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話しことばの通い路
Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture StudiesHAL-niwa LOFT
いろいろあらーな 春庭エッセイ2006年4月

2006 好きなこと楽しいこと
04/06、07 下手の横好き科学好き
04/07〜4/10 アインシュタイン日本見聞録
04/12 イナバウワーはできなかったけど
04/13〜4/23 好きなことたくさん
04/22〜30 海のごちそう
04/08〜4/27 MIXIな日常

2006/04/06 木
下手の横好き科学好き

 新学期。入学式が続きますね。新入生たちがきらきらした顔で校門をくぐっていることでしょう。
 中学高校新入生、大学新入生、クラブの先輩から、「新入生大歓迎」「我が部へどうぞ」という勧誘の嵐が待っています。じっくり選んで好きなこと見つけてね。

 私は、田舎の女子高校時代、友達が入部したからという理由で「科学部」に入部しました。科学部には、生物斑、地学斑、物理化学斑がありました。

 生物斑は、動物飼育や生物観察をする。班員は、毎日顕微鏡などを熱心に覗いている。アメーバとか見ていたんだと思います。
 地学斑は、夜に学校に集まって天体望遠鏡を見つめたり、百葉箱のぞいて気象データをとったりしています。

 三つの斑のうち、物理は大の苦手だったのに、わかのわからぬまま友達に誘われて私は「物理化学斑」に所属しました。
 化学は、わからないけれど好きだったんです。水素と酸素がくっつくと水になるなんて、なんて不思議な!と思いました。不思議発見が大好きだった。
 私にとって、理科室は「不思議部屋」でした。

 「硫酸銅の青って、ほんとうに地球の神秘で生み出されたような色だなあ」と、硫酸銅の入った大きなガラス瓶をながめていたり、「ほんのちょっぴりの水滴をつくるだけでも、水素と酸素の化合実験がこれだけたいへんなのだから、太古の地球に水がいっぱいになったとき、すごい化学反応がおこっていたのだろうなあ」なんて埒もないことをぼうっと考えながら、すごす場所でした。

 熱心な先生の指導のおかげで、科学部物理化学斑の実験リポートが「日本学生科学賞全国大会(読売新聞社主催)」に入賞しました。
<つづく>
09:25 |


2006/04/07 金
朝永博士のことば

 物理化学斑の活動、夏休み中も理科室に通って、先生が指示する実験を繰り返しました。データをとり、電解された金属が花のように雪の結晶のように、不思議に連なって成長していく過程を、ガラス板に固定しました。

 電解質に関わる実験だったのですが、私は実験で何が解明されようとしているのか、ほとんどわからないまま、作業をつづけていました。
 雪の結晶のような姿になる金属を、「不思議だなあ、きれいだなあ」と思ってながめていたのです。

 女子高校なので、どんな小さなことにでも主体的に関わることができました。同時代の共学校のようすを聞くと、「女子は、男子のサポートをすればいい」といわれた人も多く、あの時代に女子高校へ通えたのはかえって良かったのかも知れません。

 日本学生科学賞に入賞して、授賞式に部員が派遣されることになりました。東京までの往復は自費ですが、受賞レセプションでの「ごほうび」が魅力でした。

 他の科学部員は「夏休み中もずっと実験実験で、これからは受験勉強に専念しなければならないのに、東京見物どころではない」と言うので、私は志願して東京で行われた授賞式に出席しました。

 受賞レセプションでの「ごほうび」とは。朝永振一郎博士の講演。
 ノーベル物理学賞受賞者のことばを聴くことができ、感激でした。
 高校科学部に所属する者にとって、受賞レセプション出席っていうことは、野球部の人が甲子園に出たくらい、すごい興奮だったんですよ。

 この年度の受賞作品がまとめられた本を、後年、手に入れました。最優秀賞受賞作品は数ページが与えられていますが、我が校は、1ページのみの紹介。

 研究レポートのなかに、実験中の写真が掲載されています。
 他の物理化学斑員とともに、理科室用の白衣を着てビーカーとスポイトを握りしめている私も写っています。

 理科が得意な科学部員たちが、医学部農学部や理学部、教育学部理科教育専攻などに進学した中、物理も地学も苦手で、文系ひとすじの私でした。でも、写真だけ見ると実験の中心人物みたいに見えます。テヘヘ。実験の内容を一番理解していなかった私なのに。
 40年もたった今では、理科室白衣姿の写真と研究レポートの本、大切な宝物の一冊です。

 私にとっては、物理も化学も地学も「ロマン」の一種であり、空想のなかで世界を広げるファンタジーのきっかけのひとつでした。
 「地球の不思議」「科学のふしぎ」を知りたいと思う心、私にとっては好きなこと楽しいことのひとつです。

08:11 |


2006/04/08 土
アインシュタイン日本見聞録

 完全文系人間だけれど、科学好き。
 教科としては苦手でしたがずっと科学が好きで、今でも、新聞や雑誌の科学記事を、読みふけってしまいます。

 「E=mc2(二乗)」という簡潔で美しいアインシュタインの式も、私にとっては科学というよりロマンの記号です。
 今も、時間と空間をまとめて考えるってことが、よくはわかっていませんけどね。

 それでもアインシュタインが偉大な天才であることはわかるので、去年の「相対性原理の発見から100年」の関連記事があると熱心に読みました。
 今年、有楽町の国際フォーラムビルのなかで開催された『アインシュタイン日本見聞録』という展覧会へも出かけました。

 『アインシュタイン日本見聞録』展覧会のテーマは、「大正時代に日本を訪問したアインシュタインの足取りをたどる」というもの。
 入り口で入場者全員に渡されるヘッドフォンの録音に従って、各ブースをまわると、アインシュタインの日本旅行が追体験できる、というしくみです。

 1922年11月から12月にかけての43日間、アインシュタインは改造社の招きにより、日本各地を旅行、講演してまわりました。
 前年1921年にノーベル物理学賞を受賞した博士に対する一般の人の関心は高く、博士夫妻はどこへ出かけても歓迎の人波にもまれたそうです。

 正直にいうと、アインシュタインに関する新しい発見も彼の事績を知る展示品も、めぼしいものは何もない展覧会でした。
 私はもらった招待券で入ったからいいけれど、地方から東京へ出てきて自費で入場券買ったアインシュタインファンがいたのなら、かなりがっかりするだろうなあ、という規模の展示でした。

 最初のブースには、ただ一枚の電報コピーが天井からつるされています。
 1921年、ノーベル賞の受賞が決定したことを知らせる電報です。

 そうか、アインシュタインは電報でノーベル賞受賞を知ったのか。
 大学卒業以来、ずっと不遇が続いていたアインシュタインでしたが、やっと一流の学者として認められたのです。そのときどんな気持ちだったのだろうなあ。

 離婚した前夫人との間に生まれた子どもたちのことを考えたのか、再婚したエルザ夫人に真っ先に知らせようとしたのか。
 そんなアインシュタインの心を想像しながら電報コピーを見ました。でも何も想像しなかったら、目の前にあるのは、ただのコピーの紙、一枚です。
<つづく>
09:54 |

2006/04/09 日
アインシュタイン日本の旅

 アインシュタインが汽車で旅した日本を追体験する。

 ブースのひとつでは、3分間くらいの沿線風景が繰り返しエンドレスで映写されています。
 大正時代に、走る汽車の車窓から撮影された古いフィルム。80年前の日本の農漁村光景が記録に残されていました。

 車窓のようにしつらえてあるモニターに映る風景を眺めて、汽車の座席を模したベンチに座ります。
 大正時代に、海辺を旅した気分。鄙びた漁村の小さな家々。岸辺にうち寄せる波や遠くに連なる山々。

 でも、3分たつと繰り返しですから、観覧者はエンドレスの光景を眺め続けるか、当時のアインシュタインの気分を想像するか、すぐに席をたつか。

 ヘッドフォンの解説は、この光景がどこの景色という解説もしていませんが、日本の各地を旅したアインシュタイン夫妻の姿を想像して、しばしブース内の椅子に腰掛けていました。

 展覧会で唯一、見ものといえるのは、黒板の写真コピーくらい。
 アインシュタインが日本の大学で講演した時、講義しながら黒板に書き込んだチョークの文字。

 黒板は大学の備品ですから、講演終了後はチョーク文字を消して、普段の授業につかうはずでした。しかし、この貴重な黒板を消さないで、記念にとっておいてくれた人がいました。
 その黒板の写真コピーがひとつのブースいっぱいに展示されています。

 黒板に、数式がいっぱいならんでいます。相対性理論発表当時、アインシュタイン理論を理解できるのは、世界に3人しかいない、と言われていました。
 100年たっても私にはさっぱり理解できませんが、非理系アタマなので、ま、しかたないでしょう。

 あとは、アインシュタインの家族の写真、愛用の時計などの展示。

 私にとって一番興味がわいたのは、アインシュタイン来日を報道している当時の新聞記事コピーが壁一面にはってあるブースです。アインシュタイン夫妻が人々の歓迎を受けている写真や講演の翻訳記事など。

 アインシュタインの記事のまわりには、その日の日本の出来事が報道されています。
 三面記事の雑報がおもしろく読めました。有名女史の死亡記事あり、盗難事件あり、模範青年の表彰記事あり。
 大正時代の世相に読み耽りながら、あれ、でもこれって、アインシュタインと関係ないよな、とは思いましたが。

 明治大正昭和の新聞記事が全文検索できるようになったら、何時間でも読み続けてしまいそう。好きなんです。新聞読むの。
<つづく>
10:46 |

2006/04/10 月
アインシュタインロマン

 1905年特殊相対性理論発表。1916年一般相対性理論発表。1921年ノーベル物理学賞受賞。
 量子力学の考え方では、「量子が確率論的に振舞う」とみなす。これについて、アルバート・アインシュタインは「神がサイコロを振るとは思えない」と懐疑的な立場を述べました。

 「神はサイコロを振らない」、1月から3月まで見ていた連続テレビドラマのタイトルでした。ブラックホールや時空のゆがみや、タイムトンネルなどが出てくるドラマ。
 物理理論はあいかわらず分らなかったけれど、ドラマの人間模様はとても心にしみました。私にはやっぱり量子物理学じゃなく、人間ドラマが合っているな。

 アインシュタインの人間ドラマ。学生同士で知り合った最初の夫人ミレーバと離婚し、いとこのエルザと再婚したこと、学生時代、教授と対立してしまい、研究者として大学に残れなかったこと、さまざまなドラマに満ちた一生でした。
 特に子どものころのエピソードが、心に残ります。

 アインシュタインは、5歳ころまで、ほとんどことばを発することをしない子どもでした。まわりの人は「発達がおくれているんじゃないか」と心配しましたが、両親はアルバート少年の成長を信じ、妹マヤとともに深い愛情で育てていきました。
 音楽に造詣に深い母親は、マヤにはピアノを教え、アルバート少年にバイオリンを与えました。

 アルバート少年は、5歳のときに父親から方位磁石もらいました。どの方向へ向けても、磁石の針が北を指し示すことから、少年は、「この世には、目に見えない力があり、物体に影響をおよぼしている」という事実に驚きました。この「磁力の発見」が、彼の科学への志向を決めました。

 小学校入学後も相変わらずことばを人とかわすことが少なく、友人も少なかったので、彼がたいへん成績もよく能力の高い子どもであるといういうことを知る人は、両親のほかあまりいませんでした。

 ことばを話したがらなかったことで、後年「小学校時代は学習能力に欠ける児童であった」という伝説も生まれました。
 しかし、アルバート少年は、ものごとを理解できない子どもではありませんでした。ただ、自分の興味の向くことだけを集中してやり続け、他のことには無関心という傾向がありました。
 ひとりで幾何の問題をもくもくと解き、解けたことに喜びを感じる静かな子どもでした。

 12〜16歳くらいまで、独学で幾何と微分を学びましたが、学校の先生には好かれない子どもでした。
 大学に入ってからも、アインシュタインの成績は、興味がある科目は最高点、そうでなければ最低点。

 興味が偏っていることは、大人になっても変らず。一流の学者として知られるようになってからも、単語のスペルを覚えたり、単純な数式を暗記することができなかったそうです。
 アインシュタインの考え方では「本を見れば書いてあることを、なぜ丸暗記しなければならないのか」
 そう、そう、そうですよねぇ!

 「水兵リーベ僕の船〜」と、元素周期律表を暗記させられたとき、「この周期表を一枚手に持っていれば、別段暗記しなくてもいいんじゃないか」と思っただけで、おとなしく「すいへーりーべ、ぼくのふね」と唱えた私は、ゆえに凡才だったことがわかる。

 すい(H 水素)、へー(He ヘリウム)、りー(Li リチウム)、べ(Be ベリリウム)、ぼ(B ホウ素)、く(C 炭素)、の(N 窒素 O 酸素)、ふ(F フッ素)、ね(ne ネオン)、、、、
 B、、B、、えっとBはなんだったっけか。ホウ素であること、忘れていて、思い出せませんでした。私の化学、そんな程度です。

 一般的な「出来のよい子ども」のように、どの教科も平均的にスラスラと学習できないからといって、それは決して否定すべきことではありません。
 その子が好きなこと、興味をもったことを伸ばす環境があれば、ひとつの分野ですぐれた業績を積み重ねることができるのです。
 第二第三のアインシュタインの芽が、伸びていきますように。

 来年2007年は、「E=mc2(二乗)」が発表されてから百年目に当たる年。また、アインシュタイン関連の記念行事があることと思います。
 アインシュタイン、私には永遠のロマンです。

<好きなことは楽しいこと、科学扁おわり>
01:41 |


2006/04/12 水
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>好きなことは楽しいこと(10)イナバウアーはできなかったけど

 スポーツでは、学校の部活動・クラブに参加したことはありません。
 体操競技や水泳など、個人種目は好きでしたが、チームプレーが苦手なことと、学校での「体育会系」と呼ばれる「先輩後輩上下カンケー」などの体質が、私に合わなかったせい。
 スポーツも、マイペースで勝手に体を動かせるものが好きでした。

 小学校中学校で一番熱心にやった運動は、アイススケートです。
 アイススケートは、学校のクラブ活動の中にありませんでした。地元の町に室内リンクはなく、冬場に氷結した湖まで行くにもバスで1時間もかかったから、学校のクラブ活動でやるのは難しかったのでしょう。

 冬になると、毎週日曜日に湖に通いました。母が作ってくれたお弁当を持って、姉とバスにゆられて山道を登っていきます。
 山の冬景色。雪をかぶった山。枝枝に雪がつもり、日の光りに輝く。

 自分の町に雪が降ることは、ひと冬に数回という程度でしたが、雪山の景色の美しさをたっぷり味わうことができたのは、スケート好きになったおかげ。

 小学校のうちは貸し靴でしたが、中学生になると自分の靴が欲しくなりました。
 当時スケート靴は、普段履きの靴に比べると、我が家の家計にとって値の張るものでした。そのため、私の親は、「うちじゃ、毎年足にあわせた靴を買い換えてやることはできない」という結論に達しました。

 「子どもの足はすぐに大きくなるからね。大は小を兼ねるから大丈夫」とか言われて、私が買ってもらったスケート靴は24cmでした。
 でもね。私の足、中学校のころから少しも大きくならず、今でも22、5cmです。

 毛糸の靴下を2枚重ねて大きい靴を履いたせいか、フィギュアスケート、熱心にやったけれど、上手にはなりませんでした。
 運動神経の悪さを棚にあげて言うと、私がイナバウアーできるようにならなかったのは、足にあった靴を買ってくれなかった親の懐具合のせい、、、、と思うことにする。

 冬季オリンピックで荒川選手のスケーティングの美しさを堪能しただけでなく、エッジ遣いの巧みさ、なんてチョッピリ専門っぽいことを、娘と息子に得意そうに語ってやれたことをもって、子ども時代のスケート熱中が役にたった、と、せめて思いましょう。
 「イナバウアー」ってことば、きっと今年の「流行語大賞」の候補になるでしょうね。

 今、体を動かしているのは、ジャズダンス。っていっても、私の場合、90分のレッスンのうち、準備体操のストレッチやヨガポーズだけで、もうくたびれてしまいます。
 ダンスの振付練習のころには、「自主休憩」して、他の人が踊っているのをぼうっと見ているので、振付がちっとも覚えられません。

 4月29日発表のダンスも、去年と同じく、他の人の動きを見て踊るので、ワンテンポおくれのジャンプやターンになることでしょう。

 今年はミュージカル『ヘアー』のナンバーから「レット・ザ・サンシャイン・イン」などを踊りますが、私はうしろの列のコーラスラインその他大勢なので、どこにいるのか見つからないでしょう。娘も息子も、「え〜、去年見にいったから、今年はいいやあ、遠慮しておく」と、見る気もないらしいが。

 私を見つけるなら、「出演者の中で一番太いダンサー」を探してください。太っ腹ダンサー、今年もがんばります。

<好きなことは楽しいこと、スポーツ扁、おわり>
01:04 |


2006/04/13 木
好きなことたくさん

 好きなことがたくさんあります。
 小学校時代音楽部、担当楽器はシロフォンでした。中学校では音楽部(担当楽器はアコーディオン)に加えて、文芸部にも参加。
 高校では、先週紹介したように、科学部。

 書くことと読むことは「好きなこと」というより「空気をすうのと同じこと」
 「ラジオ体操おわりの深呼吸」のときでもなければ、普段一回一回意識しながら息を吸ったり吐いたりすることはないけれど、呼吸しなければ5分で死んでしまうのと同じ。

 だから、読むこと書くことは、「好きなこと」というより、「それをしないでいると死んでしまうこと」です。
 「自分が生きている」ことと同じ意味を持つ「読むこと書くこと」

 心に安らぎや高まりを与えてくれる「音楽」。
 視覚障害の友人とともに楽しむ観劇。
 声を出すことが、自分の健康増進にもなる、視覚障害者のための朗読ボランティア。

 体を動かす楽しさを満喫できるジャズダンス。
 緑と光り、街の匂い、さまざまなものに触れ合いながら風をきってスピードにひたるサイクリング。
 自然の中で地球の不思議とめぐり逢う「日曜地学ハイキング」

 知らない土地を、ワクワクしながら歩いてみること。春休みのバンコク旅行ではあまり自由に歩けなかったことが残念だったけど、いつか、バンコクの裏通りのマーケットや路地も歩いてみたい。
 博物館美術館めぐりも大好き。

 数え上げてみると、「好きなこと楽しいこと」によって、私自身の命が支えられているなあ、と思います。
 好きなこと、楽しいことがたくさんあって、よかった。
 この春休みも、いろんな楽しみがありました。

 以下、春の美術館博物館めぐりから、wamアクティブミュージアム「松井やより展」、東京都美術館「プラド美術館展」についての覚え書きです。

<好きなことは楽しいこと、つづく>
07:19 |

2006/04/22 土
踊る大肥満線

 好きなこと、いろいろあるうち、一番困っている「好きなこと」は「食べること」
 食べることが大好き!
 でも、好きなことを続けてきた結果、、、、今の太さに。

 WHO世界保健機構(だったっけな)が、示している肥満ライン「体重÷(身長×身長)」の値が25以上になると、「肥満」の烙印が押される。
 で、私は、このところの健康診断では、大肥満線、ラインオーバーです。
 ナッツ類・チョコレート・ケーキといった太る食べ物に目がないし、すしも餃子も大食い選手権に出られると思うし。基礎代謝は落ちる一方だし。

 「ダイエットは明日から」と言いながら、どうしても食べ続けてしまいます。昨日はいちごタルト(市販品)、おとといは草餅(ダンス仲間の手作り)。そのまえはチーズケーキ(うちの娘が作るチーズケーキ、世界一と思っている親バカ)
 
 世をあげて「ダイエット時代」であり、アメリカビジネス界では、「自分の体重管理健康管理もできない者には、ビジネスを管理できるはずがない」とされて、仕事をまかせてもらえない、という時代に入って久しいらしい。
 アメリカは世界に冠たる肥満者増大の国ですが、統計上で、肥満層は貧困層に多いことがわかっているそうです。
 今や肥満は「ジャンクフードを食べ続け、自己健康管理ができない階層」の代名詞ともなっているんですって。

 日本の就職戦線においても「肥満体は採用されない」というアメリカ的現象が、おおっぴらにはされないものの、現実に起きてきているようです。
 でも、日本ではまだアメリカほどには肥満が「悪徳視」「差別化」されるには至っておらず、相変わらず、「おデブに、悪い人はいない」という「肥満を許容する空気」が残っています。

 テレビのバラエティ番組にも、ホンジャマカ石塚英彦、松村邦洋、内山信二、安田大サーカスヒロ、などなど、ひきもきらずデブタレは登場し、テレビキャラとして目立つ存在になっています。

 おやじダンサーズを率いるパパイヤ鈴木となると、「踊れる肥満体」として大活躍。
 振り付け師でありダンサーであるパパイヤ鈴木。太っていても踊り続けたい人にとっては、目指していきたい存在です。
 私も「女パパイヤ鈴木」めざして、踊り続けているのですが。

 私、若い頃は「モダンバレエ」「モダンダンス」のレッスンを受け、クラッシックバレエもかじる程度やったし、踊りは何でも好き。
 今は、ジャズダンスサークルに入って、毎週練習しています。指導の先生の方針で、さまざまなジャンルの踊りに挑戦しています。
 フラメンコを練習することもあるし、ハワイアンフラもやる、アイリッシュダンス、日本民謡でも踊ります。

 一週間後の4月29日、地元商店街のお祭りに、サークルが参加します。駅前の会館、客席1300のホールで、サークルメンバーといっしょに踊ります。
 私は、アイリッシュダンス風の「足踏みダンス」と、ミュージカル『ヘアー』のナンバーから「レット・ザ・サンシャイン・イン」のコーラス・ライン(その多大勢組)です。

 他のメンバーが40代50代とは思えないほどのスラリとした容姿を保っているので、女パパイヤ鈴木は、目立たないように、身を縮めて踊らねばなりません。我がダンスサークルでは、「肥満体を許容する空気」が限りなく薄いんです。くすん。
 私、うしろのほうで隠れるように、小さくなって踊りますから。

 デブおばはんダンサーも堂々、肥満を気にせず踊れる日がくることをねがいつつ、、、、ってその前に、ダイエットしたらどうなのっっ!と、サークルメンバーからの声、、、、、はい、その通りだと思います。肥満に伴う病気もいろいろ心配だしね。
 ま、今回はとりあえず「デブダンサー」として踊って、ダイエットは明日から、とは思ったんですが、そこへ朗報が。

 FoxO1というたんぱく質の働きを調節する物質が発見され、食欲をコントロールできる可能性があるって報道されていました。
 Fox01によって食欲コントロールできるようになれば、肥満解消問題なし。ノープロブレム!

 踊る大肥満線、Fox01が手に入るその日まで、あくなき食欲とともに踊り続けます。

<つづく>
09:25 |


2006/04/23 日
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>好きなことは楽しいこと(18)虫くんとサカナくんとブタゴリラ

 湘南の風かおる文章を読ませていただいているf*******さんの4月16日付けカフェ日記に、すてきな「昆虫大好きっこ」のことが書いてあり、うれしくなりました。

 幼いころから虫が大好き。学校の勉強は嫌いだったけれど、虫のことなら夢中になって遊んでいた少年がいました。f********さんの友人の息子さん。
 「成績がよくなくても入れる高校」への進学後も、虫好きの仲間との出会いがあり、昆虫について学べる専門学校へ進学。国立公園に就職して独り立ちしていった、というお話です。
 http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/florentmy/diary

 テレビの中で活躍している「サカナくん」。テレビ東京(東京では12チャンネル)の番組「テレビチャンピオン」の初代サカナチャンピオンになった、魚大好きっこ。サカナのことなら、何でも知っているし、知りたがる。

 サカナくんがうれしそうにお皿にのせる魚、ほんとうにおいしそう。
 魚や海の生き物が好きですきでたまらないようすが、テレビ画面から伝わってきます。

 サカナくんは、サカナの解説を始めると夢中になってしまい、つい「テレビ的だんどり」を忘れてしまうらしい。分担の時間をオーバーして、ときどき「はい、もうけっこうで〜す」なんて、司会者に言われたりしています。

 私は、聞いていたいけれどね、他のテレビ慣れしているバラエティタレントの悪ふざけを見ているより、一途にサカナの魅力を語るサカナくんの表情、好きです。

 藤子不二雄のアニメの中で、ドラエモンより好きだったのが、キレテツ大百科でした。
 さまざまな発明品を工夫することが大好きな主人公のキテレツ君もいいが、キテレツの友だち、ブタゴリラこと熊田薫くんが好きです。

 カオルくんは、ドラエモンのジャイアンポジションのキャラクターですが、乱暴者でいじめっ子型のジャイアンとはだいぶちがうキャラ。

 どこが好きかって言うと。家業の八百屋が大好きなところ。薫くんは、野菜のことを実によく知っています。
 お父さんの仕事を手伝って、野菜を自転車で配達するのも好きだし、何より野菜のひとつひとつについてとても詳しくて、野菜を愛している。
 おいしい料理法も研究している。熊田青果店のりっぱな跡継ぎになれるでしょう。

 八百屋は野菜が大好きな人、魚屋は魚が大好きで海産物を詳しく知っていて、店先で産地についてや、調理法を教えてくれるような人から買えたらうれしいな。

 どの分野であれ、それが好きで好きでたまらないって人が語るとき、目が輝いて、その分野をまったく知らない人にも、魅力を伝えることができます。

<つづく>
09:24 |

2006/04/23 日
虫くんとサカナくんとブタゴリラ

 湘南の風かおる文章を読ませていただいているf*******さんの4月16日付けカフェ日記に、すてきな「昆虫大好きっこ」のことが書いてあり、うれしくなりました。

 幼いころから虫が大好き。学校の勉強は嫌いだったけれど、虫のことなら夢中になって遊んでいた少年がいました。f********さんの友人の息子さん。
 「成績がよくなくても入れる高校」への進学後も、虫好きの仲間との出会いがあり、昆虫について学べる専門学校へ進学。国立公園に就職して独り立ちしていった、というお話です。
 http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/florentmy/diary

 テレビの中で活躍している「サカナくん」。テレビ東京(東京では12チャンネル)の番組「テレビチャンピオン」の初代サカナチャンピオンになった、魚大好きっこ。サカナのことなら、何でも知っているし、知りたがる。

 サカナくんがうれしそうにお皿にのせる魚、ほんとうにおいしそう。
 魚や海の生き物が好きですきでたまらないようすが、テレビ画面から伝わってきます。

 サカナくんは、サカナの解説を始めると夢中になってしまい、つい「テレビ的だんどり」を忘れてしまうらしい。分担の時間をオーバーして、ときどき「はい、もうけっこうで〜す」なんて、司会者に言われたりしています。

 私は、聞いていたいけれどね、他のテレビ慣れしているバラエティタレントの悪ふざけを見ているより、一途にサカナの魅力を語るサカナくんの表情、好きです。

 藤子不二雄のアニメの中で、ドラエモンより好きだったのが、キレテツ大百科でした。
 さまざまな発明品を工夫することが大好きな主人公のキテレツ君もいいが、キテレツの友だち、ブタゴリラこと熊田薫くんが好きです。

 カオルくんは、ドラエモンのジャイアンポジションのキャラクターですが、乱暴者でいじめっ子型のジャイアンとはだいぶちがうキャラ。

 どこが好きかって言うと。家業の八百屋が大好きなところ。薫くんは、野菜のことを実によく知っています。
 お父さんの仕事を手伝って、野菜を自転車で配達するのも好きだし、何より野菜のひとつひとつについてとても詳しくて、野菜を愛している。
 おいしい料理法も研究している。熊田青果店のりっぱな跡継ぎになれるでしょう。

 八百屋は野菜が大好きな人、魚屋は魚が大好きで海産物を詳しく知っていて、店先で産地についてや、調理法を教えてくれるような人から買えたらうれしいな。

 どの分野であれ、それが好きで好きでたまらないって人が語るとき、目が輝いて、その分野をまったく知らない人にも、魅力を伝えることができます。

<つづく>
09:24 |


2006/04/24 月
花が好きな花屋が好き

 うちの近所のスーパーの中にある花屋の出店。よっぽど緊急のことでもないと、ここで花を買いたくない。
 パートのおばちゃん、花が好きだから花屋でパートをしているのではなく、時給のもっといい働き口があれば、そちらを選ぶって感じで、花への愛がない。

 私は「何でも知りたがり」なので、花屋の店先に知らない花があると、その花の名や、原産地などを知りたくなる。
 知ったからどうということもないのだけれど、はじめて見る野菜でも花でも、せっかく出会ったのだから、名前くらいは知っておきたい。

 そんなとき、スーパー店内花屋のおばちゃんは「さあ、なんていうんでしょうねぇ、私らには、わからない花ですよね」
 わたしら、って言ったって、あんた仮にも花屋さんじゃない、店先の花の名くらいは、買い手に教えてやれるくらい、花に興味を持ってもいいんじゃない?

 花の名前にまったく興味のない花好きな人っていうのもいるのかもしれないけれど、少なくとも花を売る仕事についたのなら、花の名に興味を持ってほしい。

 何かが好きな人、好きなもののことは、いろいろ知りたくなって、知るともっと好きになる。
 世の「マニア」とか「○○好き」と言われる人たちは、たいてい好きなもののことはとことん詳しく、愛するもののことを知り尽くそうとする。
 蒸気機関車好きもミジンコ好きも駅名マニアも手打ち蕎麦愛好家も。

 知らない花の名前をたずねたとき、教えてくれた花屋で買いたい。
 買うのはスイセンだったり、チューリップだったり、フリージャだったり、なじみの花が多いけれど、一つでも新しい花の名を知るとうれしい。
 家に帰って、ネットの植物図鑑を開いたりして、楽しめる。

 私が日本語学や言語学について、あれこれ書き散らしていること、専門の研究者から見たら中途半端な知識を知ったかぶりで書いていて、噴飯物なのかもしれない。

 魚屋が魚について知識豊富であるのに比べたら、私の日本語知識など知らないことだらけなのは、わかっているけど。
 でも、自分の商売物「ことばと文化」について興味を持ち、追求し続けたいと願う情熱においては、サカナくんや虫くんに負けないと思っている。

 百科事典のようにすべてのことがらについて頭の中に入れているわけではない。一般の人よりは、日本語と日本語言語文化及びその周辺のことについて、疑問があったときの調べ方を知っている、という程度。
 花屋が「花について詳しい人」であってほしいのと同じこと。「日本語を教える者として当然」と言われる程度は、ことばへの追求を忘れないようにしたい。

 日本語と日本語の言語文化、文学や演劇が大好き。これからも好きなことを追いかけて、きらきらした顔で好きなことの魅力を語っていきたい。

<「好きなことは楽しいこと」シリーズ終わり>
08:00 |

2006/04/26 水
やちまた日記>海のごちそう(1)料理修行

 私の母は、料理が得意ではありませんでした。
 鍋に湯をかけて「おつゆの具に、もう一品、菜っぱを足そう」と、家庭菜園に出る。「あれまあ、菜の花がきれいだこと」と、しばし見とれて、「次の句会のお題は、菜の花だったよね、、、、、せっかくだから、草むしりしながら、ちょっと一句、、、、、」と、すっかりお鍋のことは忘れてしまう人でした。(煮物が焦げ付いた鍋が台所にごろごろ)

 手打ちうどんはとても上手だったけれど、子どものころは「ああ、またうどん」と思って、ありがたがりもせずに食べていました。今思えば、あんな美味しいうどん、もはやどんな有名店に行っても、食べられません。

 母が作る料理は、いわゆる「おふくろの味」でした。どの料理も「砂糖と醤油で煮付ける田舎風」の調理。生まれてから10歳くらいまで、この味付けオンリーで育ったので、今でも私にとってのおふくろの味は、「煮っ転がし」や「煮付け」です。

 山育ちの母なので、特に魚料理は苦手。他の調理法を知らず、ただ塩焼きにしたり、甘辛に煮付けるだけ。和風料理以外の献立は、カレーライスくらいのものでした。

 私の妹が幼稚園に入って、母はようやく昼間自由な時間を得て、料理教室へ行くようになりました。
 「魚からあげの甘酢あんかけ」や「八宝菜」「海老炒飯」だのを教わってきたのです。和風田舎料理から、中華料理洋風料理へと我が家の献立がにぎやかになってきました。

 母が八宝菜を覚えてきた当座、珍しくて、毎日「今日も八宝菜にしてね」と、頼んだことを覚えています。さすがに毎日は作ってくれませんでしたが。

 世の中は高度成長期。東京タワーがそびえ立ち、遠からず東京オリンピックも開催されるという時期、食卓は一足早く「いんたーなそなる」していました。

 姉は、父に似て手先が起用で、編み物でも裁縫でも、どんなことも上手にこなしました。料理も母の手伝いをしているうちに、母より料理好きになりました。

 東京の専門学校へ通うために上京した姉、友達が経営する食堂でアルバイトをしました。姉の親友の嫁ぎ先が飲食店だったんです。
 もともと料理好きなので、姉はいろいろな料理を習い覚えました。

 姉を追って上京した私は、姉と一室のアパートで暮らしたのですが、料理を覚えようという気もなく、ただ姉が作ったものを食べていました。そのかわり、姉が嫌いな皿洗いは一手ひきうけ。
 姉が嫁いだあとは嫁ぎ先へ追っかけをして、姉の住まいの二階に住み続けました。
 またまた、姉の作った料理をうまいうまいと食べるだけ。

 私がお茶碗洗い以外の料理を手伝うようになったのは、姉の二番目の子が長期入院することになり、上の子の世話を引き受けることになったから。
 幼稚園への送り迎えをし、予防接種に連れて行き、ピアノのレッスンに付き添い、姪の蜜柑を世話をしました。

 姉は、不器用な私の包丁さばきにイライラしながらも、料理を教えてくれました。私は料理学校などへは行ったことがありません。姉が私の料理の先生です。
 見ようみまねで料理も覚え、やっと魚をおろせるようになりました。
<つづく>
00:04 |

2006/04/27 木
やちまた日記>海のごちそう(2)桜吹雪忌

 私は、もともと料理が好きではないので、知らない素材の調理法を調べることも、新しいレシピを工夫することもなく、姉に教わった料理をなんとかこなしているだけでした。

 たとえば、牡蠣の料理を作るとき、姉は貝に入っているのを求めて、貝を開けるところから料理を始めましたが、私は「生食用」とか「調理用」と記載されているパック入りの牡蠣を買ってしまいます。

 今、姉の長女蜜柑は、4人の子を持つシングルマザー。蜜柑はママの料理好きを見て育ったので、牡蠣も貝殻つきを買ってきて、器用に貝殻をこじあけます。

 4月10日は、姉の命日でした。
 4年前、ホスピス病室の窓の外を、雪のように桜の花びらが舞っていました。
 姉は誤診した医者に恨み言ひとつ言わず、不幸な運命を嘆かず、「これほど短い人生とは思っていなかったけれど、私は十分に生き抜いた」と語り、静かに54歳で息をひきとりました。
 私は4月10日を勝手に「桜吹雪忌」と名付けて、私だけの季語にしています。

 4月7日金曜日に、姉の長女蜜柑と蜜柑の4匹の子豚たち(長女小学校6年生長男5年生次女3年生三女2年生)といっしょに、墓参りをしてきました。私の両親と姉がいっしょに眠るお墓です。

 蜜柑は、幼稚園のころ母親がわりに私が世話をしたことがあるし、高校生のときには3ヶ月ほど私の家に同居していたことがあり、姪たちの中で、私が一番手をかけてきたつもりです。
 今では姉以上の「肝っ玉おっかあ」になって、今時めずらしい4人きょうだいの子育てに奮闘中。

 お墓参りのあとの精進料理、姉に料理を教わった私、ママに料理を仕込まれた蜜柑、ふたりそろって、「面倒だから、レストランでいいよねっ」と、意見一致しました。
 料理自慢だった姉、嘆いているかも。
 
<つづく>
06:23 |

2006/04/28 金
やちまた日記>海のごちそう(3)めかぶ

 魚について、何も知らないアルバイトさんが、店先で「はい、今日はサンマが大安売り」って声張り上げる魚屋もあるし、魚なんか好きじゃないってパートさんが売っているスーパー魚売り場もある。
 そちらのほうが安いとしても、私は魚が大好きっていう雰囲気で売っている魚屋さんの店先に立つ。売っている魚を愛し、誇りを持って売っている店が好き。

 南三陸海岸で育った「めかぶ」を食べました。肉厚でシャキシャキした歯ごたえの、今まで食べたなかで、最高においしいメカブでした。

 別段、宣伝を頼まれたわけではないのですが、私はこのような「誇りをもって生産に励んでいる」という人々が、大好きなので、宣伝します。
 「みやぎ伊達な若芽生産者の会」という漁師さんたちが南三陸海岸の外洋で育てた若芽です。

 三陸のリアス式海岸は、複雑に入り組んだ入江で、さまざまな海の幸が育ちます。栄養豊富な海を利用して、養殖漁業も盛ん。
 「伊達な若芽生産者」たちは、安全な入江の内側でなく、あえて時化のリスクを覚悟して外洋側に若芽の養殖棚を作りました。外洋側の海には、さまざまな栄養に富んだ海流があるからです。

 リアス沖の栄養分をたっぷり吸収したワカメ、メカブ。
 アルギン酸・フコイダン・ミネラル分がたくさん含まれていて、健康にとてもいい。

 HPに生産者のことばと、会員の写真と名前が載っていました。
http://www.datewakame.ryoshi.net/

 私、生まれた県は「海に面していない県」のひとつ。山国育ちで、山菜については少しは知っているけれど、海のこと、海産物のこと魚介類のこと、長らく生きてきたのに、ほんとに何も知らないのです。

 私が子供のころ、田舎町の魚屋の店先で売っていたのは、さんまの開き、いわしの丸干し。鰹といえば、ナマリ節のことでした。
 冷凍車での運搬など普及していないころなので、刺身を食べるのは正月や祝い事のあるとき。お刺身はほんとうにごちそうでした。

 海なし県の田舎町で、母がたまに生魚を買うことがあっても、魚屋に三枚おろしにしてもらってから持って帰っていたので、私は母から魚のさばき方を習ったことがありませんでした。
 生の秋刀魚が手に入ったら、そのまま七輪炭火で塩焼きにする。塩焼き以外の調理法で食べたことなかった。

 めかぶ、発泡スチロールの保冷箱に入って送られてきたのは、茶色い茎のまわりに茶色の肉厚のひらひらがついていました。
 魚屋などの店先やスーパーのパック入りの緑色したものとはだいぶ違う。

 ネットでいくつかのレシピを調べ、とりあえず、さっと茹でた。ゆでたらびっくり、茶色だったメカブが美しい深緑色に変りました。

 茶色のタコをゆでると赤くなったり、黒い海老をゆでると赤くなるのは知っていたんだけれど、今まで茹でてある緑のメカブしか食べたことがなかったので、茶色の生メカブを見て、これは産地がちがうと、色もちがうのかしら、なんて思ったのです。ほんと無知ですね。

<つづく>

07:52 |

2006/04/29 土
やちまた日記>海のごちそう(4)みやぎ伊達な若芽生産者の会

 ゆでて刻んであるメカブだけ食べてきたので、自分で茹でたのははじめてでした。ゆでると、トロロのようなトロトロがでてきます。このトロトロ部分、特に栄養がたっぷりらしい。
 
 ネットが普及してよかったことのひとつ。産直で野菜も米も直接消費者が注文して、宅配便で送ってもらうことができるようになりました。
 ネットに生産者の顔やことばが載っていると、いっそう作った人の心意気を感じることができます。

 健康にとてもいい、ヘルシー食品、メカブ。上記のURLに注文用のメールも掲載されていますから、どうぞ、健康のためにおいしい海の恵みのワカメとメカブを注文してください。
メールは、date@ryoshi.net

 宮城伊達な若芽生産者の会、会長の青山さんほかの皆さん、メカブ、とても美味しかったです。
 リアス式海岸、外洋でのワカメ養殖、難しいことも多くリスクも多いそうですが、がんばってくださいね。

 世界の食文化のなかで、日本は海草、魚の調理法にかけては、ワールドチャンピオンになると思っています。
 魚を食べる文化は、他の地域にもありますが、そんなにいろんな食べ方を工夫していないところが多いみたい。

 日本にはせっかくいろんな調理方法があるのに、私はあまり魚の料理が得意ではありませんでした。
 山育ちなので、「カヤの実を灰汁につけてアクを抜き、ほうろくで焼いて食べる」などの方法は知っていたのですが、魚に関しては、ほんとうに何も知りません。

 姉に「イカの塩辛」の作り方を教わって、自分で作るようになりましたが、姉のようにスズキでもイナダでも自分でおろして刺身に作る、なんてことはしないで、もっぱら刺身に造ってあるパック入りを買ってしまう。

 「さんま」なら、ほとんどが塩焼き。たまにカバ焼き。新鮮な刺身用が手に入ったときにマリネにしたり、それくらい。
 あまりいろんな食べ方に挑戦することもありませんでした。

 昨年秋に水揚げされ、冷凍された秋刀魚、送ってもらいました。
 冷凍ものは、生に比べて味はおちるかと思いこんでいましたが、そんなことはなく、解凍を上手にすれば、生とかわりなく味わえました。

<つづく>
07:56 |

2006/04/30 日
やちまた日記>海のごちそう(5)さんまの開き

 生まれて初めて、「さんまの開き」を自分で作ってみました。頭とわたを取り除いて、中骨にそって開き、塩水につけて、天日干し。
 お日様の光りをたっぷり浴びせます。お日様がうまみアミノ酸を増やしてくれるのを楽しみに、裏、表を干して、さあ食べようかというとき、ちょっと目を離したスキに、洗濯物のロープにぶら下げておいた手干し秋刀魚、カラスにとられてしまいました。

 ふと、ベランダを見ると、ロープに並んでぶら下がっていたはずのさんまが見あたりません。一匹だけかろうじて残っていて、あと一匹は網袋に入ったままベランダにおっこちていた。5匹開いたうち、3匹はカラスに盗まれてしまいました。
 ああ、残念。カラスに怒ってもしかたがありません。私が見張っていなかったのが悪かった。

 都会のカラスは、抜け目なくゴミ箱ゴミ集積所をねらっています。
 うちのベランダは「9階で、人の目にふれないからいいや」とばかり、ゴミ箱状態。カラスの目には、ゴミ箱同然。うちの秋刀魚、ゴミあさりのよい獲物に見えたのかも、、、失礼ネッ、ゴミ箱じゃないのよっ!ベランダなのっ、一応。って、怒るくらいなら、片づけなさいって。はい、、、、そのうち。

 ロープに残った1匹を焼いて食べたら、あまりにおいしかったので、ベランダに落ちていた網袋の中の1匹、よく洗って焼きました。これもおいしかったです。

 そして、再挑戦。また5匹開いて、今度はカラスの見張りもぬかりなく。
 
 娘は、高校時代に家庭科の調理実習で魚を料理し、皆で試食。そのとき骨がのどにささって、どうにもならなくなり、学校から病院へ連れて行かれました。
 のどになにやらの機械をつっこまれて、「あんな苦しい思いをするくらいなら、骨のある魚、二度と食べなくてもいい」という騒ぎをしたことがありました。だから、それ以来「魚は刺身にかぎる」と、骨のある魚はあまり喜びませんでした。
 しかし、今回の手干し秋刀魚は、「うまい!」と、食べました。

 一回塩水にくぐらせただけなのに、お日様が味をつけてくれた絶妙な味。
 専門家は、塩分濃度や塩水にどれくらいの長さで漬けるかに、それぞれの蘊蓄があるらしいのですが、私のは、塩分濃度テキトー、漬ける時間も適当。でも、本当に美味しく仕上がりました。
 サンマの手作り「開き」、ぜひお試しあれ。

 サンマの群を追いかけて波の果てを見つめ、雲の動きから天候の変化を知る、そんな秋刀魚漁船の漁師さんの姿を思い浮かべながらおいしく秋刀魚をいただきました。ごちそうさまでした。
 
 好きな仕事を追いかけることにかけては、秋刀魚漁もことば漁も共通した喜びがありますね。
 果てしない海を、漁船にのって仕事する人を尊敬しつつ、私はことばの海を漂流していきます。お互い、好きな道で頑張っていきたいですね。漁師Aさん、ありがとう!

<海のごちそう終わり>
10:14 |


MIXY

2006年04月08日
09:28 桜吹雪忌
2002年春。ホスピスの窓を雪のように花びらが振りしきるなか、姉は54歳で世を去りました。

姉の命日4月10日を「桜吹雪忌」と名付けて、桜散る季節に姉をしのんでいます。

今年は、少し早めに4月7日にお墓参りをしてきました。お寺の境内に咲くしだれ桜が満開、山の斜面にある染井吉野はまだ三分咲きでした。


2006年04月12日
21:27 鍵がない
雨模様だったけれど、ジャズダンスのレッスンへ。
来週から水曜日の仕事が始まるので、水曜日に練習できるのは、今日が最後。3ヶ月お休みして、夏休みにまた練習に戻る。金曜日は夜の練習なので、仕事がおわったあと練習できるけど。

朝、雨が心配だったので、レッスンバッグの中味をビニールバックに入れ替えてもっていった。ジャズスニーカーやタオルをいれて、自転車で中央公園へ。

練習を終えスーパーで買物して帰ってきたら、ドアには鍵がかかっていた。あれ、私、出るとき鍵かけた記憶ないのに。
いつもレッスンバッグには合い鍵をひとついれてあるのに、今日はビニール袋だから、鍵はない。
スーパーで買ったものをものおきに入れて、財布だけ持って図書館へ。平日は8時まで図書館が開館している。

結局、午後3時から7時半まで図書館ですごした。「鍵がなくて家に入れない、鍵あけたらメールして」と、ケータイメールしてから、本みてビデオみて、待つこと4時間。
「鍵あけたよ」とメールがきたので、家にもどった。

お出かけするとき、鍵のかけ忘れと、鍵の不携帯にはくれぐれもご注意を

2006年04月20日
23:38 食いそこねランチ
今日、竹橋の近代美術館にいった。
竹橋についたら12時だったので、おひる食べようかと、毎日新聞社ビルのレストラン街をひとまわりした。けれど、どの店もサラリーマンたちの長い列。
むりに列にならぶのもたいへんかと思って、近代美術館にいった。

美術館2階のレストランにも長い列。どうしようかと思ったが、順番待ちの書き込み用紙になまえ書いて、雨がふきこむドア前通路にならんで待っていた。

時折つよい雨が吹き込む。突風でガタンと書き込み用紙の台が倒れた。ウエイターが台を起こしている。

ウエイターが「2名でお待ちの○○様」なんて呼び出すのをおとなしく待っていた。あまりに順番がこないので、何人かが「ずっと待っているんですけど」と文句を言ったが、「順番でお呼びしていますので、お待ち下さい」とウエイターはいうだけ。

そのうち、「あら、私たちよりあとから名前書いた人が呼ばれているわ、ねぇ、さっき台が倒れたとき、私たちの名前の紙、風で飛んでいったんじゃないの?」と、言い出す人たちが出てきた。
そうだよねぇ、いくらなんでももう小1時間まっているんだもの。
ウエイターに、「私1時間も前に名前書いたのに、呼ばれていないんですけれど」と、聞いてみたが、「紙がなくなったのは自分のせいではない」というようなウエイターの態度なので、もうこれはアカンと思って、あきらめた。

でも、おなかがすいてきたので、毎日新聞社ビルにもどった。もう1時になるから、会社員たちのランチタイムはおわり、そろそろレストラン街も客の順番待ちの列がすいてきただろうと思った。

しかし、今度はおじさんおばさんが並んでいた。一番早く入れそうなニュートーキョーの列にならぶ。

おひとり様、奥へ案内された。隣はにぎやかにしゃべりまくるおばさん4人のテーブル。うるさい。
「本日のサービスランチ」を注文した。「サービスドリンクがつくというので、コーヒーを食後にもってくるように頼む。

30分以上待っても、食事が来ない。隣のおばさん4人組はもうデザートになった。
ウェイトレスが「あの、こちらご注文は?」とたずねるので、とっくに頼んだんだけれど、まだこない」という。
ウエイトレスが確かめにいってきて「すみません、お客様がご注文の本日のランチは、もう品切れです。あの、注文を受けたのに、キッチンへは伝わっていなかったみたいで、申し訳ございません」という。

いつもなら「じゃ、本日のランチじゃなくても、何でもいいから持ってきて」と言うところだけれど、美術館レストランで1時間待たされて、ニュートーキョーで40分も待って、いいかげんキレた。

「もう、いりません」と、席を立って、店を出た。おひとり様は、もうからないからなのか、貧乏そうなおばハンは、ランチひとつの注文で、かくも情けない扱いを受けるのか、外は横殴りの雨。
ほんと雨のなかで泣きたい気分。

でも、濡れるのもあとがたいへんだから、ニュートーキョーならびの「多国籍料理なんたら」という居酒屋ふうの店で「麦飯とろカツ煮定食」なるものを食べた。食べ終わったら2時すぎていた。

ランチひとつに12時から2時までかかったのだ。ああ、ナサケなし。

藤田嗣治展、平日の強い雨の中、おじさんおばさんたちですごく混んでいた。そうだよね、私も4月23日までで有効期限がきれる招待券にぎりしめてやってきたんだから、他の人も同じようなもんかもしれない。
雨の平日だからすいていてゆったり絵を見て回れるだろうと思ったヨミはおおはずれ。
ランチは食えない、絵は混みこみ。
明日からはまたパート仕事が7月まで連続。平日に休めるのは、今日だけだったのだけれど。


2006年04月22日
23:08 藤田嗣治展
4月20日(木)に見た藤田嗣治展。今までそれほど好きな画家でもなかったのに、生涯の作品を概観する91点の作品が思った以上によかったので、土曜日にもう一度見にいった。夜間開館していて、木曜午後がおっさんおばはんばっかりだったのに比べて、若い人もいっぱいだった。
自分がおばはんのくせに、おばはんに囲まれて絵みるのは、好かん。イケメンの隣で見たいよ。

なぜ2回も見る気になったか。
招待券を2枚セットでもらってあったので、もう一枚あったから。っつーか、いっしょに見てくれる人いないんだから、2枚セットもらわんでもいいんだけどね。
期限は4月23日までなので、もう一度みておこうかと出かけた。タダ券で楽しめる娯楽、ほかにあんまりないからね。

竹橋の近代美術館にくるたびに、藤田の「5人の裸婦」と「猫」の絵を見てきて、裸婦も猫もそんなに好きだと思ったことなかった。

でも、裸婦と猫のほかの絵、戦争記録画、肖像画、南米や沖縄の人物画など、いい絵がたくさんあった。

日本人フランス人フランス人日本人と、4度奥さんをとりかえて、戦争協力画を描いたことを非難されると、日本をさっさと逃げ出してフランスに帰化した、というのが、私が藤田に抱いていた人物像。でも、伝記をきちんと知れば、世間に流布している伝説とは異なる、真摯な芸術家の姿が浮かんでくる。
思いこみのイメージだけで決めつけちゃいけなかった。

2度見る価値はありました。

ついでに、レストランのチーフウェイターみたいなおやじに「おととい、雨の中で1時間も待っていたのに、名前呼ばれなかった」と文句つけてきた。うらみがましく、、、、食いもんのうらみは忘れないほうだからねっ

2006年04月27日
05:46 土砂降りの雨に濡れ〜て私はひと〜り♪
4月24日月曜日、みずほ台駅ゆきのバス停まで歩いて、びしょぬれ。突然の土砂降りだけど、雨宿りの時間もないので、雨の中あるいた。
ズボンのすそがびしょぬれ。みずほ台からの有楽町線、車内は冷房で、背中も濡れているから、体がガンガンに冷えた。

4月25日火曜日、建物出口から北浦和駅ゆきのバス停まで、1分ほどの距離なのに、雷雨でしっかり濡れた。バス停前にローソンができたので、店内をひとまわりしてみる。イートインコーナーや、学生勉強コーナーもある。
バスが来たので、のる。バスがけやき並木を走っている間に青空がのぞき、日が出てきた。
なんだ、これなら、ちょっと待っていればよかった。土砂降りの中を歩くこともなかったのに。

ちょっとでも早く家に帰ろうと思うからこそ、土砂降りの中を歩くのだ。
仕事して疲れて家に帰ってみれば、豚児豚姫は、お笑い番組を見て大笑いしている。
腹たてながら、黙って夕食を作りはじめる。

4月26日水曜日。連日雨に濡れたせいか、せきが出てきた。頭痛発熱はなく、のどが痛いだけ。
仕事は休めない。午後、日本語教育研究90分×2コマ。
配布プリントの整理をしておそくなり、夜8時に帰宅。

またもやテレビ見て大笑いしている豚児豚姫。ただいまと言っても、「おかえり」のひとこともなし。
「風邪ひいたから寝るよ」とふとんに入る。
ふたりして、夕食を作って食べている物音を聞きながら寝た。

食べずに寝たから、夜中の2時半におなかがすいて目がさめた。
ダイエットしようと思ったけれど、4時におきだして、納豆ごはん食べた。
春暁にひとり食う飯うまくもなし。



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