Home Sitemap 日本語 リンク集

話しことばの通い路Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies

コミュニカティブアプローチ
ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語教師日誌2007

  

ニッポニアニッポン語教師日誌 日本語教室はあいがいっぱい
中国で教えた学生たち

日付 ニッポニアニッポン語教師日誌 
2007中国で教えた教えた留学生たち
2007/06/11 綱引き大会(抜河比賽)
200706/19〜06/20 ニーハオ春庭「大連で授業」
2007/07/27〜07/28 ニーハオ春庭「植物園風レストラン合格祝賀会」
2008/01/01〜01/12 新年快楽!クラス会
2008/05/10〜05/14 桜さかそう合格メール


2007/03/18〜2007/08/10 文部科学省より派遣され、中国で教えました。教え子は、全中国から選抜された、大学若手教師たちです。
九国教育部(日本の文科省にあたる)の厳しい審査に合格し、日本の文部科学省国費奨学金を与えられて日本に留学することをめざしていました。

教え子たちは、最終試験に合格し、2007年10月から、日本語で留学生活を送っています。
2008年もひきつづき、教え子たちと交流している記録を書いておきます。

2007/06/11
綱引き大会(抜河比賽)

2007/06/11 月
ニーハオ春庭中国通信>綱引き大会(抜河比賽)

 中国の大学は、日本の大学以上に「身体の健全な育成」という面に力を注いでいます。
 私が教えている日本への国費留学生(若手大学教師たち)のクラスでも、「スポーツは嫌い」「スポーツをあまりしない」という学生はいません。
 みな「勉強のあいまにスポーツに励んでいる」と言うのです。

 大学内の行事でもさまざまなスポーツ競技会があり、教職員、学生こぞって参加しています。
 3月、赴任して早々に私の担任クラスで行われた親睦会も、「バドミントン大会プラス夕食会」でした。

 本日6月11日は、クラス対抗「綱引き大会」が行われました。

 国費留学生博士号取得コースの5つのクラスのほか、他のクラス、学部進学コースや、英語コースなどのクラスが、女性6人男性7人のチームを作り、勝ち抜きトーナメントを行うのです。

 私のクラスは、それほど力じまんが集まっているというのでもなさそうで、「絶対に勝たなくちゃ」というような悲壮な雰囲気はまるでなく、「ま、参加しようや」くらいの雰囲気でした。

 若手教師たち、家庭をもち子育て中の人もいるクラスですから、そんなに本気になって綱を引くとは思っていなかったのに、いざ綱引きがはじまってみると、皆力いっぱい。
 男性たちは足をふんばり、女性も汗びっしょりになってがんばっていました。

 結果は残念ながら2敗。負けてしまいました。
 でも、クラスが一丸となって力をあわせてがんばる姿は、若者らしくてさわやかな汗が光っていました。
 いつもスッピンさんが多い中国の女性たちですが、どんな最新のメイクも、この「がんばっている人の汗」に勝る美しさはないと思えます。
 応援しているほうも声援に力が入りました。

 三島由紀夫が祭りに参加したときの高揚感を「力を合わせて御輿を担ぐことの恍惚」とエッセイに書いたことがあります。
 太古の昔から綱引きは、各地で「村の行事」として続けられてきました。
 すたることなく続いてきたのは、勝敗によって農耕の豊作を占うという民間信仰の一面があったこともさることながら、三島が指摘しているように、「皆で力を合わせること」を、人類文化は必要としているからではないかと思います。

 クラス一同が力を合わせて一本の綱を引く。「イー、アール、イー、アール」のかけ声に合わせて、力を出し切る。
 応援する方は「加油!チャーヨゥ!」と声を張り上げる。

 北国の6月にしては記録的な暑さ34度となった一日でしたが、暑さを上回る熱気で、盛り上がった午後となりました。 

<おわり>




2007/06/19〜06/20
ニーハオ春庭「大連で授業」

 大連は、北京や上海の次くらいに、日本人にもなじみの深い町。遼東半島の先端にある港町です。

 1899年にロシアが中国から租借地を得て、海辺の辺鄙な地だった青泥窪に、極東経営の要として都市を建設、「遠い東の地」という意味のロシア語「ダーリニー・ヴォストーク」と名付けました。
 日露戦争後、日本が租借権を得て、ダーリニーに大連の漢字をあて、中華人民共和国建国後も大連の名のまま発展してきました。
 人口650万人、経済開発区には、1000社もの日系企業が進出し、投資額も大きいため、若者の日本語学習熱も他の都市を上回って盛んなようです。

 彼女の勤務するソフトウェア学部(軟件学院)は、数年前に本部から経済開発区ソフトウエアパーク(軟件園)に移転しました。
 大連市西部にある本部キャンパスから車で1時間(ラッシュ時の渋滞時間を含む)離れた場所にある、経済開発区の中の「大連ソフトウェアパーク(大連軟件園)」は、中国のシリコンバレーにすべく開発された特区です。

 外国語学部日本語学科だけではなく、理系の学部でも、日本語は第一外国語、第二外国語として学ばれています。
 ハンさんが教えている学部では、専門のソフトウエア研究のほか、卒業時には日本語能力試験2級合格と英語検定試験合格を義務づけており、日系企業その他の就職に有利なようにはかられています。
 
 ハンさんは、現在1年生の「初級後半」の授業と視聴覚授業を受け持っています。
 90分のうち、普段は教科書60分、テレビドラマ視聴30分のメニューですが、15日の金曜日、視聴覚の時間をさいて、スペシャルゲスト「3月に日本からやってきた日本人教師」による日本語特別授業を行うことになりました。

 最初はそんな予定はなかったのです。
 最初は、ただ「大学内を見学したい」と、ハンさんの仕事場までついていきました。
 ハンさんの教科書の授業を見せてもらう計画だったのですが、せっかく日本人がやってきたのだから、学生たちのために何かしゃべってもいいんじゃないか、ということになりました。

 30分の持ち時間のうち、15分はコンピュータのパワーポイントで写真を見せながら日本の生活文化について解説。
 食文化、衣文化など、身近な生活について、中国と同じところ、同じように見えて違うところなど話しました。
 また、質疑応答では活発に質問が出て、日本語を学ぶ学生たちの日本への強い関心がうかがえました。

 学生たちは、日本の生活のうち表面に見える部分については、よく知っています。この日の授業でも、教科書に入る前に視聴していたのは、日本のテレビドラマ『医龍』です。

昨年2006年に日本で放映された病院を舞台にしたドラマで、むずかしい医学用語なども出てくるのですが、学生たちはヘッドフォンで日本語をきき、中国語字幕で内容を確かめながら、視聴していました。

 生死を直接扱うドラマのストーリーを楽しむと同時に、テレビドラマのなかに表われている現代日本の社会や家庭のすがたが、よい学習材料となっています。


2007/06/20 水
ニーハオ春庭中国通信>大連で授業

 私の写真での日本紹介は、テレビドラマから学べるような、生き生きした現代社会を反映したものとはすこし違っていて、生活文化の歴史についてからはじめました。

 衣服の文化について。
 日本の衣服はどのような歴史を経て現在のようなスタイルになってきたのか、源氏物語絵巻の十二単や、浮世絵の女性の着物などを紹介し、着物の着付けはこのようにやる、というスライドショウを見せました。

 着物の着付けの複雑さに、学生たちびっくり。
 日頃、着物を着ている女性はテレビドラマのなかで見ることができても、このように、長襦袢、着物、帯の着付けの仕方を紹介することはありません。
 学生たち、和服の帯は、背中に座布団をくくりつけているのではないことが、初めて分かったのではないかと思います。

 食文化の紹介。
 弥生時代の食事メニューを再現した写真。奈良時代のメニューなど、日本人の食事の紹介。

 和食の献立。代表的な料理の写真。
 食材や調味料。醤油やマヨネーズは、同じように見えても、中国で売っているものは、微妙に味が違うことなども話しました。キューピー合弁会社のマヨネーズ、日本のより甘みが強い。

 昨年9月に入学した1年生の学生たちは、日本企業で働くことや日本留学に興味を持っているので、「日本の生活は物価が高いだろうけれど、留学生たちはどのように暮らしているのか」とか「日本企業でソフトウェアエンジニアとして働くとしたら、初任給はどれくらいか」とか、質問がでました。

 初任給は会社によって異なるけれど、大学卒初任給は20〜30万円くらい、というと、「すご〜い」と、その「中国に比べると高給」に驚いていました。

 「でも、中国で1元で売っているペットボトルの水は、日本では10元しますよ。食べ物は中国の10倍から20倍するし、東京近辺で風呂付き部屋を借りるなら、30〜50平米の狭い部屋でも一ヶ月に10万円くらの家賃を払わなければならないから、中国で3000元(4万5千円)の給料をもらう方が、ずっと豊かな生活を楽しめる」というような解説をしました。

 給料の高さだけで日本を選ぶなら失望することもあるでしょう。
 でも、若いうちに外国で勉強したり働いたりすることは、とてもいい経験になるから、ぜひみなさん、日本へ来てください、とすすめて話をしめくくりました。

 次の1年生クラスの授業では、前半は「一番日本語が上手な学生」が「日本人と会話できる特権」を得て、キャンパスを案内してくれました。その間、他の学生たちは、教科書の復習授業。

 一学部だけのキャンパスなのに、広い、広い。歩き疲れました。
 案内してくれた1年生は、「水曜日に体育の授業があるので体育館まで歩いていくけれど、寮の部屋から同じキャンパス敷地内の体育館まで15分くらいかかる」と、言っていました。  

 後半は1コマ目と同じように写真スライドでの日本紹介と質疑応答。
 最後に学生たちと記念写真をとって、お別れしました。

 日本の大学では語学授業は「単位をとるためにしかたなく」学ぶ学生も多いし、設備も整っていません。せいぜい、ビデオ、CDや録音テープくらい。
 でも、さすがに最先端のソフトウェアパークにある大学だけに、ハンさんの語学教室の設備のすばらしさにびっくりしました。

 ハン先生は、DVDやパワーポイントを駆使して授業を行い、私たちが日本の大学で黒板にチョークで説明を書くところを、パソコンのキーボードでささっと打ち出した文字をスクリーンにうつして説明していました。

 私は中国にきて、今の勤務校で初めてパワーポイントをつかった授業をしてみたのです。日本ではまだまだ各教室にパソコン、スクリーン、DVDプロジェクターなどを完備したところは少ないです。
 理工大学ソフトウェア学部の設備は、勤務校を上回るものでした。

 ハン先生と学生食堂で米繊(ミンシェン)を食べて、午前中のスケジュール終了。



2007/07/27〜07/28
ニーハオ春庭「植物園風レストラン合格祝賀会」

2007/07/27 
ニーハオ春庭>お仕事完了

 平日は、朝8時から5時まで勤務。
 家に帰っても翌日の授業準備、授業プリント作りや作文の添削などで夜寝るまで仕事を続けなければ、こなしきれない仕事量でした。

 日本でも、週日は毎日授業を受け持っている私ですが、大学の授業は一日に90分2コマ。授業時間以外の授業準備は、拘束されることなしに自宅でも図書館でも行うことができます。
 
 13年前に私が参加した同じ文部科学省プロジェクトは、午前中90分2コマの授業をしたあと、午後は自宅で授業準備ができる比較的自由なプログラムでした。
 しかし、今回は8時〜5時の拘束、さらに仕事が残って、夜も自宅に持ち帰り残業。
 本当にたいへんでした。

 4月は毎日ため息をつき、「こんなはずじゃなかった、これほど仕事がたいへんと思わずに中国へ来てしまった」と、愚痴と涙の毎日。

 5月6月、日が延び、夕方8時近くまで明るさの残る町で、夕食ツアーを始めました。
 夕食を食べに、他の人たちは専家公寓の食堂や近所のレストランで食べていたところを、私ひとりバスに乗り、終点までいってそこでご飯を食べて帰る。

 ささやかなバスツアー。バスから町を歩く人々を眺め、繁華街でショッピングを楽しむ人たちを見て通る。
 細民街の細い道を通るバスから、傾きかけた家の中で暮らす人々のようすが丸見えだったり、田舎道の辺り一面トウモロコシ畑の中、デコボコ道をゆられたり。
 夕食、町はずれや村の小さな食堂で冷麺やチャーハンを食べ、ほっと一息、気持ちを切り替えて家に帰りました。

 こうして毎日仕事に励んだ結果。

 中国教育部と日本の文部科学省共同プロジェクト「赴日本国、国費留学生日本語教育」という留学生教育、基礎教育の部を終了し、7月26日、基礎教育最終試験「日本語能力試験2級レベル」が、実施されました。
 ドキドキしながらの採点。私の受け持ちクラス、ひとりでも不合格者がでたらどうしよう。

 どんなに練習問題や模擬試験で練習しても、聴解試験の成績が伸びない人が各クラス何人かはいます。
 私の受け持ちクラス19名のうち、どうしても2、3人は聴く力が弱く、聴解試験の模擬テストで合格ラインに達しないのです。

 彼らの気持ちがよくわかります。私も中国語、文で見ればだいたいの意味がわかっても、耳で聞くとなにがなにやらさっぱり分からない、「听不? チンブートン=理解できない、わからない」でしたから。

 でも、本番試験では皆、がんばりました。
 結果。
 103名全員合格。バンザイ!よかった、よかった。ほんとうにほっとしました。

 2週間の夏休み後、学生たちは東大、東工大の先生を迎えて専門教育を受けることになります。
 それぞれが自分の専門について習うのは、基礎日本語ほど修得が難しいものではありません。

 たとえば経済問題の研究者にとって、「経済分析師→経済アナリスト」「内幕交易→インサイダー取引」「貼牌生産/定牌生産→相手先ブランド生産」などの専門用語を覚えるのは、英語もできる彼らには、それほどむずかしくありません。

 基礎日本語の学習で、「どころか」と「ところが」を、いつも間違えてしまう、とか、「きっちり」「きっかり」をどのように使い分けるか、「彼は学者らしい人だ」と「どうやら彼は学者らしい」という文では「らしい」の意味が異なるとか、頭をひねってきたことに比べれば、2週間の短い「専門日本語研修期間」でも、十分に日本での研究生活に備えることができるでしょう。

 専門日本語の修了認定は試験ではなく、「専門研究発表会」での日本語による発表ですから、大学の教師である彼らには、皆の前で発表するのは慣れたもの。

 専門教育が終了したあと、9月は留学準備期間。
 10月、彼らは日本の各地の大学へ向かいます。

 さて、日本語基礎教育担当の私の仕事はこれにて完了です。お疲れさま!

<つづく>

2007/07/28 
ニーハオ春庭>植物園風レストラン合格祝賀会

 27日に終了したコースで、昨年10月から日本語の授業を受けてきたのは、中国の大学で教えている若手教師たち。
 昨年10月に「あいうえお」の発音、ひらがなカタカナの書き方からはじめて、私が3月に赴任したときは、初級コースを半分おえ、4級レベルになっていました。

 皆、優秀な大学教師たちですから、ここまでは余裕で上達してきたのです。しかし、ここからの急坂を登るのは、本当に過酷でした。
 もともと「新幹線授業」だったのに、6月7月は「ジェット機授業」
 旅行カバンには詰め込む、詰め込む。乗り込んだと思うと、あっという間に走りすぎる。

 最後の2週間は、朝日新聞に掲載されたエッセイ、投書や「天声人語」の読解が中心でしたが、アップアップでした。

 まったくこれまで知らなかった言語の学習をはじめて、一年間で英検なら2級に相当するレベルに相当する力を培う、私なら「やれ」といわれても、たちまち挫折しそうなコースです。

 私の受け持ちクラスでは、19名が、北海道大学、東北大学、東京大学、東京工業大学、名古屋大学、神戸大学など、各地の大学院博士課程に留学し、医学や情報工学、環境科学、ロボットビジュアルシステム、カーボンナノテクノロジーなど、多方面の専門で博士号取得をめざします。
 
 文系の人もいます。東大大学院で美術史研究を行う人もいれば、名古屋大学大学院で教育経済学大学運営論を研究する人もいます。

 一橋大学で経済学の研究をする人は、今月出産したばかり。6月末から授業を欠席し、毎日友達が宿題プリントを届けて自宅学習を続けました。産後の体で最終試験を受けましたが、優秀な人ですから無事合格。

 10月には生後3ヶ月の赤ちゃんをお母さんに託して留学します。半年して日本に慣れたら、お母さんと赤ちゃんを東京に呼び寄せるそうです。3ヶ月から9ヶ月までの、日に日に大きく育っていく時期のかわいい赤ちゃんをだっこできないのは、母親にとってつらいでしょうが、せっかく得られた国費留学のチャンスを失いたくない気持ちもわかります。

 ご主人は上海に単身赴任中。出産立ち会いも、3日間赤ちゃんのそばにいられただけですぐに仕事先へ帰ったそうで、超多忙のようです。

 最終試験合格発表のあと、7月26日夕方は、クラスの皆が集まってクラス写真撮影大会。教室や蓮の花が美しいキャンパスの池の前で、思い出アルバムの写真を撮りました。

 夜はそれぞれのクラスで合格祝賀会。
 私のクラスは、市内の海鮮レストランで豪勢な宴会となりました。
 体育館のような広い建物の中が植物園風に設計されていて、さまざまな木や花が植えられ、池には錦鯉やオシドリが泳いでいます。
 植物園の中に中国風のコテージが点在し、コテージ内で宴会。

 「今、中国では、このようなレストランが、え〜、はやし、、、はやい、、、え〜」
「はやっていますって、言いたいのかな?辞書形は流行る、テイル形は、流行っている、でしたね。ま、活用間違えても単語忘れても、もう合格しちゃったからいいさ」
 2級レベル試験に合格したといっても、聴き取りや会話はまだまだ弱い人もいます。

 「はい、はやる。流行っています。日本にもこのようなレストランがありますか」
「東京の木場に熱帯植物園があって、その中のレストランで食べたことはあるけれど、そこは植物園が主体で、レストランは付属の施設。ここは、レストランが主体で、植物園はレストランの付属の施設ですから、このような種類のレストランは、日本では私は行ったことがありません」

 学生たちは、思い思いに園内を歩いたり、池のそばのテーブルでトランプをしたり、ここ数日間続いた、連夜の猛勉強の疲れをいやしています。
 学生たちの宴会といえば、夕方5時半開始、6時開始が多いのに、今日は明日遅刻する心配もなく、翌週月曜日に提出の作文宿題もなく、ゆっくり7時すぎに開始、魚料理、ホタテ料理などがテーブルに並びます。

 美味しい海鮮料理をいただき、乾杯を繰り返しながら、本当に心晴れ晴れとおひらきになりました。

<おわり>



2008/01/01〜01/15
ニーハオ春庭「中国からの留学生たち

 正月番組をBGMに、昨年中国で担任した教え子からもらった「クラスアルバム」をゆっくりとながめています。
 2007年12月15日に行われたクラス会で、留学生のみなからもらった記念の写真集です。

 最初のページには、クラス一同からの「寄せ書き」が書いてありました。

 寄せ書きに悪いことは書かないから話半分でしょうが、みな、心のこもった言葉を、日本語と中国語で書いてくれています。

 美術史研究者シンさんは「毎日先生の笑顔を見ると、忙しくて辛い日本語の勉強も楽しくなり、我々も生気を取り戻しました」と書いてくれました。

 ママさん学生フーさんのことば
「人生の特別な、重要な時期に先生と知りあいました。親切的楽観的先生のおかげて、日本語の能力が進歩するだけでなく、子どもを生産、教育にたいするの緊張情緒もだんだんすくなくなて、自信がふえました。もういちどうありがとうございます。」

 日本語学習期間、出産で授業を休んでいる間も、毎日宿題プリントを友達に届けてもらって自宅で勉強を続けていたフーさん、13年前、私が9歳の娘と4歳の息子を実家に預けて中国に赴任した時の話をしました。

 「お子さんのことは心配しないで。離れていても、子どもは母の愛情をちゃんと受け止めて成長しているからね。きっとだいじょうぶ、うまくいきます。再会したときの子どもの成長を楽しみにして、安心して日本に留学してね」と、励ましてきたことを、心に受け止めてくれていました。

 うん、子どもは、生産するより出産したほうがいいんだけど、出産後4ヶ月で子どもと離れたフーさんが、元気ですごしている姿を、年末の同窓会で見ることができて、うれしかったです。

<つづく>

2008/01/02
ぽかぽか春庭やちまた日記>新年快楽(2)学生からのうれしいことば

 シルクロードの町からやってきたカイハクさんのことば
 「私は教室へ行くとき、よく先生の親切な顔を思い出します。ありがとうございました」 私も、アルバムを見ながらみんなの顔を思い出していますよ。
 東大大学院で情報工学の研究をするカイハクさん、がんばってね。

 名古屋で情報処理技術研究をしているチョウさんのことば
 「先生から日本語を習うことだけでなく、親切でいろいろな生活にも助けている。私たちもお母さんのように関心をあげていた真心に感謝いたします」

 う〜ん、チョウさ〜ん、私が力をいれて教えたつもりの「やりもらい」が、、、、
 試験が終わったら、ソッコー忘れるのが学生の仕事、いいですいいです。チョウさんの気持ちは伝わりましたよ。「お母さんのように関心をあげていた」って、私のこと、お母さんのように感じてくれたのね。

 190cm、クラスで一番のノッポさんのマンさんのことば。マンさんは、コンピュータ苦手な私に代わって、教室コンピュータ管理をしてくれました。
 「だいずきなせんせい、私をわすれないでください」

 ハイ、忘れませんとも。だいすきよりももっと好きな「だいずき」な、マンさんの気持ち、伝わりました。

 日本語は、ふたつの語をくっつけると、後ろの語頭は、清音が濁音になります。私は中国が好きです。ふたつをくっつけると「ちゅうごくすきな先生」じゃなくて「ちゅうごくずきな先生」になります。女が好きな人は「女ずきな人」ですよ。って、教えたのをちゃんと覚えていたのね。だから、「大」と好きをくっつけると、「だいずき」になるって考えたのは、日本語の原則にあっているんだけど、、、、
 マンさんは、早大大学院で教育工学の研究をします。

 日本語会話と聴き取りが最後まで苦手で、最終試験に合格するかどうか、はらはらしていたふたり、ファンミンさんとリュウさんは、やっぱり中国語での寄せ書きでした。中国語となると、ふたりとも達筆です。

 最後まで受け入れ先大学が決まらずに、何度も日本の大学にアプローチしたチョウエンさんと、班長のリンさんも中国語でのメッセージ。リンさんは最後まで「英語のほうが日本語より達者」でした。

 リュウさんのことば
 「衷心感謝 悠対我心関心和幇助 悠(〓)耐(〓)細致(〓)我感動 悠(〓)話語也将激励我不断奮闘 祝老師永遠幸福!」
 ( )のところは、達筆な簡体字だったので、私には読めなかったのですが、気持ちは分かりました。

 名大のチョウさんの話によると、リュウさんの指導教官は中国語が得意な先生なので、授業では問題ないし、日常生活会話も慣れてきたから大丈夫ということでした。そう、聴解試験は合格ぎりぎり点だって、日本で生活する間に日常会話はこなしていけます。
 「大学経営論」を研究して、「将来は学長」希望のリュウさん、研究、きっとうまくいくでしょう。

 ひとりひとりの心からの寄せ書きを眺めて、「さあ、私も今年1年がんばるぞ!」と、元気が出てきました。

<クラス寄せ書きおわり>

ぽかぽか春庭「クラス会」

2008/01/03
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(1)ハカセ2班クラス会

 年末年始、いろいろな集まりで飲んで食べて、みなさん、おいしい毎日をたのしんでいらっしゃるだことでしょう。まさか、酢豆腐食べておなかこわした人いないでしょうね。
 春庭、正月はいつもの寝正月ですが、今年は、年末の教え子クラス会に招かれたときにもらったクラスアルバムなどながめながら、のんびりすごしています。

 教え子たちのなつかしい顔をアルバムでたどりながら、昨年の中国滞在を思い出し、年末に行われた「赴日本国中国留学生」たちの同窓会を思い出しています。

 2007年、3月から8月まで中国で教えた教え子たちは、2007年10月に元気に日本へやってきました。

 昨年末12月15日に、日本での第一回目のクラス会が行われ、私もお招きにあずかりました。

 私が担当した「博士二班」の20名のうち、東京組は半数近くの9名。東大、東工大、一橋大、早大に在学中。
 北大、東北大、名大、岐阜大などの遠方の大学に在籍組で東京に集まれなかった人とは、またの機会にということで、今回は東京在住者中心の「クラス会」になりました。

 教え子たちは、2006年9月まで、中国の大学の教師として働いていました。
 中国全土の大学若手教師のなかから、優秀な百人が選ばれ、1年近く日本語を猛勉強しました。
 彼らは、2006年10月に日本語学習をスタートし、アイウエオから学びはじめました。

 彼らのコースは、日本の中学生高校生が6年間かけて学ぶ分量の英語(英検2級合格レベル)に相当する日本語を、わずか11ヶ月間で修得するという集中プログラムです。

 教え子たちは、11ヶ月の日本語学習を経て、2007年8月に修了証書をもらっています。
 この修了証書は、中国教育部(日本の文部科学省にあたる)が、公式に「日本への留学を認める」と、お墨付きを与えるものです。

 中国で国費留学するためには、「国費留学生試験」に合格する必要があります。この試験に合格するのは、昔の科挙試験に合格するよりむずかしい、と言われています。
 「現代の科挙」に合格せんとする彼らの猛勉強ぶりは、ものすごいものがありました。
 教えるほうもヘトヘトになるくらい。

 彼らが受けた修了証書は、この「国費留学試験に合格したと同等の資格を認める」というお墨付きなのです。
 彼らは、最終試験に合格して留学切符を手にしました。
 文部科学省の招聘国費留学生。学費は無料で、返済不要の奨学金も給与されます。

 この日本語教育機関は、日本の学校教育法に記載された中国で唯一の、「中日両国政府合弁」教育施設です。中国と文部科学省が合同で維持運営していく教育機関なのです。
 中国側の教師と日本の文部科学省から派遣された教師が、協力して日本語教育にあたっています。

ぽかぽかはるにわ「楽観的先生のクラス」

2008/01/04
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(2)楽観的先生のクラス

 私は2007年3月から7月まで、初級後半から中級の基礎日本語授業を担当しました。
 日本から派遣された教師団は、「中国最高の頭脳の持ち主たちに、短期集中で最高の日本語教育を授ける」という使命を負って、「神経衰弱」になるくらい緊張しながら授業を続けました。

 学生たちはクラス記念アルバムの寄せ書きに「先生はいつも明るく笑顔で、楽観的だったので、自分たちもリラックスして授業を受けることができた」と、書いてくれていたので、ほっとしたのですが、実をいえば、楽観的どころか、毎日冷や汗三斗、薄氷踏む思いの連続でした。

 この「必死の日本語教師」ぶりは、いっしょに派遣されていたアグアフレスコ先生もまったく同じ思いだったと、母校の大学院研究雑誌の中で述懐しています。
 「中国で大学教師をしていた人々にとって、自分のつたない授業がどのように映っているのか、日々緊張し、反省しながらの授業だった」と。

 私がいつもニコニコ、「脳天気な楽観的先生」でいたのは、そうでもしなければ、自分のダメさかげんがイヤになるし、一度落ちこんでしまったら、どん底からはい上がれそうになかったから。
 
 毎朝、せいいっぱい元気な声で「おはようございます」とクラスに呼びかけ、学生がまちがっても、「うん、この間違え方はとてもいいよ、上達する前提だ!」と、景気づけ、とんちんかんな解答がでても笑い飛ばして、「だいじょうぶだいじょうぶ」と、安心させていたので、学生には「いつも楽観的な先生」にみえていたのでしょう。

 能力不足の私、いろんな面で同僚や学生たちに助けてもらっていました。
 教室コンピュータ管理は、教育工学専攻のマンさんにまかせてしまったし。

 この「教育工学」のマンさんは、実にいい人で、落ち込みそうになる私に「先生は、授業がとても上手です。先生のおかげで、私たちの日本語は上達しています」と、励ましてくれました。

 私の授業は、ぜんぜん上手じゃなかったのに、マンさんに「上手です」と言われると落ち込みから回復できました。
 「教育学」の専門家で、教員養成も手がけていた人なので、「よい教師を育てる方法」を知っていたのでしょう。わたくし、育ててもらいました。

 彼らは、「基礎日本語」授業のあと、国際金融用語とか情報工学用語とか、それぞれの研究に必要な専門用語を修得し、日本での研究生活に臨める学習を積んできました。
 私は8月に日本へ帰国してしまい、修了式にはでていませんので、「みなさんが来日したら、必ず会いましょう」と、約束していました。

 教え子たちは、2007年9月の一ヶ月間、それぞれの故郷で留学準備をして、2007年10月に来日。
 現在は、日本各地の大学で博士号を目指す大学院研究生です。

 ほとんどの学生が1月か2月に博士課程進学試験をひかえ、留学したばかりといっても、のんびり日本の生活に慣れるヒマもなく勉学に励んでいます。

 日本の生活を楽しむ間も惜しんで勉強してきた彼らですが、忘年会シーズン、クラス会をして鋭気を養おうということになりました。

ぽかぽか春庭「餃子パーティ」

2008/01/05
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(3)餃子パーティ
 
 中国の人たちは、みんなで集まってごはんを食べるのが大好きです。

 12月15日、11時前に、国際交流会館のキッチンに集合。餃子パーティの開始。
 スーパーへ食材の買い出しに行く者、近くの「ダイソー」に行って、紙コップ、麺棒、「おろし金」など調理器具を買いに行く者、手分けして、料理スタート。

 教え子たちが住む国際交流会館は、国費留学生のための寮で、世田谷区にあります。
 世界各国から集まった留学生が、ここからそれぞれの大学に通学しています。

 最初の1、2年間は、この「国費留学生用の寮」に、そのあと民間アパートに、という住生活プランの学生が多い。
 地方の大学ではずっと大学留学生寮に住めるのですが、東京は留学生数も多く、留学生寮に入居できる期間が制限されているので、いろいろたいへんです。

 私が教えたクラスの学生、東大理系2人文系1人一橋大1人が、この寮に住んでいます。ほかの東京組、、早大2人と東大文系ひとりは、駒場東大前の留学生会館に入居しました。
 昨年7月に出産し、赤ちゃんをおばあちゃんに託して留学してきた「国際金融」研究のママさん学生も元気な顔を見せています。彼女は大学キャンパス内の留学生寮に入居できました。

 そのほか、横浜からふたり、京都からひとり、名古屋からひとり、遠路はるばる駆けつけてきました。
 名古屋から来たチョウさんが言いました。
 「先生は私に、日本では、ぜひ青春18切符をつかって旅行しなさいと教えてもらいました。だから、私は、昨日の夜、青春18切符で電車に乗りました。今朝、東京駅に着きました」

 うん、私が雑談で言ったことをしっかり覚えていて、青春18切符を使いこなしているんだね。私が教えたことが役にたってうれしいよ。

 でも、私が授業中あれほど口をすっぱくして教えたつもりの「やりもらい」の使い方、「先生は私に教えてもらいました」じゃなくて、「先生は私に教えてくださいました」って教えたのに、、、
 ん、まあいいよ、いいよ、間違えても、気持ちが伝わりました。みんなと会えてうれしい気持ち。 

 にぎやかに会話しながら、餃子や中国料理ができあがっていきます。それぞれの大学事情や寮のようす、この2ヶ月半の日本での体験、みな、話がいっぱいあります。

 中国では餃子の皮を手作りするのは、日本で自宅の炊飯器で米を炊くのと同じ感覚。餃子の皮を買うのは、「パック入りレトルトごはん」を買うのと同じで、手抜き料理の感じになる。
 男性も器用に餃子の粉をこね、皮を丸く仕上げることができます。

ぽかぽか春庭「思い出のアルバム」

2008/01/06
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(4)思い出のアルバム
 
 中国の男性は、もともと料理が得意な人が多いですが「日本に来て、ひとり暮らしですから、料理がじょうずになりました」と、皆言っています。
 生活費をおさえるために、皆、朝晩料理を作り、大学へもお弁当を持っていって、研究室の電子レンジでチンして食べているのだって。

 ほとんどの学生が結婚していて、「博士課程に進学して落ち着いたら、妻子を日本に呼び寄せたい」と、希望しているので、そのために出費は極力おさえて、家族を呼びよせる準備に貯金しているのです。

 みな、おなか空いてきたので、ぜんぶが仕上がらないうち「味見」と言いながら、ひとくちずつ頬張っています。
 私も、「海老とニラと卵の餃子」「豚肉と白菜と葱の餃子」「牛肉と椎茸と葱の餃子」など、ゆであがるたびにつまみながら、肉餡を皮につつむお手伝いをしました。

 私が包むと、肉餡をいれすぎてはみ出てしまい、失敗多数。失敗したものはふたつあわせてUFO型に作りなおせばOK。いつでも「失敗は次のステップのためにある!」と、クラスで言っていたことの料理実践編です。

 料理がひととおりできあがり、みなが席につきました。
 リンさんの挨拶から「餃子食べ放題」パーティ本番です。

 クラス代表だったリンさんは、英語のほうが日本語より流暢なので、いつも会話は英語と日本語のチャンポンで「クラス代表」として働いてくれました。専門は「国際関係」です。
 ふるさとに奥さんと生まれたばかりのお子さんを残してきています。

 乾杯音頭をとろうとして、リンさんが口を開こうとすると、すかさず、悪友たちは「レディス、アンド、ジェントルメン」と、冗談を言ってからかいました。英語で話し始めようとして、口ごもってから日本語を話すリンさんのくせを、皆は笑いながらもクラス代表として信頼してきました。

 料理を作っている間は、中国語のおしゃべりが飛び交っていましたが、食べながらひとりずつの挨拶は、日本語で上手にできました。
 うん、みんな日本語じょうずですよ。いろいろ間違いはあっても、ヘーキヘーキだいじょうぶ。

 修了式で私に渡したかったという「クラス卒業記念アルバム」の贈呈式がありました。
 「日本の南画、中国との影響関係」というテーマで美術史研究するシンさんが代表になって、上手に編集されているアルバムを渡してくれました。
 アルバムをひらくと、なかには、なつかしい顔がいっぱい。
 
 餃子忘年会に出席できなかった人たちの顔を思い浮かべました。学生同士はメール連絡取り合っているので、みなが元気良く留学生活をおくっているようすを確認できました。

 食べながらのひとりひとりの日本語挨拶。
 東大でメディア研究をする予定の上海出身のカツさんは、
「理系の人は、特に問題はなく博士課程に進学でき、研究生からほぼ自動的に博士課程の院生になれます。でも、文系の学生は、厳しく論文や日本語力を審査されるのでたいへんです。去年、東大情報学環博士課程に入学希望した中国人受験生13人のうち、進学できたのは一人だけだったそうです」
と、心配そう。

 だいじょうぶ、カツさんは、高校時代にも日本に留学したことがあり、とてもこなれた日本語を話せますし、研究もしっかりしているので、きっと博士課程の院生になれるでしょう。

 日本留学経験のあるカツさんや大学で日本語を学んでいたフーさんは、初級前半の授業は免除されていて、半年だけの2班クラスメートだったのですが、クラスによくとけ込んでいました。

ぽかぽか春庭「いかがお過ごしますか」メール

2008/01/07
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(5)「いかがお過ごしますか」メール

 名古屋から来た青春18切符のチョウさんは、中国でも女性にモテモテでしたが、名古屋でも
「女の留学生が、毎日かわるがわる私の部屋に来て料理を作ります。毎日違う女性なので、どの人が奥さんですか、と、友達が質問します。だれも私の妻ではありません。私の妻は、今、韓国に留学しています」
と、笑わせていました。

 留学直前に「駆け込み結婚」した、チョウさんとカツさん、短い新婚生活のあと、すぐ留学してしまって、さぞかし奥さんが恋しいことでしょう。

 チョウさんは、名古屋と岐阜の学生連名のサインがある「年末年始ごあいさつカード」を渡してくれました。

 学生たちにとって、2007年はほんとうに「忙しかったけれど充実した1年」だったと思います。
 2008年は、いよいよ博士課程進学。みな、充実した研究生活がおくれるよう、祈っています。

 クラス会に来ることができなかった遠方の学生からはメールが届きました。
 仙台に留学し、ナノテクノロジーを研究する予定のリエンさんからの年末ご挨拶メールをご紹介しましょう。

 原文のままですので、日本語表現間違えているところもありますが、今は日本語の復習より、押し迫った「博士課程入試」のことで頭がいっぱいなのでしょうから、私としては添削するより、ただただ「入試がんばって」と、応援するばかりです。

(リエンさんのメール)
 先生、お久しぶりですね。いかがお過ごしますか。
先生とクラスメート一緒に日本語を勉強しているうちに、美しい思い出になってきて、ほんとうにありがとうございます。遠いから、クラスのパーティーが参加できなくて、すごくおしいです。

 仙台に着いてからもう三ヶ月間ですね。生活もだんだん慣れました。来年(2008)の二月末入学試験がありますから、今は数学と力学を勉強しています。休みがあるのに、遊ぶことはまだダメだと思います。

 お正月までいくつの日か、前にお祝いを送りたいです。
Happy New Year and Best Wishes.
リエン

 リエンさん、メールありがとう。
 ものすごい努力家で、日本語の勉強も熱心だったリエンさん、「いかがお過ごしますか」は、私の「日本語ゆかいな誤用リスト」に登録です!

 大学院入試、理系の人たちは、ほとんどがストレートで博士課程進学にできるから心配ないそうですが、がんばりやのリエンさん、きっと睡眠時間を減らして勉強しているだろうと想像しています。体に気をつけてね。未来はあなたの前に輝いています。

ぽかぽか春庭「リグン先生」

2008/01/08
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(6)ハカセ2班担任リグン先生

 年末の「クラス会その1忘年餃子パーティ」につづき、新年は、1月5日、博士2班の新年クラス会をしました。

 2007年12月15日に、国際交流会館での年末餃子パーティクラス会にお招きいただいた返礼、というほどのものじゃありませんが、クラスの新年会がわりに、「日本の庶民の家を見る会」に、博士2班の留学生をお招きしたのです。

 「庶民の家」というのは、私の住んでいる団地2DKじゃありません。こちらは「日本のワーキングプアの家」で、とても人様に見せられません。

 第一、ヒトサマが来ても、部屋の中に入って立っている場所がない。足の踏み場がないので、床に散らばった本だの靴下だのの間に、片足ずつ交代で立たなければならず、それではあまりにも疲れるでしょうから、我がすみかへのお招きは、ちと無理なこと。

 かわりに、姑の住まい、緑が丘の「庶民の家」へのお招きです。
 年末、姑に連絡して「ご年始にうかがうとき、中国でお世話になった方といっしょにうかがってもいいでしょうか。みな、中国の大学で先生をしていた方々です」と、たのんでおきました。
 姑は「大学のセンセにお世話になった」と聞いて、即OK。

 「お世話になった大学の先生たち」のうち、「同僚」は、リグン先生ただひとり。あとは「教え子」ですが、クラス班長のリンさんにも、コンピュータ係をしてもらったマンさんにも、いろいろお世話になりました。

 中国での同僚、リグン先生は、私とペアをくんで博士2班を担任していました。若いけれど大変有能なママさん先生です。

 勤務先の大学から派遣され、2007年10月から1年間、私の母校で「中日漢字教育比較」というテーマで研究します。
 中学1年生の息子さんの世話は、高校副校長のご主人と、隣の市に住むお姉さんに頼み、単身での日本研修。

 2007年の中国滞在中に市内高層マンションにあるリグン先生のお宅に招いていただき、息子さんにも会いました。

 リグン先生と、子育てや仕事との両立についてなどいろいろ話をしました。
 リグン先生と私の共通の悩みは、「うちのムスコ、ゲームに夢中でちっとも勉強しない」です。
 リグン先生の息子さんがゲームに夢中なのは、まあ中学生としてそういう年頃かな、と思うけれど、うちの与太郎、大学生になってもゲーム漬けの毎日です。

 中学生になって最初の1年間、母親がいない状態になることについて、心配もあったことでしょう。
 わたしが最初に中国単身赴任をしたとき、息子は4歳、娘は9歳だったこともたびたび話しました。

 「大丈夫、母がいなくも子は育つ。しばらく離れていることで、一人っ子の息子さん、きっとたくましく育ちますよ」と。

 2月の春節休暇には、中国へ一時帰国をするそうです。それまで半年間、息子さんに会えない不安も、私の「大丈夫大丈夫」で、気楽になれたかも。

ぽかぽか春庭「庶民の家」

2008/01/09
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(7)日本庶民の家

 リグン先生にとっても、博士2班の留学生にとっても、「2班の先生と学生がいっしょに日本へやってきた」という状態。お互いに頼りになります。
 日本語でこまったとき、学生たちはすぐに中国語でリグン先生に相談できます。すると適切な日本語表現などを教えてもらえます。

 私も「日本で日本語がわからないとき、頼りにしてね」と、学生たちには言ってありましたが、実際にはリグン先生がいらっしゃる間は、私の出番はありません。中国語ができない私より、中国語日本語両方できるリグン先生のほうが、頼りになります。

 リグン先生が日本語教育について発表するときは、私がリグン先生のアドバイザーになります。

 日本語ではあまりお役にたたない私なので、そのかわりに「日本の庶民の家を見学しようクラス会」にお招きすることにしたのです。

 留学生たちには、年末に言っておきました。
 「これから指導教官の家を訪問する機会があると思いますが、そういう「上層ピープルの家」ではない、ごく普通の庶民の家というのが、どんな感じか、見ておくことも日本留学のひとつの経験になるでしょう。
 私の姑の家、とても狭い家ですけれど、まあ、日本人はこんなウサギ小屋に住んでいるのだと知るのも勉強のうちと思うので、ぜひ、おいでください」

 リグン先生も「教科書に、日本間の説明が書いてありましたが、実際の押入を見たことがなかったので、日本人が布団をどのように畳んでしまうものなのか、よくわからないまま学生に説明していました。そういう細かいところをぜひ見せていただきたいです。知りあいの家に招かれても、まさか押入を開けたりできませんから」と言います。

 今、姑は、家をヒトサマに見せたくてたまらない時期なので、ちょうどいい。
 築37年の古家を、姑ひとりの差配で改築したばかりなのです。

 1月5日は、「日本人の生活はどんなものか覗いてみるのが主目的で、食べるのはメインじゃないから、食べ物は各自持ち寄りです。みな、自分の食べたいものは自腹で買って、それをおみやげにしてね」と、言っておきました。
 姑には、「すぐ食べられるものをスーパーで買っていくので、お茶と漬け物でも用意しておいて」と、頼んでおきました。

ぽかぽか春庭「持ち寄り新年会」

2008/01/10
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(8)持ち寄り新年会

 家にお招きしておきながら、「食べ物は各自でもってこい」とは、なんていう招待なんだというところですが、「今回は食文化ではなく、住文化の見学です。よその日本人のお宅に招かれても、押入の中まで全部見る機会は少ないです。今回は、押入のなかだろうと床下だろうと、全部みせます。

 今までビデオなどでみたことのある日本人の住まいの、見えなかった部分の実際を知ってください。わからないところを質問してください」と話しておきました。

 冬休みに関西へ旅行していたり、ゼミの旅行がある学生もいるので、集まれたのは、班長リンさん、マンさん、カツさん、チョウエンさん、ママさん留学生フーさんです。
 私とペアを組んで2班の担任をして日本語を教えてきたリグン先生をいれて6人が集まりました。

 駅前で待ち合わせをして、スーパーで、日本のスーパーで売っているものでこれまで食べて「これなら食べられる」と、思ったものを各自買い出し。海苔巻きとかいなり寿司とか、みかんとか、適当にカートに放り込みます。

 姑は、まだかまだかと待ちくたびれたのか、曲がり角のところまで、迎えに出ていました。

 玄関で靴を脱ぎ、部屋側にむけて靴をそろえるところから「日本の住文化の学習」をはじめました。
 部屋のなかの仏壇や舅の位牌なども紹介し、庶民レベルの仏教文化についても話しました。

 「日本の庶民の普段の食事を紹介する」ということで、姑が用意していてくれたのは、おでん、豆腐とわかめのみそ汁、つけものと、お節料理の残りの昆布巻き、黒豆など。
 各自が買ってきた焼き鳥、揚げ物などをテーブルにならべて、食べながら、おしゃべり。

 そのあとは、台所の床下収納から、階段下収納、和室洋室、トイレおふろから押入まで全部公開しました。
 「質問に答えますコーナー」では、「ウォシュレットトイレを単独で買うならいくらくらいするか」とか、「改築にはどれくら費用がかかったか」など、「日本の経済、物価の高さ」に関心が集中しました。

 日本では、食品物価が中国に比べて10倍くらい高い、ということは、3ヶ月間の日本生活で実感しているのですが、それ以外の住環境の値段は、買い物をしていないので、まだ実感していません。トイレを借りることはあっても、買うことはありませんから。
 何を見ても、「これと同じ物を買うとしたらいくらか」というのは、一番大きな関心事です。

ぽかぽか春庭「日本のおばあさんとハカセの卵たち」

2008/01/11
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(9)日本のおばあさんとハカセの卵たち

 姑は、今習っている詩吟の、李白の詩などを紹介しました。留学生たちは、中国語で唐詩を朗読し、中国読みでは、脚韻を踏んでいることなどを、姑に説明していました。
 「にほんのおばあちゃん」は、留学生たちに故郷のおばあちゃんのように思えたようで、仲良くなっていました。

 2階の窓際に出してあるミシン。
 姑は改築にあたって、古い家具のほとんどを処分しました。留学生のためのリサイクルバザーなどにも出品したのだそう。
 でも、新婚時代の思い出の品である足踏み式ミシンと、小中学校で音楽教師をしていた実姉が使っていた足踏み式オルガンのふたつだけはどうしても捨てらなかった。

 古いけれど、ミシンはまだ現役で、雑巾縫いなどに活躍しています。
 マンさんは、「ああ、私の故郷でも、母がこれと同じ形のミシンを踏んでいました」と、なつかしそうに言っていました。

 「また遊びに来てくださいね」「今日は、楽しかったです」というご挨拶をかわして、お開きになりました。
 「日本庶民の家見学会」は、まずは大成功でした。

 リグン先生から「ごちそうさまでした」メールをいただきました。

「 とても楽しい一日でした。
 日本人の家庭を見物させていただき、肌で日本文化を感じました。
 それに、おばあさんも優しくて、とても感じのいいお人でした。
 今日のために、いろいろ準備していただいて、誠にありがとうございました。

 おばあさんは本当に可愛いです。
 もう80歳ですが、話も頭もはきはきしていて、ぜんぜん80歳には見えません。
 それに、おばあさん一人にいろいろ日本料理をご馳走していただいて、お礼を伝えてくださいね。 」

 姑のおかげで、「日本の生活文化を知る会」は「日本のおばあさん触れあう会」にもなって、留学生たちにもよい一日を過ごしてもらえました。

<おわり>
 

ぽかぽか春庭「留学生から合格メール」

2008/05/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(1)留学生から合格メール

 桜前線、北海道最北端までのぼり、全国の花見シーズンがおわりました。
 来年もまた花見が楽しめますように。

 桜さくのを待っているころ、仙台で学ぶリーエンさんから、うれしい「桜咲くメール」が届きました。
========== 
(リーエン より)
合格しました  Date: Fri, 21 Mar 2008 04:52:45 +0000

先生、お久しぶりですね。お元気ですか?
もうすぐ春が来ますね。東京の桜が咲いてくるそうですね。私達は四月13日に大河原で花見の計画があります。初めてなんですから、期待しています。

私やっと試験が終わって、四月から入学になります。来週は入学試験のためにスーツを買うに行くつもりです。
これから英語の論文や実験のことも山のようにきます。もっとがんばらなければなりません。

ご健康を祈るように。
リーエン
================

 昨2007年に、中国で受け持った教え子たち。中国全土の大学若手教師から選抜され、日本で博士号を取得すべく留学してきた留学生です。
 昨年10月に来日し、半年間、日本語の上達と研究準備、大学院博士課程入試準備に没頭してきました。ほとんどの人が、2月を中心に博士後期課程の試験を受け、4月入学を決めています。

 上記のリーエンさん、東北地方の大学でナノテクノロジーの研究をしています。
 まさに今、桜爛漫と咲いたようなメールをくれました。はじめての花見を楽しみにしているというメールでしたが、きっと楽しい春満開のお花見を堪能したことでしょう。
 博士課程に入学した教え子たち、よい研究が実るように祈っています。

 今年はダメでした、来年もう一度受験します、というメールも届いています。
 国立大学の博士後期課程の入学試験は、とても難しい。
 特に、文系の場合、大学内のポストが少なくて、オーバードクター(博士号を得ても就職先がない、フリーター状態の博士たち)がどんどん増えていることなどもあって、試験はいっそう厳しくなっています。

 全中国から選ばれて国費留学生となった教え子たち、それぞれの研究で博士号をとるため、博士後期課程の入試を受けても、全員が合格できるという保証はありませんでした。
 専門の研究と英語力が重視される理系に比べ、文系は日本語力が重視されます。日本語で博士論文を書く場合が多いからです。

ぽかぽか春庭「再チャレンジ食事会」

2008/05/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(2)再チャレンジ食事会

 2006年の10月から日本語の初歩を学びはじめて、1年半ですばらしい上達をみせた教え子たちですが、日本語で博士論文を書く日本語力となると、そうは簡単に身につきません。やはり、文系の学生にとっては、試験は難関でした。

 ジュンさんは、教育学を専攻する留学生。
 私の受け持ちクラスではなく、隣のクラスだったのですが、何回か読解の授業を受け持った縁で、隣のクラスの学生たちとも知りあいました。
 ジュンさんは、日本語の文を朗読するのもじょうずで、いつもニコニコと愛らしい女性研究者でした。

 来日以来、半年間、日本語能力向上に切磋琢磨してすごしてきても、すんなり博士後期課程に入学するのは難しい。ジュンさんも、2008年4月の入学はかないませんでした。

 ジュンさんからのメール。
================
 先生  最近いかがでしょうか。お元気でしょうか。
 桜が咲いて、お花見しましたか。
 本当に申し訳ありませんでした。遅く先生に連絡しました。

 先生の手紙を見ると、私の心はとても暖かくなりました。
 そのとき、私は日本語の期末テストと博士の入学試験のために、頑張りました。
 私は先生から力をいただいて、何も言わずにけれども、腹から感謝の気持ちを持っています。本当に先生に直接にありがとうございますと言いたいです。

 ですから、もし先生はいつかご時間があったら、連絡していただけませんか。とても先生とお会いしたいです。
 楽しみにしています。
ジュンウェン(Mon, 7 Apr 2008 21:37:29 +0900)

 入学試験については、残念ながら、合格できなかった。これから、来年の試験のために、もっと頑張りたいと思います。先生は心配しないでください。
 私も困るとき、先生に連絡させていただきます。
 では、集まる日を楽しみにしますね。
ジュンウェン(Tue, 8 Apr 2008 23:11:32 +0900)

==============

 他の中国教え子の留学生たちは、ほとんどが医学工学などの理系で、同じ大学に友達がいる人も多く、ストレス発散のおしゃべりもできます。でも、ジュンさんは教育専攻なので、たった一人で教員養成系の大学に留学しました。

 4月、新学期が始まってから、吉祥寺のロシア料理店にジュンさんをおさそいしました。
 来日してから、今まで博士後期課程の試験勉強や、修士論文を日本語に翻訳する作業をつづけてきたのに、不合格になってしまったジュンさん、がっかりしているかも知れない、と心配しながら会ったのですが、ジュンさんは、「先生、私はだいじょうぶ、来年がんばります」と、明るかったです。

ぽかぽか春庭「めざせ博士号」

2008/05/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(3)めざせ博士号

 博士後期課程の入試に落ちてしまったジュンさんが、「ひとりぼっちで、不合格のつらさに耐えているのではないか」という心配は、杞憂でした。

 昨年10月に来日したときから、先に日本に来てエンジニアとして働いているの恋人といっしょに住んでいたのです。
 「あらあ、恋人といっしょだったのなら、心配しなくてもよかったわね」と、わらいました。

 中国での教え子のうち、ほとんどの人がが結婚していましたが、80%は同じ大学で学んだ同窓生、あるいは大学同僚との結婚でした。
 クラス最年長、名古屋で大学経営論を研究するリューさんにいたっては、「妻は中学、高校、大学、ずっと同級生。今は銀行の副頭取をしています」といっていました。
 ジュンさんの恋人も、同じ大学の人。

 博士課程に合格したら結婚の届けを出すそうなので、結婚届の提出もちょっと延期になったけれど、希望をもってすごして、来年は博士課程合格と、結婚のふたつの花が咲くことでしょう。

 昨年、中国では、自分のクラスの学生コンパのほか、いつもジュンさんのクラスのコンパにも招いてもらい、カラオケでうたったり、おいしい中華料理を食べたりしてきました。全部学生たちのおごりでした。

 中国ではコンパに先生を呼ぶ場合、完全にご招待です。先生がお金を出したりしたら、失礼なことになるのです。
 日本では、学生と教師がいっしょに食事したら、教師がおごるんだよ、と、日本の習慣について説明し、「今日のロシア料理は、私のおごりだから、たくさん食べてね!」

 ジュンさんは、「グルジア式チーズパイ」を頬張りながら、「先生に教えていただいたのは、読解の授業を10回くらいでした。でも、わたしにとっては、この10回の授業は、人生のなかでとても大きいものになりました。いつも元気で、にこにこしていた先生の授業が大好きでした」と、言ってくれます。(そりゃ、おごられている時に、あなたの授業はつまらなかったとは言えないけれどね)
 
 ジュンさんの出身大学は、私の、若い友人ランリンが日本語講師をしている大学です。
 ランリンも準教授の試験をめざしてがんばっています。去年、はじめて挑戦した昇任試験に不合格だったときは、ずいぶん落ち込んでしまったようですが、娘さんシンシンちゃんに励まされて、再チャレンジを決意した、というメールをくれました。

 そう、一度うまくいかなかったからといって、あきらめることはない、何度でも夢にむかって挑戦を!

 ランリンが住む町は、ジュンさんのふるさと。一人っ子のジュンさんを日本へ送りだし、心配しながらも応援してくれる故郷の両親の顔を思い浮かべ、日本語を共に習った学友たちの顔を思い浮かべながら、ジュンさんは、来年へ向けてまた新しい一歩を踏み出しました。

 東京で忙しい留学生活を送っていると、中国で日本語学習に励んだ日々がなつかしい、とジュンさんは言います。日本語学習で切磋琢磨、助け合い競い合った1年間。
 クラスメートそれぞれ、自分の夢にむかってすすんでいます。ジュンさんも、しっかりと来年へ向けて歩んでいくことでしょう。

ぽかぽか春庭「夢にむかって」

2008/05/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(4)夢にむかって

 ジュンさんのクラス「博士3斑」の15人、私が担任した「博士2班」の22人、北海道から九州まで、日本各地の大学へ留学しました。

 ジュンさんは、2006年10月から2007年9月まで、中国教育部直属の教育機関で日本語を学びました。
 中国人大学教授たちと、文科省より派遣された日本人講師が協力して日本語を教える、国家プロジェクト。私は2007年度の文科省派遣教師でした。

 毎年100人前後の学生が、このプログラムで日本国文部科学省国費留学生となり、日本に留学しています。
 100人は、20人ずつ5つのクラスに分かれて日本語を学んでいました。「博士一斑」から「博士五班」まで。

 日本に来てしまうと、なかなか、かって同じクラスだった友達にも、会うチャンスはありません。
 私のクラス「博士二斑」は、年末とお正月に、東京で「ミニ・クラス会」をして、餃子パーティや「日本の家見学会」をしました。

 これは、「博士二斑」の担任リー先生が、現在日本の大学で研究研修期間中で、いっしょに日本にいるおかげ。担任の先生と教え子が同時に日本へやってきた、めずらしいケースです。

 ジュンさんのクラス「博士三斑」の担任先生は大阪在住なので、まだ、東京に住むクラスメートたちのクラス会は行われていません。

 トンシャオさんは、ジュンさんのかってのクラスメートのひとり。
 私は、二人が在籍しているクラス博士三斑の読解授業を担当しました。
 日本のロボット工業の文章を読解するときはアトムやアシモの写真、鎌倉の歴史について読むときは、大仏や鶴岡八幡宮の写真など、さまざまな画像を読解の助けとして読んでいきました。

 今はインターネットから拾えるので、読解参考資料づくりが13年前に比べればずっと楽でしたが、それをパワーポイント教材にととのえるのに、一晩がかりだった。これも、1年たつ今では、なつかしい思い出。

 読解という名の授業なのに、文章を読みとることよりも、「日本文化紹介」の授業になってしまいましたが、ジュンさんもトンシャオさんも面白そうに、日本の生活のあれこれについて聞いてくれました。

 トンシャオさんは、私が出講している国立大学のひとつに留学しました。工学部大学院で工業デザインの研究をしています。
 理系の彼は、2月の入試に無事合格し、博士後期課程の大学院生になりました。

 大学院の研究と同時に、国際教育センターで日本語を学ぶトンシャオさん。
 彼と話をしていたら、ジュンさんが2007年後期に留学先の大学で日本語を習ったY先生と、4月からトンシャオさんが学ぶ日本語クラスのY先生は、同じ先生だということもわかりました。

 非常勤講師はあちこちの大学を掛け持ちするので、大学が異なっても、同じ先生に習うこともありえます。
 私も、国立大学2校と私立大学2校を掛け持ちで週5日授業をしています。
 以前から劣悪な条件で働いていた語学教師は、国立公立大学の法人化により、ますます過酷な条件であちこち掛け持ちしています。それでも食べていけません。

 ジュンさんとトンシャオさんが1年前、私の教え子だったことについて、偶然のことながら、「これもご縁ですね」と、Y先生と講師室で話しました。
 こんな偶然を知ると、100人の留学生が日本全国に散らばってすごしていても、どこかにつながりがあるもんだなあ、と思います。

ぽかぽか春庭「加油!」

2008/05/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(5)加油!

 トンシャオさん、去年は、研究留学生だったから、朝お弁当をつくって持ってくる余裕もあったけれど、2月に博士後期課程に合格し、4月から博士後期課程大学院生になったら、本当に毎日忙しくて、あまりお弁当を作れなくなった、といいます。
 大学内の食堂で、お昼ご飯をいっしょに食べることにしました。

 5月2日、トンシャオさんとランチ。
 図書館近く、大学会館のレストランで。あまりおいしくはないけれど、ワイワイしている生協学食よりは落ち着いて食べることができます。

 トンシャオさんの悩みのタネは、やはり日本語。
 大学院の指導教官と話すときは、先生が気をつかって専門用語などを説明しながら言ってくれるので、大丈夫だけれど、問題は、大学院生同士のディスカッション。

 日本人院生たちの会話は、とても早いし若者言葉も混じるし、専門用語の解説なしに話がすすむので、ディスカッションなのに、自分の意見を言うこともできない、と、トンシャオさんは嘆いていました。
 だんだんに耳がなれてくるし、若者言葉も覚えていくから大丈夫、と励ましました。

 トンシャオさん、若者言葉の会話に悩みつつも、とても元気で、研究の抱負を語っていました。
 また、北京オリンピックに日本人を連れて行くボランティアスタッフに応募したので、運がよければ、スタッフに選ばれるかもしれない。そしたら、この夏にはボランティアとして日本人といっしょにオリンピック見物ができるんだけれど、、、と、言っていました。

 「北京オリンピックも見たいけれど、なにより、日本人といっしょに行動していれば、自分の日本語の勉強にもなると思うので」と、語るトンシャオさん。
 応募する中国人留学生はとても多いそうなので、「宝くじ」みたい、ということですが、うまく当たるといいね。

 「ジュンさんトンシャオさんのクラスもそのうち集まってコンパをすることがあるでしょう、そのときはまた、私やチュンツォン先生も呼んでね」と、トンシャオさんに話しました。

 14年前に中国で教えたときの教え子のひとりに、耐震構造の研究をしている女性がいました。
 自分が子供のころに経験した四川省の大地震を心にきざみ、地震に耐える建物を研究しようと志したのです。

 たぶん、政府の建物などには、耐震構造の研究成果が生されていることだろうと思います。
 でも、一般の人の家までは、まだ耐震構造がいきわたってはいない。
 彼女が望んだ「二度と地震のために人が死なないように、丈夫な家を研究する」という志が、かなうのはいつの日でしょうか。
 きっとその日をめざしていることでしょう。

 留学生たち、みな日本での研究生活、かんばっています。
 私も授業と研究、がんばるよ。
 加油!チャーヨゥ!

<おわり>







春庭ロフト目次

春庭ワークショップ目次


     トップ アイコンサイト管理会員ニッポニアニッポンコミュニカティブ言語文化研究会

話し言葉の通い路トップ  サイトマップご案内 コミュニカテイブ アプローチ リンク集

話しことばの通い路