のほか、「近所のスーパーでアルバイト」など。
 「友達とお酒を飲んでテレビを見ました」「何を見ましたか」「あ〜」と言葉につまり黒板に「赤白 歌」と書く学生。「ああ、紅白歌合戦みたんですね」
 半月間の冬休みの間に忘れていた日本語を思い出し思い出し、間違いながらも報告をする。次に12月に学習したことの復習。冬休みにすっかり忘れてしまったこともある。

 まず、12月の最後の週にやった可能動詞の復習。
 冬休み報告をつかって、「エドさんは、車で日光へいきました。日光まで、友達がひとりで運転しましたか?エドさんは車の運転ができますか」「いいえ、できません」などの問答をして、「運転する」の可能表現「運転できる」を思い出させ、「する→できる」のほか、可能表現を復習。

 「スーさんは一人で新幹線に乗りました。 新幹線に乗る → 一人で新幹線に乗れる」「ショウさんは紅白歌合戦を見て、いっしょに日本の歌を歌いました → 歌を歌う → 日本の歌をうたえる」など、基本形から可能形への変形練習。
 否定の形も復習「サリさんはイスラム教ですから、お酒を飲みません。お酒を飲まない → お酒が飲めない」
 忘れていた可能動詞の形を思い出した。

 さて、「酒が飲める」という可能動詞の表現。
 江戸時代までは「酒が飲まれる」というのが、一般的な五段動詞の可能表現だった。
 可能動詞が成立定着したあと、現在は「漢字が読まれる → 漢字が読める」「ひとりで行かれる → ひとりで行ける」と言うようになった。

 すなわち、「歩ける」「動ける」など、五段活用の動詞(日本語教育では第1グループ動詞)の可能形が成立したのは、長い日本語の歴史のなかではつい最近と言ってよい。
 今でも、地方によってはふたつの表現を併用し、使い分けるところもある。自分の能力としてできるかできないかを表現するとき「年をとったので、よう歩けん」自分の能力にかかわらず、事実として述べるとき「台風で木が倒れたので、この道は歩かれん」
 ただし、逆の地方もあるというので、ややこしい。

 この変化については、「ラ抜きことば」の解説のときに述べたことがある。
 「見られる → みれる」「食べられる → 食べれる」などの「ら抜き」は、すでに辞書搭載され、市民権を得てきている。
 一段活用動詞(日本語教育では第2グループ動詞)に、新しい可能の形が成立し、受身形「見られる」と可能動詞「見れる」の区別がつくようになったのだ。<つづく>
10:31 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「動詞も変わるC」
2005/01/14(金)
「ニッポニアニッポン語>動詞の用法も変わるC」

 ことばに変化があり、それを大半の人が受け入れるなら、新語法として定着する。変化の流れは、その語を使用する人々の意識によって決まる。
 「ラ抜きなんて正しい日本語じゃない」と、いくら正統日本語を主張する人がいようと、流れは止められなかった。受身形と可能形を区別できたほうが、便利だったから。
 「ラ抜き可能形」の発生と定着は、まさに現在自分が生きて生活している間の変化。目の前で起こり、進行していった動詞の形の変化だった。このような言語変化を観察できて、「ありがたい」こと。

 「動詞命令形+名詞」という複合語について「これは正統な複合語じゃない」と、いくら糾弾しても、使う人々が「あ、この表現はぴったりだな」と感じれば、定着する。「押しつけられても、こんな表現は使いたくない」と、大多数の人が感じたのなら、別のことばに置きかわる。
 「外来語を減らしましょう」の指導のもと、「日帰り介護」と言い換えられたデイケア。
 今、街のなかに「デイケアセンター」は見かけるが、「日帰り介護中心」という看板を掲げた施設を、私は見たことがない。

 「命令形動詞+名詞」複合語がさらにふえるのかどうかは、今の段階ではわからないけれど、人々が「この表現はうまいこと言葉の中身を表わしていて、ぴったりだ」と感じれば、さらなる変化が起こるににちがいない。
 禁煙用タバコ「ヤメロたばこ」とか、学校の読書指導で無理矢理読まされる「読め本」など、ありえる?それともアリエネー?

  「振り込め詐欺」は「まあ、これでいいんじゃない」と感じる人が多ければ定着する。この語を使いたくない人は「最初はオレオレ詐欺と呼ばれていた、被害者にお金を振り込ませる手口の詐欺」と言えばすむ。ちょっと長いけど。
12:56 | コメント (1) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語「新しい動詞語彙」
2005/01/15(土)
「ニッポニアニッポン語>新しい動詞ボキャブラリ」

 動詞語彙の変化について。 
 「言葉はどんどん変化する」ということのついでに、新しい動詞語彙について。
 新しくふえた動詞は、外来語からの転用が多いが、もとからある語を省略した動詞や、元の語を変化させた動詞もある。

 「○○する」という言い方なら、「ゲットする」「ダッシュする」「プレイする」など、いくらでも動詞にできる。活用は「する」と同じ。日本語教育では第3グループ動詞。(国文法でいうサ行変格活用、サ変)。
 「げっとする」は、20代10代以下の世代に定着し「手に入れる」という語などより多く使われている。「ポケモン、ゲットする」あたりから流行しだした語が、10年ほどで定着した。
 「〜する」という言い方の動詞は、今後もどんどん増えていくだろう。

 「さぼる」「だぶる」のように、定着し辞書に「俗語」として搭載されている語もある。こちらは、第一グループ動詞(国文法のラ行五段活用動詞)

 若者は、「さぼる」を、元からある日本語だと思って「今日、授業さぼった」という。すでに俗語ですらなく、「日本語」として定着している。「さぼる」を使わず、「授業をなまけた」「授業を遊びのためにやすんだ」などと言う若者は皆無だろう。英語由来のカタカナ動詞が多いなか、「さぼる」はフランス語由来。
 「彼は高校時代に留年している」ということは「彼、高校だぶってる」のように言う。

サボる:仕事や授業など、決められた課業をしないですごす>サボタージュ(フランス語sabotage)から
ダブる:同じものが二つある。留年して、同じ学年に二年続けて在籍する>ダブル(double)から
トラブる:何らかのもめ事が起こる。こまった事態に陥る>トラブル(trouble)から
ググる/グーグる:検索サイトを使用して調べる>インターネット検索googleから
パニクる:混乱状態の中で、驚き慌てて冷静な行動ができない>パニックから
ネグる:意図的に無視して傷つける>ネグレクトから
パクる:他人が作った作品をまねする
ビビる:怖れて前に進めず、行動できない
コクる:好きな相手に自分の気持ちを告白する
テンパる:もう一歩で物事が成就する前の、余裕のない緊張した状態になる>テンパイ(麻雀用語)から

 これから流行し、定着するかもしれないラ行第1グループ動詞。
ブログる:インターネットに日記を書き込む
ロムる:ネットに書かれている文章を(コメントなどを残さずに)読む専門
コラボる:共同作業、共同事業をする>コラボレーションから

 私はまだ、耳にしたことがないが、関西では若者が「笑う」とは別の語として使い分けているという「笑ける」という語。あきれはてたりしらけたりして、いう言葉も見つからず、笑うしかないというときに使うそうだ。「笑う」と「しらける」の合体語だろうか。
「そんなこと言うなんて、なんてこった。もう笑ける」
 「お笑い」やテレビから発生した語は、若い世代への浸透速度が速い。また、関西発生の語が全国に広まるのも早い。私の周囲で「笑ける」という語を聞くのも、まもなくかもしれない。
10:22 | コメント (5) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「さ」入れことば
2005/01/25 (火)
ニッポニアニッポン語>「さ」入れことば

 今週も「ことばの変化」について。
 
 私自身は自分の年齢相応の言葉遣いをしているつもりでいるが、10代20代の若者の話しことば書き言葉に接することが多い環境にいるので、「変化してきているなあ」という言い方に出くわす機会も多くなる。
 「ら抜き言葉」が定着した次に、変化が定着するであろうと予測できる「さ入れことば」について。

 「先生、来週は介護体験に行くんで、授業をやすまさせていただきます」と、20歳前後の日本人学生が言ってきたとき「私くらいの年代の人に話すときは、やすまさせて、じゃなくて、休ませていただきますって言ったほうがいいですよ」と、一応注意する。
 日本語教授法のクラスだから、「休ませていただきます」が、現在のところまだ「正統日本語」であることは、教える。

 学生は「ええっ?バイト先でこの言い方が丁寧だって教わったのにい」と、不満な顔。「バイト先で指導してくれた人、何歳?」「えっと、センパイは25かな?30くらいかも」

 すでに「指導する立場の人」の日本語が変化しているのだから、学生が「先生、その本、読まさせてください」なんて言ってくるのも、「さ」入れ表現として、定着していく。
 「サ入れことば」が優勢になっていく「変化の進行」は、おそらく止められないだろうと、思っている。

 20代以下の人は「明日の会議に出させていただきます」「今日で役員をやめさせていただきます」などの表現から、「させていただく」をつければ、すべて丁寧な表現になると考えている。「飲まさせていただきます」「買わさせていただく」を「丁寧な意志表現」としてつかっている。
 テレビバラエティ番組「スマップスマップ」でも、「料理を作らさせていただきます」と言っていた。

 第2グループ動詞(一段活用動詞)は、変化しない語幹部分に使役の語尾「させる」を接続する。 離乳食を食べさせるtabe・saseru、電話をかけさせるkake・saseruなど。
 第1グループ動詞(五段活用動詞)は、これまでは、変化しない語幹に [a・seru]が接続した。

 これが、第2グループと同じに、saseruをつけるようになり、第1グループと第2グループの使役の語尾が同じになるという変化が起きている。
 この変化は定着するだろう。言葉の変化は「簡単便利」を志向する。使役の形が同じ方が簡単だから、

 書くkak・u → kak・a・seru(書かせる)→ kak・a・saseru (書かさせる)
歩くaruk・u → aruk・a・seru(歩かせる)→  aruk・a・saseru(歩かさせる)

 「さ」入れ敬意表現はこれから先もっと増えていき、若い人にとっては、これが丁寧な表現としてふつうになっていくだろう。

 「この言い方を私はしたくない」という世代の人は、頑固に「読ませていただく」「書かせていただく」と、言い続けましょう。
 でも、私たちがいなくなったあとは、「読まさせて」「書かさせて」が「標準的な日本語表現」になっていくのは、確実な情勢ですね。
08:02 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「いまどきの形容詞@」
2005/01/26 (水)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞@

 変わりつつある動詞使役表現につづいて、変わりつつある形容詞について。
 日本語教育で扱う形容詞は、イ形容詞(国文法形容詞)とナ形容詞(国文法形容動詞)がある。

 形容詞もさまざまな変化のなかで新しい表現が生まれたり、発音が変わったり、品詞が変わったりしている。

 古い辞書にはのっていないが、辞書の新しい版に俗語として搭載される形容詞もあり、若者言葉の省略形容詞も増えてきた。「ばっちい」のように、「汚い」の幼児語としてつかわれていた語が、大人の話の中でも普通に使われるようになったものもある。

 最近、辞書に載った形容詞の例。
 「せこい」〔俗〕ずるかったり、人目をごまかしたりする所があって、まともには付き合えない感じだ(新明解国語辞典第3版・第4版)

 以前とは、使い方、意味合いが変わっている形容詞。
 たとえば、以前「おいしい」は、「食べ物の味がいい」という意味が主要な使い方だったが、「うまい」の丁寧な表現として多用され、いまでは、「いいところだけ使ったりもっていったりすること。他にくらべて、条件がいいこと」などを表現するようになっている。用例「おいしいバイトあるけど、やんない?」「おいしい話には裏アリでしょ」

 「ヤバい」は、俗語として「危ない、悪い状態になる」を意味していた。その意味に加えて、若い人は「他からぬきんでている度合いが危ないくらいにすばらしい」「いいと感じ、それを好きになるのが危険になると思えるくらいだ」という意味合いで、「いいっすねぇ、それ、ヤバイよ」などと表現し、「ヤバい!」が誉め言葉になっている。

 形容詞の省略化も進んでいる。若い世代では省略化が定着している形容詞をあげてみる。
グーグルで検索したときの出現件数が多いものをあげると
 「うっとうしい、うざったらしい」→「うざい」10万2千件    
 「めんどうくさい」→「めんどい」84800件
 「気持ち悪い、気味が悪い」→「きもい」58000件「きしょい」7800件
 「むずかしい」→「むずい」5万2千件
 「かったるい」→「たるい」「たりい」(垂井、樽井といっしょになるので件数不明)
 長い形容詞を短くする変化が多い。短いほうが、「簡単便利」だからだ。言葉は複雑なほうには変化しにくい。たいてい「短く言いやすい」ほうへと、変わる。

 「しょぼくれている」→「しょぼい」20万4千件
 これなどは、動詞アスペクトの「〜ている」が、形容詞化している。「しょぼい」は、動詞としての「しょぼくれる」と別の語として存在する。<続く>
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もんじゃ(文蛇)の足跡
102?件  84?件  58?件  52?件 204?件 7?件
数字を打ち込んだら、ハングル文字が出てきたので、面白いので、残しておきます。ハングル文字の入力方法を知らなかったので、びっくりしました。
09:02 | コメント (6) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「いまどきの形容詞A」
2005/01/27 (木)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞A

 「やばい」が若い世代の中で誉め言葉として機能していることについて「やばいが褒め言葉とは、驚きですね」投稿者:w****** (2005 1/26 9:15) と、コメントをいただきました。感想をお寄せくださりありがとうございます。
 私たちの現在の語感からすると、「びっくり!」のところもありますが、実は、この変化は日本語としては、よくある意味の変わりかたなのです。

 「すご〜い!」「すごっ!」という感歎のことば。
 すばらしい技や出来事などに感激した人たちの口から漏れる。この場合、すばらしさを誉めたたえることばになっている。
 しかし、「すごい」の元の語「すごし」は、
@気候様子態度などが寒く冷たく感じられ、身にこたえる → A冷たさを含み、恐ろしく感じる → Bぞくっとして恐ろしく感じるほどすばらしい →C程度がはなはだしいようす(すごくいい、すごく悲しいなど) 
と、いう意味の変遷を経て、現在わたしたちが気軽に口にする「すご〜い!」という感歎の言葉になった。

 津波惨禍の写真をみて「すごい!」ぞっとするほど恐ろしい悲惨な状況。原義から言うと、こちらのほうが「すごい」の意味にあっている。
 しかし、美しいものを見たときも、驚くような技を知ったときも「すごい」のひとこと。若い世代が「やばい!」を誉め言葉に使うのも、「すごい」の意味変遷と同じ歴史をたどっていると言える。

 言葉は意味のうえでも、形の上でも、さまざまな変化をしていく。
 動詞から形容詞へと品詞移動しつつある例を紹介しよう。

 動詞「違う」が、形容詞へと品詞移動していく途中。
 動詞では「ちがう、ちがわない、ちがって、ちがえば」と活用したが、形容詞と同じ活用「ちがくて」「ちがくない」「ちがければ」という活用を、若い世代が使っている。終止表現が「ちがいます」から「ちがいです」に変われば、形容詞化が完成する。
 おそらく定着していくだろう。

 「違う」は、もともと状態を表わす動詞なので、動きや作用を表わす動詞に比べて、形容詞に近い内容をもっていた。「違う」の対義語(反対の意味をもつ言葉)が「同じ」というナ形容詞(形容動詞)であることからも、形容詞化が進むことが推察される。

 ナ形容詞「同じだ」も、イ形容詞へと移動していく。「おなじい、おなじくない、おなじければ、おなじくて」と、形容詞型の活用に変わっていくだろう。<続く>
09:01 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「いまどきの形容詞B」
2005/01/28 (金)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞B

 ナ形容詞(形容動詞)からイ形容詞へと品詞移動する例もある。
 「きれいだ」は、日本語教育では「ナ形容詞」国文法では「形容動詞」。これまでの活用は「きれいだ、きれいじゃない、きれいな人」

 しかし、若い世代の間では、「きれいだ」はイ形容詞に移動しつつある。「きれい、きれぇくない」。名詞修飾はいまのところまだ「きれいな人」。イ形容詞への移動が完了すれば「きれいぃ人」になるだろう。仮定形も「きれいならば」から「きれぇければ」へ。

 日本語変化予想。「元気だ→げんきい」「便利だ→べんりい」「不思議だ→ふしぎい」など、語幹部分が[i」の段で終わるナ形容詞はイ形容詞へ品詞移動が進むと推測できる。
 さらには「静かだ→静かい」「健康だ→けんこい」などの変化が起こるかも知れず、「静寂だ」は「せいじゃくて、せいじゃくない、せいじゃければ」などの活用をみせるかもしれない。予想があたるかどうか。「大穴100円→400万円」くらいでるかも。

 若者ことばのイ形容詞の用法に、「感動終止形」とでも名付けられる新しい言い方がある。「はやっ(とても早いので驚いたとき)」「うまっ(とても美味い)」「おもっ(とても重い)」など、程度が大きいようすをいうとき、基本形の[i]を省略し、促音化していう。この言い方はすでに定着している。

 基本形の発音も変化していく。形容詞の例。「ちいさい」→「ちっちゃい」「ちっちぇえ」長い→なげえ 痛い→いてえ やばい→やべえ つらい→つれえ 寒い→さみい 明るい→あかりい、のように、母音が変化した発音の語、現在は俗語表現だが、将来はこちらがメインになるかもしれない。

 イ形容詞は二種類ある。属性形容詞(形状、形態やもののありさまを形容する。大きい、長い、重い、黒い、丸いなど)は、語尾がイ。感情形容詞(人の感情や感覚を形容する。寂しい、悲しい、苦しいなど)は、主として語尾がシイになる。

 省略形容詞は、「うっとうしい→ウザイ」「めんどうくさい→メンドイ」など、感情や感覚を表わす形容詞であっても、語尾が「シイ」にならず、「イ」になる傾向がある。

それから類推すると、これまで使われてきた感情形容詞の多くが「シイ」ではなく、「イ」の語尾に短く省略されることが予想される。
 「悲しい→かない」「寂しい→さびい」「楽しい→たのい」「うつくしい→うつくい/うっくい」「やさしい→やっさい/やしい」

 未来日本語予想があたるかどうか、ウォッチングを続けていこう。
07:36 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ


2005/02/12 (土)
ニッポニアニッポン語>新語・新用法の生成・ピンクい

 子どもは、赤ん坊のときから周囲のことばを耳にし、しだいに母語を獲得していく。子どもの「ことば獲得過程」を観察するのは、本当に面白い。
 大人のいうことをそっくり真似したり、同じように言っているつもりで間違えたり。

 やわらかい→やらわかい、エレベーター→エベレーターのような発音しにくい語の言い間違いのほか、過剰適用と呼ばれるまちがいがよく起こる。
 ことばに規則があることを発見した子どもが、見つけ出した規則を過剰に適用していくのだ。

a****さんの投稿
 『まだ就学前のこと。夏の夕方、浴衣に下駄を履いて、両親と姉と散歩に出た帰り道、劣化したコンクリート舗装の道でつまずいて転んだことがあります。『大丈夫?』と声をかけられて何と答えてよいかわからず『だいじょばん(・・ばない』と答えました。皆大笑いでした。爪先と膝を打って痛かったので、とっさのことに「形容詞+否定語」を発したのでした。
「ちがくない」「きれーくない」を見ていて思い出しました。。。 投稿者:a**** (2005 2/10 0:50)

 この投稿に書かれているように、子どもは母語獲得の過程でことばの規則を発見し、さまざまに応用していく。
 行く→いかん、食べる→たべん、という否定の表現を覚えたら、さっそく応用する。
 だいじょぶ→だいじょばん(だいじょぶない)
 子どもの「だいじょばん」に、周りの大人たちは大笑いし、子どもは「だいじょばん」と言ったのでは間違いらしいと気づく。そして、周囲の人々は「だいじょうぶではない」「だいじょうぶじゃない」という言い方をしていることを学ぶ。
 
 しかし、ある程度のまとまった層が「たいじょばん」とか「たいじょぶくない」と皆で表現し出したとき、変化が起こる。
 だいじょうぶナ(ナ形容詞、国文法の形容動詞)をイ形容詞として、「だいじょぶイ、だいじょぶくない」という言い方をする人たちがでてきているし、チョキの形の指2本、Vマークとともに「だいじょV」というのもある。

 発音の変化や文法規則の変化は、あっという間に広まっていく。たいていは、「言いやすいほう」「簡単なほう」へと変わっていく。また、「既成の規則を他の語にも応用する」ほうへ向かう。

 たとえば、赤→赤い、青→青いという規則を、昔の人は、黄色→きいろい、茶色→ちゃいろい、と過剰に適用した。その結果、現在、ちゃいろい、きいろいは、形容詞として成立している。「まっしろ」「まっくろ」に対する「まっきいろ」もある。

 さらに、子どもは、緑→みどりい、紫→むらさきい、と応用する。
 留学生から「青は青いになるのに、紫はなぜ紫いと言ってはいけないのか」という質問が出たとき「今は、まだ名詞の紫だけ。形容詞の紫いはありません。紫いセーターと言わずに、紫のセーターといってください」と、答えている。

 しかし、「黄色→きいろい」が成立したあと、「紫→むらさきい」が、誤用とされる根拠は、今のところ「紫い」は、成立していない、というだけであって、皆がつかえば、成立する。
 「みどりい」「むらさきい」は、現在のところ認められていないのであって、将来は色彩形容詞として定着すると思う。
 外来語にも適用されて、ぴんくい、オレンジい、まで出現するかどうか、ウォッチング。

 色彩語として、ピンクのかわりに桃色、オレンジのかわりに橙色を使用する人は、若い世代にはほとんどいない。ぴんく、おれんじを外来語意識を感じない幼児のうちから使用している。

 「正しい日本語」とは、「現在広く使われ、共同体の精神的基盤・共通財産として理解しあえる表現」「現在のところ、大多数の人に不快な感情を与えずに伝達できる表現」にすぎない。

 「まっか」に対する「まっぴんく」を不快とは思わず、当然の表現として使う層が広がれば、「まっぴんく」が成立する。
 「むらさきい」「だいじょV」なんて、変!と、現在のところ感じる人がいても、将来の変化を憤ることはできない。<おわり>
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2005/01/29(土)
「ニッポニアニッポン語>フツーにおもろい新語造語新用法

 新語造語流行語は、毎年毎年生まれて消える。消えずに残ったことばは定着する。
 
 m:********さんから教わった「二十歳る(はたちる)」も、語感のおもしろさ、造語の妙に感心。AV業界での造語だそう。

 タレントの榎本加奈子(最近は佐々木大魔神の恋人としてマスコミに登場)が、かって、「二十歳になったら何をしたいか」という質問に、「ラブホとか」と、シレ〜と答えていた、あのノリの語感。キャピキャピとはずんでいて、人生の苦しみや悲しみはまだ遙か先、いまのところ「ムズいこと」は、なあ〜んにも考えていない若さの躍動特権。

 「成人する」というと、一人前になったような語感の動詞だ。身体だけ育っていても精神未熟な近頃の20歳。成人式といっても「保護者同伴の式」という地方もでてきた昨今では、「はたちる」の造語がふさわしい感じ。「散る」という音が含まれているので、20歳までの「子ども」が散っていく感じもして、うまい造語だと思った。

 「ハタチルなんぞという造語、スカン」と歯がみをしても、未来のワカゾーは20歳になると「やだ、私もとうとう来週、はたちるんだよ」「はたちるのぉ?やばいよぉ」などと会話しているかもしれない。

 「はたちる」があるなら、「三十路る(みそじる)」「みそじい」または、「三十る(みそる)」もあり。「みそい」はネットでもなかった。
 30歳すぎてパラサイトしている独身のなかで、あんまり羽振りがよさそうじゃない人に「みそじい人」「いつまでもミソってられていいね」なんて言いそうな気がする。

 すると、四十代は「フワクる」「フワクい」が候補だろうか。現代の四十代は迷いっぱなしで、絶対に「不惑の年」じゃなく未だにふわふわしている感じが「ふわくい」

 こんなふうに言葉あそび造語あそびなどしたり、ヒンシュクものの新語造語を使って話したりする生活→ジャンク言語生活。ジャンク言葉を発したり、ジャンクフードで一日過ごしたり、ジャンクな生活をおくるのを総合して「ジャンクる」
 グーグル検索でも出てこないこの「ジャンクる」が「普通に使われる動詞」になる日がこないとも限らない。

 この「普通に」の意味。私は「一般的に、どこにでもあるありふれた」の意味でつかっているが、若い世代での使われ方、意味が少し違うものがある。

 「はたちる」を教えてくれたm*******さんの文章から。
A:国語教科書からも、漱石が消えつつある。普通に、悲しい。
B:国語教科書には、大変世話になった。普通に暮らしていたら、中島敦の小説には、なかなか出会う機会がないと思うから。

 Bの「普通に」が従来通りの使い方。「普通に暮らす」「普通に使われる」など、副詞として動詞を修飾する。「他とかわりなく、一般的な」「だれでもしているあたりまえな」「特にほかと変わったことはない」という意味。

 Aの「普通に」が「若者世代の新出用法」
 評価や程度に幅や差を含む形容詞を修飾する。「普通に悲しい」「ふつうにかわいい」と、若い世代が表現したときの「フツーに」は、「特別な場面、他とことなるような特異な状態において悲しいのではなく、ごく自然な発露の感情として悲しい」「特殊な状況、特別な環境でいうのではなく、自分自身の日常感覚としてとてもかわいいと感じる」というような意味合いで使う。

 「あなたにとってはどうか知らないが、私にとっては、あたりまえのこととしておいしいと感じる」→フツーにおいしい。

 「よい」「ふつう」「悪い」という三段階の分け方の感覚で言うと「この味のうまさは普通だ」は平均的な味、特別に美味くもまずくもない味を示す。
 若い人の言い方だと「ふつうにうまい」は、「他の人はどうかしらないが、私にとってはおいしい」「特別な基準でなく、そのままでおいしい」のような使い方。
 この「フツーに」の使用も10代は20代よく使い、30代前半がぎりぎり。40代で使う人は少なくなる。

 「あいつってさぁ、フツーに危ない人だよね」なんて人物評をされると「え、普通なの、危険なの、どっちなの」と思ってしまうのは50代以上。
 夕暮れ時にひとりでいるあなた、「フツーに寂しい」とつぶやいて、若者ぶってみますか。

 これらの「今出来のことば」も、みんなが使えば「ふつうの日本語」になっていく。
 「そんな変な日本語認めない」と、いきり立っても、生きていることばは変化する。

 「おもしろい」の省略形、「おもしい」派と「おもろい」派があるらしいが、私は関西風に言ってみます。「フツーにおもろい日本語」。

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ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語 対象をしめす「が」と「を」
2005/02/15(火)
ニッポニアニッポン語>対象をしめす「が」と「を」

 私は、省略語や新語、流行語のチェックも言葉を教える教師の「職業訓練」のひとつとして続けており、新しい表現を耳にしたとき、いつも「おもしろ〜い」と思って受けとめるのだが、自分が使うとなると、なじんだ古い言い回しのほうを口にするほうが多い。

 たとえば、「明日のサッカー試合が見たい」「明日のサッカー試合を見たい」、あなたはどっち?
 私は、まだ「が」を使っているが、若い世代には「を」が広がっている。
 
 動詞に「〜たい」をつけた欲求希望の表現で、助詞の変化が起きている。

 これまでの規範的日本語では、「水が飲みたい」「テレビが見たい」というように、「〜たい」という表現で欲求を表わすとき、対象を示すことばにつく助詞は「が」だった。

 しかし、この「が」が、「を」に変わりつつある。「水を飲みたい」「テレビを見たい」というように、助詞が「を」になる表現は、新聞雑誌などの文章中でもよく見るようになった。
 探し出せば、「ほら、明治の文豪でも対象語にヲをつかっている」という用例がみつかるだろう。

 「きく」と「きける」と「きこえる」の使い分けは、留学生にとって戸惑うことのひとつで、助詞もまちがいやすい。今のところ、日本語教科書では「〜を聞く」「〜が聞ける」「〜が聞こえる」と、教えている。

 「みえる、きこえる」を使った文で、「音楽をきこえる」「富士山をみえる」と、留学生が作文に書いたら、誤用として赤ペンで添削を入れる。

 教科書に従うなら、@「生演奏の音楽を聴く」A「品質のよいスピーカーで生に近い音がきける」B「どこからともなく音楽がきこえる」となる。
 @は「を」、Bは「が」、こちらは今のところ問題ない。しかし、現実社会の会話でAの可能形表現は、ゆれがある。Aは「音がきける」「音をきける」、両方が使われている。

  「〜たい」の文を練習するとき、留学生には「が」の方を教えている。
 しかし、「母が作った料理を食べたい」のように複文になった場合は、「母の作った料理が食べたい」と共に、「を/が」どちらも許容としている。

 「昔、友達といっしょによく食べにいった、なつかしいあの料理 を/が 食べたい」は、「を/が」どちらも許容できるとして、「おいしい料理が食べたい」「おいしい料理を食べたい」などになると、さてどうしたものかと悩み、「肉が食べたい」「肉を食べたい」、ここまで許容してよいものやら、と困ってしまう。
 現実社会では、留学生がいっしょに食事をすることの多い若い世代の日本人の間で、「肉を食べたい」と言う人が確実に増えている。

 私の方針としては。
 書き言葉はできるだけ規範に準ずる。レポート中にひとつでも「自分が気に入らない新語や新用法」が書かれていると不可にする大教授も現実にいるのだから、留学生だから大目に見てもらえるなどと甘えてはいられない。

 留学生の作文での、生き生きとした生活描写部分では「いまどきの言い方」を許容しつつ、レポート・論文をこれから書こうとしている学生には「この言い方は、まだ正式な書き言葉では使えない」と、教えている。

 論文の書き方練習では、「だんだん多くなる→しだいに多くなる」「ぜんぜん〜ない→まったく〜ない」「もっと多く→より多く」などの言い換えドリルもある。

 話しことばの場合、公式な会議などでは、書き言葉に準じて話す。
 友達との会話では、若い世代に流行している言い方をとりいれてもかまわない、というごくあたりさわりのないやり方をとっている。

 2005/02/11に出した「かぶる」。
 若い世代同士の会話の中や作文のセリフ描写でも、認めよう。

 書き言葉で、レポートや論文に「かぶる」が出てきたとき、どうするか。論文なら「重複する、かさなる」と訂正せざるを得ない。
 新語や新用法を目の敵にして、ひとつでもレポート中に「ら抜き」その他の新用法があったら、容赦なく不可にする先生の目に「かぶる」など「逆鱗!」かも。

 日常生活では使えても、論文中では使えない語がたくさんあることを伝えるのも、作文指導のひとつなのだが、現在の書き言葉はやっと百年の歴史しかもっていない表現方法。話しことばの変化スピードには追いつかないけれど、書き言葉の変化も少しずつ現れる。

 発表論文中に「ら抜き」の受け身形「見れる」「でれる」がいつ現れるか、「本を読みたい」がいつ出現か、ウォッチング。

 書き言葉もしだいに変化して行くであろうことは念頭にいれておかないと。<おわり>
09:03 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ



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