Home Sitemap 日本語 リンク集

Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
話しことばの通い路
HAL-niwa LOFT
ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究

ことばと文化逍遥記
  
ポカポカ春庭のことばと文化逍遥記 

日付 タイトル 今日の一冊 著者
07/13〜21 アジサイ色

ぽかぽか春庭の色と名とことばの散歩2004/07a
 アジサイ色


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」 アジサイ色いろ(1)
at 2004 07/13 13:52 編集

 7月11日、朝のうちに投票をすませてから、故郷の山の中の病院をたずねた。
 山道をくねくねと登っていくバスから、道ばたに咲くあじさいがみえる。病院前でバスを降りると、空気も東京より冷んやりと感じる。

 癌病棟に入院している叔父を見舞う前に、2年前に姉が最後の日をすごした緩和ケア病棟へ行ってみた。姉が亡くなってから初めての訪問になる。
 
 ホスピス病棟の中庭。2年前の春、姉が最後に見上げた桜の木。ふりしきる花びらを見つめて、最後の春をすごした。
 今は、青々と葉が重なり合い、心地よい木陰を作っている。ベンチにしばらく座っていた。

 ホスピス病棟の中庭には、だれもいない。日の光は、強くしかし静かに中庭の葉や花や虫たちに注がれている。
 紫や黄色の小さな花に、白い蝶々や蜂が出たり入ったりする。足もとを蟻が忙しそうに行き交う。
 木の葉がさやさやと風にゆれる。虫たちが花の間を飛び回り、花たちは思い思いの色を日の光に反射させる。

 中庭に面した病室の窓はどれも白いカーテンで覆われていて、部屋の主たちが中庭の光景を見ることができているのかどうかはわからない。
 静かな小さな中庭に満ちている命の饗宴は、窓の中へは届かない。

 2年前、すでに車椅子に座っていることすら苦痛に耐えながらになっていた姉だったが、外を見たいというので、ほんの短い時間、外の山道が見えるところまで行ってみたことがあった。山の小径沿い。今はアジサイが咲いている。姉の車椅子を押しているときには、小石に車輪をとられないように気をはっていて、木々の間にアジサイがあることなど目に入らなかった。

 ホスピス病棟の窓からこのアジサイが見えるだろうか。
 窓の中は2年前とおなじように、それぞれの窓にそれぞれの最後のときがやってくるまで、静かな時間が流れているのだろう。ある人にとっては短くも色濃い生涯の最後のとき、ある人にとっては長い長い人生の終着駅。

「山なかのホスピス病棟中庭の花びらの中の蜂と蕊たち(春庭)」

 都内花名所のうち、アジサイなら白山神社、小石川植物園によくでかける。
 JR王子駅のホームからながめることができる飛鳥山公園は、江戸時代から桜の名所であるが、アジサイも美しい。

 7月11日の朝も、飛鳥山公園のアジサイを見ることができた。盛りのころに比べると、やや色の種類が少なくなった気がするが、まだ十分に観賞にたえる花が残っている。

 いつもホームや電車からながめるだけだったが、今年は初めて、「飛鳥の小径」を歩いてみた。1ヶ月前の6月5日のこと。

 王子駅で下車。高度成長期以前の雰囲気を残す「さくら新道飲食街」をぬけて、飛鳥山公園の崖下を歩く。
 飛鳥山公園とJR線路の間の小径、「飛鳥の小径」

 アジサイの時期以外では、付近の住民が通り抜けるだけで、通行人は少ないのだが、アジサイが盛りの間は、写真を撮っている人がたくさん。
 三脚のわきを通るにも声かけ道をゆずりあってすり抜ける、ちいさな通り抜けの道。

 青い花、ピンクの花、紫の花、ガクアジサイ。様々な色合いを楽しめる。<アジサイ色いろ続く>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」アジサイ色いろ(2)
at 2004 07/14 07:46 編集

 アジサイの花言葉。「強い愛情」「元気な女性」などのほか「移り気」もあるのは、ひとつの株の花でも、ときには青い花だったり、ときにはピンクになったり、土壌の組成によって、色が変わるため。土壌が酸性かアルカリ性かによってさまざまな色をみせる。

 アジサイ(ホンアジサイ)のラテン学名は、Hydrangea macrophylla。ハイドランジアは水、マクロフィアは容器の意味。たっぷりと水を含んだ、雨の季節にふさわしい名前に思う。

 私が使っている『原色牧野日本植物図鑑』の記述では、Hydrangea macrophyllaはガクアジサイの学名。花が手まり状になるアジサイの学名はHydrangea macrophylla Seringe var.otakusa ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ)となっている。
 現在の植物学では、オタクサの名は除かれているそうだが、在野の植物学者として独自の研究を続けた牧野は、「オタクサ」を削ってしまいたくなかったのだろう。

 「 ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ」この学名の最後の「オタクサ」は、ヨーロッパにこの花を紹介したシーボルトの日本人妻の名前「お滝さん(楠本滝)」にちなんでつけられたもの。

 シーボルトは医師として江戸末期の長崎のオランダ商館で働いていた。
 シーボルトは、長崎から「日本植物図」を植物学者・ツッカリーニに送った。あじさいの発見者は「ツッカリーニとシーボルト」となっている。

 当時ヨーロッパでは博物学が盛んであり、各国は競って世界各地の植物を蒐集研究していた。世界各地にいた探検家、学者、商人まで、新種の発見に夢中になり、本国へ標本や精密な植物図譜を送付した。新種の植物は「植民地から金を生み出す木」でもあった。

 日本のあじさいが西洋植物学研究者に知られるようになったのは、江戸末期からだが、あじさいは古来から日本の地に咲いていた。日本原産の花。
 東京や伊豆などで、野生種のあじさいが発見されている。

 奈良時代のあじさいが、万葉集にうたわれている。
 万葉集の編集者とされる大伴家持の歌。あじさいは「味狭藍」と表記されている。(巻四 773)

「言問はぬ木すら味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に詐かヘけり(こととわぬ きすらあじさい もろとらが ねりのむらとに あざむかえりけり)」
 物を言わない木にさえも、アジサイの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手管に長けた諸弟の言うことに、私は簡単に騙されてしまいました。

 日本語を読み書きする者が、千年の間、簡単に騙されてしまっていることがある。アジサイの漢字表記についてである。<アジサイ色いろ続く>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」アジサイ色いろ(3)
at 2004 07/15 07:33 編集

 もうひとつ、万葉集の中のアジサイ。
 橘諸兄の歌では「安治佐為」という万葉仮名で表記されている。(巻二〇 4448)
(たちばなのもろえ{684〜757}、父は敏達天皇の玄孫美努王,母は県犬養三千代。光明皇后(藤原不比等と再婚した三千代の娘)の兄として、奈良時代に権勢をふるった)

「安治佐為の八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲ばむ(あぢさいのやえさくごとくやつよにを いませわがせこみつつしのばむ)」
 この場合の「八重咲く」は、「八重咲きのアジサイ」ではなく、「たくさんの花びらが重なりあって咲いているアジサイ」であろう。

 アジサイの表記について。
 平安時代のお坊さん、昌住が著した「新撰字鏡」では「安知左井」と表記。
 同じ平安時代の「倭名類聚抄(和名抄)」では「安豆佐為」。

 アジサイ。安豆(あつ)は「集まる」という意味。「佐(さ)」は、真を意味する。「為(い)」は、藍(あい)の意。すなわち、「真の藍色(あいいろ)の集まり」という花の様子から、安豆佐為(あつさい)と名がつき、安豆佐為(あつさい)が転訛(てんか)して、アジサイになったのだという。

 明治時代に編纂された「大言海」で、大槻文彦は「あじさい、語源は集真藍(あつさあい)」としている。

 アジサイに「紫陽花」の漢字をあてることについて。
 平安文学は、中国唐詩の影響を強く受けている。ことに中唐の時代の詩人白居易(白楽天772−846)の漢詩文集「白氏文集」は、人気が高かった。白居易の詩がアジサイに関わっている。

 10世紀に成立した「和名抄」に『白氏文集律詩に云(い)う、紫陽花、和名、安豆佐為(あつさい)』と書かれている。倭名類聚抄(和名抄)の編纂者は源順。

 源順は、白居易の「白氏文集第20巻」の中にでてくる紫陽花をアジサイのことを指していると思いこみ、「紫陽花=アジサイ」とした。
 源順の記述により、「白氏文集」に出てくる紫陽花がアジサイのことだと、皆も疑わなくなった。現在ではアジサイの漢字表記は紫陽花が一般的。

 しかし、ちょっと待って。ちょっと違う。
 実は、この「白氏文集」の中にでてくる紫陽花(ツィヤンファ)がどのような花をさしていたのかは、わかっていない。
 源順が「紫陽花とは、わが国の安豆佐為のこと」と書き残したのは、彼の思いこみによってであり、根拠があってのことではない。<アジサイ色いろ続く>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」アジサイ色いろ(4)
at 2004 07/16 07:21 編集

 白居易が詩にした紫陽花が、紫色の花だったことだけは確かなのだが、その花が、はたして紫色のアジサイだったのか、ライラックのような紫色の花だったのか、はたまた別の紫色の花だったのか、記述は何もない。

 「白氏文集章巻二十」には、白居易が紫色の花を見て、だれもその名を知らなかったので、「紫陽花」という名をつけた、と書かれているだけだ。

 「紫陽花」の漢詩の前に、前書きがある。
================
招賢寺有山花一樹、無人知名(招賢寺に山花一樹あり、名を知る人無し)
色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物(色紫にして気香しく、芳麗にして愛すべく、頗る仙物に類す)
因以紫陽花名之(よって紫陽花を以てこれを名づく。)

「招賢寺に、名前が不明の紫色の花木があった。その名を知る人がいない。色は紫で芳香がある。芳しく麗しい愛すべき花。まるで、人間界とは異なる仙界の花のようだ。よって、この花を紫陽花と名付けた。」

「白氏文集」より「紫陽花」

何年植向仙壇上(いづれの年か植えて仙壇の上に向かう)
早晩移栽到楚家(いつしか、移栽して梵家(てら)にいたる)
雖在人間人不識(じんかんに在りといえども人識らず)
与君名作紫陽花(君に名づけて紫陽花となさむ)

いつのころからか仙壇に植えられていた
いつしか移しかえて、寺に植えられた
人の世界に来たけれども、人はその名を知らない
この花に名を与えて紫陽花と呼ぼう
=================
 私は、この白居易の前書きを読んで、「?」と思った。「色は紫にして気は香る」と書かれているからだ。<アジサイ色いろ続く>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」あじさい色いろ(5)
at 2004 07/17 08:28 編集

 白氏文集「紫陽花」前書きにある「芳麗愛すべし。すこぶる仙物に類す」を読むと、あれ?アジサイって、そんなに香りの強い花だったっけ、と疑問が生じる。
 白居易が「色は紫にして気は香る」と書き留めたのは、その紫色のあざやかさと同等に、周囲の空気を満たす香りが印象的だったことを想像させる。

 薔薇やライラック、カサブランカなどの百合の花は、その花の下にたてば、芳香に包まれる。しかし、アジサイの花に近づいて香りを確かめても、そんなに強い芳香は感じない。

 「気が香っている花」の香りに包まれて「ここは人間の世界じゃない、これはまるで仙人の世界のようだ」なんて気持ちにはならなかった。
 アジサイの色はたしかに美しいが、「芳麗愛すべし」とは印象が異なる。

 紫色で香りが強い花といえば、むしろライラックの種類にちかいんじゃないかなあ。だが、確実なことはわからない。白居易が書いているのは「色は紫、香りが強い」ということだけで、花の絵を残しているのではないから。

 私が出講している独立行政法人の大学正門脇バス停に、ライラックの群落がある。毎春バス停周囲が満開のライラックに包まれ、なかなか来ないバスを待つ間、馥郁とした香りを楽しむことができる。

 白居易が「色は紫にして気は香る。芳麗愛すべし」と言ったのは、この花かも知れないなあ、と思いつつライラック(リラ)の香りを楽しんできた。

 白居易は紫陽花の姿形をどのような花であるとも描いていないのだから、「気は香る」という表現を「芳香がある」と受け取らず、「色の紫から、周囲の気が香るように感じる」と、色彩からくる感覚を「気が香る」と表現したのだ、と考えることも不可能ではない。

 源順も、白居易が描き出した花を確実に知っていたのではないが、彼自身の詩への感受性によって、この紫色の花を「安豆佐為(あぢさゐ)」と受け止めた。

 源順がアジサイの漢字名を紫陽花と思いこんで以来、日本ではアジサイ=紫陽花となり、「安豆佐為」という万葉仮名を押しのけて浸透した。定着してしまえば、それが「現在の日本語表記」となる。
 日本語の漢字表記が成立するには、様々な要素がある。だから、「現時点では、アジサイの漢字表記が紫陽花である」というのは、それでよい。

 ただ、白居易の「紫陽花」は、直接に日本原産の花「アジサイ」をさしていたのではなかった、という事実も知っておきたいと思うのだ。<アジサイ色いろ続く>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」アジサイ色いろ(6)
at 2004 07/20 08:08 編集

 私は、白居易の「紫陽花」は、香り高いライラックのような花だったのかも知れないなあ、と感じた。感じただけであって、絶対にそうだという証拠もない。

 千年前に、権威ある源順が「アジサイ=紫陽花である」と発表したら、だれも異議申し立てをしなかった。
 日本の文芸において、自分の感受性を発揮する以上に、「おつきあいの言葉やりとり」「同じ言葉をやりとりする仲間同士の交流」が重んじられる面があったから、紫陽花は別の花かも知れないと、だれも言い出さないうちに、いつのまにかアジサイといえば紫陽花になった。

 購読している新聞に、畏敬する陳舜臣氏のエッセイが掲載されていた。
 6月7日付の一文に「神戸市の市花は紫陽花」という紹介があり、紫陽花の名付け親として白居易の漢詩が紹介されていた。
 中国文学・歴史にも日本史にも造詣が深い氏のエッセイである。白居易の詩に関する部分は問題ない。

 しかし、文中に「遣唐使や水夫の衣服や荷物についた(日本原産のあじさいの)種が中国の沿岸地方で、しぜんに根付いて花をさかせたらしい」とあるので、陳氏は「白居易が実際にアジサイの花をみて紫陽花と名付けた」として、この文を書いているのではないかと推察された。

 遣唐使が唐のみやこ長安まで出かけているのだから、港町や長安までの道中に、安豆佐為(あづさゐ)の種がこぼれることも十分に考えられる。だから、千年前の上海の南200キロの港町杭州近くの西湖のほとりに、アジサイが咲いていたと想像することもできる。

 だが、「安豆佐為(あづさゐ)=紫陽花」というのは、源順の「思ったこと」であって、白居易が紫陽花の姿形を描写したわけでなく、「紫陽花が安豆佐為(あづさゐ)である」と、断定することもできない。

 白居易が「紫陽花はこの花」と指定しているのではないから、「紫陽花=アジサイ」かもしれないし、ライラックのような香り高い花かも知れない。 しかし、わかっていないのだから、
A:白居易は見知らぬ花を見て、紫陽花と名付けた 
B:源順は、紫陽花=アジサイと思った 
というA,Bから、
C:白居易が見たのは日本原産のアジサイである、
という結論が導き出せないことだけは、確認しておきたい。

 以上、「気が香る花」という一語にひっかかった、オバハンの疑問解消散歩です。<アジサイ色いろ続く>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」アジサイ色いろ(7)
at 2004 07/21 09:04 編集

 現代中国語では、アジサイは綉球科(八仙花科、虎耳草科)、綉球属(八仙花属)。
 綉球、八仙花、大八仙花、八仙綉球、繍球花、洋繍球、紫陽花、紫繍球、瑪哩花、天麻裏花、雪球花、粉團花などと表記されている。(私の手持ちの岩波日中辞典では、八仙花、綉球のふたつのみ)
 「紫陽花」の表記は日本からの逆輸入。「天麻裏花」は、「手鞠」の形の花、というこれも日本語からの表記。

 中国語を確認したり、アジサイの表記について検索をかけて確認するうち、私が自分の感覚で「白居易のいう香り高い紫色の花は、アジサイではなく、ライラックのような花」と感じたことが、案外まとはずれでもないことがわかった。

 植物学者の牧野富太郎が「植物一日一題」というエッセイに「千年前の中国にはアジサイは咲いていない」という長年の植物研究結果を書き留めている、と知った。私が愛用している植物図鑑は牧野の編纂による『学生版原色牧野日本植物図鑑』というハンディタイプの図鑑。しかし、エッセイ『植物一日一題』は読んでいなかったので、いつか読んでみたいと思う。

 また、植物学者湯浅浩史さんが、「白居易のいう紫陽花はライラックと思う」という主旨の文を書いていたことを知った。源順とは異なる感覚で、紫陽花をとらえていた人がいたことに感激!ライラックは片仮名表記なので、西欧の花かと思いこんでいたのだけれど、これも思いこみのひとつ。ライラック原産地は中国という。

 湯浅先生は植物学の権威だけど、「権威者だから、その言葉を信じる」というのじゃありません。植物には素人のオバハンが何となく感じた疑問を考えていったら、植物を長年研究している人と同じ結論に達したことの驚きと、同じ感覚を共有できた!という喜び。

 「アジサイの漢字表記は紫陽花」という「皆があたりまえと思っていること」でも、「ちょっとひっかかる」と感じた。
 「アジサイは雨のなかや湿った場所に咲いているのがぴったりするのに、なぜ、陽の花なのだろう」と感じたり、「芳香のある花」と白居易が書いているのに、なぜ、安豆佐為(あづさゐ)が紫陽花なのだろう、と思った。素朴な疑問を解決しようとあれこれ探っていったら、いろいろな事実がわかってきた。

 自分の心身でものごとを受け止めて、疑いを持ち、疑義提出するにはエネルギーがいる。約束事にしたがい、大勢にしたがってつつがなく生活し言葉を交わし合う方が、はるかに楽しく心地よく物事が運ぶ。
 だが、「つつがなく暮らすために、すでに決まっていることや考え方に従う」だけではいられない時もある。「思考を停止し、大勢に従うほうが楽」と思えるときも、一歩立ち止まり、自分の考え感性を信じていきたい。
 
 飛鳥の小径。アジサイは崖下の小径に咲き誇る。それぞれの株にそれぞれの色。
 様々な色を楽しむと同時に、私は私の感受性でものごとを受け止めようと願う。八方へアンテナをはり、さまざまな考えや感じ方を自分なりに受け止め、自分なりに考えていこう。

 アジサイのさまざまな発色は、土壌の酸性アルカリ性によるのだそうだが、私たちの思考感性は、サンセイもハンタイも、それぞれの自由に。
 世の中全体が一色に染まらぬことを願いつつ、私はさまざまな色を楽しみ、さまざまな色合いをながめることを喜びとしていく。

「紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の 別座敷」松尾芭蕉
「紫陽花の 末一色(すえひといろ)となりにけり」小林一茶
「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」正岡子規
 「集真藍(アジサイ)や株ごとの色 わたし色」春庭
 「陽を放つごとく雨中に咲くあじさい」春庭
<アジサイ色いろ終わり>




話し言葉の通い路トップ  サイトマップご案内 コミュニカテイブ アプローチ リンク集
話しことばの通い路