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話しことばの通い路Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究

  
ポカポカ春庭の言葉と文化逍遥記 

2005日付 . メディアリテラシー
04/27〜4/30 メディアリテラシー
メディアリテラシー
2005/04/27 13:02 水
ことばの知恵の輪>メディアリテラシー@

 今年の文部科学省の教科書検定で合格し来春から使われる中学校教科書に、はじめて「メディア・リテラシー」という語が記載されることになった。

 メディア・リテラシーの解説その1。「情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力。メディアの特性や利用方法を理解し、適切な手段で自分の考えを他者に伝達し、あるいは、メディアを流れる情報を取捨選択して活用する能力のこと」。
 この「取捨選択」を主体的に行うことは、大人でも大変なこと。

 メディア・リテラシーの解説その2。「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという」。
 ふう、とっても難しそう。

 「メディアを社会的文脈でクリティカルに分析し評価する」という能力を持っている市民が育っているなら、これから先のメディア社会にも不安はないのだが、そうはいかない。

 私が中学校国語教師だった30年前、伝統的なメディア(新聞、テレビ、ラジオ)利用の場合でも、伝えられる情報をそのまま鵜呑みにせず、批判的に理解することを教えることが、新聞読解のひとつの柱とされていた。

 しかし、現実の毎日の授業では、新聞に書かれている内容を読解することさえ難しい中学生に、漢字を練習させ、辞書をひかせ、段落ごとの読解などやるのがせいいっぱいで、なかなか、ひとつの報道について各紙の紙面を比較しながら読ませる授業、ある記事が誤報だった場合の影響について読み比べさせる、などまではいかなかった。

 授業の場が大学に変わり、留学生教育の担当となってからも、メディアリテラシーが重要な問題であることは変わりない。
 学部留学生対象の「日本事情」という授業を担当するようになり、「日本の歴史と文化」の授業に取り組みをはじめて、10年たった。

 私の講義のほか、授業の柱のひとつは、「日本の歴史と文化」「日本と自国の交流史」を、学生に発表させること。
 伝統文化でも現代サブカルチャーでも、留学生が興味をもったことを調べさせる。10年前に始めたときは、図書館でのカードの使い方、索引の調べかたなどから指導した。
 
 ところがここ数年、留学生にまず第一に指導しなければならないのは、「ホームページに載っていることをそのままコピー&ペーストしたレジュメは不可」ということ。
 第二の指導項目は、メディア・リテラシー。膨大なネット内の情報にはいわゆる「ガゼネタ」も多いし、大手の出している情報だって間違いがないとはいえない。

 ネットから情報を得るのはかまわないけれど、それが信頼できるものかどうか、必ず他の本や辞書にもあたって、確かめること。
 4月のはじめに、そう指導するのだが、私は情報教育の担当ではなく、「日本事情」「日本語文章表現」の教師なのだから、それ以上のメディア・リテラシー教育を続けることはできない。<つづく>

2005/04/28  09:12 木
ことばの知恵の輪>メディアリテラシーA

 去年の留学生「日本の歴史と文化」発表にも、「日本の食文化」「日本人の娯楽」「和服の歴史」など、毎年取り上げるグループがある人気のテーマが、登場。
 最近は「日本のアニメ文化」「スタジオジブリの作品について」や「ゲームソフト分析」など、時代に即したテーマも多い。

 人物を取り上げるグループも毎年ある。「お札の顔の人物」「日本社会を変えた人物」「私が好きな人」など。日本語のレジュメをまとめ、発表する。 
 去年、留学生がとりあげた「源頼朝」「織田信長」「夏目漱石」らについて、レジュメの出典をたずねると、インターネットからプリントアウトした資料をごそっと出して、「いっぱい資料があるのでまとめるのに徹夜した」と、がんばったことを誇る学生もいるし、「日本語の人物辞典の文章は難しかったので、自国語の人物辞典を調べ、それを日本語に翻訳した」とイージーなまとめ方を正直に言う学生もいた。

 調べたことを翻訳するのはかまわない、それも日本語作文能力の向上につながる。
 しかし、インターネットで調べたことは必ずチェックしなさいよ、すべて正しい情報とは限らない、と注意する。

 インターネット情報を鵜呑みにしてはいけない、というひとつの例を紹介しよう。浜離宮の成立について調べていて見つけたサイト。

ある企業が自社ホームページにのせている、近隣の観光案内の一部である。なかなか充実したサイトであったが、史実を確認しないまま掲載している部分がある。

http://www.kikanshi.co.jp/shinbashi/kankou/hamarikyu/hama.htm
(2005/04/11午後、04/26午後閲覧)
=================
 (浜離宮は)甲府宰相殿の別荘 ─ 下屋敷だった
 この埋立地に徳川綱重が別荘を構えたのは承応3(1654)年のこと。寛文9(1659)年には、今も面影を残す庭園が完成しました。
 綱重はあの3代将軍、家光の3男坊。竹橋に本邸─上屋敷を持っていたのですが、海際の涼しい環境が気に入って下屋敷、つまり別荘を建てたのです。
(ここまでの説明はよし)

 綱重は異母弟の家光の四男綱吉と5代将軍の地位を争って負けました。大老、酒井忠清の反対で願いがかなわなかったのです。失意の綱重に割り当てられたのは甲州藩25万石。(ここがちがう)(後略)
===================

 家光の息子3人。長男の家綱(生母は側室お楽)。あと、側室お夏(順性院)が生んだ綱重とお玉(桂昌院)が生んだ綱吉。(ほか亀松と鶴松は早世)

 家光の死後、家綱が4代将軍家を継承。綱重は、甲府25万石の藩主、綱吉は館林藩主となった。
 4代将軍家綱は病弱でに嗣子がいなかったので、跡継ぎが問題となった。しかし、綱重は、家綱死去の2年前に1678年に没した。家綱より先に没した綱重は、綱吉と5代将軍の座を争うことはできなかった。

 1980年、家綱が死去したとき、堀田正俊が綱吉を推挙。
 酒井忠清は、綱吉の将軍継承に反対した。酒井忠清は、家綱の治世後半の大老。家綱死後に起こった将軍継嗣問題で、京都から天皇家の血筋の者を連れてくればよいと主張し、綱吉を推挙した堀田正俊に破れた。
 
すなわち、上記ホームページにある歴史上のエピソードは、たった数行の中に三ヶ所も誤りがある。
「綱重と綱吉が5代将軍の座を争った」→ 綱重は4代家綱より先に死んでいる。
「綱重が将軍になれなかったのは、酒井忠清が反対したから」→ 酒井は綱吉に反対し、有栖川宮を推挙した。
「将軍職になれなかった失意の綱重に甲府25万石が与えられた」→ 家綱の次の将軍になれなかったから甲府を与えられたのではない。家綱が1651年に4代将軍となった10年後、1661年に、綱重は甲府、綱吉は館林に封じられている。

 私たちは他の歴史書や年表を利用することも知っていて、間違いをチェックする方法がいろいろあるが、留学生がこのページだけ見てそのまま参考にしたら、まちがった歴史記述を受け取ることになる。<つづく>

2005/04/30 10:30 土
ことばの知恵の輪>メディアリテラシーB

 2005/04/28に紹介した「浜離宮案内」ページの誤記述は、むしろ単純だといえる。歴史事典などにあたれば、すぐに間違いがわかることなのだから。

 私も、誤変換や思いこみの誤記述をそのままネットに載せてしまうことがある。不案内なことなら、辞書辞典を調べるが、自分で正しいと思いこんでいることについては、チェックが甘くなるので、つい、検証不十分なまま書き込んでしまう。
 誤った部分へ、親切なご指摘もあり、助かっている。

 たとえば、2005/04/10の「一葉桜」に関して。
 「染井吉野」は江戸末期に発見された雑種を栽培して広めたもの。自生種ではなく、新しい園芸種の桜ということを知っていた。桜の「一葉」も江戸期に新しく作られた栽培種であるという解説を読んで、「新種の一葉桜」と書いたところ、桜に詳しい方から、「新種」という記述は不適切、という指摘をいただいた。

 作出種や自然交配の園芸種も新種と呼ぶし、染井吉野を「新種」と表現しているという植物辞典の記載からいうと、一葉を「新種」と呼ぶことも可能だろうが、一般的な文章の中で「新種」と書いたら、未知の種類が発見されたように受け取られるかもしれない。
 指摘を受けて、「新種」という語句を使わないよう改めた。

 素人が多少のまちがいを書いたとしても、訂正する機会はあるのだし、まったく誤変換誤記述なしに書くことなど私にはできないと、さいしょから開き直って、書き散らしている。まちがいや不適切な部分があったら、教えてもらうことをあてにしております。これからも、訂正すべき記述を見つけた方、よろしくお願いします。

 単純な誤記載よりも深刻な問題がある。本当にメディア・リテラシーが必要されるのは、単なるまちがいに対してでなく、もっと根深い問題を含んだ記事に対して。
 読者に誤った判断を与える「ほんとうのような話」は、新聞にもインターネットにもたくさんある。

 真実かどうか、ということを、メディアリテラシーの解説文がいうように「経験と理性、自分の存在すべてをかけて、メディアを社会的文脈でクリティカルに分析し評価する」などということは、簡単にはできない。
 また、読者を誘導する意図的な記事もあるだろう。 

 多くの警告的な事件、たとえば「松本サリン事件における河野義行さん犯人扱い」などが批判されてきた。しかし、誤報や不確実な情報に基づいた記述は、これからも繰り返されるだろう。

 河野義行さんが事情聴取を受け、「家に様々な薬品などを集めている人だ」という記事を読んだとき、すぐさま犯人とは思わなかったが、単純に「ヘェ、なんか関わりのありそうな人が警察に呼ばれたんだな」と思ってしまった。
 他の情報を知らず、記事に書いてあることをそのまま受け取って誘導されそうになったことを忘れず、肝に銘じている。

 ネットの中の言説へもメディアの報道へも、常に主体的な判断を働かせること。流されつつ受け止める自分を、厳しくチェックしなければならないと思う。
 現代社会はメディアを抜きに成立しなくなっている。メディアリテラシーを身につけていくことは、社会のなかに生きていく人々にとって、必須のことになってきたのだといえる。

 中学校教科書に「メディア・リテラシー」という言葉が初登場したというのも、近年の情報化社会深化に対応してのことであろう。

 これから先の複雑な情報社会の中で生きていかなければならない現代の子どもたちには、情報を理解し受容する能力とともに、正確な情報、誤情報の区別、さまざまな情報を吟味し、必要なもの必要でないものを選択していく能力など、今までの時代にはなかった能力が必要とされる。

 小中学校の先生たち、これからもっと難しい局面にぶつかるだろう。教科書の数ページで「メディア・リテラシーを身につけよう」と教えただけでは心許ない気がする。
 文部科学省も、教師ひとりひとりも、情報化社会への将来のビジョンはまだ十全ではないように思う。

 メディア・リテラシーを過不足なく身につけるには、まだまだ道は遠い。(おわり)



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