Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
ポカポカ春庭 映画いろいろあらーな2008

| 2008日付 |
タイトル |
監督 |
主演 |
| 01/05 |
虹の女神(テレビ放映録画) |
熊沢尚人 |
上野樹里 市原隼人 |
| 02/02 |
星になった少年(テレビ放映録画) |
河毛俊作 |
柳楽優弥 常盤貴子 |
| 02/09 |
シュガー&スパイス(テレビ放映録画) |
中江功 |
柳楽優弥 沢尻エリカ |
| 02/11 |
ミス・ポター |
クリス・ヌーナン |
レニー・ゼルウィガー |
| 02/11 |
エディット・ピアフ |
オリヴィエ・ダアン |
マリオン・コティヤール |
| 02/12 |
夜警 |
ピーター・グリーナウェイ |
マーティン・フリーマン |
| 02/28 |
エンジェル |
フランソワ・オゾン |
ロモーラ・ガライ |
| 02/28 |
ある愛の風景 |
スサンネ・ビア |
コニー・ニールセン |
| 03/08 |
パンズ・ラビリンス |
ギレルモ・デル・トロ |
イバナ・パケロ- |
| 03/08 |
この道は母へとつづく |
アンドレイ・クラフチューク |
コーリャ・スピリドノフ |
| 03/24 |
胡同の理髪師(剃頭匠) |
ハスチョロー(哈斯朝魯) |
チンクイ(靖奎) |
| 03/30 |
ウエイトレス 〜おいしい人生のつくりかた |
エイドリアン・シェリー |
ケリー・ラッセル |
| 03/30 |
タロットカード殺人事件 |
ウディ・アレン |
ウディ・アレン |
| 04/ |
クワイエットルームにようこそ |
松尾スズキ |
内田有紀 大竹しのぶ |
| 04/ |
めがね |
荻上直子 |
小林聡美 もたいまさこ |
| 05/01 |
武士の一分(テレビ放映録画) |
山田洋次 |
木村拓哉 壇れい |
| 05/04 |
Onceダブリンの街角で |
ジョン・カーニー |
グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ |
| 05/04 |
再会の街角(REIGN OVER ME) |
マイク・バインダー |
アダム・サンドラー、ドン・チードル、リヴ・タイラー |
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2008/01/05
上野樹里よかった。
2008/02/02
柳楽優弥、ぞうとの相性悪そうだったけれど、がんばった。
2008/02/09
柳楽優弥、う〜ん、恋する心を表現するのは、まだちょっとぎこちない。がんばれ優弥。
2008/02/28
若くして望み通りの大成功を納めた女流作家エンジェル。作家としての地位と名誉と金を手に入れても、彼女の手に入らなかったものをめぐるお話。
2008/02/28
中東戦争に派遣された軍人の妻、刑務所帰りの義理の弟。イスラム軍の捕虜になり、トラウマを負った夫と妻の物語。
2008/03/08
第二次世界大戦は1945年に終結。
しかし、ドイツのヒットラーやイタリアのムッソリーニが敗北したのちも、スペインのファシスト独裁者フランコ総統は、1975年に83歳で没するまで独裁を保った。
人々は国際旅団を結成してフランコ軍と戦い、また山中のゲリラ活動でフランコに抵抗した。
スペイン内戦は、ロルカの詩を生み、ピカソのゲルニカを生み出した。
スペイン内乱を背景にした映画では、『誰がために鐘は鳴る』がヘミングウェイを原作として撮影され、ゲーリークーパー、イングリッドバーグマンの代表作にもなった。
グレゴリーペック主演の『日曜日には鼠を殺せ』は、フランコ政権末期の1956年の出来事して描かれている。
ひとりの少女の目を通して、内戦時代の人々の運命を描く映画を見た。
スペイン内戦で反政府ゲリラの活動が激しくなっていた頃の、おはなし。
映画『パンズラビリンス』。(於:飯田橋ギンレイ2008/03/08)
スペイン語タイトルEl laberinto del fauno、英語タイトルPan's Labyrinth
私は映画ストーリーの予備知識がなく、予告編の画面から、ファンタジー冒険譚と思っていたので、少女オフェリアの運命について、何も知らずに見ていた。
主人公オフェリアの母親カルメン。仕立屋の夫がなくなったあと、軍服を誂える顧客の一人だったヴィダル大尉と再婚する。
カルメンの連れ子の少女オフィリアに対してヴィダル大尉は、冷酷でおそろしい存在。フランコ軍駐屯地の独裁者。魔王的な存在として画面に出てくる。
ヴィダルはスペイン山中に駐屯して、内乱のレジスタンス掃討を指揮している。
地元の農民を無慈悲に殺すのも任務と信じ、妻に対しても「お腹にいる自分の血をひく子だけが大事」な男だ。
妻の連れ子であるオフェリアに対しても、愛情のかけらもなく冷酷。
オフィリアは、ヴィダル大尉への反発から、自分だけの「妖精の世界」に入っていく。
この映画で「大尉」というスペイン語が何度も繰り返される。ヴィダルを呼ぶときは、必ず「大尉」をつけて呼ぶから。
「カピタン」
私にとって「カピタン」は「甲比丹、甲必丹、加比旦」だった。
ポルトガル語で「仲間の長」の意味。
日本がポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始して以来、西洋の商館長をポルトガル語のCapitao(カピタン)で呼ぶようになった。
江戸時代、長崎出島の商館長をもカピタンと呼んだ。オランダ語では商館長は「Opperhoofden(オッペルホーフト)」であるが、出島では引き続き「カピタン」の用語が使われた。
外来語として「キャプテン」は、日本社会に定着している。
野球チームでもサッカーチームでもキャプテンはいるし、会社の仕事の長を「キャプテン」という地位名称で呼ぶところもある。
日常語として使う「キャプテン」と、そのことばを口にすると遠い異国の香りがしてくる「カピタン」
このふたつの語CapitaoカピタンとCaptainキャプテンが、どちらも陸軍大尉・海軍大佐を呼ぶ軍隊の長を意味する言葉だとわかったとき、「カピタン」という語に古めかしくも異国情緒のある趣を感じていた私の語感にとっては、ちょっとがっかりだった。
「な〜んだ、カピタンっていうのは、キャプテンとおなじだったのかあ」。
『パンズラビリンス』のなかで、繰り返された「カピタン」「カピタン」というヴィダル大尉を呼ぶ声が頭の中に反芻されると、今度は「カピタン」に、少女を無慈悲においつめる魔王のようなおそろしいイメージが加わってしまった。
カピタン。
出島商館長で、陸軍大尉で、魔界の敵キャラ。
私のなかで、ことばのイメージがつながっていく。
2008/03/08
ロシアの孤児院で育つワーニャ6歳。裕福なイタリア人家庭に引き取られることが決まったあと、不安になる。もし、本当のママが自分を捜しに来て、友達のママがそうだったように、絶望して自殺するというような事態になったらどうするか。
まず、字を覚えることから始めたワーニャ。字が読めるようになり、工夫をこらして母親の住所を探しあてる。
孤児院を抜け出し、大冒険の末に、ママと巡り会うまでの物語。
実話をもとにした脚本。こんな知恵と勇気をもった少年がいるのなら、ロシアもまだまだ捨てたもんじゃない、と、かわいいワーニャを見てました。
2008/03/24
3月24日に岩波ホールでみた「胡同の理髪師」は、とてもよかった。
私が歩いた胡同と同じ地域がそのまま映画になっていたので、風景だけでも見られれば嬉しいと思ったら、主演の92歳の床屋さんがすごくよかった。本物の理髪師のおじいさんが主演。友人老人役のモツ煮込み屋のおやじも、ほんとうのモツ煮込み屋。
2008/04/08
ウエイトレスのパイ、とても美味しそうだったので、よしとする。
2008/04/08
ウディ・アレン、職人技のミステリィコメディ。主演のヨハンソンがかわいいし、スクール水着みたいな水着姿ももえ〜だろうから、許す。
2008/04/10
おもしろかった。
松尾スズキの演出も、「ケツ見せてなんぼ」のしがない構成作家を演じたクドカンもよかった。
2008/05/01
娘と息子といっしょに、テレビ放映の録画をようやく見た。
「何を演じても木村拓哉」が画面にいることについて、「時代劇でカツラつけてても木村拓哉がそこにいたら、見ていられないかも知れない」と、心配してなかなか見る気にならなかったのだけれど、「目が見えなくなるまでは、木村拓也だったけれど、後半は、江戸時代の武士に、こういう人がいたかもしれないと思って見ていられたから、山田演出、合格」という結論になりました。
2008/05/04
ストリートシンガーが、チェコ移民の女性と知り合う。ロンドンへ出て、自分の可能性を試してみようと旅立つまでのお話。80回アカデミー歌曲賞を受けた歌の数々。
2008/05/04
9・11遺族のチャーリー。最愛の妻と、三人のかわいい娘と、愛犬を一度に失った。彼を残して家族が乗り込んだ飛行機が2001・9・11に爆破されたから。
チャーリーはPSDを抱えたまま、へやにひきこもり、パソコンゲームで巨像をやっつけることと、古いレコードを収集して聴くことだけに時間を費やしている。
事件のこと、家族のことは決して口にしないし、口にした人とは二度と会わない。
チャーリーと歯科大学でルームメートだったアレン。かってのチャーリーと同じように、愛妻とふたりの娘と、開業して以来繁盛しているクリニックをもって、はためには幸福な人生を順調に歩んでいる。
大学卒業以来チャーリーとは音信不通だった。唯一彼の消息を知ったのは、9・11の事件報道によって。チャーリーが愛する者たちすべてを失ったことは知っていたが、その後の消息は知らなかった。
ある日、偶然チャーリーを街角で見かける。
アレンは、じつは少しも思い通りになっていない自分の人生に倦んでいた。チャーリーをカウンセラーに見てもらい、もとのような有能な歯科医として立ち直らせるべく、アレンは懸命になる。一生懸命になればなるほど妻との心のすきまが開いていくのに、気づいていたのだけれど。
この映画で、私は「アメリカ人」の意識が代わってきているのがわかった。
精神分析医やカウンセリングにおいて、かっては「心を病んだ人を、治療してもとの『健全な』社会人に立ち直らせることが、もっともよいことだと信じられていたことに、私はいつも疑問を感じていた。
家族を失った痛みから回復し、もとのように有能な歯科医師に戻れれば、チャーリーは幸福なのか。昔のアメリカ映画だったら、チャーリーには、回復プログラムが与えられ、それが唯一「正しい」対処のしかたと信じられてきたと思う。
しかし、映画のラストは、そうではなかった。チャーリーは、家族を失ったけれど、チャーリーを助けようとする人々に恵まれている。
家族ぐるみで長年のつきあいを続けてきた会計士のシュガーマン。彼を理解しているアパートの管理人老婦人。大学のルームメートだった友人アレン。
チャーリーを周囲の人々から切り離して精神病院へ入れ、治療をするよりも、もっと彼にとってより心が安定する生き方をさぐったらいい、という結論になっていたので、ああ、アメリカの精神医学も代わってきているのだ、と思った。
誰が見ても申し分のない家族と、地位と十分な収入を保証する仕事、これはかってアメリカンドリームの二大要素だった。
これが手に入れられない人は人生の敗北者。
でも、アメリカも、アメリカンドリームの実現が人生の勝利ではないことに気づいた。これはおそらく9・11以後のアメリカ人の精神状態を示しているのだろうと思う。


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