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話しことばの通い路
Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture StudiesHAL-niwa LOFT
いろいろあらーな 春庭エッセイ2006年5月

2006 MIXIな日常5月
05/03 記念日の確認
05/05 今昔ゴールデンウィーク
05/10 年金そしてお役所仕事
05/14 母の日
05/21 ショッピングモール
05/25

2006/05/03 月
やちまた日記>記念日の確認

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
『日本国憲法前文 第二段』

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
『日本国憲法第9条』
13:46 |

2006年05月05日
14:35 風邪ひき連休
お天気いいのに、咳がとまらないので、家にこもっています。

最近のゴールデンウィーク、お金がないから遠出はしないものの、ママチャリ自転車で、都内の公園めぐりなどして、ひとりで安上がりに楽しんできたのに、ついに今年は、連日のひきこもり。

私が子どものころ。
犬のコロをつれて、一家で山へ山菜取りピクニックをするのが、ゴールデンウィークの楽しい行事だった。
お弁当もったり、鍋の支度をして、山へ入る。
わらびやこごみ、運がいいと、たろっぺ(タラの芽)がとれる。
きれいな川の水を汲み、火をおこして鍋をかこむ。

まだ小さくてすぐに「つかれたーおかあさん、おんぶして」なんて言い出すモモ。
帰り道は、お母さんとモモだけバスに乗ることもあった。
私はコロといっしょだから、バスには乗れない。
45年も前のこと。

子どもたちが小さかったころのゴールデンウィーク。じいちゃんがはりきって、孫たちの中心にいた。
森林公園や村営バンガローなどにでかけて、鍋をかこんだ。
20年前のこと。

いろんな時代をすごして、今年の連休がめぐってきた。何もできない今年だけれど、積み重なった時間を思いめぐらすことはできる。


2006年05月10日
09:36 年金そしてお役所仕事
 国民健康保険に入らなくちゃ、と思って、午前中に仕事が終わる火曜日、手続きすることにした。

 最初、社会保険庁へ。国民年金に加入していないと健康保険加入について、あれこれ言われると、昔きいたような気がするので、先に年金加入手続をしようと思って。

 こちらは、年金手帳を持っていったので、すぐ手続ができた。
 ただし、1ヶ月12000円の支払いは、とてもできそうにない。老齢年金受給に必要な25年以上の払い込み期間は、もう十分に満たしているので、これ以上払わなくても、受給資格はある。

 ついでだから、年金相談を受けることにした。自分が年金支給年齢になったら、いくらもらえるのか、教えてくれるというので。
 番号札をもらい、3時から1時間まった。こんなに待つと知っていたら、先に区役所へ行っておくのだった。

 係り員の岩崎氏(仮名)は、「厚生年金と共済年金と国民年金と、厚生年金3号保険がバラバラにかけてあったので、計算が複雑です」といいながら、いろいろ計算した。

 60歳から、一ヶ月3000円もらえる。これは若い頃払い込みをした厚生年金の分。62歳からは一ヶ月5000円支給。
 65歳から老齢年金が支給されるので、1ヶ月5万円の支給。40年満額積み立てた人は1ヶ月6万円の支給になるが、私は5万円だけ。

 しかし、一ヶ月5万円もらって、老人の一人暮らし世帯だったとして、生活していけるはずがない。

 「でも、国は老人が働きに働きつづけて国民年金を払い続けて、65歳になったら、1ヶ月5万円で生活しなさい、と言って5万円支給するんですよね」
 と、岩崎氏にたずねると、「自己責任ですから」との返答。

 私「そうですよね。小泉首相は、格差はあって当然、って言いましたもんね。国民年金しかもらえない負け組は、65歳から1ヶ月5万円で暮らせってことなんでしょうね。うち、家賃が9万ですもん。住むところもなくなるわけね」
 
 岩崎氏は涼しい顔をしている。彼は、年金積立金無駄遣いで有名な社会保険庁の職員であり、彼自身の年金は、たっぷりがっぽりもらえるのだから、こちとら負け組が5万ぽっちの年金で嘆いていても、せせら笑っていればいいのだ。

 「こういう社会をつくりあげたのは、あなたがた団塊の世代なんですから」と、岩崎氏は言った。
 私「ええ、そうなんでしょうね。今の発言、ブログに書いておくわ。今日の年金相談、いいブログネタになりました」
と、言うと、彼、あわてて「私が言ったことは、社会保険庁の公式見解ではなく、あくまでも私の個人的発言ですので。ブログに書くなら書くと最初に言っておいていただかないと」と、困っている顔がおもしろかった。

 それまでは、「一ヶ月5万の年金でどうやって暮らしていったらいいのか、弱っているオバハン」を、高みから見下ろす顔をしていたのに、急に弱気になったので、ケッと思った。
 彼、もっとすごい発言をしたので、全部書けば、問題になりそう。社会保険庁職員が、社会保険に関して、こういう発言をしていいのかっていうような。

 でも、私はやさしいから、クビになりそうな発言は、書かないことにしてあげます。ってゆーか、このブログ、姪が読むほか、だれも読まないので安心して、岩崎さん。あなたの発言が社会的に大問題になることはありませんわ。
 相談終了までに25分要した。

 区役所に着いたのは、4時45分になっていた。まずい。
 あわてて国民健康保険の申込用紙に記入する。

 国民保険窓口職員の内田氏(仮名)は「会社の健康保険からの離脱照明書が必要です」と言った。そんな話は聞いていない。
 国民ならだれでも申し込みをすれば加入できるのだと思っていた。

 「以前の健康保険証を持っているか」というので、「持っていないけれど、保険証の番号は覚えているから、それで検索してみてほしい」と申し出た。記録は全部オンラインでわかるはず。

 しかし、職員は「それは何か、メモがあるんですか」という。「メモじゃなくて、記憶です」というと、「そういうのは、利用できません」と、いう。
 オバハンの記憶など、あてにならないというわけ。

 会社の電話番号を言ってください」という。
 会社の電話番号を言ったら、区役所職員は夫の会社にかけていた。しかし「社員の方が出て、今、社長は留守で、社長以外に社内のことは答えられないそうです」という。
 社長ったって、それは夫のこと。

 ここまでのやりとりで、5時になっていた。「また、明日きてください」と内田氏は言った。
 
 「その、保険証番号で検索できるはずだから、社会保険庁に電話してみて」と、たのんだが、だめだった。もう5時なので、社会保険庁は閉庁していると主張する。
 もう5時だが、1分すぎたら、電話を受け付けないような、エライ役所なのか、社会保険庁は。

 しかし、押し問答しても埒があかないので、じゃ、また明日来ます、と、引き下がった。

 職員の内田氏(仮名)は、去年は中央図書館の職員だった。国民健康保険窓口係りに移動になったのだ。
 図書館では何度か本を検索して貰ったので、私は顔を覚えている。むこうは、もちろん図書館利用者の顔などいちいち覚えていないが。

 「もう一度来てください」と平然と言う区役所職員。
 一般の勤務労働者が、今日も明日も仕事を2日も休んで保険加入の手続を行うのが、どれほどたいへんなことなのか、区役所職員給料もたっぷり年金もどっぷりの彼には、想像もつかないだろう。

 私は、1時間いくらの時給で働いているんだよ。ふつうの労働者なら、2日も仕事休んだら顰蹙ものだよ。

 時間は5時から1分オーバーしてしまったけれど、彼が5分間残業をしてくれたなら、私は、もう一日区役所まで足を運ぶ手間をかけないですんだのだ。

 5時の定時にはさっさと家に帰りたい彼は、5分間の残業をしたらソンになるのだろう。

 会社の健康保険離脱証明書というものを持参しなければならないことを知らなかった無知な私が全部わるいのです。
 それは、わかっているけれど、お役所仕事の典型を見た本日、いい勉強になりました。

 子どもたちが「将来は公務員になりたい」なんていうと、いっぱしの評論家なんぞが「最近の子どもには大きな夢を持とうとしない」とか、いうけれど、公務員の仕事ぶりをみていれば、「仕事ろくにしなくても高い給料。残業で苦しまなくても、たっぷり年金、ああ、公務員はいい商売」と、子ども心にもおもうだろうね。
 お役所天国。


2006年05月14日
15:46 母の日
5月13日土曜日、一日早く、姑に母の日のお祝いを持っていった。
何がほしいのか、知らないから、いつも封筒にお金をいれて、2月の誕生日、5月の母の日、9月の敬老の日に届けにいく。

自分の健康保険料さえ払えないで、貧乏暮らししているのだから、そんなたいそうな額を贈れるはずもないが。

2002年3月になくなった舅の遺族年金でゆうゆう暮らしている姑に、毎回なにがしかのお金をとどけるのが、正直きついときもある。
今回も、3万にするか、5万にするか、悩んだ末に3万にした。

81歳で、気丈に未亡人生活を続けている姑。介護保険の世話にもならず、健康オタクで、健康にいいことは全部やっている。
13日も、何度電話してもいないので、もう今日はやめようかとおもっていたら、3時過ぎ、電話が通じた。
温水プールへ行って、水中ウォーキングをしていたのだと。
私は3週間も咳がとまらなくてあえぎながら仕事をつづけているのに、はぁ、81歳、元気だこと。

私の年代の女性たち、ほとんどが実の両親、夫の親、どちらかの介護で人生磨り減らしている人が多いのに、私が介護しないですんでいるのも、姑が健康に気をつかっているおかげだと思う。

その感謝の気持ちが3万と思うと、ちょっと気がひけるが、まあ、もうちょっとかせげるようになったら、増額しましょう。

私は、6時まで姑の愚痴話をひたすら聞き続ける。
姑の愚痴、4月から同居している孫(夫の姉の長女)の話。

夫の姉、ルミさんは2000年7月に亡くなった。
姑は、娘の闘病中、ルミさんのつれあい、ヒロさんが看病に専念してくれたことを感謝し続けている。

ヒロさんは、長女、次女、末っ子長男の三人の子どもに対しては放任主義で、「高校を卒業したら、勝手に生きていけ。親の世話をしなくていいが、親の世話になるな」という方針。

これが、姑には気に入らない。三人とも東京へ出てきているが、いっさい仕送りなどはなし。それぞれがアルバイトなどで暮らしている。
姑は、親がきちんと仕送りをして大学を出すのが、親のつとめだと思っている。

現在、孫のひとり(ルミの長女)と同居中。この孫娘、お金が足りないと「おばあちゃん貸して」という。
姑は、「父親がいないならともかく、いるのに、なんで年金暮らしの私が、孫に貸さなければならないのか」と、愚痴をこぼすことこぼすこと。

私も言ってやる。「でも、うちも同じですから。娘の奨学金まで、会社の運転資金につぎこんでしまう父親なんて、ほんとに、うちの子どもたち、かわいそうです」

あなたの生んだ息子だって、子どもたちに何もしてやらない父親なんだから、娘のつれあいが、甲斐性なしだからって、そう嘆きなさんな。  
娘のつれあいの甲斐性なしを嘆くヒマに、自分の息子に「ちゃんと人並みに家計くらい負担しろ」と、いってやってほしいよ、まったく。

ま、それはそれとして、私はなけなしのお金をはたいて、姑に母の日のお祝いを贈った。
これは、姑が娘を亡くしてからの習慣。

ルミさんが生きている間は、何もしなかった。
嫁が何をしてやったところで、実の娘がひとこと電話で「お母さん、元気?」と、言ってやるほうがうれしいのだ、と承知していたから、嫁は何もしないできた。

でも、ルミさんが亡くなって以来、母の日のお祝いをしてやる人は私以外にいなくなったと思うので、お祝いを届けている。いい嫁だね。

去年、母の日に贈ったお金で、「UV対策してある日傘」を買ったと、姑がみせてくれた。

私自身の母の日のプレゼント。
子どもが小さいうちは、「肩たたき券」や「お手伝い券」などをもらって、うれしかった。
「お母さん、いつまでも元気でね」なんていうメッセージを書いたカードを大切にとってある。

娘が中学生くらいのとき、一ヶ月のおこずかいが3000円くらいだったときに3000円はたいて雨晴兼用の傘を買ってくれたこともあったなあ。

今年は「思い出」かみしめるだけが、母の日のお祝いです。


2006年05月21日
01:04 ショッピングモール
はじめてショッピングモールというところに行った。
ネットで調べたら、駅の東口から徒歩三分って書いてあったので、三分くらい適当に駅から東に向かっていってみたけれど、ないので、雨の中駅まで戻って交番で聞いてみたら、全然違う方向へ向かっていたのだった。

駅から北のほうへ向かう。キリンリボンシティの中のアリオショッピングモール。
キリンビール祭りが「雨のため予定より早く終了しました」って時間についた。

ビルの中のシネマコンプレックスで『ダビンチコード』見ました。面白かったです。おもしろかったけれど、一番印象に残ったのは、狂信的な修行僧が自分で自分をむち打つ姿。
痛いの、画面のなかであっても、きらいです。

家に帰って、テレビの「天才ダビンチの謎」も見ました。


2006年05月25日
03:53 雷
私は傘を持っての片手運転ができない。両手でハンドルにぎっていても、運転あぶなっかしいのに、片手で自転車こいだら、事故必死。だから、雨になりそうだと自転車はやめるのだが、、、

天気予報に「夕方から雨」と書いてあったけれど、「東京は弱い雨」というので、「大丈夫、レインコートでなんとかなるだろう」と思って自転車で出かけた。

地下鉄とバスを乗り継いでいくより、確実に自転車のほうが早いので、水曜日はできる限り自転車で仕事に出かける。

3時半すぎると、ゴロゴロ雷が聞こえてきた。おお、予報通り。
4時ごろから、強い雨。あれ、予報は弱い雨なのに。ウソつき。
資料を作りながら、夜9時まで待ったけれど、弱くならなかった。
しかたがないので、ビニールポンチョを着て自転車で帰ることにした。

あまりに雨が強いので、ビニールポンチョの中に、レインコートを重ね着した。
それでも自転車をこぐ足と手はびしょぬれになった。

手が冷たくなったなか、夜9時半に家に帰って、それから夕食を作る。
夕食じゃないな、若い人たちが言うように、「夜ごはん」だ。

レタス、キュウリ、フルーツパプリカのサラダ。白身魚フライ(冷凍)を揚げて、付け合わせはブロッコリーのバターソテー。

食べ終わるころようやく雨がやんできた。
疲れた。

食べ終わってすぐに寝たら、12時に目が覚めてしまった。2時までふとんの中にいたけれど、眠れないから、起きた。
明日の仕事の準備、ワープロ打ちをする。

そのうち、明日は仕事が休みになったことを思い出した。
ああ、よかった。朝の4時にもう一度寝ることにした。寝坊しても安心だから。





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