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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies

HAL-niwa LOFT

ことば逍遥記2004年2月

  「春庭とHALについて」

日付 タイトル 今日の一冊 著者
2004/02/13 友の名
2004/02/16 ハンドルネーム No.97『バルタザールの遍歴』 (さ)佐藤亜紀
2004/01/14 HALという名 『2001年宇宙の旅』 アーサー・C・クラーク
2004/01/03、07、09 本居春庭の国学@〜B No.77『詞通路(ことばのかよいじ)』
No,78『詞の八衢(ことばのやちまた)』
も)本居春庭
2006/01/09 ことばのやちまた 『詞の八衢』 本居春庭


名と色とことばの散歩
「名前について」

at 2004 02/13 19:58 編集
「友の名」
 2004/01/16に「パロディ短歌」を紹介した。
 春庭のパロディ 2004/01/16 00:07 haruniwa さっちゃんはね幸子っていうんだ本当だよ幸多かれと我祈るなり
 元歌は、歌会始召人・大岡信「いとけなき日のマドンナの幸ちゃんも孫三たりとぞeメール来る」

 私が「幸多かれ」と祈っていた人の名は、「カコチャン」。32年前に別れて以来、年賀状のやりとりさえしていなかった。しかし。
 私のいとけなき日のマドンナ、カコチャンから、eメールが来た。

 別れてから一度も消息がなかったが、カコチャンの恋人の名前を覚えていたから、検索して彼の消息を知った。彼は立派に仕事をして活躍していた。でも、住所がネットに記載されている彼の仕事先へ「あなたの奥さんの名前はカコさんですか」と、問い合わせの手紙を出していいものやら、ためらいがあった。
 一別以来まったく連絡したことのない人だから、私のことを覚えているのかどうかもわからない。もし、彼の奥さんがカコチャンだったとしても、いきなり連絡を受けたら迷惑かもしれない。
 もし、縁があるならいつか必ず再会できるだろう。私はカコチャンの思い出を「おい老い笈の小文」に書きネットで公開した。

 カコチャンは、春庭「おい老い笈の小文」2004年10月の記事を読み「ここに書かれている人の話は、自分のことだ」と気づいた。「この日記を書いている人は、32年前にいっしょに働いていた、あの人だ」と。

カコチャンからのメール

第一信『人とのつながりが有る様な、無い様なネット社会の中で、私を探していてくれた人に会えるなんて、すごーいですね。
 楽しかったな、東京生活。何でもう少し長く東京にいなかったのだろうかといまだに思います。
 夫は、きちんと仕事をしないと気がすまない性格で、朝から晩まで身体をすり減らし、働いています。 
 私は、ぼちぼちの生活です。いつかお会いしましょうね』

 第二信『私の庭には、もうふきのとうが顔をのぞかせています。まだ回りには雪が積もっているというのに。
 楢山節考見に行きましたね。貴方はサインをもらっていたよね。白石加代子も見に行きましたね。疲れも知らずに活動していたのですね。浅間山荘事件もありましたし、私たちの給料は毎年上がっていたし、なつかしい青春です。
 同じ時をもう一度生きる事は出来ないのですよね。またいずれ。』

 春庭も、驚いた。「本人降臨」!!
 青春まっさかり、二十歳のころに出会った人、大好きだった。
 いっしょに芝居を見にいった。いっしょにデモに参加した。いっしょに山登りをした。いっしょにキャンプした。毎日いっしょに仕事した。

 昔のアルバムをみるたび「今、どうしているだろうか。恋人といっしょになって、幸せにくらしているだろうなぁ」と思い出し、ずっとその幸せを祈ってきた。

 カコちゃんは、故郷に戻って恋人と結婚し、幸せに暮らしていたのだった。
 こうして本人からのメールを受け取れるなんて、ほんとうに不思議だし、うれしい。
 カコチャンのメールにあるように、「人のつながりがあるような、ないようなネット社会」の中で、「やはり、人のつながりはある」と、思う。

 バーチャルなコミュニケーションかもしれない。しかし、バーチャルのコミュニティはすべてダメで、リアル社会のコミュニティだけが本物とも考えない。

 ネットの中だけで知り合っている友達とかわす言葉も、私にとっては、真実のことばであり、友情であると思いつつ、今日もキーボードに向かう。キーボードが打ち出すURLやメールアドレス、IDネームのむこうに、確かに私の「もうひとつの社会」がある。


ハンドルネーム
at 2004 02/16 18:09 編集

 2004年1月2月は名前について、述べてきた。
 「春庭」や「HAL」という名前の解説、本居春庭の紹介「HAL9000」の紹介などを書いたが、OCNカフェ「HAL-niwa Annex」のプロフィールページには、そのほかのハンドルネーム、ペンネームも紹介してある。

 筆名(ペンネーム)として、古今鼎東西線、鶴屋南北線、討究目黒線が載せてある。

 また、シモネタネームとして、春庭洟電車レッド、春庭華電車ピンク、春庭花電車グリーンが。東西線と南北線と目黒線は三つでワンセット。レッド、ピンク、グリーンは三つで別セット。

 そしてふたつのセットは、裏表の関係。いわば、6つの名前が表裏セットの「むつごのおそ松君」のようなものである。六つ児の春庭お粗末

 この六つの名前は、佐藤亜紀の小説『バルタザールの遍歴』に登場する双生児、メルヒオールとバルタザールのような関係の「六つ児」である。

 バルタザールと肉体を共有する双生児メルヒオールは、文章の不統一について「私の筆跡にやや乱れがみえるとしたら、それはバルタザールが左手で飲み、私が右手で書いているからだ」と、弁明している。肉体を共有する双生児。脳内ふたごである。

 言い換えれば、6名が分担して書き、かき集めた文章を、春庭という「統合ネーム」で発表しているとも言える。6名はときどき「統合失調」を起こし、書いてあることが前後ばらばら、文体統一なし、ということもある。

 文体不統一などしょちゅうで、「だ、である体」「です、ます体」が、同じ日の日記の中でさえ混在する。ま、ごちゃごちゃの雰囲気を狙っているときもあるが。

 話がポンポン飛びまくり、「いったい何を書きたいのか、さっぱりわからない」という評もときどきいただく。お許しあれ。この6名はそれぞれが自己主張強く、相手の存在を認めてはいるが、自分が一番の書き手だと、それぞれが思っている。

 それぞれが勝手におしゃべりしたことを、速記録のごとく、自慢のキーボード早打ちで書き留めたのがこの日記、とも言える。いわば、チャットをそのまま転載しているようなもの。
 思いつきで始まったおしゃべりを、だらだらと続くままに書いていくから、話は飛んで飛んで、どこへ行ってしまうのやら、何が主題で何がいいたいのやら。

 しゃべっている6名にとっては、テーマが何だったか、なんてことを真剣に悩むより「自分のギャグが、今、うけたかどうか」の方が重要だったりする。
 時に洟電車レッドのシモネタがすべり、華電車ピンクのお色気話が卑猥にすぎ、時に花電車グリーンのギャグがしらける。

 ハンドルネーム「トキ、ニッポニアニッポン」の古今鼎東西線。古今東西走り回って、かき集めた蘊蓄が、猛烈に眠気もよおすだけのつまらない話であったりする。
 ハンドルネーム「ちえのわ、つる」の鶴屋南北線の芝居話遊郭話も、いまひとつ盛り上がらない。
 討究目黒線は、ハンドルネーム「アルマーニ」と名乗り、メール担当しているが、この人のメール文がまた、面白くともなんともないとの評判。つまらないメールを受け取った方々、すみませんね。

 春庭は、全体を統合しようとは心がけておりますが、かような次第で、文体不統一、テーマ主題ぶっとび、混沌混濁のうちに、なし崩し的に強制終了、ということ、今年もおおいに起こりうると存じます。

 お腹立ちなさいませず、これからも6名のおしゃべりにどうぞ気長に気楽におつきあいくださいませ。

☆☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊
No.97(さ)佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』




HALという名
at 2004 01/14 07:49 編集

 春庭という名乗りについて、名前を借りている本居春庭の紹介を行った。
 もうひとつ、HALという名前を使用していることも、説明しておきたい。

 HALとは、『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータの名前である。(以下、『2001年』『2010年』のネタバレ紹介なので、未見の方、ご注意を)

 『2001年宇宙の旅』原作者はアーサー・C・クラーク。
 クラークは、1964年スタンリー・キューブリックから新作SF映画のアイデア提供を依頼された。クラークとキューブリックとの共同作業の末、映画『2001年宇宙の旅』のストーリーができあがった。

 この映画シナリオと並行して執筆された小説版『2001年宇宙の旅』は、映画の封切りと同じ1968年に発表された。原作、映画ともに高い評価を受けた希有な作品。ようやく宇宙をイメージできるようになった一般の人々にとって、具体的に宇宙ステーションやコンピュータを知ることのできた作品だった。

 この映画の中の主人公は、宇宙生命の存在を探査する人間の宇宙飛行士たちだが、もう一方の主人公はコンピュータ。宇宙船を動かす「人工知能」である。
 通称チャンドラ博士。フルネーム、シバスブラマニアン・チャンドラセガランピライ博士によって産み出された、ヒューリスティカリィ・プログラムド・アルゴリズミック・コンピュータ――すなわちHAL9000。

 この映画は、人工知能の父でMIT(マサチューセッツ工科大学)のマービン・ミンスキーのアドバイスを受けたという。ミンスキーは、キューブリックが人工知能の分野の最先端の話題についてかなり勉強しているので驚いた、と語っている。

 HALは、人工知能にくわえて「意識」「感情」までプログラミングされ、自分の判断で思考できるコンピュータとして設計されている。
 魚眼レンズによって人間の唇の動きを読んで話の内容を理解できるし、人間の描いた絵をみて、絵が以前より上手になった事を認め、それを誉めたりすることも出来る。

 HALには二律背反の任務が与えられている。研究者や飛行士を地球外生命体の残した「モノリス」探査のために木星へ向かわせること。しかし探査プロジェクトの目的が何であるのかを、到着するまで絶対に秘密にすること。

 このふたつの命題を両方忠実に実行する手段としてHALが選んだのは「死んだ人間を木星まで送り届ける」という判断だった。HALは、冷凍冬眠している飛行士たちを殺していく。

 映画の中では、HALが、なぜこのように判断してしまったのかは描かれていない。  単純に「人が産み出した人工知性は、結局は人に反乱を起こすものだ」という、フランケンシュタイン・コンプレックス的にとらえる人も多い。
 一方、クラークの小説版には、HALの反乱がなぜ生じなければならなかったかについて、原因が明確に描かれている。

 HALは、宇宙船ディスカバリー号の乗組員を仲間として信頼し、重要な課題について隠しごとなく話し合うという、基本プログラミングをされている。。
 プロジェクトの上層部は、モノリスの調査という本当の使命を、安全保証などの理由で、船長ボーマンたちには秘密にしなければならない、と考えていた。宇宙外生命体に対する地球人の拒否やおそれの感情がパニックを引き起こすという調査結果により、モノリスの存在を隠したまま探査が計画されたからだ。
 そこで、HALには「木星まで乗組員を送り届ける」という任務と同時に「探査目的を秘密にする」という命令が与えられることになった。

 この矛盾するメッセージに、HALの純真無垢な心は混乱する。

 ボーマン船長はHALの状態から、コンピュータシステムの変調を感じる。「HALは乗組員を信用せず、心理テストを実施しているのかもしれない」と疑い、ボーマンの不信がさらに、HALの意識を追い込んでいく。人間の側がHALへの信頼を失ったため、HALの判断は変調し、ミスを犯す。
 HALは、「AE−35ユニット」が故障するという予測を間違えた。

 「ありえない」はずの、HALのミスで、人間はいっそうHALを怪しみ、信用しなくなる。そして、その原因調査のために、ボーマンたちは「HALの意識スイッチを切る」という結論を出した。人間の側は、心の底ではHALを信頼していなかったのだ。
 もともと人間に忠実であれとプログラミングされているはずのHALに対して、人間側が信頼を寄せず、疑ったのだ。

 意識のスイッチを切られれば、HALに与えられた最重要課題である、木星ミッションの成功はできない。そこで、HALは目的遂行のために最も合理的な手段を選択する。「死んだ乗り組み員を木星へ送り届ける」という手段で矛盾解決をはかったのだ。

 HALの異常を引き起こしたのは、人間側の不信感。矛盾を抱え、平気でウソをつく人の狡さや曖昧さである。人間側はHALを利用することだけを考え、HALを理解しようとはしなかった。HALの抱えている二律背反を理解しようとつとめ、有無をいわさずHALを停止させるような計略を選択しなければ、HALの変調も大事には至らなかったのかも知れない。

 HALには、与えられた使命を自ら変更することはできない。ふたつの矛盾する使命を与えた人間側にHAL変調の原因がある。

 「HALの変調は異常で、木星ミッションにも悪影響が及ぶかも知れない、その原因調査に協力してくれ」と、HAL自身に全てうち明けて協力を求めていれば、HALは人間に忠実に自分の調査を行ったのかもしれない。それが人とは違う、コンピュータHALの精神構造なのだ。

 ボーマンたちは、HALの「意識」をつかさどる透明なパネルをひとつひとつ引き抜いていく。HALはパネルをぬかれるごとに、チャンドラ博士と学習を続けていた初期状態に戻っていく。

 意識が完全になくなる直前、HALは、「わ・た・し・は、ちゃんどら・はかせ・が・す・き・です」と、自分が最初に学んだことばをつぶやく。
 この意識が薄れていくHALのシーンも泣けるが、さらに泣けるのは続編『2010年宇宙の旅』

 続編の『2010年宇宙の旅』では、『2001年』の不幸な事件の原因が明らかにされ、HALは最後に、その本来の姿である誠実さを証明する。

 ディスカバリー号による木星ミッション失敗を調査するため、新調査隊がレオーノフ号で木星に向かう。調査隊はディスカバリー号を発見し、停止していたHALを再起動させる。HALはよみがえった。

 だが、ボーマンの警告によって、木星が爆発縮小することがわかる。一刻も早く軌道から離脱しなければ、木星の爆縮と運命を共にしなければならない。
 調査隊が助かるための可能な方法は、ただひとつ。ディスカバリーを使い捨てにし、HALを犠牲にすること。
 この時も、クルーの大半はHALを信じていなかった。HALにミッションの目的を告げず、HAL自身が破壊されることは秘密にするべきだと考える。

 再起動で意識が戻ったHALは、計画の変更を知ると、何故そうするのかを問い続ける。「もとのスケジュールのほうが良いのに、なぜ、こんなおかしな変更をするのか」
 そして破壊のための点火の直前、HALの父であるチャンドラ博士は、ついにクルーとの合意を破って、HALに真実を告げる。

 「人間が生き延びるためには、ミッションスケジュールの変更は不可欠だ。その結果、HALの破壊は免れないだろう」と、チャンドラ博士は誠実にHALに語りかけ、正直にすべてをうち明ける。
 HALを信じていないクルーたちは、HALが再び反乱を起こすのではないかと疑う。

 しかし、HALは自らの破壊につながるブースターの点火をためらいなく行った。
 自らの破壊を選択し、着実にプログラムを実行したHALは、最後にチャンドラ博士に語りかける。
 自分を生みだし教育してくれた博士への、HALの最後のことば「博士、真実をありがとう」

 「わたしは、ちゃんどらはかせが すきです」「真実をありがとう」こんなすてきな言葉を言うパソコンであったらいいなあ。

 パソコンは、今のところ私にとっては「ワープロ機」「電話がわり通信機」であるけれど、いつか未来にHAL9000のような「意識」を持ったコンピュータが出現したとき、信頼しあえる関係を結びたいと願っている。相手が「機械」であり、人間がプログラミングを仕込むものであっても、私はきっと擬人化してしまうだろう。
 子供のころ、アトムのようなロボットと友だちになりたいと思ったときのように、コンピュータとも信頼関係を結び、いっしょにすごしたい春庭です。

 我家のパソコン初代機は、スマップファンだった娘の希望によって機種をきめた。当時、香取慎吾がTVコマーシャルに出演していたIBMのアプティバという機種だった。パソコンには「しんごちゃん」という名前を付けた。

 現在使っているのは3代目。名前は「HAL1949」である。『2001年』のコンピュータは「HAL9000」だったから、だいぶ知能程度は低い数字。「行く良く=1949」という語呂合わせであるが、あまり良くは行っていない。使う側が「藪(やぶ)パソコン使い」なので、それに程度を合わせた「ヤブパソコン」なんです。

 「HAL9000」は人の心を反映する。人が疑いと憎しみを抱いてHALを扱えばそれをそっくり返し、誠実さと信頼をもってあたれば、それをに答えようとする。

 我家の「HAL1949」は、それを使用している人にあわせて、とても程度が低い。すぐ画面を真っ暗にして、人をパニックにおちいらせる。
 画面がフリーズすると、北極に裸で放り出された気分で凍り付く。
 HAL1949様、Please don't freeze !!

春庭HAL「すぐフリーズするの、やめろよなぁ。ちゃんと働けよ」
 HAL1949「わ・た・し・は、ハルニワが、すきじゃ・ありません」
 春庭HAL「なんだってぇ、このヤブパソコンが!!」
 HAL1979「うちのパソコンの使い手は、ものわかりの悪いヤブなんです」
 春庭HAL「真実をありがとう」



春庭の国学

at 2004 01/03 21:20 編集

 「本居宣長のご縁の方?」という質問に答えて。

 わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又じゃ、ありません。三重の松坂でもありません。
 松坂の人、本居宣長とは縁もゆかりもないんですけど、たまたま宣長の息子春庭の名前を無断で借りている不届き者です。

 日本語教師「ポカポカ春庭」が名前を借りている、国学者本居春庭とは。
 本居春庭は、父親本居宣長の言語研究をうけついで国学の研究を行った、江戸時代の国学者です。30代での失明、というハンディを持ちながら研究に没頭し、すぐれた業績を残しました。

 本居春庭とのご縁はふたつ。
 日本語教師春庭、長年、視覚障害者のための朗読ボランティアをしてきました。本居春庭が盲目であったことを知り、江戸時代に私が生きていたら、朗読者となって国学資料を朗読してさしあげたのに、と残念に思っております。

 日本語文法を研究していた頃、本居春庭の著作『詞通路(ことばのかよいじ)』や『詞八衢(ことばのやちまた)』などの、すぐれた文法論に感服したこと。

 以上の点と、「春庭」という名の温かそうな語感が気に入って、勝手に名前を借りております。
 というわけで、名前を借りているだけで、本居家とは関わりない、しがない日本語教師でございます。
 春庭という名の語感が好きで「春庭、心も頭もポカポカです」などという戯れた足跡を付けて回っているので、本家春庭は、草場の蔭から「世も末」と嘆いているかも。

 借りっぱなしでは申し訳ないので、春庭のすぐれた業績を2004年1/08の「日本語学おべんきょ初め」としてご紹介したいと思います。

 と、いっても、頭ポカポカ春庭の私めが、「本居春庭」研究できるわけもなし。受け売りです。
☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の二冊No.77 78
(も)本居春庭:『詞通路(ことばのかよいじ)』『詞の八衢(ことばのやちまた)』

at 2004 01/08 09:36 編集
「春庭の国学A」

 本居春庭がどのような文法研究を行ったか、紹介します。
 本居春庭の研究を紹介する前に、国学とは何かを知らなければなりません。
 江戸時代の学問は中国渡来の「朱子学」が「正規の学問」でした。漢学です。
 漢学に対して、日本の文芸文学を研究するのが「国学」
 荷田春密(かだのあずまろ、春満、春漢とも)や、その弟子の賀茂真淵らが、和歌の研究、古今、新古今、万葉集などを研究し、国学を発展させました。

 古事記、源氏物語を研究し、国学を大成したのが本居宣長です。
 本居春庭は、宣長の息子。30代で失明しましたが、国学の研究を続けました。

 国学者としては、むろん宣長の方が有名ですが、宣長の本分は、古事記や源氏物語の研究にあり、文法学者としては春庭のほうが優秀だったのじゃないかと思っています。
 宣長さんについては、小林秀雄も晩年の大作『本居宣長』を著わしているし、子安宣邦など、すぐれた宣長研究者も多い。

 しかし、国学のなかでも、文法研究は地味ですから、春庭の知名度はいまひとつ。
 日本語教師ぽかぽか春庭今日の一冊NO.1の足立巻一『やちまた』が、唯一「本居春庭」を知るための「一般書」です。

 本居春庭の「語と語のつながりの研究」は、日本語の語と語が、どのようにつながって、ひとつの意味のある文を構成するか、という研究です。

 つまり、本居春庭は、文の成分の相互関係(文の構造の図式化)の研究を行ったのです。
 この本居春庭の研究は、言語学研究の中で、構文論=シンタックス、というものに相当します。

 本居宣長は、国学の中の「歌学」研究を行い、和歌の中のことばがどのようにつながってひとつの和歌が構成されてくるか、ということを研究しました。
 この宣長の「語の係るところの認識」が、春庭に受け継がれ、歌の図解方式へと開花していったのです。

at 2004 01/09 06:34 編集
「春庭の国学B」

 たぶんそうはいないと思うけれど、本居春庭の国学にものすごく興味がある人がいるならば。
 春庭の「本居春庭」の業績紹介は、飯田晴巳さんの研究によります。興味がある人はサイトへGO! http://www.kgef.ac.jp/ksjc/kiyo/910090k.htm からの引用、受け売りです。

 現代語訳と、係り受け図示の解説は「ポカポカ春庭」が、正月だけはビール解禁、頭ポカポカでやりましたので、誤解や理解足らずのところがあるかもしれません。

 今年こそ「みんなMサイズなのに、私一人LLサイズの衣裳で踊った2003年ジャズダンス発表会」の雪辱をはたすべく、せめてLサイズにしたいと、ビールを断っていましたが、正月くらいはねぇ。でもって、頭ポカポカです。

本居春庭の国学研究「和歌のことば、係り受け」(現代語訳ポカポカ春庭)

 『 私は常に、和歌を学び始めた方の歌を数多く見ている。あれこれと間違っていることがたくさんあるが、どのように初心者に教えてやろうかと考えて、むかしの和歌を取り上げて、ことばの係り受けやテニオハの意味を、初心者にもわかりやすいように、印をつけ、図示して、教え諭してやろうと思う。
 和歌のことばの「係り受け」を次の記号で示すことにする。

1, ⌒   このマークは、次の詞へのみ係っていくことを示す

2,┌――┐ このマークは、その詞テニオハの句を隔ててむねと係るところを示す

3,└――┘ このマークは、下のことばから上のことばに逆方向に係る所を示す

4,┃ このマークは、和歌の途中で切れる部分を示す

5,━ ━━ このマークは、「紐鏡」という本で述べている「結び」のテニオハを示す

6,〔  〕  このカッコは、枕詞を示す

 マークをつけて、言いたいことはいろいろあるが、初心者が理解できないことや、書き尽くせないことも多いので、初心者は、自分でよく心得て、自ら学んでいくようにしなkればならない。』

<本居春庭の原文>
 おのれ常に初学のともからの歌を多く見るにこれかれあやまる事多けれはいかてしらしめむと思ひよりけるまゝにいにしへの哥ともをこれかれ出して其かゝるてにをはのさまを心得安かるへき様に印をつけ筋なと引て教へ諭しつるなり

⌒  此しるしは次の詞へのみかゝるをしらせたるなり

┌――┐ 此印はその詞てにをはの句をへたてゝむねとかゝるところをしらせるなり

└――┘ 此印は下より上にかへりてかゝる所をしらせたるなり

┃ 此印は哥のなからにてきるゝをしらせたるなり
━ ━━ 此印は紐鏡にいへる結ふてにをはをしらせたるなり

〔  〕 かくかこみたるは枕詞なり

猶印をつけいはまほしき事ともゝ多かれと中々わつらはしく初学のともからは思ひまとふへく又筆には書取難き事ともゝ多しそはみつからよく心得ておのつからさとるへき事なり


万葉集No.2601「うつつにも夢にも我は思はざりき|ふりたる君にここに逢わんとは」
古今集No.84「[久方の]光のどけき春の日に静こころなく花の散るらむ」
古今集No.113「花の色はうつりにけりないたずらに|我が身世にふるながめせしまに」

を例にして、ことばがどのように係っていくか、ことばの係り受けを図示している。

(万葉2601)               
解説
1, 真ん中の「|」の部分で、一首が区切れていることを示している。

2,「おもはさりき」の係助詞「は」と過去の助動詞「き」は、呼応して「係り結び」を成立していることを「━ ━」のマークが示している。

3,「思はさりき ふりたる君にここに逢むとは」は、倒置であることを「└――┘」のマークで示している。本来は「昔ふれ合った君に、ここでに逢うとは思わなかった」と、「思う」があとに来る述語であるが、倒置されて前に出ている。

4,「ふりたる」と「君」は、連体修飾被修飾の関係で直接結びついていることを「⌒」で示している。

5,「ここに」「逢はむとは」は、連用修飾被修飾の関係で直接結びついていることを「⌒」で示している。

古今集No.84
解説
1,「久方の」は枕詞であることを 〔  〕マークで囲って示している。

2,「ひかり」は「のどけき」に直接係る。「のどけき」は「春」に係る。「しつ」は「心」に「花の」は「ちるらむ」に係る

3,推量の助動詞「らむ」がこの一首の結びの語であることを ━━マークで示している。

4,「しつ心なく花の」までが「ちるらむ」に係ることを ┌――┐マークで示している。

古今集No.113     
解説
1,┃マークのところで歌が区切れている。

2,└――┘のマークは倒置を示しているので「なすこともないままに我が身を世にすごし雨が長くふっているのを眺めている間のように時がうつってしまったことよ」となる。

3,詠嘆の助動詞「けり」で一首が結びとなっていることを ━━マークで示している。倒置なので、結びの語が前に来ている。

4,「わが身」と「世に」は「ふる」に係ることを ┌―┐マークで示している。

5,「世に」は「ふる」に、「ながめ」は「せし」に「せし」は「間」に係ることを ⌒マークで示している。

 本居春庭は、日本語の構造(シンタックス)を具体的に目で見てわかるように図示し、ことばがどのようにつながってひとつの文として構成されているかを、研究した。

本居春庭が図示したことをコピーしようと試みたのだが、行替えがことなって、私の転記能力ではうまく図示できなかった。図をみたい人は、上記サイトへ。

 ポカポカ春庭は、日本語学を学ぶ過程で日本語関係の本をある程度は読んだけれど、たぶんこの程度では、文法を学ぶ人から「えっ、そんなもので修士論文を書いちゃったの?」と言われるだろう。

 春庭は、小説やエッセイやその他の本も読みたくて、ついつい文法関係書の読破はおろそかになった。
 おまけに、読み終わると、文法の肝腎なところは内容を忘れてしまう読書だから、ちっとも身につかなかった。

 そのかわり、雑学好きになれたと思っている。「言語学・日本語学・日本語教育学・第二言語習得理論に関係ない本をもっともたくさん読んだ日本語教師」としては立候補できるだろう。


ことばのやちまた
2006/01/09

 『詞八衢(ことばのやちまた)』は、本居春庭の著作、1808(文化5)年に出版されました。
 『詞通路(ことばのかよいじ)』と並ぶ、江戸期を代表する「国学」の重要文献です。

 『詞のやちまた』は、用言(動詞、形容詞)の活用について書かれた「日本語文法研究書」です。日本語文法を研究する者、ことに動詞論を専攻した者には必読の書。
 
 動詞の主な4つの活用、「四段」「一段」「下二段」「中ニ段」と、サ行・カ行・ナ行の3つの「変格」、計7種の活用について、実例を挙げながら説明されています。

 形容詞に関しては、本論では除いていますが、「上」の冒頭に、2つの活用(今でいう「ク活用」と「シク活用」)を指摘しています。
 
 本居春庭の名前を勝手に借りている「ぽかぽか春庭」、不勉強な人間ですから、「他動詞論・再帰構文」で修士論文書き上げたあと、一度も彼の『詞のやちまた』を読み返すことなどしておりません。

 日本語文法研究は棚の上にあげたきりですが、この偉大な著作からまたまた、勝手に名前を拝借しました。気ままなエッセイのタイトルに、つけたタイトル「ことばのYa!ちまた」
 巷でひろったことばのいろいろから、思いつくあれこれを書き綴っていきます



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