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Workshop for Nipponianippon CommunicativeLanguage& Culture Studies
話しことばの通い路

Caffe La Pansee Sauvageカフェ ら パンセ・ソバージュ 
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Cafe corner:Caffe La Pansee Sauvage カフェ ら パンセ・ソバージュ 2 
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 BOWLING FOR CLOMBINE

ちよさんプロフィール
掲示板Bowling for Colombineを管理しているちよさん。

(自己紹介)Chiyo Isozaki (female) 57-year old 神奈川在住
家族: 夫 娘 ウエルシュコ-ギ-犬(雄14才)

(ちよさんの自己紹介のうち、春庭と共通する部分のみを紹介)
趣味:旅 書道(春庭そのうちやろうと思ってウン十年) 短歌 自分流フラダンス(春庭はジャズダンス) ニュ-ス報道&討論
音楽:ゴスペル ジャズ ボブマ-リ- サザンオ-ルスタ-ズ 山崎まさよし 尾崎豊 坂本龍一 ヨ-ヨ-マ フジ子へミング 葉賀瀬太郎 
ア-ト:ピカソ モネ バスキア 山下清 岡本太郎 棟方志功
本: ビ-トたけし 井上ひさし 
自然:力 色 形 香り 動き 音 変容 人が創り出せない
苦手:機械操作 説明書を読むこと
悲哀:気づくと流れに乗って使っている自分
ファッション:身に付ける物は全てメ-カ-もブランドもこだわらない。
夢:My Cafe Studio BGM
変わらない思い:反戦

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No. BBS
No.
日付  タイトル 投稿者
1  56 2003/11/05 新しいお仲間で〜す! ようこそ ちよ
2  58 2003/11/05 よろしくお願いします 生命倫理について 春庭
3  58 2003/11/05 村社会と近代社会 春庭
4  63 2003/11/06 基地外  春庭
5  75 2003/11/09 マニフェスト「志縁共同体」 春庭
6  84 2003/11/12 性犯罪抑止について 春庭
7  86 2003/11/12 ちよさんへのメール 春庭
8  96 2003/11/13 美と価値観と私の問題 春庭
9 116 2003/11/19 悲しい過去は捨てられません 春庭
10 126 2003/11/22 バーチャル友情に支えられる日もある 春庭
11 132 2003/11/23 私はこどもの気持ち次第 春庭
12 150 2003/11/29 筋弛緩剤の守被告について HAL
13 173 2003/12/08 戦争について、怜さん千代さんのカキコより HAL
14 196 2003/12/18 学び、学校、学歴 HAL
15 204 2003/12/24 ひとりひとりの違う声と、群読と HAL
16 219 04/01/03 カフェの公と私について HAL
17 231 04/01/10 映画「息子のまなざし」とゆるしについて HAL
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[56] 新しいお仲間で〜す! ようこそ! 投稿者:ちよ 投稿日:(Wed) 00:27

春庭です 春庭
ボーリングフォーコロンバインに参加希望です。あまり投稿を頻繁にできないかもしれませんが、皆様の意見をきき、考えるきっかけにしたいと思っています。


58] よろしくお願いします 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/05(Wed) 08:33
お仲間に加えていただきました、春庭ともうします。どうぞよろしく。まっき〜さん、歓迎ありがとうございます。「差別」「命」の話題に、参入早々、カッカッと火がついています。(燃えるのがすきなんです)

命、生命倫理について、このページ0301a7mi.htm 
にも、書いたことなのですが、私自身は「たとえどのような障害が残ろうとも、いとおしいこの子を育てていこう」と、決意しました。医者から、難産で生まれた息子に知能障害の可能性が残ると言われたときのこと。

生まれたからには人として愛されて育てる義務は、生んだ人だけじゃなくそれを支えるべき社会全体も、持つのは当然。やけどをした子など死んでしまってもいいと考える親がいたということは、そういう母を育てた社会の責任でもある。つまり私とあなたの。

話題がそれてしまうかもしれませんが、命に関して、自分でもどこで線引きをしていいのか、わからないことがあります。
外国では冷凍受精卵の「財産継承権」について裁判があり、権利が認められたとか。受精卵には子供になる可能性がある、すなわち人として認めたやるが、じゃ、未受精卵は、ただの「モノ」なのか?

妊娠して28週までは経済上の理由などでの堕胎が法的に認められているし、母親の生命維持のためには、それ以上の週数でも可能。
じゃ、おなかの赤ちゃんはいつから「人」として尊重されるべきなのか。

女が「産む性」と規定され、国家から「社会のために産みましょう」なんて矯正されるのはまっぴらごめん。しかし、生まれてきた子供には、社会全体が自分の命をかけて子供を愛さなければならない。

どうも、話の流れがまだよくつかめず、とんちんかんなこと言っているかもしれませんが、とりあえず、ご挨拶がわりに。
余り頻繁には投稿ができないかも、と、しおらしい初参加の弁を述べていますが、どうにも、春庭、議論が大好きで。今日のOCNカフェにも書きましたが、昔は議論たたかわせた亭主が相手をしてくれませんので、「あまり頻繁には」と言いながら、ちょくちょくおじゃまするかも。なるべく皆様におじゃまなトンチンカンはひかえようと思いますが、以後よろしくお見知り置きくださいませ。

yukinekoさんよろしく

近代社会は、これまでの伝統的な社会が持っていた様々な価値観を転倒させた社会であった。文化人類学の中で、さまざまな社会の中で、精神的な病がどのような扱いを受け、社会生活上の立場が社会によってどう異なるかを比較した研究もある。

社会よって、「神に近い、人を超越した存在」としておそれられる(あるいは尊敬をうける)こともあるし、徹底的に疎外者として排除してきた社会もある。
古代社会のある地域のように、精神が尋常でなくなったものは神のことばを伝える者として大切に扱われたということもあるように、ある者を差別するか、利用するかは、表裏の関係。

近代産業社会では、「産業社会に貢献する」「人的再生産に貢献する」ということが最大の価値を持ったから、産業の歯車として働けない人間、軍隊に入って規律正しく人殺しができない人間は役に立たない者として排除されてきた。近代社会で統合失調症の人々や躁鬱の人々が差別的扱いを受けてきた理由は「お国のために働けないから」だと思う。同じように、子供を産めない女も差別の対象。

また、部落差別、アイヌ、ライ病、原爆病などの差別も、それぞれに異なる面があるとはいえ、根は同じ差別構造を持つ。

日本の中世社会では、芸能者が、聖的存在から賤へと転化した歴史をもつし、差別の構造は歴史と地域の中でさまざまなバリエーションを見せる。

ある社会の一群に「一般より尊い特別な存在」を必要とするならば、必ず、一般より劣った存在が生み出される。それが、現代では統合失調であり、長崎の事件以後ではアスペルガー症候群の人が排除の対象となってしまっている。

2チャンネルでは「基地外」という当て字で、差別する者をあざ笑った書き込みがなされている。基地外とは、またすごいネーミング。しかし、ある意味、見事に真実をついている。

われわれ近代社会の中にとりこまれて生きている者は、みな基地の中に囲い込まれた存在である。基地の中にいれば、食べ物も保証され、一応の安全もミサイルや戦車によって確保されている。しかし、基地の中の平和とは、いったいどのようなものか。

基地の中では、精神の自由はない。軍の規律がなによりも優先するから、この規定にあてはまらないものは、排除される。
排除された者は基地の外に出ていくしかない。基地外である。

私は現在のところ、基地の中にとりこまれた生活を送らざるをえないでいる。喰うために、といいわけしながら。

しかし、基地の外にいる自由な人々のことを忘れているわけではない。彼らこそ本当の精神の自由をもっているのだから。他国の核の傘の下で安全を保証されているわけではないから、不安定であろうし、苦しみもあるだろう。しかし、基地の中が真に幸福とも思えない。

基地のそとにいる方々、基地の外にでると今まで見えなかったことがよく見えるようになると思う。内部にどっぷりつかった者には見えないことが見えるだろう。病がつらいときはじっと静かに癒えるのをまち、つらい気持ちが収まったとき、基地の中にいる人には見えなかった風景を、ことばにして伝えてほしい。

私たち、基地の中にとらわれている囚人は、自分が囚人であることに気づいていないのだから。


[63] Re[62]: 基地外 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/06(Thu) 00:41

思いつきを頭からかいて、ごちゃごちゃしたわかりにくい文章になるのが、くせなので、意味不明な点、ご容赦ください。

私が言いたかったのは、まとめると、「産業社会に役立つ者に価値がある」という価値観を変換しない限り、躁鬱、統合失調などのシナプス不全症候に対する蔑視を払拭することはできない、ということ。

目には見えないものの価値が、本当は一番必要なのだ、ということに人々はきづいてきたとは思うのですが、やはり人々が第一番に望むのは「景気回復」だったり、「ボーナスもっとくれ」だったりします。

そうでなければ、重度身体障害者の施設を見学して「こういう人にも生きている意味があるのかねぇ」と言った人を知事に再選することはないのでしょうし、「公約というのは、必ずまもらなければならないものでもない」と、自らうそつき宣言をした人を、国民代表にすることもないのだと思うのですが。

我が家はぎりぎりの収入で生活していますので、お金が欲しいことはそりゃ、欲しいですが、お金以上の価値を必要としてこの掲示板にもおじゃますることにしたのです。

この小さな話し合いの場からも、必ず人を排除しない、すべての人に価値を認めるコミュニティが育つと信じています。


[75] マニフェスト「志縁共同体」 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/09(Sun) 07:19
 差別と排除の問題を以前から考え続けてきたが、ぐるぐると答えの出ない自問自答を繰り返して、いつも最後に行き着いてしまうのが「共同体」の問題である。

 日本は、農業を取り入れて以来「村社会」という共同体を形成して生産活動を行ってきた。食べていくためには、村社会から離れることは出来なかった。現代の会社組織はこの「村社会構造」を引き継いでいる。
 日本は、農業社会から近代産業社会に転換するとき、農村社会システムをこわさなかった近代国家である。(遅れて産業社会に参入したためという理由もあるし、その他もろもろ)

 大学院の授業で1年かけて玉城哲『日本の社会システムーむらと水からの再構成』を元ネタにして討論を続けたが、結局現在の村社会(にっぽん株式会社)の外に出るには、日本を出るしかない、という堂々巡りの議論に陥ったことがある。
 フリータなど、組織内にしばられていないように見える人間まで、しっかりと村社会の網の目にとらえられているのが日本社会であるから、日本で普通に仕事をして生活しようと思った時点で、すでに網の目にとらわれているという結論だった。

 共同体が存続すれば、必ず「差別と排除」のシステムが機能する。共同体維持のために、「村八分」は最も有効な方法だからだ。

 私の祖父は戦前の村社会で「あの家は自由主義だ」という「うわさ」をたてられて村八分にされた。(笈の小文での中で、戦後は芝居道楽を続けたと、紹介した祖父です)

 祖父の自由主義的なものの考え方は、孫から見たらむしろ古くさい、昔風のものに思えたが、戦前の村社会では「ご真影に最敬礼しない」「神社で武運長久を祈らない」というだけで、排除の理由には十分だったのだ。
 大事な長男を戦死させ「あっぱれヤスクニの家」となるまで、村八分は続いた。

 現代社会で、精神のやまいを持っている人、ジェンダーマイノリティ、ある特定の地域の出身とされる人などを差別し、産業社会から排除することは、日本株式会社を維持するための必要不可欠なことなのだ。

 「やさしい心でかわいそうな人々ともおつきあいして差し上げましょう」などという勘違いおばさんも含めて、善意までもがシステムの中で機能する。

 日本株式会社を離れては、みな生活できない。コンビニバイトも警備会社夜勤もスーパーのパートも、タクシー運転手も、差別と排除を受け入れることで仕事が継続できる。

 私もまた、パートタイムレクチャラーという、パート仕事を続けるために、この社会システムの中に飲み込まれて生きている。食うために。生き抜くために。

 地縁、血縁、金縁の村社会の網の目から逃れ出るすべはないのか?網の目はひとつだけなのか。

 ある!網の目がもうひとつ。外来語になってしまうが。そう。ウェブである。
 もうひとつの網の目。世界中に広がる蜘蛛の網。志を同じくする人々が、住む地域や職業やジェンダーを越えて仲間になれる場所、そこがウェブ。

 楽天的にすぎるかもしれない。でも、現在の私にとっては、たったひとつの希望の星なのだ。
 インターネットをはじめて、こうしてこの掲示板の仲間になれた。これだけで、私には希望の星が輝き始めた思いがする。

 このコミュニティが、日本村社会に対抗できるのかどうかはわからない。今はそれぞれの村社会のなかでもがきつつ生きていくしかないだろう。
 しかし、身体は村社会にどっぷり浸かり、システムに支配されて自らの時間を売って金を得るしかないけれど、身体性を離れれば、私たちは自由に飛翔できる。友にも会える。話ができる。志を話せる。

 地縁でもなく血縁金縁でもなく、志縁によるコミュニティ。今のところ、これが私の「差別と排除」からの脱却だ。

 このコミュニティは出入り自由。入りたいときやってきて、出たいときは自由に去る。コミュニティでは、互いを思いやるこころづかいさえあれば、自由に話ができる。

 以上、春庭の「楽観的コミュニティ論」でした。


84] Re[82]: Re[80]: 敢えてこんな内容の投稿を(性犯罪抑止について) 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/12(Wed) 06:32

>まっきー論
> 通称「グリーン・リバー殺人鬼」事件。 > 犯人は、54歳のゲーリー・リッジウェー。 > 自白した殺人の総計が、約50. > アメリカ史上、最悪の数らしいですが・・・。
> あくまでも男の、そして私見でもあるのですが・・・俗に言う性産業というものは、性犯罪を軽減する効果のある、必要悪的存在だと思っているところがあるのですが。

ゆき論
> 以前論じた宮崎と同様に感じています> 今のところですが > あと性産業について > ある程度の規制が必要でしょうね
> 結局は個人のモラルの問題ってところに行き着いてしまうのでしょうかね

春庭論
 現代のオランダの性産業のように「商行為」として認めた上である規制をかける国もあり、江戸時代の吉原のように、幕府からのお墨付きを与えた上で権力側が性を支配する制度もあった。性の支配は、古代から、共同体の支配構造にとって、大きな意味をもっていた。共同体は、産業によって生産することと、人的再生産(子を産み育てる)のふたつを管理することによって維持されるからである。

マッキーさんの「性産業が性犯罪を抑止する役割を持つ」論に関して、春庭は、ふたつの条件が必要と思っている。性産業で働く女性に対して、同じ労働時間同じ賃金を得られる別の仕事を提示してやり、女性が自ら「同じ賃金を得られるなら、性産業を選ぶ」と、判断した女性のみを、従業員とすること。

 性産業があるところ、必ず「女性がそれ以外の職をえることができない貧困」が存在します。貧困地帯の女性にとって、それ以外の仕事の選択ができるようにした上で、彼女が性産業に従事することをえらぶのなら、文句はいわない。しかし、そうでないなら、貧困社会の女性の働く場を作り出す努力をしていない者が、「彼女たちは商行為として、やっている」と言うことは許されない。

 最も許し難いのは、未成年を性産業に従事させること。自らの仕事の種類を選ぶまでの判断力を持たない未成年に対しては、児童ポルノを含め、絶対に許してはならない。 

 性産業が性犯罪を抑止する効果があるというなら、ふたつ提案したい。
 性を媒介として人と関わりたいという意志をもった人同士で性行為を行える倶楽部」をたくさん作ればいいということ。登録はインターネットでもいいから、各人の趣味嗜好にしたがって、絶対に金銭を介在させずに、当人同士、あるいは複数でも、やりたい人同士でどうぞ。

 自分の性を自分で管理できる大人であるなら、自らのセクシャリティに従って、自由意志で、SでもMでも、動物相手でもお好きにどうぞ。
 しかし、性的な嗜好は自由といえ、絶対にゆるされない嗜好がふたつ。

 前項と同じく、自分の判断力を形成できていない児童に対する性欲望、いわゆるロリコン、幼女に対する性嗜好(宮崎某などもこれ)

 もうひとつは、「殺すことによって快感をえる」という嗜好(神戸の酒鬼薔薇聖斗は、これだったと伝えられているが真実は不明)
 相手の命を絶つことは、どのような趣味嗜好であれ許されない。

 倶楽部の例「オルガペタジーニ倶楽部」夫に相手にされないなどのりゆうによりお暇な中年女性が、自らの意志により参加し、同じくみずからの意志により参加した中高生男子に性のてほどきをする倶楽部。これは、江戸時代までの旧農村の一部で行われていた風習を踏襲したものである。

 オルガ夫人が自分の息子の同級生であるペタジーニと結婚し、彼を支えているという事例から名前を借りたが、オルガ夫人が怒ったばあい、倶楽部名称はほかの名前でよい。
 春庭参加意志あり!!


[86] Re[79]: Re[78]: ちよさんのメール 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/12(Wed) 06:41
>ちよさん

人と関わることをしてこなかった、ひきこもりの春庭に、「人と関わっていくこと」の心をおしえてもらい、ありがとうございました。
これから先も、もしメールを受けたら、自分のことばでコミットメントしていきます。
春庭


[96] 美と価値観と私の問題 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/13(Thu) 19:49

>たあちゃん
>それはそうと、そのバラバラにした残酷な男、私の目の前に来たらきっとその男をバラバラにして、ネットで公開するでしょう。どうでしょう、その男と私の違いはあるでしょうか?

怒りにまかせてほんとにバラバラにしたのなら、「その男と同程度に扱われれる」という事になってしまうでしょうが、私たちは皆、怒りのあまり、本当にバラバラにしてやりたい、と思いつつ実際には、していません。

そこで「同じレベル」には成らないんだと思います。一歩手前で留まるか、我を忘れて実行するか。その差は大きい。

私も、自分の娘が中学校教師から執拗なイジメを受けたことを、不登校中に知ったなら、中学校へ乗り込んで逆上し、その教師をナイフで刺すくらいのことをしたでしょう。娘は私のそういう性格をしっているから、3年間、不登校の理由は言いませんでした。

母親より冷静な娘のおかげで、私は殺人犯または傷害犯にはなりませんでした。(そのかわり、不登校の原因は、子供を保育園に預けて大学院に通い、実家に預けて単身赴任をした鬼母のせいだ、と、2年間周囲から責められましたけど)

一般化して考えることと、我がこととして直接我が身に振りかかった事件というのは、まったく異なります。当事者でなければわからない苦しみつらさ。

「笈の小文」11/11に紹介した「お隣を許せず世界平和願う」という川柳を見て、私のことを表したのかと思った、と書いたが、これって、案外春庭だけじゃなくて、世の人々は皆、総論賛成各論反対をやっているのかも。

と、いうわけで、たあちゃんが怒るのは当然で「おまえこそバラバラにしてやるぞ!」と言ってやるのは、自然な感情だと思います。

>ちよさん
>コーカサス体型と二見医師体型とken体型について
春庭が11/13に、英語にも発音しない文字があるのに、韓国人の名前に発音しない文字があるのを怒っていた日本語教師、というのと根はいっしょのように感じました。

西洋的な美、欧米的な価値観、アメリカ的なビジネスのやり方、これらを無条件で「よいもの」として崇めたてまつり、グローバル化だと思っているヤツが多いように感じます。

kenさんすてきな人。二見先生、こんなユーモアあふれる先生がいらっしゃる病院なら、きっと回復も早いでしょうね。

上記、娘が不登校のとき入院した先の先生「決してお母さんを責めているワケじゃ、ありませんよ」と、何度も念を押しながら、娘の不登校の原因は、「母親が頑張りすぎるせいだ」と何度もせめてくれまし。

と、私も一般的な理性的理論的な見方で冷静な論をまとめるより、「私はこうだった」「私はこうつらかった」という、自分語りの中から、方向を見いだす方が性にあっています。


[116] Re[115]: Re[113]: 悲しい過去は捨てられませんね。 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/19(Wed) 20:42

> 誰もが他とは違う悲しみを負っているから大抵の人は他の悲しみに敏感になるのでしょう。悲しみの度合いは違っても共に歩んで行けると私は信じてる。傷つけ合うでしょうけれど癒し合えるとも信じるから・・・

ジャズダンスをいっしょに習っている友人。
息子さんを少年同士のケンカによって、失いました。彼女は『話を聞いてください』という少年犯罪について、家族の声を集めた本に手記を書き、少年と親を相手の民事訴訟を続けることで、悲しみに寄り添いながら、息子さんの分まで生きていこうとしてきました。

「民事訴訟をおこしたのは、賠償金がほしかったのではない。少年犯罪の裁判は、家庭裁判所で行われ、被害者遺族には詳しいことも知らされないまま結審してしまいます。無惨な殺され方をした息子さんは二度と戻らないのに、加害者はある程度の少年院暮らしのあとは、墓参りに来ることもしないで、生活する、それがどうしても許せず、民事賠償裁判を行ったのだ、と話していました。

私たちは、彼女が悲しみ苦しみを自分の力で乗り越えていくのを、ただ見ているだけでした。それでも、いっしょにいるよ、というメッセージは届いたのだと思います。彼女は裁判に勝利したあと、ジャズダンス仲間として復帰しました。

私には『話をきいてください』の感想を手紙にかくくらいのことしか出来なかったですが、思いは届いたのだろうと信じています。

私も、去年の姉の死が衝撃でした。母に続いて、姉まで医者の誤診でなくなるという運命を受け入れがたくて苦しみました。

カフェで、さまざまな人々の日記を読む中で、すこしづつ癒されてきたように思います。
みつばさん、ちよさんの日記を読むたび、心がふるえます。そして、らいりーさんの足跡。どのページを訪問しても、らいりーさんのやさしいことばがあります。ひとりひとりの人にあてて、ひとつひとつのことばが、あたたかく光っています。

私は、「品性下劣」と非難されつつも、笑いのめすことで、自分の苦しみや悲しみを忘れようとしています。人それぞれのやり方があって、さまざまな苦しみからの昇華があるのでしょう。

カフェで皆さんに出会えたこと、感謝しています。


[129] バーチャル友情に支えられる日もある 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/22(Sat) 15:35

 命について、平和について、社会や差別について、このボードでいろいろな考え、意見を読みました。
 ともすれば流されるままの日常で、やはり立ち止まって考えなければならない時間も大切だなと、あらためて思います。

 ミニメールで「迷惑メール」についての相談を受けました。こどもを預けて海外旅行にいくことを日記に書いたら、非難の足跡を受けて悩んでいるというのです。

 私は子供を実家に預け、海外単身赴任を6か月続けたことがありました。いろいろ非難も受けました。でも、雑音にかかわらず、やりたいことをやり、行きたいところへ行って、母親も生き生きとしたほうが、子供にべったり張り付いているより、ずっといいと考えています。彼女にもそう返信しました。

 子供を育てながら働くって、ほんとにしんどいときもありますよね。みつばさんのすてきな子育て「しからない子育て」に学びたいと念じつつ。今日も、中3息子に「ゲームばっかりして、この子は!」と怒鳴っています。「ゲームはゴミ捨てと古新聞整理をしてからだ!」と、命令。

 15歳少年は「お母さんが足跡かえしに夢中になって、古新聞とゴミをためちゃうったからから、こんなに大量になったんだ」と文句を言いながらゴミ出しをしています。

 ほんとうに、この9月から、カフェの人々とふれあうことに専念で、掃除もごみ出しもさぼり放題。でも、人とふれあうことの大切さを思い出した母のほうが、人との接触に傷ついて、自分の殻に閉じこもってきた母より、ましじゃないかと思っています。
 私には、BFCが心の居場所です。

 少年少女の悲惨な事件を見るたびに、この子を受け入れてくれる場所が、ほんとうにどこにもなかったのだろうか、と、悲しくなります。

 妹が関わっている不登校生のためのフリースペースにも、学校から受け入れを拒絶されたように感じてしまった子供がたくさん集まっています。学校は「登校しろ」と責め立てるくせに、子供の心の居場所を作ろうとはしません。

 心の居場所をあたえてくれたちよさん、温かく受け入れてくれるみなさん、ありがとう。
 森さん、みつばさん、たくさんお話ししましょうね。

 みつばさんがご自分の文章をこどもさんに読ませたというので、さっそくまねをしたくなり「この文読んで感想言ったらゲームしていい」という交換条件だしたら、しぶしぶ読んでひとこと「長い!」いつも長くてすみません。短くきりっと、言いたいことをまとめたいとはおもうのですが


[132] Re[131]: 私は、子どもの気持ち次第・・ 投稿者:春庭 投稿日:2003/11/23(Sun) 05:29
>mitsubaさん
> 命の短かった彼女と、限られた時間を一緒に過ごすことができたから。今、私は、彼女と過ごせる日が1日でも与えられるなら、どんなにうれしいかしれません。

子育ては子供の目線で、というますが、お嬢さんにとってそのときmitsubaさんがそばにいてくれることがとても必要だったのですね。共にすごし、そばにいられる時間何より大切なものと思います。

私も、常勤の職を得るために研究業績を上げなければならない時期に娘が不登校になりましたから、研究生活はあきらめました。家に引きこもってケーキを焼くことが唯一の自己表現となっていた娘によりそう時間を多くすることで、自分の論文を仕上げる時間はなくなり、常勤職は遠のきましたが、これでよかったと思っています。

mitsubaさん「娘とすごせる日が一日でも与えられるなら、、、というお気持ち、読んでいて涙がこぼれます。思い出の中にいつもいっしょとはいっても、ぎゅっと抱きしめたい日もありますもの。

いっしょにいられることを、同じ時代を生きていられる仲間を、心支えることばをかけ合えることを大切にしていきたいです。

>怜さん
http://www.yumegarden.com/ サイトを覗いてみました。ご主人がサイトを守っていらっしゃるんですね。お知らせありがとう。


150] Re[149]: 筋弛緩剤の守被告に 投稿者:HAL 投稿日:2003/11/29(Sat) 12:39
まっきーさん
> 本当に『2001年』を想起させます。
> 本当の人間の死を描いているような錯覚に囚われます。

まっきーさんがいうとおり2001年のHALです。なぜHALを名のるかは笈の小文で。「名付ける」「名のる」というのは、人間存在の基本だと考えています。

酒鬼薔薇も一字名字の「守」も、とても印象に残りやすい強烈な名前ですね。

「相手を完全に支配する」という人の欲望は、類人猿にとって、食欲性欲とおなじように、逃れられない本能のようです。チンパンジーのマウンティング、ボノボ(ピグミーチンバンジー)の「ほかほか」というコミュニケーションなど、支配欲が性欲と結びついた表現になるのも、類人猿の特長です。

 猿にも支配欲があるのだから、人間が支配欲から他国へ戦争に出かけていったり、殺人を犯すのが仕方がないって言いたいのではありません。

 私たちはことばによってコミュニケーションできるようになった「ことばを持つ猿」であり、名付けることによって個体識別ができるようになりました。ひとりひとりが異なり、ひとりひとりが貴重である存在なのだと自覚できるようになった猿だと、言いたいのです。

守被告には恋人がいたようですが、酒鬼薔薇少年が、家族に囲まれながら陥っていた孤独を思うと、彼の心の闇によりそってやる人がいなかったことが悲しいのです。(新聞雑誌報道や「A少年この子を生んで」を読んだだけの情報なので、本当のA少年のことはわかりませんが)

現代社会では、恋人といえども心の中はわからず、家族といえども思春期の少年の心の奥を理解することが難しくなっているのかもしれません。
 私自身15歳の息子の親として、分からないことだらけです。犯罪に向かう少年達の、また「自傷行為」にふける少女達の新聞記事を読んでも、理解できないままです。

 ただ、理解することができないまま、遠く離れていても、心に寄り添って「あなたがここに生きていてくれて嬉しい」と伝えることだけはしていきたいと、無力なままのメッセージを送り続けてはいます。


[173] Re[171]: 戦争について・・怜さんと千代のカキコより 投稿者:HAL 投稿日:2003/12/08(Mon) 16:57
> 怜さん、ちよさんの意見へ

 戦争に直接参加した方の意見は胸に迫るものがあり、説得力があります。
 でも、直接経験しなかった私たちにも、説得力は弱いなりに自分の意見や立場を表明しておくことが必要になっている時代だと思います。

 私は、父から従軍生活捕虜生活を聞いて育ち、母からは「お国のためにと日の丸を振って弟を戦場へ送り出し、死へ追いやってしまった。弟が生きて戻らないかぎり、二度と日の丸の旗を見たくもない」という話を聞いて育ちました。

 この二つの間接経験だけでも、十分私にとっては自分が反戦を貫く理由になっていると思っています。

 また、中国で半年暮らしている間に、戦争の傷跡二箇所を見ました。

 ひとつは、撫順市郊外平頂山村虐殺記念館。
 人口600人の小さな村の中で、400人が「匪賊」の容疑をかけられ、有無をいわさず、関東軍により殺された事件の跡。累々と折り重なっている死体がそのまま博物館として保存されており、日本軍の行状をそのまま見せる記念館です。友人といっしょにみました。

 もうひとつは、ハルビン市郊外の七三一部隊博物館。ここは今は中学校の一部。
 森村清一が『悪魔の飽食』で描いた、中国人を虐殺した人体実験の跡地です。妹、姪達、娘息子と共に見ました。

 どちらも、日本人が見て、気分のいいものではありません。
 しかし、中国の人たちは、訪れる日本人に「遠いところから、こんなへんぴな場所まで、よくぞ来てくれた。私たちは、日本人を恨むためにここを博物館にしているのではない。中国人も日本人も共にこの事実を忘れず、これから決して戦争の悲劇を繰り返さないために展示しているのだ。
 よく見ていってくれ。よく見て、この悲劇を日本の人に伝えてくれ」と言い、犠牲者たちの冥福を祈る私たちを暖かく迎えてくれました。

 七三一部隊については、ドキュメンタリーも作られ、よく知られていますが、平頂山村虐殺事件について書いた人は、澤地久枝だけです。(私が読んだ本のなかでは)

 よく見て、悲劇を忘れず、けっして繰り返すな、と、言われました。
 しかし、現代、いままさに、多くの人たちが「過去を忘れよう、そして、あらなな悲劇を作り出そう」としていることに対して、声をあげることすら禁じられようとしています。

 もちろん法律は、自由な論説を禁じているわけではありません。
 しかし、私はある場所で「自衛隊派遣反対なんてこと言って、リストラでもされたらかなわない」という人の意見を聞いたことがあります。

 言論を封殺するには、直接拷問などを加える必要はありません。この不景気の時代に「あんた、そんなこと言ってると、職を失うよ」と一言おどしてやればいい。

 言論の内容如何で、昇進やボーナスや、結句リストラ対象にされるなどがかかってくる時代になりつつあると、ひしひしと感じています。

 だからこそ、こうやって、BFCで論議を続ける必要があるのだと思います。

 もちろん、怜さんが「自分の説得力の及ぶ範囲のことがらで、論議に参加する」というのも、ひとつの見識として、とても誠実なやりかただと思います。

 そして、私みたいなおっちょこちょいの、とりあえず、声をださずにはいられない、というお先走りのやりかたも、それはそれであってよい。ようは、自分なりのやりかた、声の出し方で、自由に発言できる場があることが大切、と私は思います。

 だから、怜さん、いつでも怜さんが声をあげたい問題について、意見をきかせてください。

 みんなの率直な声をきける場所があって、ほっとします。

>まっきー『ジョニーは戦場へ行った』悲しすぎて重すぎてまだ見る勇気がありません。でも、いつか必ず。 
[196] 学び、学校、学歴 投稿者:HAL 投稿日:2003/12/18(Thu) 07:25
みつばさんの日記にあった、学校へ行かないことを選択した15歳について。

自分自身が「学校よりここですごしたい」という場をみつけて、「学校での学びより、ここに学びたいことがたくさんある。この人から学びたいことがいっぱいある」という場所、人がいるなら、それで十分。

でも、そういう人や場所がなかなか見つけられないから、親たちは「とりあえず学校へ。中学卒業したら高校へ」と、思ってしまう。

学童クラブ指導員をしている妹は、自分たちで立ち上げたフリースクールのNPO法人化をして、学校へいかない子ども達のためのさまざまなプログラムを企画している。
学校が合っていて、学校が楽しい子もいるし、学校以外の場に自分の居場所を見つける子も。

まっきーは山田洋二の『学校』を評価していないみたいだったけど、私は『学校U』は、わりと好き。「人は人と関わることで学ぶ」という基本がちゃんと描かれていたと思う。浜崎あゆみが「B級タレント」として、西田敏行の娘役で出演しているのも見られるし。

『学校W』はまだ見ていない。娘が通った都立単位制高校の後輩が主演しているので、いつか見たいとおもっているのだが。

生徒会問題で対立した教師から「おまえなんか高校へ行けないようにしてやる。内申点どうなるか考えろよ」と脅された娘は、中学校後半、1年半不登校。

娘が選んだ高校は「内申点がなくても入学許可する」という都立校最初の単位制定時制高校。とてもユニークな学校で、娘はのびのび学ぶことができた。

娘が単位をとった「化学」の授業は、生涯教育との合併クラス。
50代のお菓子作りが趣味の主婦も、30過ぎて定時制高校に入学し、働きながら学ぶ人もいっしょに「お菓子と化学」というタイトルの授業を受けた。
前半50分はおかし作り。後半50分は、お菓子の材料を利用したりする化学実験と化学の理論勉強。

娘は元素記号も全部は暗記できなかった。「数字と記号に弱い家系」のDNAを持つが、化学の授業を楽しみにしていた。

学びは人さまざま。学歴にこだわりさえしなければ、「学校W」で描かれたように、自分のまわりすべてが学校。すべての人が先生。

みつばさんの日記の15歳の決定が彼にとって、よい決定であることを願っている。

ヤンキー先生が教えている余市の高校、妹が関わっているフリースクール、ちよさんとこのAcoさんの高校もユニークなところ。(高校名たぶん合唱団のところだと思って)、うちの娘が通ったような単位制高校も、都内に増えてきた。

息子にも「何がしたいか自分でわかったら、迷わず行きたい方向をめざしていい。でもまだ自分でわからないうちは、とりあえず学校行っておけば」と、言っている。
本人いわく「きらいな科目の勉強がいやなことだけはわかっているが、あと、何をしたいかはわからない」という。
苦手な授業の日は自主休講している中学3年生。さみだれ登校中。

人それぞれに、その人なりの学びがあり、その子なりの成長があれば、いいと思うのだが。


[204] ひとりひとりの違う声と、群読と 投稿者:HAL 投稿日:2003/12/24(Wed) 12:08

今は日本語教育に携わっていますが、元は国語教師だったので、子ども達への国語教育についても、いつも関心を持っています。

教員室へきて「せんせ、かみ!」と手を出すこども。これは「先生、私は、昨日おやすみしていて連絡のプリントをもらえませんでした。今いただけますか」という意味らしい。
「あいうえお」を習いはじめの留学生でも、もう少しましな日本語をつかおうとするのに。

従来書き言葉が中心にされてきた国語教育の場でも、ようやく音声表現、音声日本語の教育が重視されるようになってきた。

ある音声表現プログラム。
1,給食中のたのしいおしゃべりタイムの録音を聞かせる。さまざまな声が入り交じる。本人達はたのしいおしゃべりのひとときだが、あとで聞けば、本人達にもがやがやしたうるさいものでしかない。

2,「風の又三郎」の「どっどどどどうど、どどうど、どどう」がハーモニーとなって、くりかえされる、詩の群読を聞く。
子ども達は言葉のリズムとハーモニーのおもしろさに気づく。

3,「我は草なり、伸びんとす」などの詩を順番に読み、クラスメートのさまざまな声や表現の違いに気づく

4,自分たちでも群読に挑戦。発表会が開けるまで練習する。

1〜4のプログラムは、音声表現の一部にしか、過ぎないけれど、大事なことがふたつ。

@、クラスメートひとりひとりが違う声をもち、それぞれの個性があることに気づくこと。どの声もひとりひとりのたいせつな声。
表現の仕方も人それぞれ。同じ「伸びんとす」というひと声にも、いろんな表現のしかたが有ることを知る。

A、ひとりひとりの声をてんでに話している給食のおしゃべりタイムは、もちろんたのしいひとときで大切な時間だが、他の人にとっては騒音になることを知る。

B、皆で声をそろえて、群読したり、順番にいろんな声で読み合わせる輪読をすることで、リズムやハーモニーの楽しさを知る。

以上のプログラム、音声表現のひとつの例ですが、実は、怜さんが日記に書いていることと重なり合う部分があるんじゃないかと思って紹介しました。

一、「一人ひとりが異なる、違うところがあっていいんだよ」このことに気づくことは、第1番にたいせつなこと。

二、皆でいっしょに何か考えたり、行動したりするときには、ワイワイガヤガヤのバズセッションの次には、順番を調整して語っていったり、パネラーの話を聞いたり、同感したり、違うところの考えをふかめあったり、交流することが大切。

三、同じ志がみつかったら、それはとてもうれしいこと、そこから第一歩がはじまるかもしれない。

以上、怜さん日記への感想も含めて、「共通する思い」と「ひとりひとり違う個性」への、私の考えです。

ひとりひとりのさまざまな思い、違うところがあることを認め合う。さまざまな異なる考え意見をぶつけ合う。そしてそれを真摯に受け止める。そこから何かが生まれていくといいなと思います。

[219] カフェの公と私について 投稿者:HAL 投稿日:2004/01/03(Sat) 20:18

まっきーさんの論を借りて、しかし、ちょっと論をずらして、言いたいことを述べたいと思います。

 OCNカフェに入会し、ちよさん、みつばさん、まっきーさん、そのほかの方々、さまざまな感性と思考の文章を読む機会を得ることができました。

 共感したり、「それ、ちょっと私とは方向が異なるかも」と思うこともあります。
 いろいろな意見があり、それを自分なりに書いて発表する場があり、皆でそれを読んで考えあえることが貴重とおもってきました。

 しかし、今回、なくなった方のサイトをめぐって、トラブルがあり、日記を書く自由、発表する自由について、それを脅かそうとする人たちの存在を知り、とても複雑な思いがしています。

トラブルの経過とは。
「まちゃえもん」のIDでカフェに日記を書き続けてきた方が、年末に倒れ、おおみそかに亡くなってしまいました。
 シングルマザーとして、いっしょうけんめい働き、ふたりの息子さんを育てている日記を、私もはげみに読んできました。

 交流といっても、足跡をおかえししたり、まちゃさんが落ち込んでいると書いている日記を読んだときに、ミニメールを送ったりというだけのおつきあいで、彼女のお子さんについても、日記にかかれていること以上はまったく知らなかったのです。

 息子さんは高校3年生とそのお兄ちゃん。残されたふたりが力を合わせ、お葬式も二人だけで行ったそうです。
 お母さんにとって、カフェでの掲示板や足跡の交流が大切なものであったことを知り、カフェの足跡を通じて、お母さんの訃報を知らせました。

 ところが、それに対していやがらせが続き、最後には「サイトを閉鎖しないと、まちゃサイトを訪問する人にも危害を加える」という脅しのメールが入ったそうです。息子さんから「そこまで言われたら、自分のせいで、どなたかに迷惑がかかる結果になるので、サイトを閉鎖するこにした」という連絡が入りました。

 緊急にサイトを閉鎖するので、他の方へ連絡して欲しいというメールが届きました。私が特に親しくしていたのではないのですが、カフェミニメール以外のHPのURLやメールアドレスを公開している人が数少なかったことから、私に連絡が入りました。

 この経緯を知り、悲しみが倍増しました。息子さんふたりに、有力な親戚がついているという家庭ではないのです。兄弟ふたりきりで葬式も出し、これから生きていかなければならないのです。

 ふたりがカフェ日記のお母さんの友だちに連絡をしたこと、何をとがめることがあるでしょうか。ふたりにとっては、お母さんの思い出につながることすべてを残したかったのだろうと思います。

 いやがらせをした人には「自分は正しいことをやっている」という意識があるのかもしれません。自分だけが正しく、他の人は正しくないという意見を持つ人は、大勢いるでしょうし、その人たちの意識すべてを否定することはできないのもわかります。

 「文章を書き、それを公の場に発表する」という行為に対して、「私はそれと違う考えを持つ」と発表することも自由です。
 しかし、許してならないのは、違う意見を持つ人を暴力で封じようとすること。言論対言論ではなく、言論を暴力で封じようとすること。

 以前のことになりますが、長崎市長が暴力で発言を封じられようとしたことがありました。
 今回のカフェサイトをめぐるトラブルは、規模はそれとはことなるでしょうが、根はいっしょのような気がします。

 「サイトを閉鎖しなければ、サイトを訪問する人にもいやがらせをする」というのは、あきらかな脅迫です。しかし、このような人は匿名でそのような行為をして、すぐにOCNカフェを退会し、また別のIDで登録するのだそうです。

 OCNとしても、明らかな身体的暴力行為であるとか、証拠の残る脅迫的発言などがわかる場合でなければ、対処のしようがないということですが、だからと言って、私たちがこのような、脅迫に屈していいとは思えません。

 「おまえのサイトは気にくわないから、閉鎖しろ。しなければサイト訪問者へも危害をくわえる」などという言葉をおそれていてはならないと思います。

 いろいろな考え方があっていい。それをお互いに発表しあい、考えを深め会うことが必要なのであり、「自分の考えにあわない人、気にくわない考えは抹殺しようとする」ということを認めてしまったら、このBFCの存在理由もなくなってしまう気がします。

 私にとっては、未熟な考えであっても、ここで私なりの感想や考えを聞いて貰うことはとても貴重です。
 カフェの自分のサイト日記は「私」の領域ですが、カフェに発表する以上「公」という面も帯びます。

 「おまえのサイトは気にくわない」という理由で閉鎖を要求するというようなことがまかり通る世の中にはしたくないです。

 趣味はいろいろあり、考え方がさまざまある、そんな「ごった煮鍋」がいいので、全員が同じ方向を向かされ、同じ考え方をするような世の中になってほしくありません。
 いろいろな声でハーモニーを奏でること、ときには重唱し、ときには声をそろえて主張する。ときには、ばらばらの声で、それぞれ勝手に声を出す。

 しかし、「おまえの声は気にくわない声だから、歌うな」とは、誰に対しても言ってはならないと思います。

まっきーさんの論に直接こたえたものではなく、ずれたことを述べてしまいましたが、今日緊急に出したい話題でしたので、こんな形ですみません。


[231] Re[230]: 必見、『息子のまなざし』 投稿者:HAL 投稿日:2004/01/10(Sat) 09:57
まっき〜> 許すことの難しさ、その意義・・・
    > 渋谷のユーロスペースで公開中。出来れば、皆さんに見て欲しい!!!

 見にいきたいですね。
 私、実は「90’フォーラム」という「死刑制度廃止運動」をしている会の、「会報を受け取るだけの会員」になっています。「もし、自分の娘や息子が殺されたりしたら、はたして殺人者を許すことができるだろうか、私にはできないのではないか」と、自問自答しながら会報を読んでいます。
 殺人を犯した人の母親、殺された側の親、さまざまな人がさまざまな立場から、死刑制度について意見を述べています。

 やはり感動してしまうのは、殺された側の両親が、許しを見いだそうとして呻吟する姿。私には宗教心がないので、たぶんまねできないと思います。

 殺人という重い罪とはレベルが異なる話になりますが、先般このBFCで皆様に意見をうかがった「まちゃさんサイトに閉鎖要求の脅迫があった話」について、息子さんが1月8日に「いやがらせをした人へ感謝している」という日記を書いていて、あまりの見事な受け止め方に、本当にこれで高校生かしらとさえ思ってしまいました。

 私の1/3日記にまちゃさんのことを書いたあと、「こういう人をカフェにおいてはよくない。OCNに連絡して退会処分にすべきだ」という意見を持つ方からのメールも受け取りました。
 いろんな意見を自由にだすことは大事ですが、私としては「それはちょっと違うかも」と感じました。管理者であるOCNがそういう人を退会処分にしても、決して解決にはならないんじゃないか、と思ったのです。

 今回のまちゃさんサイトの問題では、一番の当事者が一番いい結論を出してくれたので、いやがらせをした人が自分の行為の不毛さを感じ取る機会があればそれが一番だと思います。

 私、ひとつミスを犯しました。01/07の「まちゃさんサイト問題続報」で、むすこさんに伺う前に彼のIDを日記に書いてしまいました。それを指摘してくれた方もいて、あわててIDを書いてしまったことを誤り、許可を受けました。かれは「気にしていない」と許してくれましたが、私は「彼への応援団が増えるといい」という思いで先走ってしまったのを、「いやがらせした人にも、あたらしいIDを公開することになり、それはしてはならないことだったのでは」と注意を受けて、あらためて引用や転載のむずかしさを知りました。
 でも、息子さんはそれも含めて、ゆるしてくれました。

 「ゆるす」って、ほんとうにたいへんで大きい問題です。
まっき〜さん紹介の映画、見てみたいです。そして、ゆっくり考えてみたいです。


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