Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究

ポカポカ春庭の言葉と文化逍遥記
| 2007日付 |
タイトル |
今日の一冊 |
著者 |
| 01/07〜09 |
短歌ノート |
『春庭短歌ノート』 |
・ |
| 01/02〜04 |
光太郎の詩 |
『道程』 |
高村光太郎 |
2007/01/07 日
ことばのYa!ちまた>短歌ノート(1)
眼鏡と財布と鍵と通帳とハンコを年がら年中探し回っている。
「保管場所を決めておけばどこにおいたか、すぐにわかるのに」と、いつも言われているのだが、もちろん決めてある。しかし、ものをなくす人というのは、毎日、「ちゃんとした置き場所にしまうまで、ちょっとの間だけ、臨時に、仮に、ここにおいておこう。ぜったいにすぐに、ちゃんとしまうから」と思って、「臨時保管」をしてしまうものなのだ。
クレジットカードの引き落としに使っている通帳の残高が不足して、引き落としができなかった、という連絡が届いた。あら、たいへん。
あわてて通帳をさがしたが。
去年、「ちょっとだけ、仮に、臨時にここにおいといて、あとでちゃんと、、、、」と思った、その「臨時に仮にちょっとだけ」の場所がわからなくなった。
引き出しやバッグや、私が「臨時にものをおいておきそうな場所」を探し回る。
こういうときは肝心なものは見つからないが、以前から探しているほかのものがみつかることになっている。
「まちがえてほかの古ノートといっしょにすててしまったのだろうか、なくなってしまって残念だったなあ」と思っていた「短歌ノート」がみつかった。
短歌といっても、短歌になっているのかどうかさえおぼつかない。師匠もおらず、気が向いたときにひょこっと口にのぼることばの切れはしをメモしておいたノートだ。
それでも、ノートがなくなってしまうと、そのときどきの心のつぶやきが消えてなくなってしまったような気がして、残念に思っていた。なくなって、そのままになって数年、ひょっこりと見つかった。
ノートが出てきたので、一部コピーしておきます。
そう、このころは、こんな気分でいたんだと、私の姿を残してきた歌、なつかしかった。
「ウェブの中に記録しておけばなくさないかも」と、思ったのに、2005年と2006年の読書メモサイトが消えた。しかし、自分のサイトからは消えたように見えても、ブロバイダーの記録の中には残っていることがある、っていう話も聞いたので、パソコンよくわからない私ですが、メモの一部を写しておくことにします。
うたの出来具合がいいわるいという規準でのセレクトではなく、日々の営みのなかで感じたことを忘れないため、母や姉ら亡くなった大切な人への思いを残すための記憶のよすがと思って選んびました。
<1998年3月>
(新聞日曜版にオギノ博士の事績記事ありて)
我が排卵も命なきまま命無き無精卵焼くサニーサイドアップに
たったふたつ命となりぬ我が卵子受胎奇蹟の命なりしを
(RPGゲームをする子)
幾たびも死んで幾たび生き返るRPGのみ好める子
「シマネキ(死招き?)」とう毒草に触れ勇者果て淡々リセット押す子の背中
(先の代の地久節という日に)
生きながらもがりの宮に坐すごとき国母と呼ばれし女の一生
(深夜のコンビニで)
コピー機の閃光コンビニ午前二時深夜の孤独を写しとらむか
<1998年3月>
(テレビの自然番組をみて)
アイアイもベローシファカも滅びゆくマダガスカルの森の荒廃
否(いな)否と吠えるましらよ虚虚虚虚と啼く鳥熱帯雨林の滅亡
<1998年8月>
(新宿にて)
唇(くち)赤き老い街娼(たちんぼ)の口ほどの日輪沈みぬ二丁目の角
(吉本ばななの感想を娘と語り合う)
「ばなな」読み、娘と交わす感想が、バナナシェイクにふるふる溶けてく
子音母音子音母音と重なりて開音節にてもの言う我ら
(母と私と娘と)
我娘(あこ)の歌と亡母(はは)の残せし歌並べ旧盆の夜はひとり歌よむ
娘(こ)の詠みし歌とわたしの腰折れを母の形見の句集にはさみぬ
ただ一度全国版に載りし母の一首をかたみに三十年生く
(旧盆前後)
受身形(パッシブフォームPassive form)のパッシブ(passive)受苦形と訳したり殺され焼かれ屠らるる夏
(日本語教室)
午後クラスに満つる使役形「せる・させる」日本語覚えさせるが、わが職
「意向形」立とう進もう愛し合おうFormはかくもたやすきものを
(文法を教えながら)
「抱かれれば、愛されれば」と仮定形しかない受動態(パッシブボイス)の一日(ひとひ)よ
「たい」「たけれ」会いたい見たい愛したい、動詞になれぬ希望の助動詞
(ひらがなを教えながら)
「あ」「い」愛は日本語のLOVE愛されぬ妻なりし我が教えるひらがな
「こ」を九十度まわすと「い」だよ、留学生笑いつ手習い恋来い四月
(エイトマン主題歌をきく)
殺人を犯せし歌手のうたう歌に低く唱和す我も罪びと
(原宿界隈)
「ブラームスの小径」とう路地すりぬけてキラー通りへ向かう殺意か
(夏の死角)
三角函数わからないまま塾やめて、さよなら三角またきて死角
詞(ことば)喰らう玻璃ハリ破離と詩歌食う飢えし心が食っても食っても
午後の曳航東京ベイにひかれゆく少年の刃先よ空を切り裂け
<1998年8月>
(夏の葬列)
亡き叔父はとび頭(かしら)なり。葬列は木遣りうたいつ静かに歩む
炎天に黒列細く上りたり我がいえの墓は山中の墓
夏の葬列。くるくるくると黒き日傘を回していたり墓につくまで
(銀河鉄道)
ジョバンニよ私も切符ないままで銀河鉄道廃線めぐる
(夏の通勤)
顕微鏡の精虫遡行さながらに地下鉄階段群流くだりぬ
<2000年2月>
(チョコレート革命)
チョコムースのような歌詠む歌人いて、「革命?」なんとも甘すぎるんです
(2月の居酒屋)
のんだくれ女がコップあおりつつ「カクメイが希望のことばだったよ」
コリコリと軟骨噛めば我が大腿四頭筋へと罅いる味す
(路地の店)
元皇民朴の書きたるカナクギの「レイメンありマス」アリラン亭前
<2002年4月>
(最終章の春・ホスピスの姉)
静心なく花の散るホスピスの窓よりながむる最終章春
枝えだに宿り木やどし けやき樹は若葉を萌やして大地母のごと
緩和ケア病棟の庭七本の桜の若木すこやかに立つ
ホスピスの窓にふりしく花追いて最期の春を瞳(め)に写しとる
プリンペランとう点滴薬を身のうちにポロンパランと注ぎて寝る姉
ホスピスの庭に光(ライト)をあふれさせ旅立つ人へのカーテンコール
(姉のうたえる)
春の光浴び舞う花よ来年は私はいないがまた咲け花よ
======================
<2003年>
(17文字)
(5月4日に)我も手に釘打ちぬいてみる修司の忌
(カフェ日記を書き始めたころの31文字)
09/27 宇宙(コスモス)へ旅立つ人へ一輪の秋桜たむけてグラスほす夜
<おわり>
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2007/01/02 火
ことばのYa!ちまた>亥年に牛の詩
「亥」
娘が年女です。猪突猛進娘?いえいえ、巣穴にひきこもっています。冬眠中。
あれ?イノシシって、冬眠するんでしたっけ。
引きこもりの猪にかわりまして、再来年の干支の「牛」が代わりにごあいさつ。
「牛」(高村光太郎 2006年12月31日をもって著作権切れにつきコピー)
牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く
自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるおいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力じゃない
牛にとっての当然だ
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争わない
争はなければならない時しか争わない
ふだんはすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねじだ
阪に車を引き上げるねじの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力ははうも偉大だ
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口で優しい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた鳴き声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く
00:29 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
2007/01/03 水
ことばのYa!ちまた>冬、三日
酒少し剰し三日も過ぎてけり(石塚友二)
あたたかし三日の森の弱音鵙(もず)(星野麦丘人)
はや不和の三日の土を耕せる(鈴木六林男)
三日はや雲おほき日となりにけり(久保田万太郎)
一月三日の東京は万太郎の句のように、雲が多くなってきました。
今年も箱根駅伝を娘息子とテレビ応援しながらの正月がすぎています。
「あたたかいお正月でありがたい」と、日中はストーブもつけずにすごせるほどです。
12月半ばになってようやくいちょうが黄金色になり、冬が来たという気分にきっぱりとはなれないまま正月をむかえました。
「きっぱりと冬」という気分も、すてがたい、とはいうものの、「刃物のような冬」は、詩のなかで味わうだけにしておいて「寒がりぐうたらの冬」でおわる、三が日
[冬が来た]高村光太郎
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒(はうき)になつた
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食(ゑじき)だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た
09:34 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ
2007/01/04 木
ことばのYa!ちまた>道
娘の焼いたナッツクッキーをぼりぼりかじりながら、2日3日の箱根駅伝往路復路を応援しました。
トップ争いや激しいシード権争いが続き、中継から目を離せないレースでした。
見る方は、お茶飲んだりお菓子つまんだりしながらのんびりの見ているだけですが、冬の道をひたすら走り抜けていく若者の姿は、年のはじめにみんなに元気をわけてくれる気がします。
競り合う激しいかけひきのシーンも、山登りの道をもくもくと独走していくシーンも、選手たちがひたむきに前進する姿をとらえていました。中継地点で、満面の笑顔でたすきをつなぐ者、足をいため、くずおれるように走り込む者。
果てしなく続くように思える道の一歩一歩を、自分の足で踏みしめていくほか、前へ進む方法はありません。
私の道も、まだまだ凸凹道やら急な登り坂やら下り坂やら、苦しい道のりばかり続くように感じますが、一歩一歩、はってでも進むほかなさそうです。
高村光太郎の第一詩集「道程」。
若い頃、「道程」は求道的で、「道徳の教科書」っぽくて、あまり好きになれない、などと生意気にも思っていました。
「道」のなかの、「ああ、自然よ 父よ」というフレーズも気に入らない一節でした。
農耕民族にとって「ああ、自然よ」ときたら、次は「母よ」と発想するほうが、素直な言語感覚なんしゃないかと感じ、「ああ、自然よ」のつぎに「父よ」と呼びかけるのは、キリスト教文化を意識したフレーズなんじゃないか、と思っていました。
今は、光太郎がこの第一詩集を書いたときの年齢31歳よりも、その当時の高村光雲の年齢に近づいて、詩への印象も変わりました。
父光雲と同じ「彫刻」という仕事を選んだ光太郎にとって、父から自立していくためには、父と対峙し、客観視することが必要だったのだろうなあと、思います。
道程(高村光太郎)
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
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